1学期の授業録


使用教科書/『世界史A 歴史と現代』東京書籍 (東書・世A602)
副教材/『地歴高等地図・最新版』帝国書院 (帝国・地図599)

第1回 Introduction
自己紹介と授業の方針(評価の方法)を発表。授業は講義形式を基本とするが、ノートに資料プリントを切り貼りしながら進めるので、毎時間、ノリとハサミを忘れずに!
第2回 今年は世界中で2002年か?〜文化による違い〜
世界史Aでは、細かい年号よりも○世紀という表現が多く出てくるので、「世紀」の考え方を説明した。イエスの誕生を基準とした西暦は万国共通の表現なのかを検証した。仏教、イスラームなどそれぞれの文化によっていろいろな表現があるんですね。
第3回 生き残りをかけた猿人たちの選択@〜人類の誕生〜
現在、世界のどこかにアウストラロピテクスや北京原人はいるのだろうか?今回は人類の進化について概観した。隣にすわっているのは実は北京原人だったりして。そんなことはないです。
埴原和郎『人類の進化 試練と淘汰の道のり』(講談社)
第4回 生き残りをかけた猿人たちの選択A〜人類の誕生〜
なぜ人類はサルと決別していったのか?その分かれ道となったのは何か?それは地球環境の変化によるところが大きいのです。最後は、将来の日本人の顔について概説。本当にああなるのかなぁ?
埴原和郎『日本人の顔 小顔・美人顔は進化なのか』(講談社)、原島博『顔学への招待』(岩波書店)
第5回 自然と文明との関係〜文明の成立〜
なぜ文明は発生したのか?これも自然環境の変化によるものでした。古代の人びとは自然と共存しつつ、自然に対する畏敬の念をもちつつ世界中に個性ある文明を築き上げてきた。しかし現代人はどうだろうか?自然破壊をして文明を築き上げた結果、自然からしっぺ返しを受けていないだろうか?
鶴間和幸「文明の誕生〜古代からの発信〜」(『歴史でみる世界』2001年度)
第6回 黄河と長江の恵み〜中国文明のはじまり〜
なぜ「中国」文明というのか?近年長江流域の遺跡の発掘がすすみ、「長江」文明をとなえる学者もでてきた。「黄河」の文明と「長江」の文明がお互いに影響しあいつつ、それぞれの文明を築いてきたのではないだろうか?とくに長江下流域の河姆渡遺跡では、栽培された稲の籾が出土し、稲作の起源について従来の考え方が見直されつつある。
鶴間和幸「黄河と長江の恵み〜中華文明の誕生〜」(『歴史でみる世界』2000年度)、藤原宏志『稲作の起源を探る』(岩波新書)、佐藤洋一郎「稲と稲作の始まり」『米と日本人』(静岡新聞社)
第7回 始皇帝の地下帝国@〜秦・漢帝国〜
1974年、井戸を掘っていた農民が、大きい陶製の人形を掘り出した。その後、それが大量にあることが分かり、まさに「地下帝国」といっていいような状況である。これらは兵馬俑とよばれる。誰が、なぜこのようなものをつくったのか?春秋戦国という混乱した中国を統一した秦の王であった政は、「王」という称号にかえて「皇帝」という称号を始めた。これは天を主宰する帝の権威を借りた称号であり、20世紀初頭まで続くことになる。
鶴間和幸「皇帝制の成立と発展〜秦・漢〜」(『歴史でみる世界』2002年度)、西嶋定生「皇帝支配の成立」(『岩波講座世界歴史4』岩波書店)
第8回 始皇帝の地下帝国A〜秦・漢帝国〜
秦の始皇帝は、大規模な公共事業を行い、さらに人びとを法でしばった。こうした支配の仕方に対して、始皇帝の死後、陳勝・呉広の乱がおこり、またたく間に中国全土に拡大した。そして、農民出身であった劉邦が楚の名族出身の項羽を破り、漢を建てた。皇帝となった劉邦は、人びとに「休養」を与える政策をとっていった。それは始皇帝の支配の仕方と全く対照的なものであった。これが400年も続く漢王朝の基礎になっていくのである。
尾形勇・平勢隆郎『世界の歴史A中華文明の誕生』(中央公論社)
第9回 物語から現実の世界へ〜魏晋南北朝時代〜
日本人にもなじみの三国時代。しかし、それは三国時代からかなり経ったときに成立した『三国志』や小説である『三国志演義』によるものである。授業では、物語としての三国時代ではなく、歴史としての三国時代にせまった。とくに湖南省長沙市から出土した木簡・竹簡は同時代の資料としてたいへん注目される。最後はこの時代を分裂の時代(空白の時代、あるいは停滞の時代)ととらえるのか、地方活性の時代ととらえるのかを考えた。
鶴間和幸「三国分立の時代〜魏晋南北朝〜」(『歴史でみる世界』2002年度)、谷川道雄「南北朝時代の中国」(『週刊朝日百科日本の歴史44 500年の世界』朝日新聞社)
中間テスト
第10回 「荒波」にもまれる阿倍仲麻呂@〜隋・唐帝国〜
「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」。言うまでもなく奈良時代に唐に渡った阿倍仲麻呂の詠んだ歌である。彼の人生は波乱万丈である。彼は、若くして留学生として唐に渡った。奈良時代のころから、遣唐使は難破・遭難も多かったために、唐へ行くことを拒否したものも少なくなかった。次回、そこまでして行く遣唐使とは一体何だったのか?阿倍仲麻呂はどんな「荒波」にもまれたのか?をみる。
『朝日百科日本の歴史別冊・歴史を読みなおすC遣唐使船 東アジアの中で』(朝日新聞社)、井波律子『NHK人間大学 百花繚乱・女たちの中国史』(日本放送協会)
第11回 「荒波」にもまれる阿倍仲麻呂A〜隋・唐帝国〜
前半、遣隋使・遣唐使は中国王朝にとってどのように位置づけられるのか?を、概観した。中国王朝を慕い、世界中から人・モノが集まる。中国王朝はそういう人びとを差別なく受け入れた。阿倍仲麻呂もそうした中の一人であった。若くして唐に渡った阿倍仲麻呂は、その後、科挙に合格し高級官僚として玄宗に仕える。そして時は流れ、50歳もすぎたころ、ようやく日本に帰ることが許された。ところが帰途、暴風にあい、船は難破する。現在のベトナムに漂着しやっとのことさ、長安に戻ると、安史の乱。この乱をきっかけとして、唐王朝も傾きかけはじめる。結局、阿倍仲麻呂は日本に帰ることができず。長安で月を眺めて詠う。「あの月は昔故郷で見た月と同じ月であろうか」と。
『朝日百科日本の歴史別冊・歴史を読みなおすC遣唐使船 東アジアの中で』(朝日新聞社)、井波律子『NHK人間大学 百花繚乱・女たちの中国史』(日本放送協会)、『世界史B・新訂版』(一橋出版)
第12回 官僚天国、試験地獄@〜宋から元へ〜
唐末から元までの中国史を概観。
第13回 官僚天国、試験地獄A〜宋から元へ〜
隋の時代から始まり、宋の時代に形が整った科挙制度について学習した。なぜカンニングまでして官僚になろうとしたのか?中国では科挙は廃止されたものの、日本では現在も「科挙」を行なっており、公務員の不祥事が相次ぐなどの制度疲労をおこしている。
宮崎市定『科挙 中国の試験地獄』(中公新書)、平田茂樹『世界史リブレット9 科挙と官僚制』(山川出版社)
第14回 第三の性から見た中国史@〜明・清〜
前回の話が少し残ったので、片付ける。実際の公務員試験問題を解いてみた。こんな試験である。なにを試験しているのだろうか?後半、元末から清までの中国史を概観。
第15回 第三の性から見た中国史A〜明・清〜
中国の歴史の最終回である。中国史を見ていくと、皇帝の周辺にうろうろしているある人間をみる。それは男でもなく、女でもない、すべての人間関係から切りはなされた存在である宦官である。宦官とは何か。なぜ存在するのか。どのような人びとが宦官になるのか。皇帝の周辺ではこのような宦官と前回学習した科挙官僚とが権力争いがよく行なわれた。そして後漢、唐、明が滅んでいった。
三田村泰助『宦官 側近政治の構造』(中公新書)
第16回 ガンダーラの仏像@〜インド文明とギリシア文明の出会い〜
インド・ガンダーラ地方の仏像は、私たちが知る仏像とは髪型・顔立ちの点で少し異なる。今回と次回、なぜ違うのかを考える。今回はインド世界とヨーロッパ世界(ローマ帝国)との陸と海を通じての東西交流について学習した。
水島司「クシャーナ朝とガンダーラ〜古代インド〜」(『歴史でみる世界』2002年度)、松尾剛次『仏教入門』(岩波ジュニア新書)
第17回 ガンダーラの仏像A〜インド文明とギリシア文明の出会い〜
仏教が生まれたころ、仏像はつくられなかった。謎の王朝・クシャーナ朝のカニシカ王は、仏典を編集するなど仏教に対して手厚い保護を行なったが、他の宗教を排斥したわけではない。インド世界は東西世界のさまざまな宗教が併存し、国際的な性格をもっていた。その中で、神や女神などの像をつくってきたギリシア文化の影響を受けて、ガンダーラ地方で仏像がつくられはじめたのだ。だからガンダーラ地方の仏像はヨーロッパ人的な特徴をもっているのである。その後、仏教は陸や海の交流を通じて東南アジアや東アジアに伝わっていくが、インドでは衰退し、かわってバラモン教の流れをくむヒンドゥー教が人びとの心をとらえていく。
水島司「クシャーナ朝とガンダーラ〜古代インド〜」(『歴史でみる世界』2002年度)、山崎元一『世界の歴史B古代インドの文明と社会』(中央公論社)、松尾剛次『仏教入門』(岩波ジュニア新書)
第18回 アンコール・ワットへの道〜東南アジア世界〜
東南アジアの森林の中に、現在世界遺産に登録されているボロブドゥールやアンコール・ワットなどの大建築物が存在する。なぜこのような大建築物がつくられたのだろうか。王が広大な領域と多くの諸民族を支配するためには、軍事力だけではダメなのだ。王自身が神となり、信仰の対象とならねば。だからこそ、立派な大建築が必要なのである。しかし14世紀以降、世は海の時代となり、森林の中に建てられた大建築は捨てられていく。

櫻井由躬雄「大建築の時代〜11・12世紀の東南アジア〜」(『NHK教育 歴史でみる世界』2001年版)、石澤良昭・生田滋『世界の歴史L 東南アジアの伝統と発展』(中央公論社)

第19回 文明が滅亡するとき〜メソポタミア文明〜
「四大文明」が発生したところは、現在ではほとんどが沙漠地帯である。しかしメソポタミア文明が発生したあたりも、かつてはレバノン杉が生い茂っていた。人びとはこのレバノン杉を利用して、文明を築いてきたのである。森林伐採が問題になる中、ハンムラビ王はハンムラビ法典に木を傷つけないようにという条文を盛り込む。しかし、地中海に登場したフェニキア人はレバノン杉を商品としてどんどん伐採し、売っていく。そしてレバノン杉はなくなり、文明もなくなった。人類は同じ過ちを繰り返そうとしているのだろうか?
安田喜憲『NHK人間大学 森と文明』(日本放送出版協会)
第20回 夏期課題について
図書室にて。図書室には、いろいろ利用できる資料があります。しっかりと取り組んでください。力作を待つ!!

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