十、

 資材係の市川元治は柳下運送のトラックが運んできた原料資材をチェックしていた。オートフォークリフトがトラックから積荷を降ろし、ステーションに積み上げるのを見ながらキーを操作する。

 いま降ろしている積荷は包装されており、外見からは何か判らないが、ディスプレイには高機能プラスチック材料でできた部品であることが示されていた。

 同僚の佐伯俊造が倉庫に運び込んでいいかと聞いてきた。
 市川がOKの合図をすると、佐伯は自走車に積み込むようにリフトをセットした。

 自走車は荷を積むと、順に倉庫に通じるゲートをくぐって走り去り、積荷を降ろして戻ってきた。

 そして再び荷を積んでゲートをくぐって行く。
 佐伯はゲートから出てくる自走車を見ていておやっと思った。いま出てきた自走車は別の方向から来てゲートをくぐったように見えたのだ。

 佐伯の立っている場所からは倉庫の入口は見えないが、いま原料資材を運び込んでいる一号倉庫はゲートをくぐって右の方にある。

 再び荷を積んでゲートをくぐる自走車から目を離さずじっと見ていた。使っている七台全てがゲートをくぐって右に曲がって見えなくなった。

「眼の錯覚か‥‥‥」
 そう思って眼をそらした瞬間、ゲートの向こうを右から左へ横切る影が目の端に入ったような気がして、慌てて振り返る。

 暫く、そのままでいると積荷をおろした自走車がゲートから出てきた。数えてみると六台しかない。佐伯は走って行きゲートをくぐった。

 方向違いの左方から空の自走車が戻ってくるところだった。
「なんだこいつ、故障しているのか」
 佐伯はそばまできた自走車を蹴飛ばした。

 自走車は方向を失ったかのように車体を震わせた後、佐伯を迂回してゲートをくぐって出て行った。続いてゲートを出ようとして、今の自走車は二号倉庫の向うの三号倉庫の方から走ってきたことに気付いた。

 もしかして、あの故障車は一号倉庫でなく、三号倉庫へ荷を降ろしたのではないだろうかと思い、三号倉庫の前まで行く。

 入口は閉まっていた。
 三号倉庫はまだ使用してないので、まだ空のはずだったが、念のため壁のボタンを押し扉を開け中に入った。

 見渡して、佐伯は信じられず、唖然とする。使っていないはずの三号倉庫は原料資材で既に一杯になっていた。

 端から端まで歩き奥の方ものぞいてみた。どのブロックもぎっしりと資材で満たされている。

 三号倉庫の使用を始めたとは市川にも誰にも聞いていない。
 壁際に戻りコンソールに向ってキーを操作し、在庫の量を確かめるとディスプレイには三号倉庫の在庫はなしと表示された。

「そんな馬鹿な‥‥‥」
 何処か、何かが間違っている。
 佐伯の頭上に黒い影が動いていた。そして、音もなく上から覆いかぶさって来た。

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 荷受け場は暖房が効いていないのですこぶる寒く、おまけに今日は風が強いので躯の芯まで冷えきってしまった。

 市川は柳下運送のトラックを帰した後、倉庫のゲートがまだ開けたままになっているのに気付いた。

 佐伯の姿が見えないが、たぶんこの寒さに我慢できず、早々に引き上げたのだろう。ゲートを閉めて市川も暖房の効いている事務室に逃げ帰った。

 夕食の時、誰かが佐伯がいないと言い出した。彼はまだ独身でいつも皆と一緒に夕飯を食べている。

「部屋で寝てるのだろう」
 電話をかけたが出ないので、一人が部屋まで行ったが、戻ってきていないと言う。

「出かけたのではないか」
「いや、佐伯の車は駐車場にある」
 車なしで出かけられるはずはない。

 市川は入庫作業の後、佐伯の姿を見ていないことを思い出した。入庫作業を一緒にしたのは午後三時頃であり、誰もその後佐伯の姿を見ていないらしい。

「工場の何処かに倒れてるのかもしれないぞ」
 工場の中を探してみようと言うことになった。半分は心配し、半分は退屈しのぎにと出て行った。

 取り残された多賀と甘粕は顔を見合わせ、
「我々も行ってみますか」と甘粕が言うのに同意して立ち上がった。
 工場に行くと既に誰の姿も見えない。各々勝手に探しに行ったらしい。

 多賀は資材倉庫へ行ってみようと思い甘粕と別れた。
 作業場の方から倉庫に向う。途中誰にも逢わず、多賀の足音だけが響いた。
 二号倉庫に誰か居るらしく、明りがついていた。

「どうだ。いたか」多賀は声を掛けた。
「いない」という市川の声が返ってきた。

 多賀はそこを通り過ぎ三号倉庫の前に立った。壁のボタンを押して扉を開けたが、中は真っ暗だ。のぞき込むように躯を半分入れて明りのスイッチを探したが、初めて来た倉庫なので何処か判らない。

「そこはまだ使ってませんよ」
 二号倉庫から出た市川が後ろにきていた。
 暗闇に眼が慣れて、倉庫の白っぽい床が見えるようになった。人が倒れていれば床の上に黒い影が見えるはずだ。さっと床の上を見渡し誰もいないのを確かめ、外へ出て扉を閉めた。

 多賀は床だけに注意を払い上を見なかった。
 市川と連れだって作業場へ行く。
 装置は全て停止していて昼とは打って変わり、まったく静かだった。コントロールルームの明りがついており、中に人影が見えたので、そこからとって返して発電室へ向かう。

 発電室には人影はなかった。ここの発電装置は不時の停電に備えたもので、外部からの送電が途絶えると自動的に自家発電に切り替わるようになっていて、一週間ぐらいはそれで賄えるほどの燃料を蓄えている。

 次に液体窒素の製造室に向かった。既に明りがついており、誰か先に来ている。

 ここはコンピューターを冷却する液体窒素を製造し貯蔵している。普通なら液体窒素は購入した方が経済的なのだが、工場が建っている場所柄、緊急に必要となった時、間に合わない場合もあることを想定して、あとから追加された施設であると多賀は聞かされていた。

 液体窒素の原料は空気である。空気中には容積比で窒素が七八.〇六パーセント、酸素が二〇.九五パーセント含まれている。これから液体窒素を造るには、ただ単に圧縮、冷却、断熱膨張を繰り返していけば良いのだ。しかし、酸素の方が沸点が高いため、液体窒素を得るには必ず液体酸素が副生する。

 きれいな空気が原料であるから、ここなら原料費は全くかからず、原価はユーティリティだけである。その上副生する液体酸素を売ることによってコストが下がり、購入する場合と大差がないことが判り、現在は当初の予定の補助的に使うということを変更し、液体窒素は全て自給している。

 先に来ていたのは甘粕であった。彼は床にはめ込まれたタンクの口を開けて棒を入れて掻き回していた。

 白い煙がもうもうとタンクの口から上がっている。
「どうしたんだ」多賀が声を掛けた。
「何かあるみたいですね」

 ここに来たらタンクの口が開いていたので、まさかとは思ったが、この棒で中を探ってみると何か棒の先に当たるのだと言う。甘粕が今使っている棒は液体窒素や酸素をサンプルとして汲み出すため先に小さなコップがついている柄の長い柄杓だった。

「何か引っかけるものを先に付けた方がいいな」
 市川が走って部屋を出て行った。暫くして、途中で逢ったらしい数人と一緒に戻り、鳶口のようなものと針金、ロープを持ってきた。

 棒に鳶口のようなものを縛りつけ、またタンクの中に探りを入れた。

「引っかかった」
 甘粕は顔を歪めてゆっくりと棒を引き上げた。多賀も棒を掴み手を貸す。しかし、タンクの中は白煙で全く見えない。

「おい、手を貸せ」
 見ている連中に声を掛けた。
 一人がタンクの口から出掛かって白煙をあげている物に手を伸ばした。

「素手じゃ危ない。そこにある手袋をしろ」
 他の二人がここに常備してある厚手のゴム手袋をつけた。
「ロープだ」

 白煙の中から、まさかとは思っていたものの予期したものが現れた。足首にロープが巻かれ、手袋をした二人がそれを掴んで引っ張る。もう一方の足は走るような格好をして曲がっていた。

 手が引っかかって穴からなかなか出ない。
「あつっ」
 手袋を填めた一人が冷たさに耐えかねて手を離してしまった。

 それは手から上をタンクの口の中に残したまま横倒しになり、そして、枯木の折れるような乾いた音が響いた。

 左腕が付け根から折れて、またタンクの中に落ちてしまった。
 床には左腕のない佐伯の凍った躯が白煙を上げて横たわり、開いたままの口の中で液体窒素が沸騰していた。

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 萩原輝憲は富士市の自宅へ帰る途中であった。先ほどから一台も対向車とはすれ違わない。この季節、午後十時過ぎともなるとこの道を走る車は極端に少なくなる

 御殿場での仕事が思いの外長引いてしまい遅くなってしまった。
 萩原は室内装飾工事を請け負う商売をしており、主に美容院などの店舗の改装を引き受けている。今日の客は細かい注文が多かったため、打ち合せに時間が掛かってしまった。

 御殿場市から愛鷹山の北側を通って富士市へ至るこの道はいつも萩原が好んで使っているルートである。国道246号と1号を乗り継いで行くより距離的にも時間的にも相当短くなり、その上、信号が殆どないと言っていいくらい少ないので気を使わなくてよい。

 しかし、冬は所々凍結箇所があるので、こんな夜遅く走るときはそっちの方に注意が必要であった。

 車のライトは先ほどからずっと道路の白線を照らし出しているだけだった。光の中を白いものが横切り始め、やがて次第に多くなり、視界が悪くなってきた。ガスがかかってきたらしい。冬には珍しいことだ。

 たぶん、日中暖かだったが夜半からきつく冷え込んできたせいだろう。

 車のスピードを緩めた。その時、ライトの光の先端を黒いものがよぎったように見えた。慌ててブレーキを踏み、車を徐行させゆっくり進んだ。しかし、光の中には何も入ってこない。

 錯覚か‥‥‥。再びアクセルを踏んでスピードをあげた。
 白いセンターラインを頼りに暫く走っていてふと気が付く。車のエンジン音以外に何か音が聞こえて来るように思える。

 バックミラーを覗いてみたが、テールランプの光を反射して乳白色の霧がうつるだけだった。

 視界がきかず何も見えないが、この辺りは富士の裾野の真只中であり、道路の脇には木一つない場所であることを知っていた。車の騒音が反響して聞こえるような場所でもない。しかし、確かに聞こえるのだ。そして、その音は車と同じ速度で走っているように思える。

 萩原は少しスピードをあげた。やはり、音は同じ速度でついてくる。

視界のきかない霧の中ではこれ以上の速度は無理だと思われるところまでアクセルを踏み込んでみた。しかし、音は変わらない。

 スピードを落し窓を少し開けた。冷たい風が勢いよく入ってきて、その音はかき消されてしまい、聞こえなくなってしまった。

 車をゆっくり止めた。アイドリングの音だけが乳白色の霧の中で響いている。耳を澄ますが、先ほどの音は全く聞こえてこない。あの音は車の異常音だったのかなと思い、アクセルを踏んで空ふかしをしてみる。

エンジン音だけが大きく響いたが、異常音はまったくなかった。

 エンジンの静まった後、微かな音が車体の右後方から聞こえたような気がした。反対車線の道路の向こう側らしい。

 窓を大きく開け目を凝らして見る。暗闇の中で霧が動めいており、その向こうに何かいる気配がする。

 エンジンを切ったら何か聞こえるかも知れない。

 そう思って、エンジンを止めた途端、突然目の前が明るくなりライトが霧の中から現れた。萩原は一瞬飛び上がるほど驚いたが、すぐ対向車であることに気付いた。

 対向車は止まっている車の脇を走り抜けて行った。

 また、先ほどの音が聞こえてきた。それもはっきりと‥‥‥。しかし、それは対向車のエンジン音と共に遠ざかる音であった。

 何なんだ‥‥‥。
 外へ出て車の走り去った方角を見た。

 濃い霧は真の闇をつくっており、対向車のライトはその霧に閉ざされ、既に見えなくなっていた。そして、周りに先ほどまであった何物かの気配もなくなっていた。

 突然、爆発音が聞こえてきた。それほど遠くではない。
 萩原は車の走り去った方角へ数歩あるき、暫く耳を澄ます。寒さで体がブルッと震えた。

 人の喚くような声が微かに聞こえてきたと思うと、すぐに悲鳴のような絶叫に変わった。たった今、すれ違った対向車が先ほどまでここにいた何物かにやられたんだという考えが、理屈もなしに萩原の頭を占領した。そして、恐怖が襲ってきた。

 次はこっちの番だ。萩原は車に飛び込み気が狂ったように霧の中を走りだした。

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「これはひどい‥‥‥」
 亀石巡査長は眉を寄せてつぶやいた。車は道路を外れて土の上をスリップし、右前部を盛り上がった土に突き刺すような格好で止まっている。

 炎上したらしく、車体は黒焦げであった。
 朝早く裾山から御殿場へ通勤途上の車が見つけ、通報してきた。そして、亀石と同僚の吉峰がパトカーで現場に駆けつけたのだ。

 今朝はちょっと風が強いが良い天気である。昨夜の霧は跡形もなく、見上げると富士山は頂上まではっきりと見ることができた。

「中に人はいませんね」
 焼け焦げた車の中を覗いた吉峰は不思議そうに言う。
「燃え上がる前に脱出して避難したのかもしれないな。周りを探してみよう」

 二人は手分けして周りを探し始めた。いるとすればそんなに遠くへ行くはずがない。この事故が昨夜起こったのであり、怪我をして身動きできなくて、一晩ここで過ごしたのであれば、凍死している可能性もある。

 亀石は小さな起伏の多い地形を登ったり降りたりして、辺りに目を配った。

 通りかかった車に乗せて貰ったことも考えられたが、それならもっと前に通報が来ているだろう。車の状態からしても乗っていた人が無傷であるとは考え難い。

 枯れたすすきの中に何かあるのが目にとまり、立ち止まった。

 近くへ行って上から覗く。合成皮革製の茶色の靴であった。拾い上げてよく見ると風雨に晒されたものではなく、たった今脱いてここに置いたと言える状態の物だった。

 亀石は目の前にある高さ二メートルほどの小丘の斜面に目を移した。
 崩れて黒い土が出ている部分があり、それが下から上へつながっている。誰か最近歩いた跡だ。

 駆け登って向こう側を覗いた。不自然な格好で脚が二本あり、片方の足は靴を履いていなかった。ズボンをはいていたが一方の脚がもう一方の膝から出ているような形をしている。そして上がない。

 辺りの地面が黒ずんでいる。おそらく血が染み込んだためであろう。数メートル離れたところに何かの塊を見つけたが確認する気にはなれず、もよおして来た吐き気のため小丘を駆け降りた。

「どうしたんですか」
 吉峰は亀石の様子を見て駆けつけてきた。亀石は黙って小丘の向こうを指さす。吉峰は駆け登って行ったが、すぐに蒼い顔をして戻ってくる。

「車から飛び出してたたきつけられたのでしょうか」
「違うな」
 車から五十メートルくらい離れている。どんなにスピードを出していても、ぶつかったショックでそんなに人間が飛ぶわけはない。

「ここまで車から逃げて来たんだ。足跡がある」
 亀石は黒い土が露出しているところを示した。
「でも、あれは‥‥‥」

 亀石はうなずいた。バラバラの死体は説明できない。パトカーに戻る途中二人は直径三十センチほどの丸い跡を幾つも目にした。

「なんでしょう」
「さあ‥‥‥、鑑識が来れば判るだろう」
 二人はパトカーに戻り無線で連絡をした。

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