特別対談 「死ぬ瞬間」と死後の世界

文芸春秋 5月号

柳田 

息子が心の病気になって間もなくですね、連れ合いも長年・・・もう既に当時で二十年くらい病気をしていた。そういう中で、精神科医に進められて、内観研修を受けたんです。

河合

ええ。

柳田

内観研修は、仏教系の、自分の内面を調べる修行なんですけれど、一週間山にこもて、それで朝六時から夜九時まで半畳の衝立ての中に入って、自分の人生を全部洗い直すわけですね。それを一週間やりました。まず母との関係を徹底的に、ずーと幼少期から回想するんですけど、その中でいろんな妄想や雑念、あらゆるものが入ってきますね。

河合

そうそう。

柳田

そういう中でね、六日目ぐらいでしたけど、瞑想していたら突然、自分がなんだか曼荼羅みたいなものの中にいるんですよ。わーっと宇宙のような渦が広がっていて、真ん中に仏様がいて、周りにぐるぐる、ぐるぐる無数の小さな仏が回っているんです。で、よく見ると、真ん中にいるのは自分なんです。ちょうど臨死体験の体外離脱みたいな感じで、自分がいるんです。その周りにね、兄がいたり、姉がいたり、友人がいたり、全部いるんです。その全部が自分を支えて、自分の周りを回っているんですね。それが燦然と輝いている。

そのころ、息子は葛藤起こして大変で、連れ合いもいろいろ大変で、家庭は危機的な状況にありました。切羽詰まった中で山にこもっている。それでも最初のうちは昼寝ばかりしていたのが、五日目ぐらいから、回想や瞑想がもうすごい状況になってきましてね。それで六日目の体験が生じた。ふと我に返って、曼荼羅ってほんとだ、古来仏教が描いてきた曼荼羅というのは、絶対あれはあるんだろうとその瞬間思ったのです。ユングもきっと見たんだろうと。そして非常に不思議に思ったのは、それを見たことによって、自分が恍惚的な、安定した、支えられた気持ちになっていたんです。ロスの自伝にも、そういう恍惚とした感覚というのが何度も出てきますね。

河合

あります。あります。

柳田

そこで、この自分の体験を科学者が見たら、いったいどう説明するだろうか。「いや柳田君、それは単なる妄想だよ」とか、「白昼夢だよ」で終わってしまうでしょう。西洋近代科学というのは、物事をすべて客観化して、要素に分解して、いわゆる還元主義という方法で因果律を解明していく。しかし、その過程で切り捨てられていった部分がある。切り捨てられたものは何かといったら、主体的に自分が生きていく、その主体的なものの中にある事実、それを切り捨ててしまってきたわけですね。

この曼荼羅体験は、私が生きている中でのまさに実体験なのですが、科学はそれを事実として認めない。しかし、いま先生がおっしゃったように、自分が生きているということ、あるいは自分が死んでいくということ、そのことを主体的に考えたときには、科学とは違う方法でのものの見方や世界があるんじゃないかということを、自分の内観体験で劇的に感じたんです。

河合

その通りです。ほんとにその通りです。


河合隼雄 国際日本文化センター所長

柳田邦男 ノンフィクション作家

曼荼羅

古代インドのサンスクリット語(梵語)で本質(神髄・悟り)を表現したものという意味で聖なる空間を示す。曼荼羅の中でも両界曼荼羅(胎蔵曼荼羅と金剛曼荼羅)は密教最高の理念・理想世界を象徴し、大日如来を中心に多くの緒尊が整然と配され統一の世界・共存の原理によって成り立つ世界が表現されている。

(UPDATE ’98・8・19)

インデックスページへ戻る