十六、

 係長に命ぜられた、FGの背後にいるかも知れない援助者の捜査はまったく捗っていなかった。また合川の消息も依然として判らないままである。篠山は所在の判っているFGの隊員を張り込んでいれば、いずれ合川と連絡をとるに違いないと考え応援を出して貰った。

 富士オートマトンの南富士工場にいる隊員迄は無理であったが、葵精工と旭洋産業の隊員には四六時中の張り込みがつくことになった。そして、昭興生命の片倉惣一は篠山と富沢が交替でついており、今日は朝から富沢が張り込んでいた。

 その富沢から連絡が入り、片倉が車を運転して昭興生命を出たという。二人が張り込んでから、片倉は今まで車で出かけたことはなかったので、篠山はいよいよ動きだしたのかも知れないと思った。 しばらくして富沢から再び連絡が入った。片倉が出向いたのは国分寺らしい。篠山は車で国分寺に行き、富沢と落ち合うことになった。

 篠山が到着すると、富沢は待たせてあったタクシーを帰し、片倉が今日は珍しく車で出て来たので、慌ててタクシーを捕まえて跡を追ってきたと報告した。
「片倉は何処へ行った」
「驚かないで下さい」
富沢はそう言って白く高い塀で囲われた家を指さした。

 塀の上から植木が数本頭を出している。豪壮というにはほど遠いが、平均的な家屋と較べたらかなり立派な家だ。おそらく片倉のであろう、白い車が門の脇に駐車してあった。

「誰の家だね」
「志村丈博ですよ」
「代議士のか」
 富沢は頷いた。
「防衛庁政務次官です」
 
富沢は近所で聞込みをした成果を披露した。志村について篠山は財界から政治家へ転身した男で、まだ歳は若く五十そこそこであると記憶していた。

「彼が黒幕でしょうか」
 確かに志村丈博なら企業社会に顔は広いだろうし、自衛隊OBを希望の企業に就職させることもその気になれば出来るかも知れない。

 ほどなく片倉が一人で出てきて車に乗り込んだ。二人は富沢の運転でその後に続いた。片倉は都心へは向かわず、車を中央高速道に乗せた。何処かへ出かけるらしい。

「何処へ行くのかな」
 このまま走れば山梨へ入り、その先は長野県だ。
「富士吉田かも、な」

「何故ですか」
「富士オートマトンの東富士工場がある」
 篠山達の車は片倉の二台後ろを走っていた。篠山の推測が当たれば片倉は大月で富士吉田方面へ曲がるはずだ。

 車は県境を越えて山梨県に入り暫く走ると、ウインカーを点滅させサービスエリアへ入って行った。

「談合坂サービスエリアか‥‥‥」
 篠山達もあとに続く。駐車場は比較的混雑していた。
 片倉が駐車するのを見届けてから、富沢は車の駐車スペースを探した。

片倉がとめた隣が空いているが、そこへ入れるわけにはいかないので、他を探し反対側の並びに一つ空いているのを見つけた。

 片倉は車を降りて売店の方へ歩いて行くところだった。
 
二人は車から出て距離を保って後に続く。片倉はどうやらトイレに行くらしい。
「私は面が割れている行って来てくれないか」

「丁度、私も行きたかったんですよ」
 富沢はにやっと笑い、小走りにトイレの中へ入って行った。
 
トイレの人の出入りは非常に多い。篠山は少し離れた植え込みの側を行き来して待った。

 暫くして、片倉が誰かと一緒に出てきた。片倉より背の高い紺のスーツを着た細身の男で、二人は話しながら売店の方へ行く。遠いので顔ははっきりと判らない。富沢が戻ってきた

「このサービスエリアで待ち合わせていたみたいですね。FGのメンバーでしょうか」
「合川かも知れないぞ」
 聞き込んだ合川の歳格好と合致するし、自衛隊からコピーを取り寄せた顔写真とも似ている。

 片倉と男は自動販売機からコーヒーを買って飲みながら何か話している。
「確かめてみます」

 富沢は自動販売機でコーヒーを買い、二人の近くで背を向けて立ち、飲み始めた。二人と富沢の周りを絶え間なく人が通っている。片倉とその男は富沢には全く注意を払っていない。彼らはコーヒーカップを屑箱へ捨てると、ゆっくり歩き始めた。車へ戻るらしい。 富沢も帰ってくる。
「合川です。間違いありません。捕まえますか」
「いや、行く先を確かめよう。それからでも遅くない」

 片倉と合川は二人で何処かへ行くため、ここで落ち合ったのかも知れない。もしそうでなくて、二人が途中で別れることになっても、その時は合川のあとを追って行き、着いた先で捕まえればよい。

 片倉と合川は各々自分の車に乗った。篠山と富沢も急いで車に向かう。
「何だこれ‥‥‥」富沢が大きな声をあげた。

 二人の車の後ろにアイボリー色の車が通せんぼするようにとまっている。誰も乗って居らず、ドアにはロックが掛かっていた。周りを見渡したが、車の持ち主らしい人は見あたらない。 当然、両脇にも別の車が止まっており、前方は歩道を挟んでやはり車が止まっていた。要するに車は全く出られない状態だったのだ。

 片倉の車が駐車場を出て行く。そして、すぐ後ろに合川の車が続いた。篠山は思わずそちらの方へ走ったが、彼らの車は本線への進入路へ入り視界から消えた。そのとき車がまた一台駐車場を出て本線への進入路へ入った。何気なく目をやった篠山はその運転席を見て、おやっと思った。

 戻ると富沢が車を強引にバックさせて、後ろを塞いでいた車を押している。スリップするタイヤの音が甲高く響き、それを通りかかった数人が立ち止まって眺めていた。

「行きましょう。乗って下さい」
 ようやく車を押し退けた富沢は篠山を呼んだ。

 富沢はかなりのスピードで中央高速を富士吉田まで走ったが、片倉と合川の車に追いつけなかった。更に富士オートマトンの東富士工場まで足を伸ばしてみたが、それも無駄だった。もしかすると彼らは長野方面に向かったのかもしれず、富士吉田へ行くだろうと考えたのは篠山の勝手な読みだったのかも知れない。

「折角、合川を見つけたのに、残念なことをしましたね」
「うん、そうだな」
 篠山の表情は余り残念そうには見えなかった。

「ひとの車の後ろに駐車するなんて非常識ですよ。公務執行妨害で引っ張ってやりたいですね」

「ナンバーは覚えてるかい」
「いいえ」富沢は首を振った。
「それじゃ駄目だな」

 篠山は笑った。
「篠山さんは残念そうではないですね」
「うん、まあね‥‥‥」

「何か手がかりが残っているんですか」
 富沢は運転しながら篠山の顔をちらっと見た。
「おい、前を見ていてくれ。まだ死にたくないからな」

 篠山は笑いながら言う。
「もしかすると、彼らのあとを調査部が追っているかもしれん」
 篠山は二人の車を追いかけた時、彼らの後に続いて出て行った車の中に吉永一尉の使いでFGの名簿を届けて来た調査部の男らしき人物を見たのだ。

 おそらく彼らも片倉を見張っていてあとをつけてきたのだろう。あの様子では、二人はつけられていることにまったく気付いていない。調査部が彼らの行く先をつきとめている可能性は大きいだろう。

 篠山は後で吉永一尉に尋ねるつもりでいる。
「ところで、片倉は合川とサービスエリアで何を話していたんだ」

「うるさくてよく聞こえなかったのではっきりはしないのですが、どうも彼らの計画が思い通りにいってないような口ぶりでした」
「どんなことを言っていた」

「コントロールがうまくないとか、彼らは何を考えてやっているのだとか……。彼らとは富士オートマトンにいるFGグループのことだと思います。企画自体がうまく進行していないのではなく、どうも富士オートマトンに居る連中がFGの指図に従わず、勝手に動いているような様子です」

 篠山は黙って何度もうなずく。命令が円滑に伝わらず、富士オートマトンで実行している企画の結果がおもわしくないのかも知れない。

「これ以上騒ぎが大きくなったら中止しなければいけないともいってました。騒ぎってのはなんでしょう」

 富士オートマトンの南富士工場で彼らの企画を妨げる何かが起こったのだろうか。帰ったら調べて見ようと思った。

「それから、片倉がエムテーエーという言葉を何度か使っていましたが、どうも彼らの企画の呼び名みたいですね」

「エムテーエーか」
 何処かで聞いたような響きがある。
 車は料金所を通り首都高速に乗った。相変わらず酷い渋滞だ。

「有沢だ」突然篠山が大きな声で言った。
「えっ、何ですか」
 篠山は富士オートマトンの有沢という技術屋から、MTAという言葉を聞いたことがあると富沢に話した。確か企画案のコードネームだといっていたはずだ。

「偶然の一致ではないですか。だって富士オートマトンの企画なら何も彼らがわざわざやらなくとも会社がやってくれますよ」

「企画ではなく企画案なんだ。だから富士オートマトンは案として持っているが、まだ実行していない」

 もし、片倉達が話していたというエムテーエーが、有沢が口にしたMTAと同じものなら、FGグループが富士オートマトンに潜入して実行しなければならない理由の一つになるかも知れない。

 篠山は帰ると、すぐ富士オートマトンの有沢に電話をして、MTAについて尋ねた。

 MTAは多賀三郎の個人的な企画案で、社の正式な企画案ではないらしい。どういうことかと尋ねると、多賀が案として提出したが、採り上げられなかったものであり、事実上没になったものだという。しかし、内容は一応マル秘となっているので書類は保管されているらしかった。

 見せて貰えないかと頼んだが、断わられてしまった。それではどんなものか簡単に説明してくれないかと頼むと、MTAの別名は多方向移動自動装置というそうで、その名から想像してくれといわれただけだった。

 篠山は略号でない漢字の名前を聞き、なんとなく判ったような気になったが、実際はたぶんロボットだろう、ということぐらいしか判らなかった。

 一方、富沢は志村丈博の資料を調べてみた。聞き込んだ通り防衛庁の政務次官であり、経済同志会という団体の理事もしている。経済同志会は新興の大企業のオーナーがメンバーに多い経済団体らしい。

 篠山にそのことを話すと、
「彼なら黒幕か援助者になれるな」といった。

 翌日、吉永一尉に連絡を入れ、昨日の談合坂サービスエリアのことを尋ねると知らないという答えが返ってきた。そして、片倉惣一には見張りはつけていないし、談合坂サービスエリアにも篠山が見たという部下の隊員は行っていないという。

「人違いですか」富沢が尋ねた。
「うん、そうらしい。本人が行っていないというんだから、そうだろう」

 篠山は期待していた合川の手がかりを失ってがっくりきた。昨日、片倉、合川の車に続いて談合坂サービスエリアを出て行った車を運転していたのはてっきり吉永一尉の部下だと思っていたのだ。

「昨日、家へ帰ってから考えてみたんですけど、片倉達は矢沢憲一のところへ行ったのではないでしょうか」

「箱根へ」篠山は聞き返した。
「そうです」
「えらい遠回りじゃないか。箱根へ行くなら東名を使うだろう」

「普通ならそうです。でも昨日は出発点が国分寺です。片倉は箱根へ行く前に志村丈博に会う必要があったのでしょう。あそこから東名を利用するには一度都内へ戻らなければいけません。首都高速の渋滞などを考えたらおそらく東名に乗るまで二時間くらい要するでしょう。富士吉田から国道138号で箱根まで一時間ちょっとです。高速道路が同じくらい掛かるとしたら、遠回りといえませんよ」

「それじゃ合川は」
「たぶん、合川の潜伏場所が中央高速の近くだったのではないでしょうか。だから談合坂サービスエリアで待ち合わせたと考えたらどうですか」

 篠山はうなずいた。すると合川は現在箱根にいるのだろうか。昨日彼らが出かけた時刻からして、日帰りとは思えない。

「今日は土曜日です。昭興生命は休みのはずです。片倉もまだ箱根にいるかもしれません」

 二人は箱根に出かけることにしたが、その前に富士オートマトンの南富士工場、またはその付近で何か事件が起こったかどうか調べてみようと思った。富沢が昨日聞いた、彼らのいう騒ぎとは何なのか気になっていたのだ。

 先日、報道記者の堀井が富士山に取材に行くと話していたことを思いだし、彼に電話した。

 富士山の何処へ行ったのか判らないが何か知っているかもしれない。
「罷熊の脱走‥‥‥。他には‥‥‥。あっそう、ありがとう」
 篠山は受話器を置いて、新聞のファイルを取りに行く。

「何ですか」
 富沢が覗きながら尋ねた。
「富士オートマトンの工場の近くにあるサファリ動物園から罷熊が逃げたんだそうだ。新聞に出ているらしい」

「罷熊の脱走がこの事件と関わりがあるのですか」
 富沢は篠山の持ってきた新聞の記事を指さした。
「昨日、合川と片倉がトラブルがあったと話していたといっただろう」
 富沢はうなずいた。

「新聞沙汰にならない彼等達内部だけのトラブルをいっているのかもしれんが、そうでないかもしれん。今のところあの辺で起こった事件はこれしかないようだから関係があるかもしれないと思ってね」

 堀井は、今度はリポーターと一緒に、再び取材に行くといっていた。

 新聞には五頭の罷熊が脱走して、三頭が射殺され、残る二頭は捜索中とある。静岡県警の機動隊が捜索に当たっているが、隊員の中に既に怪我人が二人出たらしい。サファリ動物園の近くの住民の一部は避難を始めており、長引けば、全住民が避難しなければならなくなるだろうとも述べられていた。

「騒ぎというのはこれですかね。すると工場も一時ストップということになるんですか」
 篠山はもう一度記事を指した。

「工場の周りには塀とかフェンスとかが張り巡らされているだろう」
 ノウハウが満載されている富士オートマトンの工場は人間でもたやすく侵入出来ないようになっているに違いない。だから出入口を閉めてしまえば罷熊など問題外のはずだ。

「それじゃ、彼らが中止しなければならないといった騒ぎというのは別のことですか」
 篠山は首を傾げただけで答えなかった。
 二人は箱根へ出発した。

 東名高速道路を御殿場インターチェンジで降りて、国道138号の曲がりくねった道を、背後に真っ白な富士の姿を見ながら箱根に向かって登った。

 眼下に広がる広大な富士の裾野は萱のいろ一色で塗りつぶされている。

 高度が上がるに連れて道路脇に積もった雪が目につきだし、運転している富沢はチェーンを持ってこなかったことを後悔しはじめた。

 乙女トンネルを通り抜け仙石原に下る。

 仙石原で右折し湖尻を経て、更に大涌谷へ行く道をとっても強羅へ行けるが、富沢はまっすぐ道をとり宮の下に向った。

 幸い雪はそれ以上増えず、いつの間にか道路から消えて、チェーンの心配はなくなった。

 宮城野で右折し、急坂を登り強羅に到着した。箱根山の急斜面にへばり付くように企業の保養所、旅館、ホテルの建物が並んでおり、その間を傾斜のきつい坂道が走っている。シーズンオフのせいか、週末だというのに全く人影はなかった。

 二人は矢沢憲一の家を捜し当てた。

 まわりの企業の保養所と較べると小さいが、個人の家としてはかなり立派なもので、手入れの行き届いた広い庭があり、石積みの門構えは重厚さがある。そして、建物は和風の趣を取り入れ、白壁を模したコンクリート塀で囲まれていた。

 篠山と富沢は庭石を踏んで玄関の前に立った。
 自衛隊を退役し、恩給で生活をしているにはちょっと贅沢な感じのする雰囲気だった。

 案内をこい、応対に出てきた痩せて色黒の中年女性に用向きを伝えると、二人は玄関脇の応接室に通された。

 そして、待つ間もなく、矢沢憲一が現れた。小柄で痩せているが元軍人らしく背筋をピシッと伸ばして座った姿は実際より大きく見える。頭髪はもちろん眉まで真っ白で、皮膚は日に焼けたように赤銅色をしている。口元と目は、篠山が想像していたとは逆に、柔和さを漂わせており、受ける感じは好々爺の隠居といった趣だった。

 篠山は前置きもなく合川を捜していることを告げ、昨日片倉と一緒に来たはずだという。
 矢沢は怪訝な顔をして合川という男など知らないと答えた。

「それでは片倉惣一はご存じでしょう」
 矢沢は知っていると答え、のんびりした口調で、
「昔、私の部下だった。確か今は保険会社に勤めているといっていたが‥‥‥」と続けた。

「最近会ったことはありませんか」
「今年の夏に逢いましたな」
 箱根に保養に来たといって挨拶にきたそうである。年に一度くらいはここに顔を出すという。

 篠山は矢沢の顔をじっと見つめていた。顔には只の世間話をしているといった表情しか窺えない。
 篠山は話を変えてFGの話を持ち出した。

「確か、専守防衛に異論を唱えて、お創りになったとか聞きましたが」
 矢沢は一瞬驚いたような表情をしたが、すぐに大きな声で豪快に笑い出した。

「よくご存じですな。しかし、昔話です。私が退役した後、解散になりましたよ」
「地下に潜ったと聞きましたがね」

 篠山は反応をうかがった。
「それは初耳ですな」
 篠山には矢沢がとぼけて芝居をしているのか、本当に今のFGについて知らないのか、判断出来なかった。

 家の中に片倉や合川が潜んでいる気配などは全くない。もっとも彼らには篠山達が来ることは予想できなかったはずだから、二人が居れば表に車が止まっているだろう。何処かに隠れているなどとは考えられなかった。

 篠山と富沢は当てが外れて車に戻った。
「空振りですね。どうします」
 富沢はエンジンを掛けずに隣に座っている篠山を見た。

 篠山は考えていた。何処となく腑に落ちないように思う。矢沢が話したことに矛盾があるとか納得がいかないとかなどではなく、会話自体に違和感があったような気がするのだ。

「矢沢は以外にあっさりとFGについて認めましたね」
 富沢はタバコに火をつけた。
 そうだ、あっさりし過ぎているのだ。

 矢沢は合川など知らないといい ながら、合川について何も質問しなかった。普通ならその男は何をしたのか、どうしてなのかなどと聞き返してくるものだ。

 もちろん、こちらの質問にだけ答えて何も尋ねない人もいる。しかし、矢沢くらいの年寄りになると、十人が十人ともこちらの質問に、逆に尋ねてくるということを長年の経験で知っていた。

 それに、老人は例外なく話好きである。ちょっとしたきっかけから話を横道に逸し、それをとうとうとしゃべるのが普通である。

 先ほどの矢沢には全くそれがなかった。
 おそらく、他に気になることがあるからそれどころではなかったのかもしれない。

「やはり矢沢は合川を知っているな。箱根の何処かにいるのかもしれん」
「箱根といっても広いですよ。我々だけで探すのは無理ですね」
 富沢は窓を開けタバコの煙を外へ吐いた。

「矢沢が夏に片倉が保養に来たといっただろう」
「ええ、だけどそれだけではどのホテルに泊まっているか判りませんよ」
「周りを見てみろよ。企業の保養所だらけじゃないか」

 富沢はフロントガラス越しに辺りを見渡した。
「昭興生命も強羅に、いや、箱根の何処かに保養のための社員寮を持っているかも知れない。彼らがいるとすればそこだ。矢沢のところへ泊まる必要はない」

 富沢は車のエンジンを掛けた。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 矢沢は篠山と富沢が帰った後もそのままソファに座っていた。眉間にしわを寄せ、先ほどとは打って変わった厳しい表情を見せていた。

 刑事達ははっきりとはいわなかったが、合川を殺人容疑で追いかけているらしい。ということは、田上洋介を殺したことが露見したに違いない。

 報告では非常にうまくいっており、誰も事故として疑わないはずであった。どうしてそれがばれてしまったのか知りたかったが、矢沢としては刑事達に尋ねるわけにはいかなかった。企画の実行に邪魔な田上洋介の殺しは出来たら避けたかったが、社外からの圧力では如何ともしがたく、やむをえない処置であったと思っている。

 大の虫を生かすためには小の虫の犠牲は付きものなのだ。
 トラブルが続いているが、企画の中止は絶対あってはならない。

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