五、

 多賀三郎は南富士工場へ転勤の辞令を受けた。受け取ったときは何の感慨もなかった。人事課の甘粕にそれとなく「夕鶴」で匂わされていたので、やはりそうだったかと思っただけだ。祐子が東京へ帰ってしまったいまは思い煩うこともない。しかし、連絡だけはしておくつもりだった。

 南富士工場は既に稼動準備が始まっており、配属されることになった社員はだいぶ以前に転勤している。多賀の場合は追加要員として行くかたちらしい。午後になって、多賀の職場に甘粕彰一が丸っこい姿を見せた。

「南富士工場に配属ですね。私も一緒に行くことになりました」

 甘粕とは「夕鶴」で逢って以来、会社で時々見かけるくらいで、話す機会がなかった。あの晩以後、多賀は「夕鶴」に数回行ったが、彼は一度も顔を見せてない。

 甘粕は近くの椅子を持ってきて多賀のそばに座り、「夕鶴」へ行けなくなるのが寂しくなる、でも向こうも富士市に近いから同じような店があるでしょうとか取り留めのない話を始めた。

 多賀は甘粕を見ていて、彼の躯は相当鍛えられていることに気が付いた。丸い体型と顔にごまかされていて、今まで気が付かなかったが、裸になったら、普通の事務屋のように脂肪でぶよぶよした躯でなく筋肉でしまった躯が現れてくるだろう。そう思ってみると動作一つ一つがきびきびしていて歯切れが良いように思える。

「学生時代に何かスポーツをやっていたの」
 多賀は甘粕の躯を眺めまわしながら言った。
「いや、とんでもない。多賀さんにはかないませんよ。遊びで何でもしましたけど、特別にしていたわけではありません‥‥‥。ところでゴッドL言語を知っていますか」

 甘粕は突然話題を変えた。自分のことを詮索されるのが嫌いらしい。
 多賀は知らないと答えた。職種柄多少のコンピューター言語は知っている。そして自分でもプログラミングもするが、ゴッドLを使ってプログラミングはできない。そう言う意味で多賀は知らないと言った。

「えっ、知らないんですか。ゴッドLで創られたプログラムで、南富士工場のコントロールはされるのですよ」
 甘粕は意外だという表情をした。

「それは知っているよ。それにゴッドLの名前くらいは聞いたことがあるさ」
 そうでしょうと言ってうなずいた。
「ゴッドLの原型は北欧で最初創られたそうですね。知っていますか」

 多賀はまた首を振る。
「創られた時期は初期のコンピューターが出だした頃らしいですね。いろいろ説があって、原作者もその国も特定できないようです。おそらく原作者は死んでしまったのでしょう。生きていれば名乗り出るでしょうからね。ゴッドLの原型は今から較べると幼稚で実用に耐えなかったようです。だから誰も注目しなかったらしいですね」

 多賀もそんな話を聞いたことがある。甘粕は続けた。
「ところが、十年ほど前突然チェコでゴッドLが見直されて改良されました。しかし、結局はハードが追い付かなくて立消えとなったそうです。その後、西ドイツ、イギリス、スイス、アメリカ、日本等でゴッドLの方言がいろいろ生まれ今日に至っているようです。面白いことに何れの国もハードの制限にぶつかって苦労しているみたいですね」

 多賀はその辺の事情はよく知らないので適当に相槌を打っていた。
「普通の言語で創るソフトはハードの発達に追い付かず、その性能をフルに引き出すことができないそうですね。ところがゴッドL言語に関してはそれが逆だというじゃないですか。既存のコンピュータではゴッドLの機能を十分に使いこなせないようですね。面白いと思いませんか」

 甘粕は多賀の机の上にある消しゴムを手に乗せ、転がして遊び始めた。
「それだけゴッドLをコンピューターにのせるのが難しいと言うことだ。IBMのコンピューターには既にのっているそうだけど、相当制限を付けて居ると思う」

 多賀は読んだ本のどこかに書いてあったことを思い出して言った。
「葵精工の場合はどうでしょう」
 手のひらの上で転がしていた消しゴムが落ちそうになり、甘粕は慌ててもう一方の手でそれを掴んだ。多賀はそれを見て、現役の運動選手のような反射神経だなと思った。

「スーパーZ5−TAROの性能如何に因るだろう。専門家ではないから、これ以上は何とも言えないな」

 日本人は人間関係などには曖昧さを持ち込むが、商品や製品に対しては常に完璧を追求する。おそらく葵精工は制限をほとんどつけないゴッドLを作ったに違いない。

「初めに言葉ありき、ですか。ゴッドLは名前の通り神の言葉ですね。言語があってもそれを使うコンピューターがなかったのですから」

 なるほど、旨いことを言うなと思った。
「ゴッドLは何の略か知っていますか」
「いいや、知らない」

「the Generator of Dynamic code のGODです」
 甘粕はボールペンで机の上に散らばっている紙の端にスペルを書いた。
「Lは何だい」

「Languageでしょう。でも北欧で生まれた言語に英語の名前が付いているのもおかしいですね。あとで誰かがこじつけたのでしょう」

「うん、それならthe Generator of Dynamic Language の方がぴったりきそうだな」
 二人は顔を見合わせて笑った。

 多賀は「夕鶴」で逢った甘粕の悪い印象が吹き飛んでしまったのに気が付いた。談笑したせいもあるが、甘粕の鍛えられた躯から発散するものに、自分と同類の匂いを感じたのだ。

 甘粕は独身である。自分も今は同じような境遇だ。向こうでの飲み仲間ができた。山の中でも退屈することはないだろう。ただ気になるのは甘粕が時々みせる警戒するような態度だ。しかし、それは彼の生まれ持った習性かもしれず、自分が気にしなければなんでもないことだった。

目次次へ