十一、

 合川尚児は千葉の成東署からの連絡によると自衛隊に入隊していた。両親は既に亡く、姉が一人いるが、彼女はここ数年尚児には会っていないらしい。

 篠山は六本木の陸幕本部に行って調べてみた。合川は二年前既に退官しており、退官時の階級は二曹であった。予備自衛官制度があるので退官時には現住所を届出る義務があるが、そこには本籍地が届けられていた。千葉県警の調べで合川は本籍地にはいないことが判っている。従って、合川の所在を知るすべは全くなかった。

「指名手配にするわけにはいきませんからね」

 富沢がぼやき気味に言う。合川が田上殺しの犯人と決まったわけではない。不審な人物として捜査線上にただ浮かび上がっただけだ。その上、田上の事故死も完全に殺人だと断定されたわけではないので指名手配などできるはずはなかった。

「習志野駐屯地に行ってみるか」

 合川は自衛隊を辞めた時、習志野駐屯地に勤務していた。そこに行けば合川を知っているかつての同僚達がいるはずだ。

 二人は支度をして部屋を出た。
「相変わらず忙しそうですね」
 二人が階段にさしかかると、上の階から報道記者の堀井が小走りに駆け下りてきて二人に声を掛け、先に立って階段を下り始めた。

「そっちも忙しそうじゃないか」
 篠山が後ろから言う。
「ええ、これから富士山に行くんです」

「事件の取材かい」
「そうです。昼間のワイドショー用のニュースの取材です」
 堀井は立ち止まって振り返りながら言った。

「どんな事件なんだい」
「数頭の牛が何者かに殺されましてね。それに交通事故者がバラバラになって死んでいたそうです」

 そう言って、堀井は表に走り出て行った。
 二人は顔を見合わした。彼の言っている内容がさっぱり判らなかった。
しかし、いかにも昼のワイドショー向けにふさわしそうなニュースであることは想像できた。

 篠山と富沢は習志野駐屯地で合川と同じ隊に所属していた河野という二等陸曹と会うことができた。歳はほぼ合川と同じくらいで、よく陽に焼けて真っ黒な顔をしていた。

 だが、河野二曹は合川の居所を知らなかった。合川が自衛隊をやめてからは全く付き合いはないらしい。

「彼はどんな職業につきそうですか」
「さあ‥‥‥、判りません」
 河野二曹は頚を傾げる。

「何か特殊な技術を持っていませんでしたか」富沢が尋ねた。
「いや、そんなものは‥‥‥・。強いて言えば大型の免許を持っていたくらいです。でもそんなものは自衛隊では珍しくありません」

 河野二曹は二人を交互に見て言った。
 篠山はうなずいた。合川の大型免許は自衛隊に居た時取ったものだろうと思っていたのだ。

「彼は何かやりたいとか、自分の希望や夢などを語ったことなどありませんでしたか」

 篠山は現在合川が就いていそうな職業をそこから割出すことができるかも知れないと思い質問してみた。

「そうですね」河野二曹はちょっと考えるそぶりをした後「あまりそういうことを話した覚えはありません。ただ‥‥‥」といった。

「なんですか」
 篠山が身を乗り出す。
「彼は純粋なところがありました」

「どういう意味です。理想主義者と言うことですか」
「いえ、そこまでは‥‥‥。自分は自衛隊に向いているとよく言っていました」

「しかし、彼は自衛隊を辞めていますよ」
「そうですね」
「自衛隊を辞めなければいけない事情があったのですか」

「いえ、私の知る限りではなかったと思います。ですから彼が辞めたときは私も驚きました」

 篠山は何かあるのではないかと思った。河野二曹の言うことが正しければ、自分に向いている自衛隊を自らすすんで辞めるとは普通考えられない。合川のかつての上官に聞けば判るかも知れないが、その上官は転勤してこの駐屯地にはいなかった。

「人事係の所へ行ったら何か判るかも知れません」
 河野二曹は別れ際にそういった。
 篠山と富沢は駐屯地の人事係に行った。幸い合川を覚えている年輩の曹長がいた。

「合川の辞めた理由ですか‥‥‥。彼は依願退職のはずです」
 曹長は愛想よく答えた。
「そうですか‥‥‥。しかし、もし仮に彼が辞めさせられたとしたら、何か彼について思い当たることはないでしょうか」

 何か他に思いだしてくれないかと期待して、篠山は重ねて尋ねた。
「ありませんなぁ‥‥‥」曹長は暫く考えた後、「あれくらいしかないな‥‥‥。しかし、違うでしょう」

「何ですか、あれというのは」
 篠山は言葉に力を入れた。
「合川は解散させられたあるサークルに入っていたことがありました」

「どんなサークルですか」
「私は関係したことがないのでよく知らないんです。しかし、七、八年前のことですから合川が辞めたことと関係ないでしょう。合川は間違いなく依願による退官です」

 曹長はそれ以上は何もないと言う。
 篠山と富沢は結局大した収穫もなしに駐屯地を後にした。
「合川が自衛隊を辞めたこととこの事件と何かつながりがあるんですか」

 駐屯地を出ながら、富沢が尋ねた。
「いや、そんな積もりではない。合川が気に入っていた自衛官を自分から進んで辞めたのかどうか確かめただけだ。自分から自衛隊を辞めたとすれば、彼はもっと自分に向いた職業を見つけたのかもしれないな。大型の運転手以外に‥‥‥」

 合川の所在は全く判らず、三日が過ぎた。
 篠山は大木係長に呼ばれた。大木のそばに見知らぬ三十年輩の男がいた。背丈が非常に高い男で篠山より頭一つ大きい。

「自衛隊陸幕調査部調査一課の吉永一尉だ」と紹介された。
「吉永一尉は合川尚児のことで見えられたんだよ」
 大木はまたボールペンを指先で振り回している。

「合川の居所が判ったのですか」
「いえ、判っておりません」吉永が答えた。

「合川尚児は自衛隊に在籍していた頃、ある件で吉永さん達がマークしていた一人なんだそうだ。その合川を篠さんが問い合わせたので、何故合川を調べているのか尋ねたいと、おいでになったんだ。少し話しておいたが詳しい話を篠さんからしてくれないか」

「判りました」
 篠山は合川尚児を追いかけることになったいきさつを順を追って話し始めた。

「でもどうして合川をマークしていたのですか」篠山は尋ねる。
「それは‥‥‥」
 吉永は言葉尻を濁しながら大木の顔を見た。

「吉永さんは隊の内部に関することなので外部に話すことができないと仰っているのだ」
 後を受けて大木が言った。

「それはフェアではないですね。そちらの質問に答えたのですから、こちらの質問にも答えるのが礼儀でしょう」
 篠山は強く反発した。大木も黙ってうなづく。

「もし、話していただけないのなら、私の方もこれ以上お話できませんね。あなたの所属から推測するとあなたも捜査のプロでしょうが、畑違いの一般社会では我々の方が一枚も二枚も上だと思いますよ。その後の合川の情報について我々の協力が必要になるはずです。如何ですか」

 篠山は椅子に座っている吉永を見おろした。

「我々も同じ公務員です。機密に関することでしたら簡単に漏らすなんていうことはしません。それに、そちらの話を伺うことで捜査の進展が大きく変わることも考えられます。我々も助かるし、それがそちらへの援助になるかもしれませんね。どうです。お話願えませんか」

 大木も重ねて言った。
 篠山は習志野駐屯地で人事係の曹長がちょっと口にしたことを思いだ
した。

「合川は何かのサークルかグループかに入っていたそうですね。それでマークしていたのではないのですか」

 篠山には確信などなかった。完全なでまかせのはったりである。しかし、これが意外と効を奏した。

 吉永はちょっと考えてから、決断したように口を切った。

「そこまで調べたのですか‥‥‥。それじゃお話します。但し私の裁量で話せるところまでということになりますが」

 吉永は椅子から立ったままの篠山を見上げ、次に大木へ視線を移す。そして、話し始めた。

 合川は自衛隊に在籍していた頃、隊内のあるグループに所属していた。
そのグループと言うのは公式に認められたものでなく友好団体のようなものである。

 ある退役した陸将補が現役時代に中心となって創ったもので、我々はそれをFGと呼んでいる。FGは初めは隊内で好意を持って見られていたが、次第に上層部が危険視するようになり、やがて調査部の監視下に置かれ、その結果七年ほど前に解散させられた。それで、FGはなくなったことになったが、実際は地下に潜っただけで活動は続けられていた。

 我々はそれを察知し引続き監視を続けていた。そして、四、五年前にFGの幹部と見られていた隊員が数人退官した。彼らは特殊な技術を持った者ばかりだった。彼らの追跡調査をすると一般企業に再就職したので、彼らの監視はそこで打ち切った。

 その後、現在までFGに所属していると思われる隊員が何人か退官したが、幹部以外の隊員は追跡調査をしていない。合川もその一人である。

 吉永はそこまで話すと口をつぐんだ。
「それだけですか」

 篠山が尋ねると吉永はそうだと答えた。何だか気の抜けたビールを飲まされたような話だ。肝心なところを全て省いたわけの判らない話である。

「FGというグループは何なのですか。危険視していたと言いましたね」
「はい」
「クーデターか何かを企てている連中ですか」

「とんでもない」
 吉永は苦笑に似た笑みを浮かべ否定した。
「それじゃ何なんですか」

「‥‥‥」吉永は黙って篠山と大木を見比べている。
「何かヒントを下さい。それならいいでしょう」
 手のボールペンを置き、大木が妥協案を出す。

「そうですね‥‥‥」
 吉永は間を暫くとってから再び話し始めた。
「日本政府の防衛方針は御存じですね」
 思いもかけない言葉に、篠山は大木と顔を見合わせる。

「安保条約に基づく専守防衛が大前提となっています。即ち国土を守るだけで決して自分から進んで相手を攻撃しないということが原則になっています。自衛隊もそれに基づいて全国に配備されています。しかし、敵に攻撃をかけられてそれを排除するだけで果たして国を守ることができるかという意見がいつもあることは周知の事実です。また身を持ってそれを実行する者にとっては切実な責任問題となります。だが国の方針は変えられません。従うだけです」

 吉永はそこまで言って再び沈黙した。
「それがヒントですか」
 吉永は黙ってうなづいた。

「と言うことは‥‥‥。FGというグループは専守防衛に不満を抱いていると解釈していいんですね」

 吉永は何も答えず、僅かに笑みを浮かべただけだった。
「合川の除隊後の追跡はしなかったのですか」
「はい、幹部でなかったのでしておりません」

「除隊と同時にFGを抜けたと判断したのですか。ところが現在になって、合川の追跡監視が必要になった‥‥‥、と言うことですか」

「そうです。しかし合川に限りません」
「除隊したFGグループ全員ですか」
 吉永は肯定した。
「何故です」

「FGが何かをしようとしているという情報を入手したのです。そして除隊したメンバーの何人かはその準備のためだったらしいということが判ったのです」

「どんなことですか」
「判りません。我々もまだそこまでは調査できておりません」

「FGを創ったという退役した陸将補の名前を教えていただけませんか。我々が調べてもすぐ判ると思いますが、その手間を省くために‥‥‥。如何ですか」
 吉永はちょっと首を傾げた。

「現役ではないのですから、差障りはないでしょう」
「そうですね‥‥‥。矢沢憲一と言います。現在の住居は箱根の強羅です」

「なるほど、監視中と言うわけですね。すると現在もFGとつながりがあるわけですか」
 吉永はうなずいたが確認は取れていないと言う。

「それから、FGグループの除隊したメンバーの名前を教えていただけるといいんですがね。そうすればそちらの捜査に協力できますし、勿論我々の捜査も非常に助かります」

「うーん、それはちょっと‥‥‥、私の一存では判断できかねます」
 吉永は眉を寄せ、困ったという表情をした。

「合川がFGグループの一員であるとしたら、我々が追っている事件はそのFGが計画したことと関係があるのではないかと思うのです」

 篠山は田上にトラップを仕掛けたのが合川と他のFGのメンバーであったら、あの無線通信の手慣れた会話が納得いくと思った。元自衛隊員なら訓練で無線の通信は馴れている。

「いいでしょう。この件は上司に進言してみます」
「そうですか、宜しくお願いします」

 吉永は帰った。篠山が考えていたように田上洋介の殺しは個人的な動機からではないらしい。もし、田上がFGグループと関係があるとしたらどんなつながりなのだろうか。

「田上は自衛隊に在籍していたことがあるのか」
「いえ、ありません。田上は富士オートマトンの子飼いの社員です。大学を出てすぐ富士オートマトンに入っています」

 篠山は吉永が座っていた椅子に腰を乗せた。
「そうか‥‥‥、するとやはり田上の殺しは関係ないのかな」
 大木は机に肘をつき拳を作って、それに顎を乗せた。

「いや、関係あると思います。田上の周辺をこれだけ探って動機らしいものが全く出てこないのです。ですから田上の日常生活上のことが殺しの動機になったのではなく、田上自身も知らない何かがFGと関わりがあり、それが動機となったと考えることも可能です」

「えらく抽象的な表現だな。それなら何らかと言うのはFGとは限らないこともあるね」
「ありますけど、現在ありそうなのはFGだけですからね」

「そうだな。田上がFGグループの一員ということはないわけだ。するとFGの計画を田上が知ったので殺されたと考えるか‥‥‥」

「ありえますね。しかしそれだけで人を殺すでしょうか。吉永一尉の話から判断すると計画が漏れたからと言ってFGグループは殺人をするほど、無思慮で過激なグループとは思えませんが‥‥‥」

「うん、そうだな。過激なグループだったら既に力づくで潰されているだろう。しかし、過去はどうあれ過激なグループに変わる可能性もあるわけだ。田上殺しが彼らの仕業としたら現に過激になっている。だから吉永一尉達も監視しているのだろう」

 篠山もそれは認めた。
「田上が彼らの計画を邪魔したというのはどうでしょう」
「ちょっと飛躍し過ぎだろう。田上とFGのつながりがないではないか」

 確かにその通りである。
「熊田の方ももう一度洗い直してみた方がいいのではないかな」
「そうしてみます」

 篠山は一応洗い直すつもりで返事をしたが、熊田は明らかに巻添えだと思っている。

「ところでFGってのはなんだい。何の略号なんだ」
「さあ、何でしょう」
 篠山は頚を傾げた。吉永一尉はそのことには全く触れなかった。

 大木は暫く考えていたが、突然思いついたように、「ファイティング・グループというのはどうだ。戦闘集団だ」といった。
 そして、得意そうな顔をして頷いていた。

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