対局開始(駒ならべ)
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NHKの朝の連続ドラマ「ふたりっ子」を見て、”銀じいにあこがれ”、二男健太は将棋に興味を持ちました。オセロで将棋のまねごとを始めたので、昔、私が中学校の時に買った駒を探し出しました。駒の動かし方を教えたところ、結構早く覚え、駒の打ち方もテレビを見ながら練習(シャドウピッチングならぬシャドウ将棋)して、手つきはプロ並みになりました。これを見た私が、「これはひょっとしたら・・・ひょっとして・・・素質があるかも」と早合点の親バカで、インターネットで天童の業者から将棋盤と駒を通販で購入しました。ちなみに、駒10,000円、盤35,000円でした。消費税・送料は値切ったら、まけてくれました。得した気分。駒台は私が作りました。 |
第1手(1997.3〜5)
最初は、私と4枚落ちで対戦。私がおもしろいように勝ちました。兄・仁詩(小5)姉・佳苗(小2)とは勝ったり負けたりといったところです。中原誠さんの「こども将棋入門」を買ってあげると、漢字が読めないのに持ち歩いて見てました。また、市民会館で行われている将棋の会に行ったところ、市内の将棋・囲碁センターを紹介されたので、時々出かけては教えてもらいました。すると、4枚落ちではなかなか勝てなくなり、2枚落ちへと一歩前進。「将棋のビデオつくってね」とNHK教育テレビの将棋放送を録画しては、何回も見ています。見ているというより、ただつけているといった方が正しいかな・・・
第2手(1997.6〜7)
親戚のおじさんが家に来た時には、「一局お願いします。」と対局。教えてもらったり、将棋センターに行ったり、兄姉と遊んでいるうちに上達し、2枚落ちから平手になりました。でも、私が負けることはありません。兄姉にはだいたい勝てるようになりました。 静岡県教育委員会主催の「ゆうゆうクラブ」(対象は小学生)の将棋の部へ兄姉が応募。2月まで全部で13回開催。初回は7月12日。ついていった健太は飛び入りで参加させてもらうことになりました。クラス分けで対戦したところ3勝2敗でB級に。姉はC級。兄はD級。毎回クラスごとに対戦して、昇降級するとのこと。対戦後は、戦法の勉強をするそうです。 |
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静岡新聞社主催の「静岡県東部小中学生将棋大会」が開かれることを知り、「幼稚園児ですが」と兄姉たちとともに申込みをしましたところ、受け付けていただけました。7月20日静岡新聞社東部総局9Fにて開催。小学校低学年の部の参加者は12名でした。幼稚園児は1名。予選リーグは2勝2敗で、なんとか決勝トーナメントに進出。兄姉は、全敗で予選落ちでした。決勝トーナメントでは、大会優勝者の小学3年の男の子にアッという間の完敗でした。ちなみに相手の子は、県大会でも優勝しました。 7月27日「沼津夏まつり」の「将棋まつり」に参加。小学生の部の大会で4勝1敗、同率3位でしたが、ジャンケンの結果5位に。関係ないけど、昔「ジャンケンけんちゃん」っていうTV番組があったような・・・ メダルと賞品「図書券500円分」を手にしました。記念すべき初賞金。図書券はお母さんがゲットしました。 このごろ、私もたまに負けるようになりました。 |
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第3手(1997.8)
8月21〜23日。広島へ家族旅行に行きました。広島名物「お好み焼き」を食べようということで、「みっちゃん総本店」へ出かけました。店の前の看板の中に、なんと「広島将棋センター」の看板を見つけました。(写真右上) 子供に聞くと、寄っていきたいというので、食事もそこそこにビル4階の将棋センターへ。やっぱり、都会の将棋センターは違いますね。3段の小学3年生がいました。プロ棋士の村山さんは、この将棋センターの出身で、奨励会の人も2人ほどいるそうです。小学生相手に2局負け、センターのお兄さんに少し指導していただきました。すると、将棋センターの会長さん(写真右下)に、「明日、中国新聞社主催の中国こども将棋名人戦があるから、時間があったらやっていったら。審判長は私だから」とさそっていただきました。翌朝、早々に帰る予定だったのですが、半日延ばして旅行の記念に参加することにしました。 8月23日。会場は、平和公園近くの中国新聞社ビル7Fでした。3人とも1回戦で見事に負けました。兄姉は、敗者戦でも負け2連敗。健太は、敗者戦で2回勝ち、2勝2敗となりました。参加賞と健太には敢闘賞をいただきました。いい旅の思い出ができました。 旅行から帰ると、長男仁詩がメキメキと力をつけ、健太と対等に戦えるようになりました。私は、なかなか2人に勝てなくなりました。 |
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