二十、

 伊滝達は用心深く樹林帯から出ないようにしながら、裾山に向かっていた。

 南下するに従い、木は次第に少なくなっていき、放牧地に出た。雪で真っ白な地表が波のように重なって見える。

 雪はまだ降り続いていた。

 三人は用心しながら、地形の低いところを選んで進む。もう、裾山の集落が見えて来る頃なので、低地から出て姿勢を低くしながら高いところへ登った。

 裾山の方向に煙が上がっているのが見えた。
「まさか、奴らが‥‥‥」南井がいう。
 伊滝もそう思った。奴らが裾山を襲ったのかもしれない。

 裾山を迂回して行くことにした。
 更に、三人は黙々と雪の中を歩き、裾山から御殿場に通じる道路に出た。積もった雪の上に、通ったばかりと思われるタイヤの跡が無数についていた。

 伊滝はなんとなくほっとした気分になり、昨夜からの緊張の疲れがどっと出てきた。

 もう、輸送ヘリとの会合時間は過ぎており、また、連絡しようにも無線機はなかった。この道を歩いて駐屯地に帰るしかないが、もし、車が通りかかったら便乗してもよいと思った。

「少し休憩しよう」
 伊滝は道の脇にあった岩に腰を下ろした。冷たい感触が躯に伝わってくる。辺りには雪を被った岩が沢山転がっており、南井と上田も同じように雪を払って座った。

 伊滝は携帯食料を取り出した。それを見て上田二曹も食べ始めた。
 道路の近くに腰を下ろした南井はじっと何かを考えているようだった。
「三佐、あれは何だったのですか」突然、南井が言った。

 伊滝は黙って顔を上げた。
「昨日、駐屯地を出た時は十二人でした。しかし、今ここにいるのは我々三人だけです。私には現実のことだったとは思えません」

 確かに悪夢のようだ。でも、九人が死んだのは紛れもない事実だった。
「しかし、現実だ」
 伊滝は無表情を装っていった。

「伊滝三佐、あなたは知っていたのではないんですか。我々があの怪物に遭遇することを‥‥‥。あなたが命令を受けたという一佐は、三佐、あなただけしか会っていません。あなたはその一佐からあの怪物のことを聞かされたが、黙って居ろといわれた。そうでしょう。あなただけが知っていたんだ。初めの一匹をやったとき、あなたは迷わずあの戦法をとった。それは前もって教えられていたからだ」

 南井の口調は激しくなり、伊滝を睨みながら勢いよく立ち上がった。
 その拍子に、立てかけてあった無反動砲が倒れて、後ろの雪に覆われた角のない丸い岩にあたった。その岩は回転するように僅かに動き、覆っている雪にひびが入った。

「あなたは奴を一目見て戦闘ロボットだといった。事前に知っていたんだ。奴は武器開発部が新たに作った新型兵器に違いない。我々はその性能テストのモルモットにされたんだ。九人はそのために死んだ。幸い私は生き残った。私は帰ったらこのことを糾明します。一佐と、伊滝三佐、あなたも‥‥‥」

 伊滝は脇に置いてあった銃に手を伸ばした。
 南井は更に興奮して伊滝に非難を浴びせていた。彼の後ろで何か異常が起きているような気がしたが、伊滝の場所からでは彼の陰になってよく見えない。

 上田二曹も気づいて立ち上がった。
 雪を被った角のない岩の地面に接する辺りから、はさみのように二股に分かれて尖った先端を持つ棒が、くねるように伸び出すのを上田二曹は見ていた。

 同じようなものを佐川一曹がやられたときに、ちらっと見たのを思いだした。
「南井二尉」上田二曹が叫んだ。

 それは鞭のようにしなり、目にも止まらぬ速さで南井の背後を襲った。
 伊滝は南井の胸の真ん中から血だらけのはさみが飛び出すのを見た。

 しゃべり続けていた南井の声は、ごぼごぼという水をくぐる泡のような音になり、目が飛び出すほど大きく開かれ、口から血が溢れてきた。

 次の瞬間、南井の体はフワーッと宙に浮き、地面に投げ出された。
 後ろの雪の中から、Vの字を逆さにした黒い棒が二つ立ち上がる。
 更に続けて二つ、そして中央の雪を被った岩が空中に持ち上がった。

 雪が滑り落ちて、二層のお供え餅の形をした透明ドームが現れ、南井の躯を刺し貫いた触手のような腕がドームの下端に吸い込まれるように収まっていった。

 既に、レーザーを出す裂け目が伊滝の正面を向いていた。
 無反動砲は奴の足元に転がっていて、手には六四式小銃しかない。

 伊滝は無駄だと思いつつも、ドームをめがけて弾倉が空になるまで撃ち続けた。連射音と共に弾の跳ね返る乾いた音が響く。

 伊滝は覚悟して、そのままの姿勢で奴がレーザー銃を撃つのを待った。

しかし、奴も動かず、じっとしている。こっちが動くのを待っているのだろうかと思いながら、奴から目を離さずにゆっくりと空の弾倉を外し、新しいものにさしかえようとした。

「伊滝三佐」
 上田二曹が震える声で呼びかけてきた。
 奴の様子がおかしい。ドームが小刻みに震えるように上下している。突然それは大きな音をたてて地面に落ちた。

 そのまま暫く眺めていたが、何の動きもない。
 上田二曹が近付いて行く。
「気を付けろ」伊滝が注意する。

「大丈夫みたいです。死んでますよ」
 伊滝も側へ行く。
「弾がこの隙間から入ったみたいですね。ほら、ここがひしゃげてます」

 レーザー発射口の中の金属がめくれている。
 小銃弾の一発がその裂け目からドームの中に入り、跳弾となって中のメカの一部を壊したらしい。

 奴にも弱点があるようだ。小銃の射撃を受けると物陰に隠れたり、嫌がるように振舞うのはこのせいかもしれない。自分の弱いところを知っているのだ。

 しかし、幅二センチにも満たない溝の中などへ狙って撃ち込めるものではない。伊滝は運がよかったと思う。

 倒れている南井の体から出た血が雪を真っ赤に染めている。伊滝はその傍らに片膝をつき、彼の開いている目を抑えて瞼を閉じさせた。

 この戦闘ロボットを誰が作ったにせよ、南井のいったように、我々はモルモットになったのかもしれない。伊滝は奴と最初に戦闘を交えた時それに気付いたが、受取り方は南井とは違っていた。

 自分は職業軍人の道を選んだのであり、戦うために国に雇われたのだ。
どんな形で命令を受けたとしても、戦えといわれたら戦うのが軍人の義務だと思っている。

 自分の理想とかけ離れたものだと判っていても、義務は果たすべき時は果たさなければならない。その場になって理想とは違うと後込みするのは責任感のない卑怯者のすることである。

 もし、抗議することがあるなら、改めて立場を変えてからするのが本筋だと思う。

 このまま無事駐屯地に帰れたとしても、伊滝は今度のモルモット作戦をことさら抗議するつもりはない。この作戦に自分が選ばれなかったら他の誰かが選ばれたのだ。その時、自分はこの作戦に抗議するだろうか、まずはしないだろう。それが理由だった。

 南井二尉を初め死んだ九人の考えは皆違うだろう。しかし、彼らが死んだ責任の一端は彼ら個々にもある。

 こんな境遇に自分自身を持ってきたのは、間違いなく彼ら自らの軍人になろうという意志から出たことなのだ。

 もちろん、彼らの死にはあの一佐にも、そして伊滝自身にも責任がある。それを逃れるつもりは毛頭ない。

「早く移動した方が‥‥‥」上田二曹が心配そうに周りを見回していた。
「そうだな」伊滝は立ち上がった。
 最初に一匹倒したときも、その後、奴らが何匹もやってきた。奴らは互いに連絡を取り合っているのかも知れない。早くこの場から遠くへ離れるのが賢明だろう。二人は南井の遺体をそのままにして、道路沿いに御殿場方面に向かって歩き出した。

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