四国志

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復刻版 (富士高物理部マイコン班 Ah!SKY Vol19 1999.5.30)

はじめに
 四国志とは物理部に所属する4つの班(天文班、物理班、マイコン班、ロケット班)が91年から99年富嶽祭までに自班の発展と存亡をかけて領土(物理実験室での活動場所)を争った歴史である。

第1章 四国時代始まる(1991年6月)

 富嶽祭が終わり、各班は物理実験室において3年生から2年生への政権交代をおこなった。この時点での勢力は下の図のように安定していた。

第2章 物理班東征・天文班西征(1991年12月)

 政権が交代したがマイコン班の実質活動人数はわずか4人であった。そのうえ、理数科課題実験がマイコン班の活動場所で行われた。この活動不振に乗じて新興集団の物理班が侵略を開始した。また、火薬使用停止処分を受けたロケット班(注1)も活動が不振になり天文班の進入を許す羽目になってしまった。

第3章 マイコン班富国強兵政策失敗・ロケット班復興(1992年3月)

 領土奪回のためマイコン班は殖産振興に専念した。ロボットの制作を思い立ったのである。しかし難しすぎて計画を断念、再び活動不振に陥り物理班に更に進入されてしまった。それを尻目にロケット班は着実に領土を取り返していった。

第4章 マイコン班レコンキスタ(国土回復運動)(1992年4月)

 四月に入り、マイコン班は新入生を迎えるために国土を回復する計画を立てた。その内容は、進入班員を大量に獲得してハードウエアを持ってきてもらい、本来マイコン班の領土であった場所にいる物理班をそのハードウエアを並べて囲んで追い払ってしまう、というものであった。計画通り9人という希にみる人数を手に入れ、ハードウエアを持ってきてもらった。なおこの頃、天文班では秋山事件(注2)が起こっている。
 いよいよ作戦が実行に移された。計画通りにパソコンで物理班員を囲み、じわじわと包囲網を狭くしていった。多少の抵抗もあったが、マイコン班は見事に領土を奪回したのである。やっと平和が訪れたのだ。

第5章 物理班二面展開(1992年7月)

 平和は長くは続かなかった。マイコン班の2年生が高原教室に行っている間に実験室最東端に物理班員の荷物が置かれ、物理班はマイコン班を挟撃しようとしてきた。しかし、マイコン班員は慌てず騒がず人海戦術によって、侵食された分西側へ侵攻作戦を展開した。結果的に領土の増減は起きなかったのである。

第6章 南方2国の抵抗(1992年9月〜12月)

 2学期に入って理数科課題実験が始まる頃、物理班は性懲りもなくマイコン班の領地を割りに来た。再び東西両面からの挟撃作戦である。マイコン班は果敢に抵抗し、辛くも全滅は免れた。しかし両側を大幅に侵略されてしまった。その後も散発的に反抗が行われたが、奪回はできなかった。北方領土への進出も考えられたが、冬寒く、日が当たらず、夏は風のこない地域への移転計画は一瞬で却下された。
一方、天文班とロケット班はすっかりと、なりを潜めたかのように見えた。

第7章 マイコン班第2次国土回収運動(1993年4月)

 4月、マイコン班は新入班員獲得のためになんとアセンブリに出た。そのかいあってか10以上の新入生を得る事ができた。前年度を上回る成果であった。天文班は実験室入り口のまえという地の利を生かし、ジュースやお菓子を使っては入ってくる一年生をことごとくかっさらっていった。2年生のいない彼ら(秋山事件の1年後)は班の存続をかけて必死だったのであろう。結果的に大量の新入生を得る事ができた。(20人近いという噂である)ロケット班は3人と天文班に遠く及ばず、テーブルが足りなくなってあぶれた天文班員に領土を侵食されることとなった。
 巨大化(天文班におよばないが)したマイコン班は東西の物理班領土を圧迫して、面積の拡大を果たした。ここにおいて第二次国土回復運動は終了した。

第8章 マイコン班大航海時代&インド会社設立&墾田永年私財法(1993年6月〜7月)

 領土争いもなく平和になった世の中に痺れを切らしたマイコン班1年生は独自で外への領土拡大を謀った。大航海時代(大後悔時代?)の到来である。その結果、この年創立された電算機室を発見した。先生方の許可を得るために活動予定表を提出し、同時に東インド会社を設立、墾田永年私財法を施行し(?)、新天地の所有権を手にいれた。一方、残りのマイコン班員は物理実験室で領土を東に戻し、安定した活動が行えるようになった。

第9章 開拓地の荒廃(1993年9月)

 電算機室という開拓地を手にいれたマイコン班であったが、電算機室にある遅いパソコン(PC-9801FX)に幻滅し活動不振になった。こうして桃源郷は無法地帯とかしていった・・・。
 そのころ物理実験室では、平和な日々が送られたいた。急成長した天文班はその人数が多いにも関わらず、ダベる(注3)だけで争いを起こさなかった。残りの3班にしてはありがたい限りである。

第10章 物理班・マイコン班六波羅探題(1994年1月〜2月)

 理数科課題実験の報告書の作成が電算機室一太郎Ver4.3(マイコン班用語で四太郎)で行われることになった。当時の2年生は皆理数科(掛け持ちを除く)だったので活動を行えるのは1年生だけとなってしまった。さらに、理数科の人達が電算機を占拠してしまったので何も活動ができなくなり、物理班と混ざって物理準備室でダベるのみであった。この時からマイコン班と物理班の友好度が上がり始めた。なお、マイコン班と物理班が勢力折衷にて西方の監視を行うこの場所は「六波羅探題」と名付けられた。

第11章 天文班大入り繁盛(1994年4月)

 新学期になり、再び各班の新入班員募集が行われた。
 まず天文班は昨年と同様に地の利を生かし、お菓子とジュースで客引きを行った。結果40人(!)とゆう大入りだった。そのうえ、遊び放題という活動内容を知った2年生も数人入班したようだ。マイコン班は、謎のマイコン&無線班員が勧誘を行い7人を手にいれた。物理班はまずまずの4人である。ロケット班はなんと0人、これはこの先のロケット班の運命を物語っているようだった。
 このような大豊作と大凶作のため、必然的にロケット班の領土はさらに圧迫されることになった。それどころか、テーブルがなくなってあぶれた天文班員がさらに増え、物理班、マイコン班は人の波に圧されて南側のテーブル一列まで追いやられた。「人海戦術」とはよく言ったものである。

第12章 マイコン班エクソダス計画発動(1994年5月)

 天文班に圧されたマイコン班はエクソダス計画(注4)を発動した。物理実験室におけるマイコン班の領土をほとんど物理班に譲渡し、メインの活動場所を電算機室に移した。なお、断っておくが、これは退却ではなく、転進である。

第13章 ロケット班危機!(1994年10月)

 エマージェンシー! ロケット班に全滅の危機がでてきた。この2年で急成長を遂げた天文班が圧倒的な兵数(60VS3)でロケット班領へ攻め込んだ。ロケット班は、新たに1人の2年生を加えて抵抗したが、多勢に無勢、善戦むなしく、テーブル1つだけが領地になってしまった。この侵攻に乗じて、物理班とマイコン班は領土の奪回を目論んだが、天文班は余剰兵を南方に回して警戒を怠らなかった。

第14章 3国軍事同盟締結(1994年11月)

 天文班の驚異(脅威)を目の当たりにした残り3班は急遽トップ会談を開き、「物・浪・舞3国軍事同盟」を締結した。しかしこれといって対抗策がうかばなかったので、大きな戦線が開かれることはなく、散発的なゲリラ活動をすることで精いっぱいだった。結局、獲得地は1テーブルもなく、それどころか今度は物理班に圧倒的兵力の白羽の矢が立った。

第15章 飯島ニューディール政策・ロケット班絶滅見込み(1995年4月)

 新年度、今年は天下分け目の年となるであろう。今年の班員募集も例年のごとく行われると思われたが、突然!顧問飯島先生が天文班の堕落を見るに見かねて強健を発動、天文班に入班を希望する生徒と面接を行うことにした。この政策を耳にした残り3班は拍手喝采した。が、しかし、天文班は部登録のカードを先に書かせて、先生に事後承諾させるという手段にでた。全く抜け目のない奴等である。結局天文班は20人強の1年生を得た。マイコン班は勧誘を行わなかったので3人だった。物理班は珍しく派手な勧誘を行って、ロケット班希望者などもすっぱ抜いて14人を獲得、万々歳である。もちろんこのために1人も入班者がいなかったロケット班の不評を買ったのは言うまでもない。3年生4人しかいなくなったロケット班は、今年の富嶽祭を最後に廃班(もしくは休班)となってしまうのだろう。20万円近くの班費をのこして………。

第16章 物理班「5・26事件」・天文班危機(1995年5月26日)

 当時盗難が相次いだ為、GM(ぐれーとまじんがー)の「ここは本来生徒のいる場所じゃないんだよ。」の一言で、物理班が開拓した新天地「物理準備室」が没収されてしまった。そのため、付属していたマイコン班も追い出され、哀れな物理班は物理実験室に追いやられてしまった。しかし本当に哀れだったのは領土が半分になってしまった天文班であった。

第17章 天文班、覇権を握る(1995年6月)

 飯島先生によるニューディール政策は失敗に終わったわけではない。それぞれの班は数年ぶりにまともな活動をや(らされる羽目にな)った。こうして、天文班は名実ともに物理部一の班となった。物理班は活動場所を物理実験室・精密実験室・中庭にうつし、事実上物理準備室から撤退した。マイコン班は電算機室に落ち着いた。ロケット班は風前の灯火である。しかしロケット班は、「我々の戦いは勝利だった。全国の学生・市民・労働者のみなさん、我々の戦いは決して終わったのではなく、我々にかわって闘う同士の諸君が、再び物理実験室から文藝心中出版を真に再会する日まで、一時この活動を中止します。」(注5)と、語ったと歴史書は伝えている。さてその運命やいかに。

第18章 ロケット班ついに永眠・四国志(一時)完結(1995年6月)

 予想はしていたが、この年6月、富嶽祭をもってついにロケット班は消滅した(享年2?才)。(いやーすっきりした!)そして物理実験室の名物であった紙飛行機もいつしか時空の彼方へと消えていったのである。しかし、これを機に天文班が再び領土拡大計画を練った事は言うまでもない。(以後三国志となる)ついでに言えば、次期マイコン班に闇の班長も出現した。さらにその人物は、T川先輩からマイコン班での実権を握れるというT川ウイルススリッパ(注6)を禅譲された。

第19章 マイコン班、大移動!・物理部、「ローマの休日」(1995年11月)

 当時マイコン班2年T川氏の失態により、マイコン班は電算機室を追い出されてしまった。このため、マイコン班は物理実験室の一角を奪い取ったが、物理班はせっかく獲得した領土が半分になってしまった。このためではないと思うが(っていうかそうじゃねぇ!!絶対に!)、物理班の細々とした活動以外はほとんど油が切れて止まってしまった。当時の様子を現物理班班長は「ローマの休日」と呼んでいる。また、電算室には地雷が仕掛けられ、仕掛けた場所を知っているM村以外は侵入不能になった。

第20章 物理班、永き長き眠りより醒める(1996年4月)

 新学期、気持ちも新たに物理部が永き長き眠りより醒めた。(マイコン班のばあいは第7サティアンにある”やく(BYはせっち)”で醒めたという説もあるらしいのだが。)さらにマイコン班はルーズベルト峰村大頭涼(だいとうりょう;大きな頭が涼しげという意味)に「もう絶対にゲームはやっちゃだめだからね。今度やったら廃班だよ。」と言われたが、すでにその日にはやっていた。さらにこのとき、マイコン班班長は不発弾を発見!ついでに被爆した。

第20章外伝 スラム使用禁止となる(1996年5月末〜6月)

 富嶽祭を目前にひかえT川先輩と、その親友計3名詳細を書くと、通称(神)こと空を飛んだといわれるS浦先輩、弟は高専最強の峯氏、金を賭けると勝率95%を超えるといわれるをもち、富士高で一番最初に下級生でみこちゃんをおとしたというI切先輩、それと謎のSPEED STARと呼ばれるの4人で下校時刻7:00を過ぎても部室に隠れ富嶽祭準備をしていたところふとした隙にGMに見つかり翌日呼出、さらに部室使用禁止にされてしまったという事件。しかしGMに部活をどうしてもやりたかったことを説いたら余り怒られなかったらしい。ちなみに翌日の呼出にこの中の一人はいなかったらしい。ついでに言えば、このSPEED STARという人物は次期マイコン班の闇の班長となった。そしてその人物は、T川先輩からマイコン班での実権を握れるというT川ウイルススリッパ(注6)を禅譲された。

第21章 無線班、突如湧き出る。飯島ニューディール政策2(1996年11月)

 この頃、唯一起こった争乱と言っていいだろう、恐ろしいことに無線班が復活したのだ。ところが、これを喜んだのがほかならぬ飯島先生だった。これを機に無線班は集団自決を行ったという噂である…。

第22章 天文班衰退。飯島ニューディール政策3(1997年4月)

 今年、天文班に異変が起こった。あれだけいた部員が激減した。1年生が4人しか入らなかったのだ。これを受けて飯島ニューディール政策3を実行した。が、効果があるはずもなかった。

第23章 書くことがないっっ!!(1997年5月)

 これは決して書く人が怠けたからではない。世の中が平和すぎるのだ。(おまけ)今のマイコン班表の班長死刑囚こと小山友和氏のあだ名はでこである。理由は近い将来頭は某F高教頭のS氏を上回る○げになると遺伝子学上決まったため。ちなみに何故死刑囚かと言えばでこは高原教室の写真で本当の彼の素顔が、眉毛がまったく無いというまるで極道いや死刑囚のような顔であると判断したため。

第24章 マイコン班対面式(富嶽祭)(1997年6月)

 なんだこいつは!見た事もない奴がマイコン班の領域にいるではないか!これが噂のマイコン班名物幽霊部員なのか?日頃名簿に○をつけて(つけてもらって)帰ってしまうマイコン班に大量発生しているあれだ!富嶽祭前日用意をしに来た初期状態の幽霊部員もいるが、中には富嶽祭当日も顔を出さないリハビリが必要なほどの末期症状の部員もいた。ここでは初めて顔を見る事からマイコン班対面式と命名した。(多分今年だけ)

第25章 マイコン班ピンチ!(1997年6月下旬)

 当時化学部某i氏の失態により、マイコン班は再び電算機室を追い出されてしまった。このため、マイコン班は物理実験室に避難したが、領土はテーブル2つだけとなってしまった。さらに、相次ぐ失態によって、M村がマイコン班の廃班を検討しているとの噂もあったが、結局強権発動には至らなかった。しかし、マイコン班最大のピンチであったことは間違いない。なお、この後しばらく勢力は安定した。

第26章 怪将M村バシルーラ(注7)を喰らう

 私達がその事実を知ったのは3月の赤点の恐怖におびえる頃だった。あの物理部の大頭涼M村氏がバシルーラを喰らったというのだ。私達は神に感謝した。みんな涙を隠せずにいた(もちろん怒り、悲しみ、喜び、校長ナイスの中の2つ)。マイコン班廃班の危機も脱する事に成功した。また、離任式後物理部から送られた花束の代金を物理部会員から集めたが、マイコン班からは1円も出なかったという。この代金のことを香典といわれたかどうかは今となっては定かではない。すこし、個人的な話になるが、この事件のことをOB(OUT OF BOUNCEの略)が、「覇王M村暁に死す」といったのだがそれはまた別の機会に…。

第27章 耐え抜いた10ヶ月(一部)、いつもの10ヶ月(一部)(1997年7月〜1998年4月)

 さて、電算機室使用禁止になりマイコン班の中には部活が出来なくて悲しむ人(ごくごく一部)がいた中でいつもと変わらない幽霊部員生活を送る人もいた。更にそれまで一応部活にきていた部員までも初期を通り越して末期の幽霊部員となってしまったのだ。もちろん始めからきていない部員は使用禁止になった事すら知らずにいつものような10ヶ月を送った事はいうまでもない。

第28章 マイコン班の覚醒(1998年5月)

 五月のある必修クラブの日、ついに目覚めの日が来た。部長Y氏のちょっとの努力(2%)とバシルーラのおかげ(98%)で総本山の使用許可が降りたのだ。その際、すだれの胃に来る諸注意を被ったが、この際仕方ないかなーなんて思ったまじめな部員はいたのだろうか?いや、もちろんいない(反語)。

第29章 マイコン班C言語計画(1998年9月)

 我々はある事に気がついた(って言うか前々からわかっていた)。それは、マイコン班には実績がない(って言うか活動も?)のだ。これこそが、すぐに電算機室使用禁止となる要因なのではないだろうか。そんな我々にぷろぐらむこんてすとの要項が舞い降りてきたのである。「ちょっとこれ、やってみないか。」とS水先生が言ったが、あることを発見した。”プログラムはC言語または…”そこで、我々はC言語の取得にのりでたのである。ところが、幽霊部員のあまりの多さに、部活動中の取得は不可能と判断、やむなく計画は失敗に終わってしまった。ちなみにS水先生はこのたびご栄転なさっちゃたのだ。

第30章 マイコン班新たなる危機&飯島ニューディール政策4(1999年4月)

 部活動の登録カードを受け取っている内に我々はある事に気がついた。どのカードにも1年の文字が見あたらないのである。それどころか、2年の文字が異様なまでに多いのである。そう、なんとマイコン班には1年生は一人として入部せず、2年が大量に入部するという異様な事態が発生したのである。しかも、飯島先生にそそのかされた2年の数名が何をとち狂ったのか自然消滅したはずの無線班を再び復活させてしまったのだ。そんなマイコン班とは対象的に天文班はなんと20数人も獲得する事に成功していたのであった。そんな2班を見かねて飯島先生が新たにニューディール政策を発動しようとしたのだが、正義感あふれる我々には天文班に入った新入生達の意志を無視して無理矢理マイコン班に入れるなどという極悪非道な行為をできるはずもなく、発動にはいたらなかった。

最終章 天文班再び進撃開始(1999年4月30日)

 マイコン班が電算機室という領土を手にいれて、物理実験室とは縁がほとんどなくなってきていたある日、天文班が再び進撃を開始したのだ。原因は新入部員が大量に入ったことにより土地不足が生じてしまったかららしい。大量の新入部員を使った人海戦術によりじわりじわりと物理班領内に進撃を続ける天文班に対して何の対抗策も無いかに見えた物理班であったが、似鳥氏が物理班領と天文班領の国境を明確にし、物理班の士気を高めることによって、見事天文班を物理班領から追い出す事に成功したかに見えた。ところが、天文班は一時的に後退しただけで、しばらくして再度進撃を開始したのであった。さすがの物理班も人数において大量の差があるため、この2度目の攻撃には対抗できず、むざむざと領土を奪われたのであった。


解説

(注1)火薬使用停止処分
 富嶽祭公開燃焼実験で、火薬がエンジンをセットした水槽のガラスを割るほどの大爆発を起こした。ガラスの破片の一部が天井に突き刺さった。観客にけが人がでなかったのが不幸中の幸いである。これによって火薬の使用停止処分を受けたロケット班は新生ロケット班(紙ヒコーキ班)に生まれ変わった。これを「ビッグ・バン」という。
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(注2)秋山事件
 天文班班長秋山氏が、大量に入った新入生に「やる気のある者だけ入班してもらいたい」という話をしたところ、翌日大量に辞めていったという事件。
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(注3)ダベる
 ただ何をするというわけでもなく、徒然なるままに、しゃべること。
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(注4)エクソダス計画
 高度に発達した文明を持つ民族が、フロンティアを求めて都市ごと宇宙へ飛び出してゆくこと。「シムアース」における勝利画面。
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(注5)我々の……
 東大全共闘の安田講堂における最後の放送
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(注6)T川…
 伝説によると偉大なるT川先輩の教訓 破改(はかい) 壊造(かいぞう)と表に書いてあり、中には封印された言語T川語で・悪夢・SEEK・ロリ・遺作と書いてあるらしい。ちなみにこれらの言葉はT川語で神以上の存在を表すらしい…。
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(注7)バシルーラ
 某有名ゲームで飛ばされる魔法、ここでは飛ぶの受け身形(飛ばされるなど)。
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発行 富士高物理部マイコン班 STAFF デニム

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