知らなかった妻のもう一つの顔
介護スタフのOさんと、たまたまこのホームで亡くなった妻の話になった。ここでは、入居者が病気になって病院へいくとき、スタフが車椅子用の車に乗せて運転し、病院でも付き添って診察・治療に立会い、処方・支払いなども代行し、戻ってくるサービスシステムになっている。
私は覚えていないが、その日、Oさんがこの役を勤めてくれたそうだ。診察の番を待っていたとき、前に立ったたったナースの胸に名札があるのを見て、妻が咄嗟に声をかけたという。
「なにそれ、“茗荷”ってあなたの名前なの?」
「ええ、ミョウガなんて珍しい名前なので、よく聞かれます」
Oさんは驚いた。初めて人、しか患者がみな押し黙っている病院で、こんなに気軽に声かけるなんて、と思った。と、妻はさらにいった。
「妙な名前だけど、ステキなお名前じゃあないの」
Oさんは2,3秒おいて、それが「妙と茗荷」を結びつけたダジャレだと気づいたそうだ。
この思い出話にはこんどは私が驚いた。妻は昔から、夫が見知らぬ人にまで話しかけたり、ダジャレを連発することを極度に嫌っていた。家に来客があって、わたしがシャベリすると、客が去ってから不機嫌になり、「男のクセにベラベラして」などと、ときに嫌味を交えて罵るのであった。
それが何と、自分が、しかも気息奄々の病人の身で、やってのけたらしい。
全く驚きであった。恐らく、妻は気づいていなかったろう。
長年、連れ添っていると、正反対な性格やクセまで知らず知らず感染していることがあるのだ。
| 告 別 美代子さん とうとうこの日が来てしまった。 思えば六十五年、けして仲のいい夫婦とはいえず、ケンカの毎日だったが、古い道具だって使いつづけていると、シミも傷も含めて味が出てくるようなもので、互いの欠点も理解しあえば反って味の素となり得る。おいおいとそうした老夫婦になりかけたところで、気の短い君は先にいってしまった。残念だが、仕方ない。 わたしの生き方、考え方のなかにはいつの間にか正反対な君の性格が投影されているのです。 たとえば、わたしは人さまから円満な人物だといわれ自分でもそうだと思っていた。ところが君にいわせると、ずるい八方美人で優柔不断なのだという。痛いところを衝かれ反省材料になっている。 恐らく「直情径行」の君には、周囲の状況を見て行動する私のようなパターンには我慢できないのだろう。何度か聞かされた君の娘時代の思い出話がある。 昭和ヒトケタのころ、看護学校を出た君は新潟県下の市立病院に勤めていたとき、新人のナースが注射器を落として割ってしまった。医師が怒って聴診器のゴムホースこの新人を打った。そばにいた君はカッとなって医師にくってかかったという。「ガラスの注射器は割れるのが当たり前です。打つとはなんですか!」 医師は怒って「辞めちまえ」といった。君は「こんな先生の下では仕事できません」といって辞表を叩きつけ、辞めてしまったそうだね。 これは君の「反権力気質」にも通ずる。私は若い当時、マスコミの異端児として著名なT氏の率いる出版社に勤務いていたことがあり、あるときそのT氏からわが家に電話があり、「村山君いますか?「どちらさまで?」「Tです」といわれた君はカチンと来たのか、「どちらのTさんですか」と聞き返したそうだ。Tという姓は珍しく、あきらかに社長と分かるはずである。それを聞き返された氏はいらい「反省してT書店のTですがというようになったよ」としばしば話題にしていた。 この挿話は些細なことだが、相手の思惑や周囲の状況などを無視して自分の思うがままに行動する君の気質は、ある意味で自己中心的であり、客観的な視野を持てない、わがままにも通じていた。 私は君を通じて、人間の長所と短所が表裏にすぎず、短所は長所でもあり、長所は短所でもあるということを身にしみて感じた。強烈な性格の君は、わたしの教師であり反面教師でもあった。 と、ここまで書いてきたが……出棺の時間が迫ってきたのに、あれこれ思いがせまってきてまとまらず、未完成のまま棺に納める。君はまた、「いつもこれだ。そちらは計画性がないんだから…」と非難するだろうが、まあいいや。 さいごに一言。君はいつも近々、世界が壊滅するといっていた。だが君の遺伝子は良かれ悪しかれ子孫へ伝えられてゆくに違いない。かれらのために良き時代がくることを祈り、信じようではないか。 終わろうとしてフッと、新婚そうそうで私たちが農村勉強のため、満州国の阿城県正旗村に「副村長」という名目で赴任していたとき、「副村長夫人」の君が始めて馬に乗って落馬し、俄然、村びとたちから親しまれたことを思い出した。楽しかったね。 彼岸というものがあるとしたら、待っていてくれたまえ。私がそちらに行くのもそう遠いことではあるまい。改めて思い出を語ろう。それまでさようなら。 二〇〇八年十月五日 孚 |
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