著者略歴
大平光代(おおひらみつよ)
1965年10月18日生まれ。中学2年のときに、いじめを苦にして、割腹自殺を図る。その後、非行に走り、16歳のとき「極道の妻」となり、背中に刺青をいれる。養父・大平浩三郎さんと出会って立ち直り、中卒の学歴を乗り越えて、「宅建」、「司法書士」と次々と合格し、29歳で最難関の「司法試験」に一発で合格する。現在、非行少年の更生に務める弁護士として、東奔西走する毎日である。

昭和53年7月、私たち親子は、母方の祖母と一緒に暮らすために転居した。私が中学1年生になった年の7月、祖母と同居することになった。
<どんな学校かなあ〜、ええ友達できたらええのになあ〜>
希望に胸ふくらませ、眠りについた。
翌日初めて転校先の学校の門をくぐった。真新しく見える校舎の前には花壇があり、色とりどりの花が咲いていた。
<きれいな学校やな〜>
そう思った。が、きれいなのは見かけだけだった。
しばらくして、陰湿ないじめを受けるようになった。
同じクラスのA子に睨まれたことが原因だった。A子は学年で番長格の女性徒とだった。髪は茶色で狼カット。きつい目つきをしていて、目と目が合ってもニコリともせず、そこにいるだけで人に威圧感を与える。
A子に睨まれてしまった。
「おはよう、昨日の”欽どこ”見た?」
なにも返事が返ってこなかったので、また声をかけた。
「おはよう」
「・・・・・」
「聞こえへんの?」
「・・・・・」
「なあ、どうしたん。見いひんかったん?」
「もお〜話しかけへんといて」
「どうしたん?」
「話しかけんなって言うてるやろ」
別の子が登校してきたので、話しかけた。
「おはよう」
「・・・・・」
「おはよう」
「・・・・・」
その子は下を向いたまま黙っている。
「なあ〜、どうしたん?」
「べつに」
無視するだけでは飽き足らなくなったのか、いじめの内容が具体的になった。机に名前入りの落書きをされるようになった。
「私はアホです。嫌われてま〜す。よかったらさそってください。安いですよ。○年○組 みつよ」
と落書きがされていた。
次の日にはまた、同じようにあちこちに落書きがされていた。それでも鉛筆で書かれている間は消しゴムで消して歩いた。
そのうち消しゴムで消せないように彫刻刀などで落書きされるようになった。
教室に戻ると、机の上のに置いていたスチール製の筆箱がなくなっていた。その中には祖母からもらったお守りが入っていた。
<ない、ない、どこにいったんやろ・・・>
<もしかして・・・>
私はあわてて教室の隅まで駆け寄り、そこに置いてあるゴミ箱をおそるおそるのぞいた。
「あっ・・・」ゴミくずと一緒に、真っ二つに割られた筆箱と、その中に入っていたシャープペンシル、消しゴム、赤ペンとお守りが捨てられていた。
教室の中に入って自分の席に戻るなり、愕然とした。机の上が、ゴミだらけになっていた。呆然と突っ立っている私の姿を見て、さっきの女性徒たちが、聞こえるように言った。
「さっきゴミを漁っていたから、かわいそうに思うて、私らが、代わりにゴミ集めったったんや」
「そうやそうや、私らに感謝してほしいわ」
「これからも毎日集めたるからな」
「ゴミくずが、よう似合うわ」
「ほんまや」
休み時間にトイレに入り鍵をしめると、トイレの入り口のほうでなにやらひそひそ話をしているのが聞こえた。気になったがしゃがんだままの状態でいると、ドアの外から突然、
「バシャー」
という音とともに水が降ってきた。
「キャ〜」
バケツ一杯分もあろうかという分量の水を頭からかぶった私は、びしょ濡れになった。
「わー濡れネズミや」
「よう似合うわ」
「べんじょ、べんじょ、これからこいつのこと、べんじょと呼ぼか」
登校拒否し、事態を知った父の抗議から、担任の教師を通してA子と仲直りした。
担任の教師は、「仲直りの握手をしなさい」と強い口調で言った。
<仲直りの握手ってどういうこと。これは仲直りという問題とちがう。私はこの子と喧嘩してたんじゃない。一方的にいじめられていたのに・・・・・・>
A子の手を握った。が、A子は握り返してこなかった。
中学ニ年生になった。クラス替えでA子とその仲間の生徒も別のクラスになった。
クラスで仲のいい子が三人できた。四人いつも一緒に行動していた。
<やっと親友ができた・・・>
うれしかった。
この三人を心から親友と思っていた私は、なんでも話をしていた。好きな子の話もした。
二学期になって、生徒たちの家に、ひんぱんに若い女の声でいたずら電話がかかってくるようになった。私の家にもかかってきていた。
冬休み、四人で一緒に集まったとき、その犯人の話がでた。
「私らで犯人捕まえたいな」
「ほんまやな」
「公衆電話から電話しているやつの後をつけてみるとか・・・」
「みんなに嫌われているやつの後をつけてみるとか・・・」
「だいたい犯人わかってんねんけどなあ」
「うん、だいたいな」
三人が楽しそうに話をしていたので、私も、
「えっ、犯人わかってんの?」
と聞いた。するとその三人は顔を見合わせたあと、
「三学期になったらわかると思うわ」
と言った。
<なんで今教えてくれへんのやろ?>
と不思議に思った。
三人が私のことを言っていたとは知らずに・・・。
始業式の日、帰宅しようと下駄箱から靴を出そうとしたとき、同級生の女生徒に、呼び止められた。わけがわからないまま教室に入ると、そこには何人かの生徒がおり、その中に三人の親友もいた。
「あんたやろ いたずら電話の犯人」と言いがかりをつけてきた。いきなり言われて驚いたが、なにを言ってんるんやろと思い、はっきり否定した。
「私とちがう。いたずら電話なんかしてへん」
「電話された子が、あんたの声によう似てるて言うてたわ」
「その電話やったら私の家にもかかってきてんねん」
「なに言うてんねん。あなたが公衆電話から電話してんの見た子がおるねん」
「公衆電話から電話したことあるけど、それはちがうねん」
「用事があって電話してたんや。いたずら電話してたんとちゃう」
「そんなことど〜うでもええわ。あんたに決まっている。私らがそう決めたんや」
「ちがう。犯人じゃない」
「ほんまのこと言うたるわ」
「私ら、あんたが転校してきたときからむかついとってん」
「ほんまや」「うっとうしい」
「なまいきなんじゃ」
「あんた神経痛とかいう病気らしいな」「おばはんか。早よ死ね」
「○○のことが好きらしいけど、○○は、あんたみたいな病気持ちは嫌いやって言うとったわ、あははは〜」
<なんでこの子らが、私の病気のこと知ってるんやろ。好きな子のことも。誰にも言うてへんのに・・・誰にも・・・あっ!そうや、あの三人には言うてる・・・>
そのとき、私は三人の顔を順番に見た。三人とも得意そうな笑みを浮かべていた。勝ち誇ったような顔。生まれて初めて、あんないやな笑顔を見た。
<この三人がしゃべったんや・・・>
「あんたなんか人間を好きになる資格なんかあらへんのじゃ」
「ほんまじゃ」
「犬でも相手しとけ。このビョーキ持ち」
「あ〜なんかすっとしたわ」
「便秘が直ったみたいやな」
「汚いな〜」
「そうやな、うちらがこいつのこと、どれだけ嫌いか言うたろか」
「ば〜か。アホは早よ死ね」
<今日のことを両親に両親に言うと、学校にも言うだろう。そうなると、また”ちくり”と言われて、もっとひどい目にあう。これまで耐えてきたけど、もう限界や・・・もうあかん・・・死ぬしか・・・>
私は、切腹することに決めた。左手の手首あたりをカミソリで切って血を出し、血の遺書を書いた。
その場にいた生徒の名前を全員書いた。そして、親友のふりをして私を裏切ったあの三人だけは絶対に許さない。スーパーマーケットで果物ナイフを購入した。・・・・・・・・・・
___死にぞこない___
クラスの生徒から、この言葉を聞いたとき、
<もうここには私の居場所はない・・・>
そう思った。今までの生活から一変して、夜の町に出かけるようになった。
たまり場にいることのほうが楽しかったので、次第に家にも帰らなくなった。
心配した母は警察に捜索保護願いを出した。
数日後、私は警察に見つけ出されて補導された。
「学校も行かなあかんやろ」
「なにが学校じゃ」
「まだ中学三年生やで」
「学校がどないしたんじゃ、なんにもわかってへんくせに」
「みんなおまえが悪いんじゃ」
母に唾を吐きかけた。そして、
「このクソババ〜、うっとうしいんじゃ」
と言って母の髪の毛をつかんで、その場に倒した。そして蹴った。
「やめて・・・やめて・・・」
泣きながら哀願する母に対し、私はなおも暴力を振るった。
その後、非行に走り、16歳のとき「極道の妻」となり、背中に刺青をいれる。
それからの私は、まるで坂道を転がるように転落していった。せっかく入学した美容学校もやめた。たまり場に行っては仲間と遊びほうけていた。
<私は、これまで、いじめられたり、裏切られたりしていっぱい辛い目にあってきたけど、どこかで、まだ人を信じたいと思っていた。子どもの頃から、人は信じるものだと教えられて育ってきた。だけど・・・>
<もう、誰も信じない・・・信じるものか>
そんな気持ちでいた私が行き着いたところは、暴力団の世界だった。そして、気づいたときには、暴力団組長の妻となっていた。なんとか仲間として認めてほしかった私は、この世界のことをいろいろ勉強した。そして、悪の道へとどんどん突き進んでいった。
いじめに苦しんだ自分が、死ぬほどの苦しみを両親に与え、さらになんの関係もない他人をも苦しめる側に回った。
私は、自分の居場所がほしくてその世界に入ったが、結局そこにも自分の居場所はなかった。人間のありとあらゆる汚さを見てきた私は、身も心もぼろぼろになった。なにもかもいやけがさしていた私は、夫とも離婚した。
「なんであのとき死なれへんかったんやろ・・・。生きててもしゃ〜ないわ。」
働いていたクラブで、偶然、父の友人の大平浩三郎さんと再会した。
もらった名刺がきっかけで、時々喫茶店で会って話をするようになった。
「子どもは親を選べない。子どもにはなんの罪もない」と言うのが口癖だった。
「お父さん、心配してはったで」
「おっちゃん、あいつといつ会うたん?」
「お父さんに向かって、あいつとはなんちゅう言い方するんや」
「・・・・・・」
「親に向って言う言葉とちがうやろ」
「・・・・・・」
「言うたらあかんよ」
<なんにも知らんくせに・・・突然降って湧いたように現れて、なに説教ぬかしとんねん・・・>
「こんな生活していてどうするの。今からでも遅くないから、もう一度、人生やり直してみ」
「どういう意味?」
「ちゃんと働き。普通の生活をせなあかん」
<なに言うてんねん。こっちは悪いのをわかっててしてるねん。誰もええと思ってしてへんわ・・・>
天井の蛍光灯を指しながら言った。
「蛍光灯一つとっても、みんなカタギの人が考えて作ってるんやで」
「根のない竹や割り箸にでもツル巻く朝顔になったらあかん。おんなじツルを巻くんやったら根のあるものに巻いたらどうや」
<なにごちゃごちゃぬかしとんねん、蛍光灯を誰が作ろうが私の知ったことか。それに、もう花なんか咲けへんねん、なににツル巻いてもおんなじじゃ・・・ほっとけ・・>
<いつも説教ばっかりしやがって・・・>
その日も大平さんはこんこんと私を説得した。
「今さら立ち直れったって、なにを寝言言うてんねん。口先だけで説教するのはやめてくれ。そんなに立ち直れ言うんやったら、中学生の頃に戻してくれ」
温和なおっちゃんがこのとき、初めて大声をあげた。
「確かに、道をはずしたのはあんたのせいやないと思う。親も周囲も悪かったんやろう。でもな、いつまでも立ち直ろうとしないのは、あんたのせいやで、甘えるな!」
他のお客さんがカップを落としそうになるくらいの大きな声で。
落雷にあったように体中に電気が走った。
<やっと、私と真剣に向き合ってくれる人と会えた・・・>
私はこのとき、生まれて初めて叱られたような気がした。
<おっちゃんは、本気で心配してくれてるんや・・・私を人間としてあつかってくれてるんや・・・>
私がこんなになった理由を、誰かにわかってもらいたかった。全部わかってくれなくてもいい。ほんの少しでもいい、私の心に寄り添ってくれる人がほしかった・・・。
昭和63年7月私は、大平さんに連れられて宝塚の清荒神(きよしこうじん)に連れていかれた。当時の私は、神仏をまったく信じていなかった。いや、信じないようにしていた。
<もし神仏がいるなら、こんな人生を歩むはずがない。いじめられて苦しかったときも誰も助けてくれなかった。この世には神も仏もおれへんわ・・・>
「一緒に清荒神さんにお参りにいこう」
そのとき、私は行ってみようと思った。なぜ、そう思ったのか今でもよくわからない。
「おはようございます」と参道を歩いている人たちが挨拶している。
<みんないい笑顔してはるわ・・・さわやかな>
その人たちの、額から落ちる汗がキラキラ輝いて見えた。
お賽銭を入れ、手を合わせた。
<何年ぶりやろ・・・>
境内の鈴の音・・・お経・・・線香の香り・・・
心が洗われる気がした。
<自殺未遂したんかて、自分が弱かったからや。なんぼいじめられても、じっと耐えて頑張る子もおる。道を踏み外したんかてそうや、その道を自分で選んだんや。誰のせいでもあらへん。みんな自分が悪いんやわ・・・>
私はこれまで他人の責任にしてばかりだった自分を恥じた。
<これが最後のチャンスかもしれへん。最後のチャンスかも・・・もう一度人生やり直してみよう>と決心した。このとき22歳。あり地獄に自ら落ちた私の目の前に、一本のロープが投げ込まれた。
宅建の資格を取得しようと思った。
「だいたい中卒の私に資格なんか取れるわけないやんか。ほんまはおっさんかてそう思っているんやろ」
「思うてへん・・・」
「嘘つき・・・」
「そんなこといわんとよう聞き。まず、人間や、他の人にできて自分にできんはずはないと思いなさい。だけれども、自分は中学校しか出ていないから、高校や大学を出ている人の二倍も三倍も頑ばらなあかんというふうに思うんや。」
ひがみ根性が抜けずに、すぐ挫折しそうになる私を、大平さんは根気よく、なだめてくれた。そう言われるとすこし気が楽になり、またやる気が出てくる。
「宅建」、「司法書士」と次々と合格し、29歳で最難関の「司法試験」に一発で合格する。

父はなくなる前、もう自分の命がつきることを知っていたのか、私と母を枕元にに呼んだ。
「お父ちゃん・・・はな・・・ええお母ちゃんと・・・ええ娘を持って、ほんまに幸せやった。ありがとう・・・」と消えるような声でいった。それが私が聞いた父の最期の言葉だった。
「いい娘だった・・・」と言ってもらえる資格はどこにもない。私が荒れ狂ったとき、両親は、どんなに辛かったやろう・・・死にたかったのは私ではなく両親のほうやったやろう。
<私がしていたことは親孝行のまねごとにしかすぎひんかったんや。ほんまの親孝行とは、いらん心配や苦労をかけへんことなんや・・・>
後悔した。
もし、今、願いを一つかなえてくれるというなら、もう一度中学生の頃に戻してほしい。
そうすれば、いじめられてどんなに辛くても耐える。自殺なんかして親を悲しませるようなことはしない。どんなに苦しくても、道を踏み外したりなんかしない、そう思うからだ。
「お父ちゃん、生まれ変わったら、もう一度、お父ちゃんの子どもになってもいい?今度は絶対に悲しませたり、せえへんから・・・」
その頃、読売テレビからドキュメンタリー番組出演の話があった。ものすごく悩んだ。黙っていれば、弁護士としてのある程度の生活は保障されるし、平穏に暮らすことができる。・・・どれもこれもふたをしてしまいたいことばかり・・・そう思っていたからだ。
「なあ、お母ちゃん、テレビ出演の話があるねんけど」
「テレビ?」
「私の過去の話も出されるねん」
「過去の・・・」
「うん」
「・・・・・・」
断ったほうがええやんな」
「・・・・・・」
「やっぱり・・・・・・断るわ」
「でたらええやんか」
「えっ?」
「出たらええって、自殺未遂をしたことも、暴力団の世界にいたことも、これまでやってきたこと、全部全部、わかってしまうんやで・・・・・・全部やで」
「そうなったら、恥もかくし、お母ちゃんかて、笑われるんやで・・・・・・」
「ええやんか、みっちゃん。自分のためだけに生きてきたんとちがう。」
「そうやけど・・・・・・」
「テレビで放映されることで、今にでも自殺しようと思っている子どもたちが思いとどまってくれたり、不幸にして道を踏み外してしまっている子どもたちが、自分もやる気になったらできるんやと思って頑張ってくれたら、それでええのんとちがう・・・・・・」
母の望むことはなんでもしたい。一緒に買い物や旅行にも行きたいし、いつも母の笑顔を見ていたい・・・・・・そのためにはどんな努力も惜しまない。本当に親孝行がしたい。
でも、私が一番しなければいけないことは、二度と母に無用な心配や苦労をかけないということと、母より長生きするということだろう。この当たり前のことを、当たり前にすることができたらいいな、と思う。
もし、あなたが今すぐにでも死んでしまいたいと思っていても、絶対に自殺はしないでほしい。あなたの今の苦しみや悲しみは永遠のものではなく、いつかきっと解決する。
もし、あなたが今すぐにでも道を踏み外してしまいそうなら思いとどまってほしい。家庭や学校や世間に対する怒りや不満を、道を踏み外すことで解消しようとしても、それは全部自分に跳ね返ってくる。どうか周りの人のいうことを素直に聞いて、自分の人生も他人の人生も大切にしてほしい。
もし、あなたがもう道を踏み外しているというのなら、今からでも遅くはない。もう一度人生をやり直してほしい。この先も、いくたの苦難があるかもしれないが、あなたはそれに耐えられるだけの力を備えているはず。あなたはこれまで随分と辛い目にあってきたのだから。一つ一つ困難を乗り越えて、そしてその手に幸せをつかんでほしい。