三十、

 先に降りて食堂にかたまっていた八人を連れて、荷受け場を通り、昨夜侵入したフェンスから工場を出ると、甘粕と睦美が茂みの中で待っていた。既に、ヘリボーン作戦が失敗したことを知っていた。

 工場を脱出できたのは総勢十七人だけで、睦美を入れて女性が三人、子供が二人いた。

「ここに居ても、すぐには救援は来ないから、自力で逃げるしかない」
「西へ逃げた方がよさそうだ」甘粕が言う。

 多賀もそう思った。東側の方は、MTAが活動し易い草地や潅木帯が多く森林帯が少ない。それに較べると西側は一部天然のブナ林が残っている桧の大森林地帯で、運悪くMTAに遭遇しても、木立の中を逃げ延びられる機会がある。

 一行は西へ向かって歩き始めた。
 工場の近くはまだ雑木林が続いている。MTAが通りそうもない下生えの多いところを選んで歩いて行く。

 天候は良くなりそうな気配は全くない。今朝がた風が出てきた時は良くなると思ったのだが、予想は外れてしまい、木の間から見える上空は、逆に今にも降ってきそうな雲行きだった。

 しかし、肌に感じられる空気は昨日より暖かく、雪にはならないだろう。

 後ろを振り返えると、歩き辛い下生えの中を全員が黙々とついてきている。睦美は疲れきった表情ですぐ後ろを歩いていて、甘粕は怪我をした脚を引きずっている。そして、宮坂は子供を背負っていた。

 人質の半数以上は死んでしまった。

 屋上から見たその光景がまだ眼に焼きついている。あの人達はただ偶然富士オートマトンの社員だったから、そしてその家族だったからという理由だけで人質になり、あんな惨い死に方をしたのだ。

 多賀がラグビーを断念して富士オートマトンにこなかったらあんな目に逢うことは無かっただろう。自分がたった一度現実に目を背け逃避したばかりに、そしてささやかな野望を持っていたために、彼らはその犠牲になってしまったのかもしれない。

 確かに多賀の発案した当初のMTAは実現しなかった。しかし、時と形を変えて、多賀の意志に関わりなく現れ、それは個人の手でどうしようもできない流れであったかもしれないが、取り返しようもない悔恨でもあった。

 もし、ここから無事に脱出できたら、多賀は東京へ帰ろうと思っている。いまの多賀にはMTAもメカトロニクスの技術者というプライドも色あせたものになっており、もう富士オートマトンにも未練はなかった。祐子の希望通り呉服屋になって、時々好きなラグビーを楽しむ生活もいい。早く祐子の喜ぶ顔が見たいと思った。

 しかし、そうなるにはこのMTAとの闘いをノーサイドに持ち込まなければならない。そして、残った人達を、何としても無事にこの裾野から連れ出すつもりだ。

 暫く行くと雑木林が終わり、桧の植林帯へ入った。葉や枝が日差しを遮り地面まで届かないので下生えが少なくなり、赤土が露出しているところが目につきだす。

 地形は起伏が激しくなり、その上薄暗くて前方が殆ど見通せない。

 手に持ったスキャナーの音を聞きながら進んでいく。MTAの気配は全くなく、ずっとこのままで、方向さえ間違わなければ、今日中にも脱出できそうだ。

「多賀さん」
 しんがりを歩いていた戸川が木立を縫って走ってくる。

「どうした」
「誰か、我々のあとについて来てるみたいです」
 戸川が下生えの薮を抜けて桧の林に入った時、後ろでまだ薮をかき分けている音がしたという。

「MTAじゃないでしょうね」
 スキャナーはMTAが近くに居る兆候は示していない。
「我々の他に脱出してきた者がいるのかな」

「いや、いないはずだ」
 多賀が言う。屋上から降りて来るとき各階に声をかけて、残っている者が居ないか探したが、誰も居なかった。

「私達がかき分けてきた潅木が元に戻った音でしょう」
 睦美が言った。

 たぶんそうだろう。しかし、万が一と言うこともあるので、戸川に後ろに気を配っていてくれと頼んだ。

 急な上りと下りを繰り返し、林の奥へ更に踏み込んでいく。地面が湿っていて滑り易く、誰もが何度も転び泥だらけになった。

 そして、悪いことにとうとう雨が降ってきた。
 多賀は工場から早く離れたいと思いかなりの速度で歩き続けていたので、みんな遅れがちになっていた。

 甘粕が急な下りで滑って膝を打ち顔をしかめる。
「少し、やすみましょう」睦美が言った。
 長い間、食料がない状態だったので誰もが体力が消耗しきっている。

 雨のかからない枝の密生している下に、落ちている枯れ枝を集め、全員をそこで休ませることにした。

 多賀は小高い場所に上り、いま通過してきた木立の方を見透かす。地面の激しい起伏と密集した樹木のため、三、四十メートルほど先しか見通すことが出来ない。

 木立の合間に何か動くものがないか懸命に目を凝らした。
「何を見てるのですか」
 戸川と一緒に甘粕が脚を引きずりながらやってきた。

「何でもない。無理せず休んでいろよ」
「大丈夫です」
 甘粕は先刻のことで戸川が変なことを思いだしたという。

「何を‥‥‥」
「実は、一昨日の晩、私が工場を抜け出そうとしていた時、戸川が人影を見たのです」

 その時は、君元達三人のうちの誰かだと思っていたが、後で液体窒素の製造室で彼らの死体を見つけ、三人はずっと以前に死んでいたことが判った。

 すると戸川の見た人影は誰だったのか。

 寮の人達はMTAに見張られていて工場にはいけなかったし、工場の近くの生き残った住民だったのかもしれないが、それならMTAの見張りが居なくなった後、我々が工場に行ったとき姿を見せるはずだ。

 そして、我々は、そのあと工場中走り回ったが、MTA以外は他に誰もいなかった。

「あの時見たのは間違いなく人影です。MTAではありません。その人間が我々の跡をつけているのかもしれません」
 戸川が気味悪そうに言う。

 多賀は暫く沈黙していたが、やがて口を歪めていった。
「じつは、私も見たんだ」

 近藤一佐と話中、電話の回線が切れて事務所に行った時それを見たことを話した。その時はちらっと見て、MTAだと思い込んでいたのだが、先ほど、戸川から誰かが跡をつけてくると聞いて、ふとそれを思いだし、そして、もう一度よく考えてみると、あの時見たのはMTAではなかったような気がしてきたのだ。

 一瞬ちらっと見えて隠れた影は、いま思うと明らかに人影であった。それで気になったのでここにきて後ろを眺め透かしていたのだった。

 しかし、我々以外に人が居ることは考えられない。もし居るとすれば何の目的があって‥‥‥。

 多賀は出発の合図を出した。
 雨は激しく、大量の滴が木の枝を伝わって落ちてくるようになり、衣服が濡れ出して、体温が奪われ寒くなってきた。

 多賀は子供達のことが心配になり、立ち止まって後ろを見た。二人とも父親に背負われている。

 多賀が屋上に助け上げたのは厚生係の鈴木の子供だった。顔は知っていたが、それが鈴木の妻子だったことを初めて知り、自分が今まで社員寮内の家族に無関心だったことをあらためて認識した。

 そのことを側にいる睦美に話すと、
「私も隣に住んでいる人を知らないわ」と言って笑った。
「それより、いま何処を歩いているか、判っているのかしら」
 睦美は多賀を見上げていう。

「いや」
 既に工場を出て五時間以上歩いている。多賀は西の方向にただまっすぐ向かっていただけだ。工場からかなり離れたところに居ることは間違いない。

 睦美が前へ出て周りを見回したが、どちらを見ても、薄暗い桧の木立ばかりで、いくら裾野の地理に詳しくとも判るはずがなかった。

「ほら見て‥‥‥。ここに、足跡があるわ」
 睦美が屈んで地面を指さした。

 地面を引っかいたような跡があり、確かに足跡である。それも新しい。さらに、周りに幾つも見つかり、はっきり靴底の模様がついている足跡もあった。

 大勢の人が最近歩いて行ったらしく、一行が進む方向に行っている。
 西から侵入してきた自衛隊かもしれない。多賀は歩調を早めて先に行こうとした。

「ちょっと待って‥‥‥」
 睦美がおかしな事を始めた。足跡と自分の靴を較べている。
「いやだ‥‥‥。これ私の足跡だわ」

「えっ、まさか‥‥‥」
 睦美は間違いなく自分の足跡だと言って、近くにある別の足跡を多賀の靴底と較べるように指示した。

 多賀は自分の靴跡とぴったり一致する足跡を探し出した。
「リングワンダーリングだわ」
 我々は環状に同じ場所を彷徨していると睦美は言う。

 広大な砂漠や雪原のような何の目印もない場所では、人間はまっすぐ歩っているつもりでも、必ずどちらかに曲がってしまう。そして、人に依って方向は決まっているから、円を描いて彷徨する。

 この桧の森林帯も木の太さの違いは見られるが、同じような木立が続いていて、方向の目印になるようなものは全くない。

 同じ裾野でも、富士に近い方のように、地形の傾斜が一方的についていれば、方向は判る。しかし、今、多賀達が居る場所は富士山の傾斜と愛鷹山の傾斜がぶつかったところで、複雑な地形をしているが、平均すると殆ど傾斜のない場所であった。

「我々はどのくらいの円を描いて、さまよっていたんだ」
「普通は半径数キロと言われているわ」
 すると十キロから二十キロくらいの間をさまよっていたことになる。

 人に依って、またその人の疲労度に依っても、描く円弧の大きさは異なる。人間は歩き続ければ、疲労が重なって、その度に曲がる角度はまた異なるので、常時同じ円弧を描き続けることは稀である。従って、前に歩いたルートを横切ることはあっても、全く同じルートを歩くことはまずない。だから、普通だったら気がつかずに更に歩き続けることになってしまう。

 しかし、我々は同じ円を描いて元に戻り、自分達の足跡を見つけた。

 運が良かったというより、多賀の疲れを知らない強靭な体力のなせるわざだと、睦美は思った。他の人が先頭に立って居たら、いまだに気付かず同じところをさまよい続けることになっただろう。

 多賀は右ききであり、従って、利き脚は左であるから右周りに円を描いて歩いていたはずだ。この彷徨から脱するには意識的に左へルートをとればいい。だが、現在自分達がどちらの方向に向かっているのか全く判っていない。

「日の当たる場所に生えている木があれば、方向が判るのだけれど‥‥‥」

 日当りの良いところに生えている木の枝は南側が大きく茂り、北側が短くなる。しかし、桧林の中は枝がびっしりと生い茂り、昼なお暗く、日の差し込む隙間もない。

 方向が判らないまま進路を変えても意味がないので、暫く、このまま進むことにした。
 戸川がまた走って多賀に追いついてきた。

「我々以外の足跡が両脇についてます。やはり誰か跡をつけているんですよ」
「何処にある」
「こっちです。反対側にもあるはずです。見て下さい」

 戸川の言う通りだった。前につけた自分達の足跡に平行してかなりの人数の足跡が続いている。なかには多賀達の足跡の上に重なっているものもあった。明らかに多賀達の跡を追っている。

「自衛隊の靴跡じゃないか」
 多賀が尋ねると、甘粕は黙ってうなづく。
 西からの自衛隊がここまで潜入してきたのだろうか。それにしては戦闘の音も聞こえず、靜か過ぎると思った。

 工場を離れた直後、戸川が聞いた薮漕ぎの音が彼らのものだとすると、既に自衛隊は工場の近辺に到達していたことになる。そして、あの失敗したヘリボーン作戦は何だったのだということになる。

「多賀さん、こっちに来て」
 ひとりで先に進んでいた芹沢が呼んだ。
 彼の指し示す木の根元に靴の裏が見える。近づいて覗くと、自衛隊員が倒れていた。

「死んでいる。頚が折れてるな」
 甘粕が頚動脈に手を当てて言った。
「こっちにもいます」

 他にも三人倒れているのを見つけた。全員、頚が折れて死んでいる。
 小銃が破壊されていた。とんでもない強い力で、叩きつけられて壊されたようだ。他に武器は見あたらない。

「MTAにやられたのかな」
「そうかも知れない」
 甘粕が破壊されていない小銃を見つけ、拾い上げた。

 多賀は手に持ったスキャナーのボリュームを上げてみたが、ただ雑音が聞こえるのみである。
 負傷しているため、顔色の良くない甘粕は更に青ざめた顔をして死体を見つめていた。

「食料を持っているかも知れない」
 芹沢が持ち物を探り、パック飯が十二個見つかった。全員に行き渡らないので、多賀達三人は遠慮して他の人達に配った。

 食べ終った全員を促して、出発しようとすると、
「この辺から別の方向へ行った方がよくないですか」と甘粕が言う。

 非常に具合いが悪そうで、顔が先ほどより一段と青ざめている。傷が悪化して熱でも出てきたのではないかと思った。

「熱があるのではないか」
「いや、大丈夫です。それより足跡をたどるのは止めましょう」
 できたらそうしたいが、方向が判らないまま闇雲に進むわけにはいかない。

「危険です。この人達が死んでも構わないのですか」
「いや」
 もう人が死ぬのは沢山だ。だから、工場から連れだした全員はなんとしても無事に脱出させたいと懸命になっているのだ。

 この先に味方の自衛隊がいるかも知れない。合流すれば、我々だけで行動するより安全である。だが、四人の隊員を殺したMTAも近くに居るはずなので、確かに、足跡をたどって行くのは絶対安全とは言い難い。

 迷っている多賀を強引に引っ張って、甘粕は進行方向を左にとった。多賀はいつもと違う甘粕に何かあると感じて、それに従うことにした。

 多賀は、再び、先頭に立ち、木立の中を進んでいく。
 三十分ほど歩くと前方が明るくなってきた。木立の切れ目らしい。
 沢に出た。幅が三十メートルくらいあり、両岸はきれいにはめ込みブロックで護岸してある。

 普段は涸れ沢であろうが、今は降る雨と雪解けが重なり、流れる水の量は多くなっている。

 この辺りの谷は西に向かって流れているはずだ。従って、多賀達は北西に向かって歩いていたらしい。

 護岸に沿って下り始めた。
 多賀は先刻の甘粕の態度が気になっていた。

 彼は四人の自衛隊員が死んでるのを見て蒼くなっていた。初めは自分の同僚が死んでいたのでショックを受けたのかと思っていたが、そうではなく、彼はあそこで何かに気がついたらしい。

 雨がますますひどくなってきた。
 多賀は休憩の合図をし、甘粕を木の下に連れて行く。
「何に気がついたんだ」

 甘粕はじっと多賀を見つめている。やがて、決心したように口を切った。

「死んだ連中を見たでしょう。小銃しか持ってなかった」
 甘粕は持ってきた小銃を目の前に差し出す。
「うん、そうだったな‥‥‥」

「彼らは西から潜入してきた部隊ではありません。たぶん、輸送ヘリでやって来た連中なんです」
 多賀もそうかも知れないと思っていたのでうなづいた。

 工場付近に、突然、彼らは現れたのだから、恐らく墜落したヘリと一緒に来た、もう一機のヘリに乗っていた部隊だろう。先行したヘリが墜落した後、別のところに部隊を降ろしたに違いない。

「奴らはMTAと戦うためにやって来たのではないかもしれません。もし、そうなら無反動砲を持っているはずです」

「えっ、何故?」
 考えてもいなかったことなので、思わず聞き返した。
「確信はありませんが、近藤一佐ならやりかねないと考えたんです」

 甘粕は近藤一佐の下で四年間働いていた。何事も感情を交えず、事務的に物事を処理する一佐をその間ずっと見ている。そして、自分が良かれと思ったことは非情なまでに即断で決定する。それがまた、一般大学出身の近藤一佐をあそこまで押し上げたともいえる。

 多賀は甘粕が考えていることが判ってきた。
 すぐには信じられないが、それが事実なら、恐ろしいことだ。工場の人達はただ人質になっていただけではないか。

「私だって、多賀さんから片倉の話を聞いてなければこんなこと考えもしなかった。しかし、彼らが小銃だけしか持たなかったのを見て、もしかすると‥‥‥と気がついた」

「あれで、全員ではないだろう。他の隊員が無反動砲を持っていったのかも知れない」
 甘粕は頚を振る。

「彼らが倒れていたところは足跡も乱れていなかった」と言うことは、彼らは不意を襲われてやられたのであり、本隊はそれに気がつかずに前進して行ったとみていい。

「やられた連中は、隊のしんがりにいたのです」
 だから、彼らが持っていた無反動砲を別の隊員が持って行ったとは考えられない。彼らは最初から持っていなかったと考えるべきだ。

 多賀は一緒に山頂へ登った伊滝の隊を思い浮かべた。あの時はMTAと戦うため二人に一門の無反動砲を所持していた。

 MTAに対する普通科部隊はそういう編成をとるようになっているとすれば、ヘリボーン部隊も当然同じ編成をとっているだろう。

 ところがあそこに死んでいた隊員は、四人とも小銃を所持していただけだった。甘粕の指摘通りだとすれば、我々の跡を追っている隊は無反動砲を持たない可能性が確かにある。

「しかし、MTAがいる真只中に、小銃だけしか持たずに来るのは無謀だ」
「だから、彼らが送り込まれた目的は我々の抹殺です。我々の跡を追っていたのは確かですからね」

「しかし、そんな重大なことを僅かな時間の間に決断できるものだろうか」
 多賀は信じかねた。

「一佐ならやります。多賀さんが話してくれた裾山事件のことを思いだしてみてください」

 確かに、人の命を何とも思わず、只の道具に使うやり口は既に裾山事件の前例がある。

 それが真実なら大変だ。こんなところでぐずぐずしては居られない。我々はここまで自分達の通った痕跡をずっと残してきている。跡を追って来るのは簡単だ。

 多賀は目の前の沢を見て、これを渡って逃げたら足跡が消せるかも知れないと思った。渡ったことをいずれ悟られるとしても、逃げる時間稼ぎにはなる。

 だが沢の水量はかなり多くなっており、簡単に渡れそうなところは見あたらない。

「だいぶ水が増えたみたいだな」
「ここだけですよ。ほらあそこを見て」
 甘粕の指さす下流を眺めると、大きな石に挟まって流木が何本も重なっているのが見えた。

「あそこでせき止められているので、ここだけ水が貯っているんです」
 流木と石でせき止められ、自然のダムができているらしい。沢を渡るにはもっと下流に行かなければならない。

 しかし、本当に彼らは我々を抹殺するために追っているのか。何故そうしなければならないのだ。
 もし、甘粕の懸念が正しいなら、思いあたる理由は唯一つしかない。

 多賀が篠山刑事と一緒に、箱根の片倉のところに行ったことが判ってしまったに違いない。

 吉永一尉がその気になれば、知るのは簡単なことである。警察の調書を見るまでもなく、小田原署まで出向いて尋ねるだけでいい。

 そして、裾山事件の真相を多賀が知っていることは容易に推測できる。
 しかし、これを知っているのは多賀だけではなく、篠山刑事も‥‥‥、と言いかけて多賀は言葉を止めた。

「なんですか」
「いや、もしかすると篠山刑事は死んだのかも知れない」

 篠山が小田原の病院で、あのまま意識を取り戻さずに、亡くなってしまったとしたら、そして、伊滝三佐や上田二曹が死んでしまった今は、唯一人真相を知っている人間は多賀だけだった。

 しかし、多賀の知っているのは又聞きの事実で、何の証拠もない。そんな事実でも、近藤一佐が洩れるのを恐れているとなると、確かに工場の人質だった人達も抹殺の対象になるだろう。多賀からそれを聞かされている可能性があるからであり、事実、そのことを甘粕と睦美は知っている。

 だが、まだ信じられないと言う気持ちも残っている。
 本当に追っている部隊が、我々を抹殺するためのそれなのか。そして、MTAが居る真只中に本当に小銃だけしか持たない部隊が送り込まれたのかということだ。

 どちらも跡を追っている部隊に追いつかれれば判ることだが、そういうわけにはいかない。

「彼らも一佐にとっては消耗品です。MTAはそのうちエネルギーが切れて動かなくなり止まってしまう。そうすれば、多賀さんが言ったようにMTAは自衛隊の手のなかだ。一機でも多く手に入れたいから無反動砲を持たせなかったのでしょう」

 エネルギー切れか‥‥‥。多賀は甘粕の言葉で気がついた。
「MTAはもう裾野には居ないんではないかな」
「えっ、どうしてです」

「我々はこの森林地帯をだいぶ歩き回った。でも一度としてこのスキャナーはMTAに反応してない」

 と言うことは、もうMTAはエネルギー切れで工場に帰ったか、それとも何処かで立ち往生しているのかもしれない。

 それ故、潜入部隊は小銃しか持ってこなかったとも考えられる。
 近藤一佐は電話で我々に真実を言わず、既に、裾野の戦闘は終結しているのかもしれない。

 そう考えると、話の途中で電話が切れたのも、一佐の意図したことのように思えてくる。電話はMTAとの激しい交戦中でも、ずっと通じていたのに、戦いが下火になった頃になって、突然、切れてしまった。どことなく不自然さがある。

 電話で他と連絡をとって、我々が状況を知るのを妨げたと考えていいのではないか。

 現在、自衛隊は包囲網を敷いて、MTAの完全なエネルギー切れを待っている状況かも知れない。

 そして、その間隙に、一佐は工場に残った我々を抹殺するためにヘリボーン作戦の芝居をうったのではないだろうか。

 甘粕は驚いたが、多賀の言う通りかも知れないとも思う。既に、工場にいたときからずっと長い間砲撃の音さえ聞いていないのだ。

「MTAが居ないのなら、無線が聞こえるはずだ。何処か見通しのきくところへ行ってみよう」

 我々を追って来る部隊と一緒にMTAが一機、工場からついて来たらしいが、一機くらいは居ても、離れていれば、無線に影響はない。

 多賀は出発することをみんなに告げたが、全員疲労こんぱいしているのでなかなか立ち上がらない。

 ようやく沢を離れて、林の中を再び歩き始める。MTAが本当に居なくなったのか確かめるために、道路の在る方向を目指した。

 桧の木立の中は相変わらず起伏が激しく歩き辛い。雨でなおさら滑り易くなっているので下るときは必ず滑って転んだ。

 前方が再び明るくなり、かなり広い伐採跡地に出た。既に植林がされており、桧の若木が枯れたススキの中に整然と並んでいる。

 ここなら無線が聞こえるはずだ。戸川がスキャンを開始するとすぐ音が入ってきた。言葉ははっきりしないがよく聞こえる。
「自衛隊の通信です」戸川が言う。

 通信の内容は、異常がないということを報告している。恐らく、パトロールの報告だろう。

「放送も入りますよ」
 今度は音楽が聞こえてくる。
 多賀が甘粕を見ると、間違いないと言うようにうなずく。

 MTAはもういないのだ。しかし、後ろから我々を抹殺しようとしている部隊が追いかけてきている。

 彼らの手から逃れるには、包囲網を張っている自衛隊の中に逃げ込むのが一番いい。
 一行が伐採地を横切り始めたときだった。
 後ろの木立の奥で銃声が立て続けに起こった。

「みんなを連れて先に行け。急いで、包囲網を張っている自衛隊の中に逃げ込むんだ」
 多賀は甘粕に言った。

「多賀さんは」睦美が言う。
「私を待たなくていい」
 銃声は多賀達を狙ったものではなかった。彼らは跡を追いかけてきたMTAと戦っているらしい。

 多賀は皆が立ち去るのを見送り、そこから引き返して、桧の林に戻った。銃声はまだ断続的に聞こえている。

 レーザーエネルギーの切れたMTAといえど、小銃だけでは簡単には倒せない。彼らがMTAを倒すのに戦力を取られ、人質を追跡するのを諦めてくれればいいがと思った。

 もし、まだ追跡して来るのだったら、その時は、多賀がみんなを逃がすためのおとりになるつもりである。木立の中は二、三十メートルも離れたら木が邪魔になり小銃の弾など当りやしない。

 多賀は銃声のした方へ、姿勢を低くして、木の陰、窪地の陰から、前方を確認しながら忍び寄る。

 全く物音がしなくなっていた。
 木の根の陰から頭をあげて覗くと、数メートル先に人が倒れていた。右へ移動して、更に進むとまた一人やられていた。

 木の幹に身を寄せ立ち上がって前方を眺める。もう二人倒れているのが見えた。全部で六人やられているが、動くものは何も見えない。

 奇妙なことに気がついた。
 ここに倒れている隊員達は誰も外傷なしで死んでおり、前に見つけた四人も同じであった。

 しかし、今までMTAと戦って倒れた伊滝三佐も社員寮の人達も、皆、血を流して死んでいった。何故か、今までの様子と違う。

 突然、左の方で銃声が立て続けに起こり、銃口の火が見えた。黒い影がすっと走り、ゴキッと何かが折れる音がした。

 MTAとは違う。彼らが戦っているのは別の何かだ。多賀の感覚はそう感じた。

 その近くに居た隊員がパニック状態になり、叫びながら逃げだした。
 黒い影がその後を追う。
 多賀は死体の近くに落ちていた小銃を拾って、その影に狙いをつけて撃った。

 ほとんどの弾は木の幹に遮られたが、数発がその影に当たり、乾いた金属音を響かせた。
 何だ‥‥‥。今まで頭の何処かに引っかかっていた疑問が、霧が晴れるように取り除かれていった。

 奴はロボットだ。Z5−TAROの造った人型のロボットなのだ。それで戸川と多賀の見た人影も説明がつくと思った。作業場で見た、黒光りした金属製の人型ロボットは試作段階ではなく、既に完成されていたらしい。

 奴は逃げた隊員を追うのを止めて、多賀の方へ向かってくる。銃を放り投げて、慌てて伐採地の方へ走って逃げた。

 伐採地に出て、更に走ってから振り返ると、奴が黒光りの姿を林から現した。
 手の振り方、足の運びは全く人間と同じだ。だが、スピードはMTAほど早くはない。

 枯れすすきの中を必死に走る。目の前の若木を避けようとして、枯草の下に隠れていた石につまづき、転んでしまった。

 すぐ起き上がったが、奴は変わらない速度で追ってきている。距離がだいぶ縮まってきた。

 奴は隊員達の首を一撃で折ってしまうほどの力がある。そんな奴と対決はしたくない。
 だがこのままでは、いつかは追いつかれてしまう。

 桧の林が迫り、中に飛び込む。すぐ突き抜けてしまい、目の前に露出した赤土の地面が広がった。ここは工事現場らしい。

 右の方に小さなプレハブの小屋があり、左の方へ横切るように未舗装の道が走っている。その向こうに沢が流れているのをみると、護岸工事の現場らしかった。

 奴が林の中を駆け抜けて来るのが見えた。
 道路に出ようと思い走りかけると、小屋の前に甘粕が銃を構えて立っていた。そして、銃声が数回響く。

「奴には通用しない」
 多賀は怒鳴りながら駆け寄る。
 甘粕が何かを投げてよこす。受け取って見ると鍵だった。

「小屋の中にあった‥‥‥。その中だ」
 小屋の横のシートを張ったものを指さす。そして、奴をめがけて更に数発銃を撃ち続けた。

 多賀は何を言われてるのか判らなかったが、シートの端を持っておもいっきり引っ張った。下からパワーショベルが二台現れた。

 甘粕は多賀が追われているのをずっと見ていて、パワーショベルで闘うことを思いついたのだ。

 運転席に乗ったが、多賀は運転したことがない。
 もう一台に甘粕が座る。甘粕は経験があるらしく、すぐエンジンをかけた。

 多賀も真似をしてエンジンをかけたが、なかなかかからない。甘粕が手真似でチョークを引けと言う。三回目にずしんという手ごたえがしてエンジンがうなりをあげた。

 甘粕のパワーショベルが前進していく。
 多賀も彼の手元を真似してレバーを操作し、パワーショベルを始動させた。

 奴はすぐそこまで来ていた。
 甘粕はパワーショベルの向きを変えて奴に突進していく。
 奴は戸惑ったように棒立ちのまま、ショベルの攻撃を正面から受け、後ろにふっとんだ。

 多賀が何とか操作して近づいて行くと、甘粕はショベルの爪で奴を地面に押さえつけている。奴の躯はぐいぐい地中にめり込んで行く。

 これはやれそうだと思い、多賀はショベルで土をすくい上げ奴の上からかけはじめた。埋めてしまうつもりで、ショベルの裏側で盛土を叩く。

 甘粕のパワーショベルが一瞬持ち上がり、がくんと横にずれ、奴が土の中から飛び出してきた。
 とんでもないパワーだ。

 多賀はショベルの先端で奴を殴ろうと、運転席を回転させる。だが、操作を間違え、ショベルは逆に回ってしまった。

 慌てて戻している隙に、奴は多賀の運転席の左にある鉄の手すりに取りついてきた。
 奴に捕まったらおしまいだ。多賀はおもいっきり運転席を回転させ、奴を振り回す。

 奴の躯がごつんごつんと下のキャタピラーに当たる音が聞こえてくる。
 甘粕のパワーショベルが、ショベルアームを上に振りあげて突進してきて、激しい衝撃が伝わる。ショベルが上から覆いかぶさるように動き、手すり諸共奴をもぎ取っていった。

 多賀はその隙に前へ移動し、百八十度回転して向き直る。
 見ると、奴はショベルの正面を避けるように甘粕のパワーショベルの周りを巡っている。

 闘いを長引かせては駄目だと思った。パワーショベルのスピードは早くない。速やかにかたをつけなければ、奴にパワーショベルの動きを学習させてしまうだろう。

 奴が甘粕の正面を外して、運転席に襲いかかろうとしている。多賀は甘粕の右へ回り、アームを横殴りに振り回す。がつんと手ごたえがあり、奴は数メートルふっとんで地面に転がった。しかし、勢い余って、パワーショベルがまた後ろを向いてしまった。

 甘粕のパワーショベルのエンジンが吠えた。態勢を立て直して見ると、彼のパワーショベルが青白い排気をあげてうなっている。

 再びショベルの爪で奴を捉え抑えている。だが、奴は立ったまま、その圧力を支えていた。

 パワーショベルのエンジン音が更に大きくなり、奴の二本の足が少しづつ地面にめり込んでいく。

 パワー比べだ。甘粕のパワーショベルが徐々に左に傾きだし、右のキャタピラーが地面から浮き上がり始めた。

 甘粕が多賀を見て何か喚いているが、エンジン音にかき消されて聞こえない。

 このままでは甘粕が負けてしまう。多賀は、奴に全速でぶつけるつもりで、ショベルを下げながら、アクセルをおもいっきり踏込んだ。

 スピードが上がる前に、がくんとショックが伝わり、前進のスピードが緩んでしまった。

 ショベルが下に降り過ぎて、赤土を削っている。
 思うように操作できない自分に腹が立った。

 甘粕のパワーショベルはついに腹を見せゆっくりと横転してしまった。だが、同時に、多賀のパワーショベルが奴に突進する。運転席に激突の衝撃が伝わり、そのまま奴が立っていた上を通過した。

 何の手ごたえもなくなった。アームの向こうに奴の足が見える。ショベルにしがみついているらしい。

 パワーショベルをまっすぐ走り続けさせたまま、振り落とそうとアームを激しく上下に揺さぶる。

 突然、前ががくんと下がり、多賀は運転席の天井に頭をぶつけ、椅子から放り出されてしまった。

 ガラスが割れ、天と地が逆さになったように視界が回転し、胸と頭を打った。その痛さで暫く動けなかった。

 気がつくと運転席が斜めになっており、後ろに護岸のブロックがある。
 パワーショベルが沢の中に転落してしまったらしい。だが、エンジンはまだ止まっていない。

 何か他の音が聞こえてくる。地の底から腹に響いて来るような音だった。
 ぐらっとパワーショベルが揺れた。前を見ると奴が大きな石とショベルの間に挟まってもがいており、逃れようとショベルを持ち上げている。

 多賀はレバーを操作してアームに力を入れた。
 奴をあそこから出してはならない。甘粕のパワーショベルは横転してしまったし、ここにあるパワーショベルは沢に落ちて身動きができなくなっている。奴が自由になったらもう対抗する武器がない。

 地の底から伝わって来る音が次第に大きくなって来るように思えた。
 奴の躯がずるっと少し出た。
 出してはならない。更にアームの圧力を上げる。

 今なら奴に近付ける。
 そう思って、奴を壊す道具がないか立ち上がって見回す。だが、石が転がっているだけだった。パワーショベルの力でも破壊できない奴が、多賀の持ち上げられる石くらいで、くたばるはずがない。

 奴はもがきながら少しずつショベルと石の間から抜け出している。
 地の底から響く音が雷鳴のようになってきた。
 何なのだ。

 多賀の不安は倍加され、もう一度、運転席から出て見回す。
 沢の上流の方に信じられないものが見えた。
 赤土と同じ色の巨大な壁がしぶきを上げ、形を変えながら押し寄せてきており、大きな流木が楊子のように宙に舞っていた。

 鉄砲水だ。

 この沢は、先刻、桧林をさまよった後に出合った沢の下流である。そして、あそこで見た自然のダムが決壊したに違いない。

 パワーショベルがまたがくんと揺れた。まだ、足が一本挟まっているが、奴の上体が石とショベルの間から抜け出そうとしている。

 多賀は最大にパワーを上げ必死に抑えようとした。
 鉄砲水は間近に迫り、地震のような振動が伝わってくる。

 奴の足がずるずると抜け出し始めた。これまでだと思い、運転席を飛び出して、後ろの護岸を両手両足を使い必死に駆け上がる。上端まで到達して躯を地上に投げ出した瞬間、足元を突風と共に巨大な赤土の波が通過して行った。何十トンもあろうかという無数の岩石が雷鳴のような音を立て転がって行き、多賀はそれを呆然と見ていた。

 これで同じような体験を二度した。もう三度目はごめんだ‥‥‥と思う。

 数分後、鉄砲水は何事もなかったようにおさまり、沢の中の様子は一変していた。今そこにあったパワーショベルが影も形もなく、もちろん、奴も、その残骸も残っていなかった。

 奴も人間も、自然の力と比べたら、微々たるものであることを知らされたような気がした。
 多賀は立ち上がろうとして、後ろに誰か居るのに気付く。

 いつの間にか、迷彩服を着た男達が立っていた。
「吉永一尉‥‥‥」先頭の男を見て言った。
「あの怪物をしとめたようだね。おめでとう」
 吉永は口を歪めるようにして、笑った。

「やはり、あんたが来たのか」
「来るのを知っていたような、口ぶりだな」
「いや‥‥‥、何をしに来たんだ」

 吉永はゆっくりした動作で、胸のポケットからタバコを取り出し口にくわえる。

「もう知っているんだろう」
「我々を抹殺に来たというわけか」

 吉永は黙って多賀を見ている。
「何故だ」
 多賀は吉永の目から視線を離さず言った。

「聞きたいか」
「当然だ」
 吉永は多賀の前を黙ったままゆっくりと二度往復した。

「篠山刑事は生きているのか」
 多賀は一番気になっていたことを尋ねた。
「死んだ」

「殺したのか」
「いや、小田原の病院で死んだ」
「やはり、殺したんじゃないか。あの箱根の交通事故はあんた達が仕組んだのだろう。恐らく片倉さんの車に細工をしたのだ」

 吉永はそうだとうなづいた。
「しかし、多賀さん、あんたは我々に一杯くわした。あんたをみくびっていたようだ」

「片倉さんに逢ったことか」
「そうだ。それもある」
「知っていて、私を富士山に登らせたのではないのか」

 吉永はあの時点では疑ってはいたが確信はなく、あとで箱根に出向いて行って確かめたのだと言う。

「近藤一佐はあんたに中継基地を探って来るように頼んだ。確かにそれも目的の一つだった。しかし、多賀さん、あんたが富士山で死んでもいいと考えていたんだ」
「もし、裾山事件の真相を知っていたら、生きていては困るからか」

「そうだ、よく判っているじゃないか。我々があんたをみくびっていたと言ったのは、どう転んでもあんたは富士山で死ぬと思ってたら、しぶとく、たった一人で生きて下りてきたことだ。もし富士山に登る時、裾山のことをあんたが知っていると判っていたら、それなりに手を打っていた」

「金窪二尉のことを言ってるのか」
 多賀がにやっと笑うと、吉永は顔を上げて多賀をにらむ。

「何故知っている」
「金窪二尉の正体は私が見破った」
「それで‥‥‥」

「死んだよ」
 恐らく、吉永一尉は上田二曹のことを聞きたいのだろうと思ったが、敢えて言わなかった。

「殺したのか」
「自分で滑り落ちて死んだ」
 吉永は暫く沈黙し、険悪な雰囲気になってきた。

「吉永一尉、あんたの部隊はヘリで来たんだろう」
 吉永一尉は黙って答えない。多賀は続けた。
「MTAとの戦闘は、ほんとうは終っているんだろう」

「そうだ。何故判った」
「無線だ。‥‥‥それにあんた達が来たことだ」
 MTAと闘うのに小銃しか持たない部隊が来たことが、きっかけで判ったことを話す。

「まだある。一佐と話していた電話が切れたこともそうだ」
「もういいだろう。すべてその通りだ」
 吉永の顔は血がひいたように蒼くなり、腰の拳銃に手をあてて後ろへ下がり始めた。

「私を殺そうとする理由は判る。しかし、なぜ工場の人質まで殺されなければならないんだ。私は彼らには何も話していない」

「それは‥‥‥、工場の人質はこの事件をコンピューターが引き起こしたことを知っている。だから死なねばならない」

「そんなことが、何故‥‥‥」
「この事件を引き起こしたのはFGグループだ。最後までFGがやったことにしなければ、幕は下りないんだ」

 多賀は余りにも馬鹿げた理由に唖然とした。近藤一佐は初めにたてた筋書きどおり決着をつけるために人質を抹殺しようとしているのだ。

 確かにコンピューターが引き起こしたということになったら責任を取るものが誰もいなくなる。

 事件の決着は誰かが責任を取らねばならず、それが世の中の慣例なのであり、だから、FGが生贄えとなって全てを被るのか‥‥‥。

 いや、そうではない。今度の事件がすべてコンピューターにあったとしたら、それを開発した葵精工にも、そしてプログラムを開発した富士オートマトンにも影響が及ぶのは必然である。

 そして、スーパーZ5−TAROの開発は、対外的には葵精工の単独開発となっているが、当初、国が米国のクレイ社に対抗してスーパーコンピューターの開発を目指して国家的プロジェクトを組織したことに始まっており、そんな事実を包含して考慮すれば、影響の及ぶ範囲はとめどもなく広がって行くことになる。

 誰もが責任を取りたくないし、またそうなると責任の特定も定かでなくなる。そして、事件を傍観していた国民は曖昧な政治的決着を好まない。

 だから、近藤一佐は、多賀からこの事件はすべてコンピューターが引き起こしたと聞いた時、すぐにこの事件を最初の筋書き通りに決着させなければならないことに気付き、甘粕の推察通り、我々の抹殺を即断したのだ。

 結局FGはトカゲの尻尾であり、近藤一佐や吉永は尻尾を切った切口なのだ。そして、我々はその時流れる血なのかも知れない。

「吉永っ、人質は殺させはしないぞ」
 皆、一斉に振り返った。
 甘粕が銃を構えて、横転したパワーショベルの上に立っていた。

 多賀は、甘粕が横転した運転席の中で、最初から多賀達の話を聞いていたのを知っていた。

「たった一握りの政治家か官僚か知らないが、そいつらの都合で俺達や生き残った人達が殺されてたまるか‥‥‥。吉永、いい加減に目を覚ませ。近藤一佐もおまえも自分の意志で動いているつもりなんだろうが、結局はオフィスで皮張りの椅子にふんぞり返っている奴に踊らされている人形、いや犬に過ぎないんだ。この事件の結末がどうなろうと、奴らには、風邪をひいてくしゃみをした程度のことにしかならない。しかし、おまえ達が、我々生き残った者達を抹殺したら、その責任はすべておまえ達が負うんだ。それを覚悟しているのか」

 吉永は黙って甘粕を見上げている。
「すでに、おまえ達は工場の人達を大勢殺している。直接ではないにしろ、あれはおまえ達がその原因を作って殺させたのだ」

 甘粕は吉永の後ろにいる三人の隊員を見た。

「おまえ達、輸送ヘリで来たのなら、工場で人が焼け死んで行くところを見たはずだ。誰もがもがき苦しみながら死んでいった。彼らは、ただ偶然、富士オートマトンの社員であり、その家族であったためにという理由だけで死んだのだ。あれが戦争なんだ‥‥‥」

 甘粕は少し声を和らげて、更に続けた。
「確かに、俺も実戦の経験はない。しかし、戦争がどんなものか今は知っている。おまえ達が工場で見た事実は間違いなく戦争なんだ‥‥‥」

 構えていた銃が下を向いていた。

「吉永、おまえが手先になっている連中は、意識してか知らずか、否定しながらも目先の情勢に流されて、誤った道を歩んでいる人達なんだ。‥‥‥俺は人など殺したことはない。そして、これからも殺したくはない」

 甘粕は持っていた六四式小銃を投げ捨てた。
「吉永、おまえはそんなに任務が大切なのか。まだ人を殺したいのか‥‥‥」

 吉永は黙ったまま何も応えない。甘粕は後ろの隊員に目を移した。
「おまえ達は相手の顔を見ながら人を殺せるか。やれるのならやってみろ。全員あそこに揃っている」

 甘粕はプレハブ小屋の方を示した。
 工場から逃げだした全員が、いつの間にか小屋の前に立っていた。
 多賀は、既に、彼らを道路沿いに逃がしたものと思っていたので驚いた。

 隊員の一人が構えていた小銃を地面に投げ捨て、続いて残りの二人も同じようにした。
 暫く、沈黙が流れた。

「私は、もともと気が進まなかったんだ」
 吉永一尉は呟きながら、拳銃を放り投げた。

 小屋の方から歓声が上がり、甘粕がパワーショベルから飛び降りてきた。額から血が流れている。横転したとき切ったのだろう。しかし、顔はうれしそうに笑っていた。

 ついにノーサイドになった。多賀はそう思いながら甘粕のところへ歩み寄った。
 一行は全員無事に包囲網を張っている自衛隊のところへ到達し、裾野を脱出した。

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 その後、この事件の収拾は半年かかり、その間、富士の裾野は閉鎖されエネルギーの切れたMTAは全て回収された。

 そして政府の発表した調査の結果は次のようであった。

 今回の富士山裾野事件は自衛隊を退職したメンバーで構成された私的団体、極勝会(Final Gainers、通称FG)というグループが無謀な企てをたてた結果、引き起こしたものである。彼らはコンピューターを使い、新型兵器の開発を試み、そして成功したが、その開発した兵器の操作を誤り、今回の事件を引き起こした‥‥‥。

 政府はコンピューターについて、多賀の言うことを取り上げ、コンソール室にプリントアウトされていたソースコードを専門家に分析させたはずであったが、発表に際し、そのことには一切触れず、またMTAを発案した多賀三郎の名も公表しなかった。

 近藤一佐は事件後、まもなく解任され、政府調査の発表を待って自衛隊を去った。

そして、半年後、富士オートマトンの南富士工場はZ5−TAROに別のプログラムを載せて再開された。

 葵精工は、ゴッドL言語にバグが見つかったという理由でその出荷を停止し、そして、外国の数社からあったZ5ーTAROとゴッドLの組合せの引合いは全て契約に到る前に白紙に戻された。

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