倉澤の情景2
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 ここ倉澤から寺尾にかけての街道は、昔の旧東海道の面影が残り今日に至っています、このような光景は私には小さい頃何処かで見たような情景のように映りここの場所をその記憶の中で照らし合わせてみると時間の流れが止まっているように思えます。
 この倉澤界隈はあの有名な「東海道中膝栗毛」が著わされた時代には、茶店などの休憩所もかなりありその賑わいは誰が見ても容易に想像できます。今日ではその当時より以前から家を開いていて副本陣でも会った「望嶽亭」という一軒がその史実の面影を残しているようです。
柏 家
江戸時代から間(あい)の宿にあって柏屋と称して茶店を営んでいた。明治元年及び11年明治天皇ご東幸(とうこう)のみぎりはご小休所にあてられた。
明治15、16頃年静岡県令大迫貞清が療養のため柏屋に逗留された際、倉澤の気候風土が郷里の九州に似ているところから田中枇杷の種子をとりよせ栽培を進め当地に田中枇杷が普及するところとなった。
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間(あい)の宿本陣跡
ここ西倉澤はさった峠の東登り口にあたる「間の宿」で4軒ばかりの休み茶屋があって旅人はここでお茶を飲み疲れを癒し、駿河湾の風景を賞で旅立って行った。ここ川島家は江戸時代慶長から天保年間凡そ230年間代々川島兵衛を名のり間の宿貫目改所(かんめあらためじょ)の中心をなし、大名をもてなし大名もここで休憩したので村では本陣と呼ばれ、西倉澤名主もつとめた旧家である。
旧家 川島家
(由比町教育委員会)
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