平成12年 5月 7日(日) douxの出来事に寄せて(代表の奥さんの記載)
派手な兄弟喧嘩を初めて見た。話の内容などから、単なる兄弟喧嘩というよりは、むしろdouxの代表vs会員といった感じだった。お互い心と体に傷を追ったが、それぞれが何を考えまた何も考えていなかったのか…・それを知る事が出来ただけでも収穫のある喧嘩だったのではないかと、私は良い方向に考える事にした。
会報やホームページを拝見すると、代表は一番自分の事を理解し応援してくれる人は奥さんだと記載している。いつでもそうでありたいと願い、そういう存在でなければいけないと心に刻んでいることなので、主人がそう感じていてくれる事を嬉しく思う。でも、実際は全てに理解を示している訳ではない。一番近くにいて、代表の考えや行動やスケジュールを知っていながら、「これをやってほしい」「ここに行ってもらいたい」と要求しては喧嘩になる。私のわがままなのか、無理解なのか……それとも代表が家族より家庭よりdouxを優先させているのか…
兄弟の言い争いの中で、義弟が「家族に迷惑を掛けていると思わないのか?」と質問した。「助け合いと迷惑」「協力要請と押しつけ」……考え方や解釈の仕方によって、一つの事が様々な意味に変わる。仕方のない事なのか?二人が言い争っている傍らで考えていた。
douxの練習や試合の後、主人は必ず使用して汚れたたくさんのコップと給水ポットを持ち帰る。洗うのは私。その光景を見ていて義弟は「一度手伝うと、それが当たり前に思われるから手伝わなかった」と言う。主人は私にコップ等を洗うよう求めた事はない。むしろそのまま放置しておけば次回までに彼が自分で洗って支度をするので、楽をしたければそのままにしておく事だって出来るのだ。でも、私は当たり前のように、自分の役目のように毎度コップなどを洗う。家族の中に、忙しく動き回っている人がいる。頑張っている人がいる。反対に手の空いている人がいる。忙しくしている人の存在に気づいている人がいる。
……そんな二つの状況におかれた人間(家族)が一つ屋根の下に存在したら、どういう行動をとるべきか?私は妻として家族として手を貸す。出来る範囲に限られるほんのちょっぴりの事だとしても。その事によって、確かに関係のない私自身の時間は減るかもしれないが、彼自身の時間はちょっぴり増えて、その結果として時間的にも精神的にも余裕が出来てその分はどこかに回される。その分が私を含めた家族に戻って来る事もある。でも、そういう見返りを期待したり要求するつもりはない。それが家族として当たり前だと思うから。家族でなくても困っている人、手助けを必要としている人がいたなら見返りを要求せずに行動したいものだがなかなか出来ないのが現実だ。残念な事だけれど。
協力や手助けが当たり前と考える人と協力がなければ出来ない事はやるべきではなく出来ない事を無理にやる事で周りに協力を要請する事は押し付けであり迷惑であると考える人。どちらの考えが正しいのか?それについての答えは残念ながら見つからない。色々の立場の人がいて考え方があるのだから。ただ今ここではっきり言える事は私自身は前者の考え方の人間でありたいと思っていると言う事。偉そうに言っているが、時々面倒だと思って見て見ぬふりや気づかぬふりをする事もあるなぁー。主人と喧嘩をする時は、そういう思いが心によぎった時なんだろうな。
「家族が家庭が何よりも一番でなければいけない(そうあってほしい)」その思いは二人とも同じだ。その事をすぐ、今すぐ!求める妻の私とその日の訪れを少しでも早くと願って努力し続けるdouxの代表である主人。そのズレが少しずつ縮まってきたかな?