道産子 

◆北海まれた
私、チャッピーのパパは実は道産子なのです。
現在は気候温暖な静岡県富士市に住んでいますが、生まれは北海道士別市という所で1970年まで住んでいました。
士別市は北海道のほぼ中央にある旭川市より更に50km程北に位置する国道40号線沿いにある街です。
恐らく士別を知っている、あるいは聞いたことがあるというのは、北海道の住民あるいは北海道つうの人、または後に出てくる輪島功一ファン等の人くらいではないでしょうか。

◆士別の気候
士別は周りが山に囲まれた上川盆地にあり、夏は暑く(最高気温30度くらい)冬は北海道の中でも寒い(最低気温マイナス30度くらい)とんでもない?所でした。^_^;
冬、朝の気温が確かマイナス25度だったら小学校(因みに私は南小学校)の始業時刻が1時間遅れ、マイナス30度だったら休校だったと思います。
1時間遅れというのは偶にあったのですが、休校も私の記憶では二年生の時に一度ありましたね。
今では温暖化で状況が違っていると思いますが、雪もかなり積もり、早い時では初雪が10月10日(昨年までの体育の日)に降り、5月5日(子供の日)にも日陰には雪がありました。
その頃住んでいた家は、冬になる前に1階の窓はすべて厚いビニールで覆ってしまい、屋根から落ちる雪の圧力に耐えるように準備します。(今のような丈夫なサッシなんてありませんでしたから)
それでも一度真夜中に、雪圧に耐えられなくなった窓ガラスが割れ、雪がドドド〜っと部屋の中に入ってきてビックリしたことがありました。^_^;

◆暖房器具
北海道の冬は当然ストーブを使うのですが、小学校にあがる頃までは薪ストーブで、それ以降は石炭ストーブでした。(私が北海道を離れる頃は、世間では石油ストーブも多くなっていましたが)
うちは茶の間の真ん中にで〜んとストーブが置かれ、そこから外に向かって煙突が延びていました。
石炭ストーブなんかものすごい暖かくなるのですが、火をつけてから暖かくなるまで時間がかかるのが難点でしたね。
そして、寝る時は布団の足元にアンカを入れるのですが、当時はストーブの中で加熱した豆炭を使うものです。(今では電気アンカとかあるようですが)
その豆炭アンカもかなり熱くなり、タオル等でくるんでおくのですが、一度そのタオルが外れて足を火傷した記憶があります。
豆炭アンカは寝る時は暖かくていいのですが、起きるころはすっかり冷めてしまっているのが難点でした。
小学校にも各教室に大きな石炭ストーブがあったのですが、何せ古い木造校舎だったため暖かさが教室全体に行き渡らず、ストーブの側はめちゃくちゃ暑く、教室の隅っこは寒いという所でした。
クラスの中で持ち回りで、石炭小屋から石炭を運んで来る係なんていうものありましたね。
因みにこちらではコタツを使ったりしますが、北海道にいた頃はコタツは見たことも聞いたこともありませんでした。

◆冬の遊び
冬の遊びと言えばもちろんスキー&スケートがメインになり、北海道の中でもスキーが盛んな所とスケートが盛んな所があります。
士別あたりでは、どちらかというと地域的にみてもスケートよりスキーの方が盛んでした。(学校の体育授業でもスキーはあったけど、スケートは無かった。)
そして、一番人気のあるスキー競技と言えば、滑るスキーではなく空飛ぶスキーです。
そう、ジャンプです。
ただ地元の山に本格的なジャンプ台があったわけでもないし小学校までしかいなかったので、ノーマルヒルやラージヒルは飛んだことはもちろんありませんが、それでも斜面に雪を盛り上げて作ったジャンプ台(単なるコブとも言う。^_^;)で20mくらいは飛んでましたね。
空中を飛ぶというのは本当に気持ちのいいものです。^o^

◆雪祭り
雪祭りと言えば、札幌雪祭りが有名ですが、士別でも雪祭りは行われていました。(今もやっているのかな?)
もちろん、色々な雪像や氷の彫刻の展示があり、ガマ(当時TVでやっていた赤影に登場するガマです)の大きな雪像の背中に乗って遊んだ記憶があります。
また、氷でできた滑り台やボーリング場もありましたね。
10円で売っていたおでんがとてもおいしかった!

◆テストコース
私が住んでいた頃にはありませんでしたが、現在士別には自動車メーカT社の一周10kmのテストコースがあります。
恐らく、広い土地があり日本で最も寒いこの地区で寒冷テストするには適していたのでしょう。
昔、高級車セル○オのTVコマーシャルで、テストコースを走っている場面が登場し、画面の「士別テストコース」という文字を見る度に懐かしく思いました。
他の自動車メーカも士別付近で寒冷テストをやっているようです。
車の雑誌に載るスクープ写真なんかは、よくこの辺りで撮られているのもありますね。
士別なんかはほとんど産業らしきものがない所だけど、こういうところで成り立っているのかな?

◆蒸気機関車
当時北海道ではまだまだ鉄道は電化されておらず、普通列車は蒸気機関車が客車を引っ張っており、急行,特急列車はディーゼル車でした。(内地では新幹線が走っているという時代に。因みに、北海道の人は本州、特に関東から関西の事を内地と言っています。)
子供の頃は蒸気機関車が好きで、暇な時はよく駅に見に行ったものです。
蒸気機関車に乗ったことがない人は解らないと思いますが、トンネルが近づくと必ず汽笛が鳴ります。
そうすると、みんな客車の窓を閉めるわけです。
そうです。トンネルに入って、蒸気機関車の煙が室内に入ってこないようにする為です。^_^
1960年後半に入って初めて北海道でも小樽〜札幌〜旭川が電化され、電気機関車や電車が走るようになりました。(ただ、今もあまり電化は進んでいないようで)
今、蒸気機関車は一部の観光化されたところしか走っていませんが、お尻の痛くなる座席の客車にゆられて、蒸気機関車の汽笛を聞きながらのんびり旅をするというのは何とも風情があっていいですね。
突然ですが、私は大好きな風の「北国列車」という唄とアリスの「遠くで汽笛を聞きながら」という唄を聞くと、どうしても北海道を思い出してしまいます。

◆100円札と100円玉
またまた当時、内地の状況とかなり違っていたのが、100円札と100円玉です。
北海道では100円札がほとんどで100円玉は珍しかったのですが、内地ではほとんどが100円玉で100円札が珍しいという時代でした。
ですから、北海道から静岡県に引っ越して来て、買い物で100円札を使うと珍しがられましたね。^_^
今でも1枚だけ100円札の新券を持っています。

◆昆虫
今の子供は虫採りなんて遊びはしないのかもしれないけど、私の子供の頃はよく山にキリギリスやトノサマバッタ等のバッタ、オニヤンマやギンヤンマ等のトンボ、アゲハチョウ等のチョウチョ、その他クワガタやザリガニ等を、川にはドジョウ等をよく採りに行きました。
ただ、セミなんかは山で鳴いているのは聞いたけど、士別にいた間一度も見たことがありませんでした。
また、かぶと虫も富士市に来てはじめて見ました。
ついでに、ゴキブリも北海道にはいないので(と言うか、ゴキブリという言葉自体聞いたことが無かった)こちらに来てはじめて見ました。

◆方言
北海道では「遊ぶべ」(遊ぼう)と言うように語尾によく「べ」を付けていました。
それから、疲れたことを「こわい」と言います。
富士に引っ越して来た当初、例えば走った後に「あ〜こわい」(あ〜疲れた)と言うと、「何が怖いんだ?」とよく聞かれたものです。^_^;
逆にこっちの方言では、「知らにゃ〜」(知らない)と言うように語尾によく「にゃ〜」を付けますね。
また「運動場飛んでこい」(運動場走ってこい)と言われた時は、「どうやって飛ぶんだ?」と疑問に思ったものです。^_^
どちらにしても、京都弁のようにきれいな方言ではなく、きたない?方言の部類に入りそう。^_^;

◆ジンギスカン
北海道と言えば食べ物がおいしい。
その中でもジンギスカンは私の大好物です。
ジンギスカンは羊の肉で焼き肉として食べるのですが、北海道では大抵各家庭にジンギスカン鍋という専用の鍋(中が盛り上がった丸い帽子のような鍋)があり、それで焼いて食べます。
内地にはほとんどジンギスカンは無く、あったとしてもとても同じジンギスカンとは思えないほど味が違います。
今では何年かに一度というくらいしか北海道に行かないので、本物のジンギスカンがなかなか食べれなくて残念です。

◆士別出身の有名人
士別出身の有名人と言えば、プロボクシング・ジュニアミドル級元世界チャンピオンの輪島功一がいます。
若い世代の人はひょっとしたら知らないかもしれませんが、昨年(1999年)「だんご3兄弟」の歌が流行った時、輪島さんが会長となっている「だんごの輪島」(だんご屋チェーン)がTVにも登場したりして見たことがあるのではないでしょうか。
因みに、ボクシング関係では「輪島功一スポーツジム」の会長でもあり、全日本ボクシング協会副会長でもあります。
その他にも、小説家の佐野良二 さん、小学館ビックコミックスピリッツ連載「いいひと」の作者である高橋しんさん、 演歌歌手の畠山みどりさん等がいます。
北海道のこんな片田舎でも有名人はいるもんです。

◆士別巡り
1995年の秋、士別を離れて四半世紀ぶりにじっくり士別の街を散策してきました。
歩いて、元住んでいた自宅付近を見たり、通った幼稚園や小学校(移転していましたが),商店街を見て廻りました。
子供の頃は遠いな〜と思っていたところが、大人になって歩くとあっと言う間ですね。
また、泊まった宿で自転車を借りて、更に遠くまで遠征したりもしました。
その士別を見て一番驚いたのは、道路に設置されている公衆トイレです。
何と、自動ドアで中に入ると音楽が流れるではないですか!
こんな贅沢?な公衆トイレは初めてです。
また、もし私が中学生まで士別にいたら通ったであろう南中学校の校舎も「これが中学校の校舎?」と思えるほど立派な建物でした。
街自体は、北海道の特徴でもある碁盤の目のように区画されており、とても整備されてきれいな街になっていましたね。
正直言って、士別は過疎地帯でもう寂れているのでは?と思っていたのですが、少なくとも私が住んでいた時よりはかなり発展しているようで。
生まれ故郷がこうして元気でいるのはうれしいものです。^o^

◆以下のような士別に関するホームページもあります。
 ・どこでもふるさと士別
 ・道北日報社の北海道北部地域ニュース
 ・士別人物列伝