Tow of Us あらすじ
家を飛出し、乗っていた電車の中で、潔少年は泣いた。人前で泣いたことはなかった。どんなに悔しいことがあっても涙だけは見せなかった。親父とおふくろはしょっちゅう喧嘩していた。専制君主として家族に君臨してきた父親の横暴が重なるに連れて、唐沢少年の反抗心は徐々に育っていった。役者としてあこがれたスターが、ロバート・デ・ニーロやマーロン・ブラントではなくブルース・リーの強さ・哀しさであったのも、いつかおれも彼のように強くなって親父をやっつけてやるという気持ちがあったからかもしれない。その日、たくましくなった少年は夫婦喧嘩に割って入って、おふくろの味方をした。「おふくろが出て行くことはない。親父を追い出せばいいんだ。」親父を脅すつもりでそばのモルタルの壁を叩いた。もろい壁はくずれた。「出て行けって、人に言えた義理か。おまえが出ていきゃいいじゃないか。」親父はぶつぶつ言いながら家から出ていった。これで家は安泰だと思ったとき、静かな部屋におふくろの声が響いた。「あんたが出て行きなさいよ」・・・唐沢少年は新宿行きの電車の中で泣いた。家出をし学校をやめたのは、高校二年の二月だった。
東映アクションクラブからは追い出され、仮面ライダーショーのドサ回りをやった。自分たちで劇団を作ったが、消滅した。バイト先のショーパブでもなじめなかった。居場所がなかった。それでもひとつだけわかっていたことがある。役者になりたかった。
最初に自分を認めてくれたのは、ホリプロだった。歌手としてだった。ホリプロの吉村さんにスカウトされた。レコード会社回りを始めたが相手にされなかった。
好きな女の子がいた。心のきれいな子で、その子に会うたびに、自分が汚れているように感じると同時に、その汚れが洗い流されるような清々しさをもっていた。彼女と別れたのは、「少しでいいから、食費を入れてほしいの」という一言だった。役者になりたかった。そのことを彼女も理解してくれていると思っていた。彼女はおれが何になろうとかまわなかったのかもしれない。平凡に暮らしたかったのかもしれない。でも俺にはそれができなかった。「身を切る」ような痛さだった。
オーデションを何度も受けたがいつも落ちた。
初めて受かったオーデションが「ボーイズレビュー・ステイゴールド」だ。人生には大きく転換するときがある。ポロシャツを着て「さわやかな笑顔」の練習をしてみた。アドバイスしてくれたのは事務所の橋爪社長だった。「決められた人生をそのまま歩いていく軟弱な奴」に見られるのが嫌だった。曲がりなりにも、この自分が今までがんばってきた実績や、反骨精神ではなく、さわやかな笑顔で世間に受け入れられようとしている、虚しかった。「潔」から「寿明」に名前を変えてみた。
NHK朝の連ドラ「純ちゃんの応援歌」で山口智子と出会った。
すでにトレンディドラマで名を成していた浅野ゆう子さんが認めてくれて、同じ事務所にさそってくれた。ゆう子さんと同じ事務所に入ると「愛という名のもとに」への出演依頼がきた。このドラマからおれはトレンディ俳優と呼ばれるようになった。俳優唐沢寿明は中流家庭に育った甘い奴と思われるようになった。
俺をまるごと認めてくれ、注いでも注ぎ足りない思いで愛情を授けてくれた女性が山口智子だった。彼女は自分の才能をみとめてくれた。一番大事な人から認められるというのは自信になる。彼女がそばにいて「唐沢潔」という実体を認めている限り、自分の足はちゃんと地についていると感じることができた。彼女にとって、幼くして両親が離婚したという事実が、心に大きな空洞を作っていた。両親の愛情を感じないまま育ったおれには、彼女のその空虚さが、とてもよくわかった。
「ひとつしか年が違わないとはとても思えない。私の倍以上生きているような気がする。」彼女がそう言ったことがある。出会った人の数、手痛い目にあった経験、明日はどこに泊まるのか、毎日がひどいことばかりの連続だった。生活の心配のなかった彼女には、まったく別の星の人間のようなのだろう。
入籍をすまし、家族への挨拶を済ましたあと、数年前の彼女のインタビュー記事を思い出した。「神様がいるとしたら、こんなことをお願いしたいと思うんですよ。愛する人と同じ瞬間に死なしてくださいって。」おれは彼女の手をしっかりと握った。これからどこに行こうと、何があろうと、この手だけは離したくなかった。
恵まれた家庭に育ち、立派な両親に育てられた青年には、作者の心の痛みはわからない。いや、家が恵まれてなくても、両親がえらくなくとも、親が子供のことを大切に、愛情をもって育てるのが当然だと考えている多くの人には、唐沢少年の心情は決して理解できないだろう。人が、ものごころついた時からその人生が始まるとしたら、ものごころつくまで大切に育てるのは、親や家庭、先生や回りの大人たちの責任だろう。しかし作者のようにそれ以前に、痛めつけられ、いじめられている少年少女は、決して少なくない。人生のスタートラインに着かしても、もらえない少年たちがいる。唐沢寿明は役者になりたいという希望だけを頼りに、スタートラインからとびだした。作者は言う。何かをやろうとしている人間が、世間とは少し違う道を歩いているだけで、はじかれるのをみるのはたまらない。必ず、いつかはだれか、自分を見つけ出してくれる人が出てくると信じてほしいと。
自己の出自と経験に誠実であろうという著者の真摯な気持ちが、強く伝わる。心を熱くさせる一冊です。