二、

 窓から夕日が差し込んでいる。女子社員がそれを遮るためにカーテンを下ろす間、三人の議論は中断した。

「何故、ゴッドLの採用は危険なんだね。これほど便利な言語はないと思うがな。初期のプログラミングをするだけで、一ヶ月で工場が可動になるんだよ」

 重田専務は田上をにらみつけて言った。
 いつも慇懃無礼な態度をとるこの男を好きになれない。田上の妻は社長の姪にあたる。そのことを彼が相手に意識させるように振る舞うのも気に入らなかった。

「確かに、ゴッドL言語の自己プログラミング機能は素晴らしいと思います。しかし、一ヶ月と言うのは全くミスがなく旨く行った時の数字ではありませんか」
 田上企画設計部長は慎重に言葉を選んで続けた。

「そうだが‥‥‥、今までゴッドLを採用したプロジェクトは全て成功しているそうではないか」
 重田は肘かけから腕を持ち上げ脚を組み直した。田上の顔には皮肉っぽい笑みが浮かんでいる。
「確かに成功してます。それで注目されたのです」

「それがどうして‥‥‥」
 重田にはその笑いの意味が理解できない。組んでいた脚を解いて身を乗り出した。

「今まで成功したアメリカのECEも日本の大武工業の場合も、もっとプロジェクトが小さいものでした。しかし、我々が今回目論でいるプロジェクトは、巨大な製造工場の一切がっさいを制御しようとしているとてつもない大きなものです。もし誤った方向にプログラミングされると、その修正過程は比較にならないくらい膨大な費用と時間を喰うことになります。」

 田上はそこまで一気に言って、おもむろに背筋を伸ばし背もたれに寄りかかった。

「しかし、従来の言語でプログラミングしたら三年もかかるそうではないか。それでは何のために現在工場を建てているのか意味がない。この時期になって予定変更は首をくくるようなものだ」

 重田は口から飛んだ唾が膝にかかったのに気付かないほど興奮していた。

「ですから、先ほども言ったように、現在、東富士工場で動いているプログラムを書き換えて暫定的に使うのです。これなら一ヶ月でできるはずです。そして、数年掛けて当初目的の稼動に持っていけばよいのです。これは四年前たてた最初の方針通りではありませんか。それを専務、昨年建設を始める直前になって‥‥‥。失礼、これは社長も同意したことでしたけれど」

 田上は社長の顔をうかがう。イタリア製のレザー張りの椅子に座った社長の園島は小さくうなずいた。田上は園島が発言するかと待ったが、そうではないと判ると更に続けた。

「私がこうして懸念するのは採用したハードの機種にも一因があるのです」

「スーパーZ5−TAROがかね。もともとこのコンピュータの開発は日本が米国のクレイ社に対抗するため国家的プロジェクトを組織して始めたもので、それを受け継いで製作した葵精工が世界に先駆けて発表したスーパーコンピューターだよ」

「それは知っています。たぶん、スーパーだけでは不足でしょう。超、ウルトラ、スーパー、全部付けてもいいかも知れませんね」

 田上は再び薄っすらと笑みを浮かべた。
「葵精工の言う能書は全て信用していいでしょう。しかし、一つ問題があります」
 重田は何だと尋ねる。

「このコンピューターを我が社が他に先駆けて使用するということです」
「そんなことはない。既に防衛庁が試験採用しているというではないか」
 重田は立ち上がって二人の前を歩き始めた。

「あれは試作品です。しかし、問題はそれではありません。Z5−TAROとゴッドLを組み合わせて使うことが問題なのです。機種だけを考えたら、私も賛成します」

 重田は立ち止まって田上を眺め、それから椅子に戻った。彼の言っていることを理解しかねた。
「専務も葵精工の説明を受けたので、御存じのはずですが‥‥‥」

 田上は重田を見下すように胸を張り言葉を続ける。
 スーパーZ5−TAROは従来のコンピューターと決定的な違いがある。

 普通コンピューターのアルゴリズムは二値論理演算法と言われるブール代数に基づく二進法で演算が行われる。即ち白か黒か、イエスかノーかまたは0か1かで判断され演算がすすむ。

 ところが葵精工のZ5−TAROのアルゴリズムは多値演算法である。
実質は三値演算法なのだが、状況によってアルゴリズムが変わるので、多値演算法と言った方が適切だ。

 即ちイエスかノーかの中間の値をとることも可能なのだ。
 これは何を意味するかと言うと限りなく人間の思考法に近付いているということであり、素晴らしいコンピューターと言えるだろう。

 しかし、欠点がないわけでもない。
 Z5−TAROはリアルタイム処理を超高速で行うことを最優先に考えられて創られたコンピューターなので、ジョセフソン素子の材料が超電導体で構成されている。だからコンピューターを低温に保たなければならない。

 でもこれだけならあまり問題はない。
 この秘められた能力を引き出すのがコンピューター言語であり、複雑な言語ほどコンピューターの能力を引き出せる。

 ゴッドLのような方向を定める初期のコードを与えるだけで、自己学習してアプリケーションのコードを作成する言語でも、その言語自体を創るのは人間がやらねばならない。

 そして、複雑で高性能な言語になるほど創るのは難しくなるもので、製作者が考えもおよばないバグが発生する可能性は否定できない。

 大武工業やECEの場合はIBMのコンピューター上のゴッドLで開発されたものだが、それでも言語のバグに結構悩まされたと聞いている。

 ゴッドLをZ5−TARO上で走らせるようにするにはIBMのコンピューター上で走らせるよりもっと難しかったはずだ。葵精工の技術を云々するつもりはないが、IBMの例からも想像が付くと思う。

 もし稼動時にバグが発生すれば、工場全体がその時点でストップしてしまうのだ。そうなった場合、全システムをチェックし再稼働に持ち込むまでに莫大な損害を蒙るだろう。想像しただけでも恐ろしいことだ。

 重田は旗色が悪くなっているのを認めざるをえなかった。このままでは田上に押し切られてしまうのは目に見えていた。

 半月後に迫った取締役会議で最終決定されることになっているが、それに先立つ株主総会で田上は常務取締役になることが内定している。平山、高部、島田の三常務は田上に丸め込まれており、他の取締役も同様だとみて間違いない。

 しかし、重田はZ5−TARO上でゴッドLを走らせねばならないのだ。頼みは社長の園島である。重田がZ5−TAROの採用を提案したときも、危ぶむ連中を押さえて賛成してくれたのは園島であった。

だが、今度は姪の婿が相手である。期待する方がおかしいかも知れなかった。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 田上は地下の駐車場に向かった。腕時計を見ると午後九時をまわっている。羽田にある自宅に帰り着くのは十時を過ぎてしまいそうだ。車に乗り込み、すぐに発進させた。

 田上の車が出口に向かう角を曲がると、数ブロック離れた柱の陰から白いセダンが静かに発進して後に続いた。
 田上は首都高速に車を乗せた。

 考えていた以上に重田をやり込めることができたので、今日の結果に大いに満足している。新工場の建設に関して重田が主導権を握ることはどうしても防がなければならない。

 重田は富士オートマトンの筆頭株主である昭興生命からの派遣役員なのだ。そして、いま建設している工場は、富士オートマトンにとって将来メイン工場になるはずである。

 その建設に外様の重田専務が音頭をとって成功したとなると、昭興生命の発言力がこれ以上に強くなるおそれがあり、次期社長の椅子を狙う田上にとってそれは好ましくはない。

 昭興生命の後押しで、もし重田が一時的にでも社長に就くことなどがあるとすれば、社内の勢力はどう変わるか知れたものでない。

 先ほど重田を黙らせた話は一種の詭弁であり、田上はそれを承知していた。技術屋出身でない重田を黙らせるには、畑違いの分野の議論に持ち込むのが最上の戦法なのだ。それで重田を旨くはめ込むことが出来たと思っている。

 実際、田上自身はゴッドL言語にそれほど危懼を抱いているわけではない。葵精工の技術は定評がある。従って、重田に話したようなトラブルが起こる確率は非常に低いとみていい。

 恐らく、殆ど起こり得ないだろう。しかし、絶対起こり得ないと言い切れないのも事実だ。そこに重田は旨く引っかかってくれた。

 実際のところ人間がプログラミングする手間を考えたら、多少のバグがあってもゴッドLに任せた方が遥かに効率がよいのは確かなのだ。田上は工場が稼動したら頃合を見て、ゴッドLの改良が進んだからと言って採用するつもりでいる。

 現在、社内にはゴッドL言語を扱えるプログラマーがいない。それ迄には誰かに覚えさせなければならないということも懸案の一つだ。切り替えは社内でゴッドLを扱えるようになってからでなければならないだろう。

 車は小松川方面への分岐点に近付いている。合流車が増えてきた。二台ほど前に大型トラックがいて前がよく見えない。
 重田が人事のことで言っていたことを思い出した。

 新工場へ配置される人員の選択を、田上は人事部長の橋詰と共に任されている。重田が東富士工場にいる多賀三郎をその人選に加えろと言っていたと橋詰に聞いた。

 橋詰は「どうだろうか」と田上に相談をしてきた。
 多賀三郎は二年前まで、企画設計部の田上の下で勤務していた社員だ。

メカトロニクスの技術者としては平均以上の知識と技術を持っているが、田上としては使い辛い部下であった。同僚達とは外見上は旨くやっていたが、何処となく一匹狼的臭いがする男なので、企画設計部には向いていないと判断し、東富士工場へ転出させたのだ。

 一度、何か企画案を提出してきたことがあったが、どんな内容だったか記憶にない。企画案などは年に掃いて捨てるほど田上のもとに提出される。内容を一つ一つ覚えてはいられない。

 田上は多賀三郎を人選に加えてもいいとは橋詰に言わなかった。重田が何故多賀を新工場のスタッフに加えろと言ってきたのか判らなかったが、できるだけ新工場への重田の影響力を小さくするため、その要求を入れるわけにはいかないと思ったのだ。

 車は小松川の分岐点を過ぎ、銀座方面へ向っている。
 大型トレーラーが一台置いた前をゆっくり走っていた。
 遅いな‥‥‥。田上は苛立ちを覚えた。

 右側の車線を後からきた車がどんどん追い越して行く。そちらの車線に割り込もうと様子を窺う。前の車が僅かな隙を見つけて右側へ移って行った。

 田上も続いてと思ったが、後ろから来た白いセダンに邪魔をされてしまった。
 目の前にトレーラーのテールランプを見て、暫く走った。右側の白いセダンは同じ速度でずっと並走している。

「何をしてるんだ。早く行け」
 田上は癇癪を起こしてつぶやいた。それが聞こえたかのように白いセダンはスピードを落として後ろへ下がり始め、僅かに隙間ができた。

 田上は素早くアクセルをふかしてそこへ割り込んだ。同時に、後ろにつけていたワゴン車も続いた。

 スピードを上げてトレーラーの追い抜きにかかる。前方には一台の車も見えない。運転台のすぐ後ろまで来た時、トレーラーが急にスピードを上げて田上の車にのしかかってきた。本能的にハンドルを右に切りブレーキを踏んだ。

 後ろに続いていたワゴン車はブレーキを踏む間もなく、田上の車のお尻に突っ込み、田上は衝撃で座席に押え込まれ頭を打った。トレーラーの後輪が不気味な音を立てて車のボデーを削っていく。田上はゆっくりと躯が左から持ち上げられるような感じがした。フロントガラスが粉々に砕け散り、その向こうからコンクリートの壁が迫ってきた。

 トレーラーのテールランプが見えなくなった頃、二台の車は小さな爆発音と共に燃え上がり、その脇を白いセダンがスピードを上げて走り抜けて行った。

目次次へ