相良海岸における砂浜の現状分析 
写真提供:加藤 弘 氏(表浜ネットワーク) 1999年5月3日午後1時頃撮影(中潮 干潮0時36分)
コメント  :宇多高明 氏(建設省土木研究所河川部長、東京工業大学客員教授)

相良海岸(須々木〜相良:2.5km、平田緩傾斜護岸設置海岸:0.5km、
片浜〜鹿島[一部榛原町]:2.1km)で砂浜の残っている地区は3ブロックにわけられますが、
最近、住民から砂浜の減少が危惧される声があがるようになってきました。
老人達の話しを聞いても、今から30年前には、相良から御前崎まで、砂浜を歩いて行く事も可能
だったとか、砂浜で運動会が出来たというような話しが数多く聞かれます。
一体 何故、相良海岸の砂浜が減少しているのかを検証してみました。
写真は新居町に住む表浜ネツトワーク主宰の加藤 弘氏により、1999年5月3日昼頃の干潮時
撮影したもので、その中から数枚を抜粋、建設省土木研究所河川部長の宇多高明氏によりコメント
をいただきましたので、以下掲載致します。    カメハメハ王国 webmaster 山本明男

           相良海岸の状況を空中写真から調べる

                                       
                          *建設省土木研究所河川部長 宇多高明

1.まえがき
1999年5月3日、駿河湾西岸から遠州海岸の海岸線において、
ヘリコプターによる空中写真撮影が行われました。以下では、
この時撮影された相良町周辺の7枚の空中写真より海岸特性の
判読を行ってみます。
写真の説明順序は南から北とし、駿河湾南部の地頭方より
勝間田川河口北側の静波海岸までの範囲に着目します。
図-1には写真の撮影位置を示します。











2.写真判読
 
写真-1は、地頭方上空から湾奥方向
を望んで撮影したものです。この付近
には海岸線に沿って多数の離岸堤が設
置されています。離岸堤は堤長に比較
して開口幅が狭く、また手前側から2基
目の離岸堤を除いて離岸堤背後におけ
る砂州の発達は悪いです。
 この海岸では写真右側から左上部、
すなわち南から北向きの沿岸漂砂が卓
越していましたが、現在ではこの沿岸
漂砂の流れは御前崎港の防波堤によっ
て阻止されています。









 また、この付近の海岸は緩勾配ですが、離岸堤沖の広い区域は露岩域となっており、汀線付近に堆積
しうる土砂の量は少ないのです。この結果、離岸堤群背後での砂州の発達は悪いのです。
 写真に示すように、地頭方の市街だけではなく、その北側に延びる相良町の市街地の背後には崖
(海食崖)が迫り、その上部は林地になっています。このような低平な市街地と、その背後の海岸段丘面
を分ける崖は、今から約6,000年前の縄文海進時における旧海岸線です。
御前崎方面から沿岸漂砂によって運ばれてきた土砂と、一部河川からの流入土砂が海食崖の前面に堆積し
て形成されたのが写真に示す低平地です。なお、写真の中央やや左寄りに見えるグランドと建物は地頭方
小学校です。


 
写真-2は、写真-1に示した区域を海側
から撮影したものです。写真左端には写
真-1で示した地頭方小学校が見えます。
地頭方小学校のすぐ北側にある離岸堤の
位置が、他の離岸堤群を連ねる線から突
出していますが、写真-1によれば、この
離岸堤は地頭方小学校に隣接しているこ
とから小学校位置が確認されます。
この写真で注目されるのは、いずれの離
岸堤の背後でも舌状砂州の発達が悪いこ
とです。この理由については既に写真-1
で述べた通りです。また右端から3基の
離岸堤の沖合には、斜めにまだら模様が
観察されますが、この模様が上述の露岩
域です。また離岸堤の周辺で白っぽく見
えているのは薄く堆積した砂です。




 
写真-3は、相良須々木海岸を海側から
撮影したものです。写真-2の離岸堤群の
北端が写真-3では左上部に位置していま
す。写真中央部から手前側に延びた離岸
堤群は、相良港の離岸堤です。相良港側
の離岸堤ではそれらの背後に舌状砂州が
発達しています。しかし、南部の離岸堤
群と、相良港の離岸堤の間が広く開いて
いるために、そこからの波浪進入が著し
く、そこでの前浜はごく狭いのです。ま
た駿河湾に南東方向から入射する波は、
御前崎港の沖防波堤によって回折します
が、この付近は防波堤による波の遮蔽域
と遮蔽域外の境界付近に位置するため、
相対的に南部の海岸より高波浪が作用し
ています。




相良港の離岸堤群のうち、南側の2基の離岸堤背後では舌状砂州は形成されてはいるもいるものの、白く
見える前浜は非常に狭いです。この付近では、現在でも浜崖侵食が著しく、赤ウミガメの産卵が困難な状
況になっています。写真に示す範囲では、全体として右(北)向きの沿岸漂砂がありますが、写真左端か
らの漂砂供給が途絶えているため、海浜はじり貧状態になっています。




写真-4は、相良平田港の上空から南側を
向いて撮影したものです。写真手前側の
防波堤が相良港平田地区、中央が相良港
の防波堤です。相良港の南部には写真-3
に一部を示した7基の離岸堤群も遠望され
ます。相良港平田地区では従来からある
南防波堤の南側に新たに防波堤が建設さ
れましたが、新防波堤と旧防波堤の間に
は大量の砂が堆積しています。この砂は、
写真上部から沿岸漂砂によって運ばれた
土砂です。港湾内に堆積した土砂は泊地
を造る上では障害物となるので、いずれ
浚渫されることになると思われますが、
これを埋め立て土砂などに使用すれば、
すでに供給が途絶えた相良海岸全体とし
ては海浜構成材量の減少につながります。





したがって浚渫土砂を海浜の養浜砂に利用し、例えば相良海岸に移動させることなどについて検討するこ
とが必要です。
写真中央に見える相良港の南北の海岸状況を比較しますと、南側では前浜がありますが、北側では中央部
に建設された突堤より南側ではほとんど前浜は存在していません。このことは、北向きの沿岸漂砂が相良
港の防波堤によって阻止されていることを明瞭に示しています。また、相良港平田地区の防波堤による沿
岸漂砂の阻止効果は、突堤付近までしか及ばず、突堤より南側では北向きに沿岸漂砂が流出してしまった
ために、前浜が存在しないことが分かります。しかし、逆に言えば相良港平田地区の防波堤が存在してい
るからこそ、その南側に砂浜が確保されているのであって、供給の途絶えた相良海岸では、過去連続的に
沿岸漂砂が流れていた時代の、長く続いた自然の砂浜を復活することは困難になっていると言えます。




写真-5は、片浜付近から南部を撮影した
ものです。中央に見えるのが相良港平田
地区の防波堤、その南にあるのが相良港
の防波堤です。相良港平田地区の防波堤
の南側での前浜と、北側での護岸がむき
出しになり前浜が存在していない状況は
相良港平田地区において明らかに北向き
の沿岸漂砂が阻止され、防波堤の北側で
は侵食が、南側では堆積が起きているこ
とを示しています。













写真-6は、勝間田川河口上空から南側の海岸線を撮影した
ものです。勝間田川河口には写真中央左端にきれいな河口
砂州の発達が見られます。この砂州は、主として沿岸漂砂
によって運ばれ、河口前面に堆積した砂が波の作用で上流
方向に運ばれたものです。この写真に示す区域に至ってよう
やく長い海岸線を見ることができます。なお、相良港周辺
では常時北向きの沿岸漂砂が卓越しますが、勝間田川河口
付近では海岸線の方向が大きく変わるために、沿岸漂砂の
方向の季節変動が見られることが分かっています。



























写真-7は、勝間田川河口とその北側に
延びる静波海岸です。写真-7において、
勝間田川河口の南(左)側には2本の小
水路が海浜地へと延びていますが、その
位置ではwet beach(濡れた砂浜)が陸
側に凸状に入り込んでいます。黒っぽく
見えるwet beachは周辺の白っぽく見え
るdry beach(乾いた砂浜)より標高が
低いですが、これらの点は小河川の流入
は海浜への砂の阻害要因になっているこ
とを意味しています。










3.まとめ
 相良海岸では既に沿岸漂砂が完全な枯渇状態になっています。しかし全体としては北向きの漂砂移動は
起こるので、防波堤など沿岸漂砂の移動を阻止する施設の南側隣接部では土砂が堆積します。
 そしてそれはしばしば航路埋没の原因ともなって土砂の浚渫の必要性が出てくるのです。この場合、
海岸線全体を見ずにその場での局所的対応を繰り返しますと、最終的には相良海岸の砂浜の消失を促す
ことになります。過去、そのような形で人工海岸化が進んだ海岸は数多くあることから、同じことが繰
り返されないよう願うのみです。
 こうした状況を防止するには、浚渫土砂を養浜砂として再利用するなどの措置を取ることが必要です。
また、空中写真で示したように、海岸護岸の前面の砂浜が消失した原因は、空中写真で示したような
広域の海岸線を見て初めて理解が可能でして、局所的要因で前浜の喪失が起きたのではないことに注意
が必要です。


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