雑 文・えっせい 

あれこれ、書ききとめた雑文やエッセイで、このページを作ります

   ☆2011年 年賀状

何はともあれ春がきます  新たな年を寿ぎましょう
     2011年新春

常平生、お互い沙汰はなくとも、あなたさまとは、この得難い激動の同時代を、共に呼吸し生き抜いているわけで、並み並みならぬご縁ですなあ。

わたしは昨年正月90歳の大台に乗り、はてあと何年?と不安にかられましたが、いっそ自分で決めることにし、一応、余命予測を2年としてカウントダウンし、運よく満期を迎えたら、また1〜2年と小刻みに更新すると決めました。これぞ虫のいい安心立命の妙法と自画自賛。

もう一つ。お年賀代わりに「視野を広げる自分史遊び」をご紹介します。例えばわたしの場合、1920年生まれなのでコンパスの一方の脚を1920年に置き、他方の脚を年齢分の91年逆に前に回すと、1829年〜2011年が、わたしの人生を軸にした半径91年の歴史圏というわけです。11代将軍家斉の時代に遡り、アヘン戦争、ペルリ来航、明治維新の変革などすべて圏内、坂本竜馬も圏内で、身近な存在になります。どうかお試しを。

一瞬にしてわが運命を変えた圧迫骨折
         『明日の友』2010年秋号掲載

この二月(2010年)で馬齢九十を重ねてしまったが、一昨年、八十八歳の春、転倒して、その一瞬に腰椎が圧迫骨折(折れるのでなく、大げさにいえば砕ける)してから運命が一変した。

実は七十歳代から市の転倒予教室に通ったり、プールの水中歩行、マシーン使用の筋肉トレーニングに励んでいたのだが、油断だった。妻は二度の転倒による大腿骨折で人工骨を入れており、その日転んで起きようと苦労していた。

わたしは、かかる時こそ、夫力を示さねばと思い、背後に回って抱きあげようとした。ヒャア、重いと感じた刹那は彼女をダッコして尻餅をついた。救急車の出動。入院二か月。

以来二年あまり、密かに卒寿までは続けるつもりであった車の運転は出来なくなり(結果としてよかったが)、終いの棲家と思っていた山間僻地の暮らしも断念、「介護つき老人ホーム」へ入居した。とたんに妻が死去した。

老人ホームでは杖を突いて生活し、リハビリに励んだ。杖での外出は怖くてできなかったが、シルバーカーというのか押し車に掴って近くのスーパーにまではいけるくらい脚力が回復してきた。このぶんなら杖外出も出来そうだと安心していたが、安心の後は禿げ頭、思わぬ事態が発生した。

昨年秋、老人ホームの催しで河口湖周辺へ日帰り小旅行することになり、小型バス数台に分乗して出かけた。博物館・オサル劇場、ほうとう食堂など巡り、ご機嫌で帰った。その夜、なぜか腰が痛くなり、マッサージなどしてもらったが酷くなるばかりだった。

三日たっても痛くて食事も部屋に運んでもらった。整形外科病院に運ばれ、MRA検査の結果、こんどは胸椎最下部の圧迫骨折だと診断された。覚えはない。医師は一〜2割の患者が原因不明の骨折だといい、おそらくバスのシートで刺激されたのだろうといった。

素人なりに考えた。「風にそよぐ葦」というが、あれは葦にまだ水気が通っているからだ。私のアシは水気が少なくなり、「風に折れる葦」になっていたのだ。つまりは「骨粗鬆症」で、骨がスカスカなのだ。

上半身にギブスをつけられ、亀のように首と手足だけを出した難行三十日、可動性があり頚椎を守るためのコルセットに移行して二十日目に退院し、今日に及んでいる。正月すぎ、コルセットを外したが、まだ頚椎を支える筋肉が弱く、杖と押し車を併用して所内を動いている。当面の目標は杖で歩くこと。

リハビリ、体操、骨強化のクスリだけでなく、煮干しを常食とするなど、耐用年数のきれた老体を長持ちさせるべく、涙ぐましい努力の日々ではあるのだが・・・。

サントリーの社長に出した手紙

サントリーの社長に出した手紙を公表することにした。

サントリー・ホールディング社長

佐治忠信様 侍史

私の入居している老人ホームに、奇しくも、御社の明治四十年発売「赤玉ポートワイン」と同年に生まれたT・K子さん(ここでは匿名)という女性が入居しており、しかも毎夕食の食前酒としてチビッと愛飲しておられます。

ご本人も周囲も、私がビンを見て発見するまで、そのことに気付きませんでした。 その女性が今年六月一日に満百三歳を迎えられます。ついては物品はご放念いただきますが、励ましとお祝いのご書簡をお送り願えないでしょうか。

 彼女のことは、昨年春の中高年雑誌『明日の友』(婦人之友社刊)掲載の拙筆コピーを同封します。

実は、昨年五月でしたか、ビンを見て「お客様センター」に電話し、右と同様のお願いをしたところ、しばらく待たされたあげく、「前例がないので出来ません」という返事で、失礼ながら長年親しみをもってきた御社に失望しました。このこと、ご本人には敢えて申し上げませんでしたが、相変わらず愛飲をつづけています。

前例がないからこそ貴重なのです。改めて「直訴」します。ご高配ください。   

一介の市井老人から身の程知らぬ差し出口ですが、巨体化につれ末端までの血液と神経が回り難く成ります。頑丈な土手も蟻の一穴からと申します。

失礼の段ご寛容ください。

二〇一〇・五・一五

「大臣という呼称

仕分け人の枝野さんが「大臣と呼ばないで」といったとの報道、まさに「わが意を得たり」だ。元来「大臣」という名称は奈良〜平安初期の律令時代に生まれたもので「みかどにかしづくおとど」であり、王政復古の明治政府が「日本帝国」権威づけに復活させたものだ。民主主義を標榜する「日本国」にはふさわしくない、と思っていたが、言い出す人もなく、所詮は「老いたるカマキリの斧」とあきらめていたのだ。

 名称だけの些事ではない。わたしたちの頭の仕分けも必要だ。生活のなかにもおかしな名称が多い。夫を「主人」というのもその一つ。日本語を習いたての中国人女性に「女性は召使いではないのに、なぜ主人というのですか」と聞かれ、返事に窮したことがある。

 俳句と川柳  対照の妙  5・1  (老人ホームの「入居者の広場」に貼り出したもの。)
    面白いので私が貼り出したが、どうも同調する人がいない。おもしろくないのかなあ。

 ◆いま文芸界で話題! 俳句の巨匠金子兜太氏の名句

男根は落ち鮎のごと垂れにけりzatubun

◆サンシャイン広場で話題! 紅果さん(入居の女性)の名川柳

大風呂に浮かぶ媼の枯れた乳

人間劇場老人ホームの「入居者の広場」に貼り出したもの。
   zatubun(2010・4・23)

ここは人間劇場・・・百人近い人びとが主役だ。

 四十数人の老人と 四十数人のスタフと

 それぞれ全く異なった、 人生体験と個性とがあり

 希望や諦めや惰性があり  織り成す毎日のドラマ。

くりかえしながら変化し

緊張と弛緩と 喜びと悲しみと 

入り混じった音楽が響く。

だがどこかギクシャク。目に見えない壁があるのか

 心の壁か仕組みの壁か  どちらにしても、

そろそろツバメが来る

同じようで違い 違うようで同じ親子が。

        村 呆老