十二、

 富士山の南裾野一帯に人や家畜を襲う動物がいるのではないかと言う噂がたちだし、その被害状況を具体的に当局へ届出る者が出てきた。確かに牛を飼っている農家では被害を蒙っている家が何件かあり、行方不明になった犬も襲われたのだと言う人も居た。

 そして、まだ人が襲われたという確かな事実はなかったが、大野原で見つけられた交通事故は車が襲われたのではないかと噂する人達もあった。

 やがて大きな動物を見たと言う者も現れたりしたので、住民達は近くにあるサファリ動物園に疑いの目を向け出し、園から猛獣が逃げたのではないかと騒ぎ始めた。

 サファリ動物園は設立時に住民から猛反対にあったいきさつもあるので大いに慌て、柵のチェックや動物の数を何度も確かめてそれを否定した。

 だが、住民はそれでも納得しなかった。事態を重くみた市当局は異例の動物園への立入調査を行い、異常のないことを住民に報告しどうにかことを収めた。しかし、それでも家畜が殺された事実はまったく説明がつかないことだった。

 南富士工場の佐伯俊造の死は事故死と判定された。おそらく液体窒素のタンクを開けて覗いた時、誤ってつまづいたか何かして中へ落ちたのだろうということになった。何故タンクを覗きに行ったかは不明であった。

 その後、二度とこんな事故が起こらないようにとタンクの口に柵が設けられた。担当の作業員は作業がやり難くなったとぼやいているが、柵を設けないと欠陥設備として操業停止になるのでやむをえない処置であった。

 多賀はコントロールルームから作業場を眺めていた。

 四百二十台のオートマトンが全て動いているが、コントロールルームの中は防音されており、レーザーの飛ばす火花の音やモーターの回転音が一緒になった甲高い騒音は殆ど聞こえてこない。

 現在はまだフル操業ではなく八時間操業なので、夜は全てがストップする。だが、やがては二十四時間操業になるので、それに向けての準備は着々と進んでいる。

 突然警報がコントロールルーム内に響き、パネルの赤ランプの一つが点滅を始めた。

「二十三号だ。修理班の出番だよ。初めての仕事だな」
 土井が二十三号のスイッチをはねて、二人を交互に見てニヤッと笑う。
「私が行きましょう」

 多賀は立ち上がってドアを開けた。
 工場の騒音がコントロールルームに進入してくる。戸川が何か言ったが、騒音でかき消されてしまった。たぶん一緒に行くと言ったのだろう。彼も、多賀の後に続いた。

 作業中のオートマトンの間をすり抜け、二十三号のそばに行く。

 二十三号はLSIの組み込み作業の途中であった。三本アームの一つを振り上げた格好で停止している。作業台の上に乗って装置を見上げると、アームが丁度頭の上にある。嫌な格好で止まっているなと多賀は思った。

 戸川は後ろに回りパネルのカバーを取り外して中を調べ始めた。
「そっちはどうだ」
 多賀は大きな声で怒鳴る。

「配線ボードは焼けてませんね。正常です。過負荷の安全装置が働いているかも知れません。ちょっと見てみます」

 戸川も怒鳴り返してきた。多賀はボディのカバーを外して中を覗く。モーター、動力伝達のワイヤー、配線どれも異常がない。

「安全装置が働いています。LSIボードを見て下さい」
「わかった」
 多賀はLSIボードを一枚づつ引出しテスターでチェックを始めた。五枚目まではなんともない。六枚目がちょっと異常値を示したが残りは正常だった。

「六枚目だ。交換するから代わりを持ってきてくれないか」
 戸川はLSIボードを取りに走って行った。何処に過負荷がかかったのか探さなければならない。原因が判らず、このまま動かせば再び同じ故障を繰り返すのは判っている。

 各関節を詳細に見て回った。第二アーム第三関節のグリース表面に何かあるのを見つけた。

 手に取って付着しているグリースを上着にこすりつけて拭う。
 一辺が五ミリほどの不規則な三角形状の透明な破片だ。ガラスのようでもある。ガラスであれば関節の間に入っても、砕かれてしまい過負荷がかかるようなことはない。

 多賀は装置に背を向け作業台上に座り込み、その破片を置きドライバーの尻で叩いてみた。ガラスなら粉々に砕けるはずだが、破片はびくともせずそのままの形状を保っていた。どうもエンプラ(高機能プラスチック)らしい。

 もう一度つまみ上げて手の掌の上で転がしながらよく見る。間違いなく高機能プラスチックだ。

 高機能プラスチックはエンジニアリングプラスチックともいい、結晶が非常に密にできたプラスチックで堅くて粘りがあり、簡単には切断したり破砕することはできない。この素材を繊維にし、それで織った生地を使って服を作れば、その服が防弾服になるほど丈夫な性質を持っている。

 多賀は首を傾げた。現在ここで製造している機種にこんな素材の材料は使用していないし、工場が稼働して以来製造した機種も部品にエンプラを使っていないはずだった。

 何か頭上で動いているような感じがした。

「あぶない」
 LSIボードを取って戻ってきた戸川の声が聞こえた。
 多賀は体を捻って後ろを見上げた。電源を切られているオートマトンのアームが自重で落ちてくるのが目に入った。

 左足で作業台を蹴って床に転がろうとしたが、僅かに足が滑り遅れてしまった。頭の上にスピードのついたアームが襲いかかってきた。腕を上げて防御する暇もなく、無意識に左肩を上げ頭をかばう。

 強烈な衝撃を左肩に受け、次いで目の前が閃光を浴びたように明るくなり、床が迫ってきてぐるっと回ったと思うと意識が薄れていった。

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