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本物の教師のプロになりたいと願ってる全ての教師に連帯の意を込めて、と格調高く書き始めましたが、中身は?
2月5日 評価規準と基準を巡って
評価規準を明確した授業について最近よく考えるようになってます)。
評価基準が明確であるということは、評価の方法を知らないと使えないはずです。
例えば、
・地図帳で地名を指で押さえる、
・隣の人と確認し合う、
・音読などでの起立→読んだ子から着席、
・どちらの意見に賛成かノートに短く書く、
・挙手で確かめる、
・ノートを持ってこさせる、
・大きく丸をつける、
・黙って×をつける、
…このような評価方法をたくさんもっていて、なおかつ、その場に応じて瞬時に使い分ける技能が必要です。
しかし、これで、評価規準を明確した授業が完成ではありません。なぜなら、この後、「評価に対応して指導を再度行う」がなければ、意味がないのです。
今回の評価は「冷たい評価」ではありません。温かい、どの子にも学力を保証するための評価なのです。これを世間では「指導と評価の一体化」と言っています。
あと、自分の学級での子供の指導は1ヶ月。「先生方、評価の時期となりました。」とよく言われますが、この言葉は上記のことを理解していれば正しくないことがおわかりかと思います。毎日、授業の中で、指導と評価を一体化して進めているのです。
それを総合的に評価として表すというのなら分かります。
2月6日 はっとさせられた
『トークライン』を再読し始めてます(TOSSデーに向けての再学習です)。
2002年4月号で一番気に入ったのが、小林幸雄氏(岡山、津島市立東小)の向山語録の引用でした。
氏は「教師失格である!」と題して向山洋一氏の言葉を次のように引用します。
「たどたどしく音読する子に対して、『やり直し!』などと冷たい声をかけるのは、教師失格です。『一箇所だけ、つっかえちゃった。
もう一度読んでみようか」と声をかけるのです。
読めないのは、その子のせいじゃない。生育であり、親の責任、教師の責任なのだ。その子をせめたって仕方ないじゃないです か!」
小林氏は「脳天をぶんなぐられたような強い衝撃を受けた」と書いています。
何故、向山学級の子供たちが幸せであったか、上記の言葉で理解できます。
「子供を絶えず褒め続ける」「髪の毛一筋の成長を我が事のように喜べる」
こうした教師修行をしていかなくてはと改めて思った次第です。
実は自分のやっている教育方法に結構冷たい、と思う事は転がっているのです。
先日、ある計算方法と子供の事実から、「あ、そうか、俺ならこうはしないな、一番出来が悪い子がその気になる方法を作るな」と思うことがありました。
日々修行が続きます。
2月8日 拙模擬授業についての感想を求めた
教師修業シリーズ16『企画力と実践力は教師の力である』(明治図書、向山洋一著)の中で、「立ち会い授業」(1984年12月)のことに関して、向山氏が次のように書いているのです。
◇授業を見て批評するということは、自分の技量もさらけ出すというわけです。
批評する人もまた批評されているのです。
向山氏は「あれども見えず」(眼は、それが探し求めているもの以外は見ることができない。探し求めているものは、もともと心の中にあったものでしかない。『近代科学を越えて』村上陽一郎著)を引用しながら上記を主張します。
実は私が模擬授業のご意見を公開したのは、上とも関係するのです。
「福祉の授業」「福祉に関わる討論」と言えるのかという問題提起は貴重です。
私は、思い上がりかもしれませんが、それをアマの批評と考えるのです。
何故かは言いません。
皆さんが温めて頂きたい教育上の大切な問題だからです。
2月9日 優しさが溢(あふ)れるためには
今朝斜め読みしていた教師修業シリーズ16『企画力と実践力は教師の力である』(向山洋一著)に次のような文章がありました。(昨日の紹介の本と同じものです)
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私にとってラッキーだったのは、同学年の先生方が全員「いろんな子がいてあたりまえ。だからこそ、すばらしい教育ができる」と信じている点にある。
(中略)
今日、身体測定があった。
力を失いつつある車椅子の女の子をかかえて、不覚にも涙がこぼれた。
身長を読みあげる声がふるえた。
私ども四人の担任は、学年の全ての子を預かっている。
教師にしかできない仕事がある。
自分の胸に刻みこむ。
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共にしっかり生きること。
生きた証を刻むこと。
知性をみがくことの
人を愛することの
すばらしさを学ばせること。
人間の暖かい優しさを
心の奥から育てること。
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私は、この女の子のことについて、再び書くことはないだろう。
(中略)
「教師にしかできない仕事がある」という仕事についたことのは、何と幸せなことだろうと思う。
「教師にしかできない仕事」をさらによりよくやりとげるために、私は自分の技をみがいていく。
教師の心だけでは、すがる子どもの見方になれないのだ。
熱中する授業、知的好奇心あふれた授業、活力あるさまざまな活動、そんな中でこそ、子どもたちは、知性をみがき、愛することを知り、暖かい優しさを身につけていくのだから。
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少々長い引用になりましたが、優しさが溢れるためには、技をみがいていくことに心砕かなきゃとつくづく思いました。