六、

 篠山は部屋を出て階段に向かっていると後ろから声をかけられた。
 振り返ると見慣れた顔が笑いながら近づいてくる。
「何だ‥‥‥。テレビのリポーターか」

 篠山は立ち止まって答えた。
「リポーターじゃありませんよ。私は報道記者です」
「同じようなもんじゃないか」

 男は放送局の社会部に所属する堀井仙一という記者だ。篠山とは時々軽口をたたきあう程度の仲である。二人は並んで階段を降りた。

「ひとりで忙しそうに動き回ってますけど事件ですか」
「いいや、事件というほどのものじゃない」
「でも、忙しそうに動いているのは篠山さんだけですよ」
 堀井は食い下がってきた。
「事件だったら一人で動くわけがないだろう。まだ事件かどうか判らないんだ。それに、もし事件だとしてもテレビで取り上げるほどのものじゃない」

 堀井は警視庁の外に出るまで、何か聞き出そうとあれこれ質問してきたが、篠山が地下鉄に向かい始めるとあっさり手を挙げて別れていった。

 その足で道路公団に行って、六月十三日の午後九時から九時半の間、西神田と呉服橋の料金所にいた職員の名前を二人ずつ聞き出した。神田橋の入口はその時間には閉鎖されていたらしい。四人とも現在は勤務時間でなく自宅にいる。篠山は各々の自宅をまわることにした。

 西神田の料金所の職員はどちらもトレーラーを見なかったと答えた。残るは呉服橋の方だ。坂口信次という深川に住む職員を訪ねた。

 昔ながらの狭い路地を行き、彼の家を探し当てた。坂口は歳の頃は四十前後のやけに頬骨の高い痩せた男で、不規則な勤務のため太れないというタイプであった。

 篠山の質問に答えて、坂口は、時刻は覚えてないが、そんなトレーラーがいたと言う。料金所を入った進入路の端にとめて動かないので、どうしたと聞きに行くと、エンジンがおかしくなったので助けが来るまで、暫く置かしてくれと言って、しきりに無線で交信していたそうだ。

「それで、助けはきたのですか」
「いえ、来なかったと思います。でも、いつのまにか居なくなったので、エンジンが掛かって出ていったんだなと思ってました」

 ナンバーを尋ねたが覚えていなかった。
「ボディーの字とか絵はなかったですか」
「こうして、横に赤い二本線が斜めに描いてありましたね」

 坂口は二本の指で対角線状に宙に線を引いた。
「他には覚えがないですか」
「何か字が書いてあったかですか。思い出せませんね‥‥‥。そうだ、石上さんに電話で聞いてみましょう。何か覚えているかも知れない」

 石上は篠山がこれから訪ねようとしている当夜一緒にいた坂口の同僚だ。直接話を聞こうと思っていたが、坂口のせっかくの厚意を無にするのもと思い、電話を掛けるのを黙ってみていた。

 石上はボディの字は覚えていなかったが、相模ナンバーだったということを思いだし、そして、トレーラーは保冷車だったことも教えてくれた。

「いや、待って下さいよ。相模ナンバーではなく湘南ナンバーだったかもしれないな」石上と話をして、坂口は少し当夜のことを思い出してきたようだ。しかし、ナンバーに関して二人の記憶が割れてしまった。

「あまりにも沢山のナンバープレートを見るもので、ごっちゃになっちゃうんですよ」
 結局、石上も坂口もどちらとははっきり言えないと言い出した。

 篠山が考えていたようにやはりトレーラーはいた。坂口も石上も時刻は覚えていないが、彼らの勤務時間からしてほぼ間違いない。トレーラーは保冷車で、ボディに描かれた赤い二本線と相模か湘南のナンバープレートを持つことが判った。

 地域も限定されたが、相模、湘南ナンバーのトレーラーは何台あるのだろうか。数百台、多ければ千台を越えるかも知れない。そのうち保冷車は何台になるか。

 いや、冷凍車も含めた方がいいだろう。保冷車または冷凍車に限定しても大変な数に違いない。とても一人ではやりきれないなと思った。

 係長は本物だったら応援を出すと言っていたが、篠山はいまだに一人で捜査している。いつものことだ。他の事件で忙しいのは判っているので、篠山は応援の催促などはしなかった。

 トレーラーを保冷車、冷凍車に限れば、所持している業種は限られてくる。運送業は勿論だが、あとは生鮮食品の業者くらいしかいない。時間は掛かるが一つ一つ当たるしか手段はない。

 篠山は再び富士オートマトンの本社を訪れた。
 トレーラーを探す前にもう少し田上洋介の身辺をハッキリさせたいと思ったからだ。

 大企業というのは社内の事情となると意外と口が堅く、こっちの意図することがなかなか聞き出せないことを前回の訪問で感じている。たぶん、話す方としても下手なことを社外の人間に喋ったことで、自分の身に影響が出ることを恐れているのだろう。

 会社自体の状況を知りたいときは、トップかそれに近い人間に尋ねるのが一番近道である。今回はもっと上の役職の者に会いたいと思い、前もって電話でその旨を伝えてあった。

 案内された部屋の前で、その部屋から出てきた男を見ておやっと思う。
男は手に茶色の書類鞄を持っており、篠山に気付き会釈をして足早に去って行った。

 篠山は導かれて部屋に入った。
 重田専務は少し太り気味の躯を揺すって、椅子をすすめた。
「今、そこで入れ違ったのは昭興生命の‥‥‥」

「ええ、片倉と言う社員です。御存じですか」
 重田は前で手を組んだ。
「はい、以前ちょっと。こちらは昭興生命と何か関係があるのですか」

 ポケットから手帳を出しながら尋ねる。
「ありますよ。うちの筆頭株主です。それに当社の保険は社員の団体保険など一切、昭興生命が扱っています」

 篠山は熊田慎一郎の生命保険を思いだした。田上洋介も団体生命保険に入っているに違いない。昭興生命は一度に出費だなと思う。

「何か田上のことをお聞きになりたいそうですが」
「はい、そうです」
 篠山は田上洋介の交通事故は仕組まれたものではないかと疑って捜査していると重田に告げた。

 重田は非常に驚いたようすであった。篠山には本当に彼が驚いているのが判った。何か心当たりはないか尋ねたが、重田は少し考えて、ないと答えた。

「田上さんはいずれ社長になられるはずだったと聞きましたが」
 篠山はそんな話は聞いてないが、はったりをかました。
「ええ、社長の姪の婿ですから、いずれはなったかもしれませんね。社内の大半はそう思っていたでしょう」

「専務さんは」
「私ですか。私は昭興生命からの派遣役員ですから、別ですよ」
 重田は苦笑いしながら言う。篠山には何が別なのか判らないが、都合のいいように解釈しておいた。

「事故のあった夜、帰る直前まで会議をしていたそうですが‥‥‥」
「あの夜に限ったことではありません。あの時期は毎晩でした」
「専務さんも同席されてたわけですね」

 重田はちらっと篠山の手帳を見て、そうだと答えた。
「毎晩と言うことは何か経営上のトラブルがあったのですか」
 篠山は下から覗くように重田の顔を見る。

「いや、一言で言えば経営上の作戦会議ですよ」
「差し支えなければ、その内容をお話願えませんか」
 経営上のことなのでと言葉を濁し、重田は話すのを渋る様子だった。

「これはお宅の社員が殺された事件です。他の事件と違います。警視庁まで同行願ってお話を聞くこともできます」

 篠山は少し強く出た。
 重田は渋々承知し新工場の話を始め、下手に隠しだてしても、あちこち聞き回ればいずれ判ってしまうことだと思い、そのことで田上と意見が対立していたことも話した。

「田上部長はその新工場の工場長にもなる予定でした」
「それで、誰が替わりになったのですか」
「まだ決っておりません。現在、社長が兼任と言うことになっています」

「社長が工場長を‥‥‥」
 篠山は手帳に目を落とした。
「実際は必要ないのですよ。実質はコンピューターが工場長ですから」

「コンピューターが工場長」
 篠山は口を開けたまま、重田の顔を見た。世の中は知らない間にここ迄来たのかと思った。

「それじゃ、田上部長も名義上の工場長になる予定だったのですか」
「いや、彼は技術上の責任者だったので新工場に行くはずでした」
 篠山は更に工場の話を聞かされた。

 工場をコンピューターが管理し、ロボットを動かしてロボットを作る。
そのコンピューターは、コンピューターが作るプログラムでまた動かされると重田は話す。

 何だ人間の入る余地がないではないか。帰ったらこの話を係長にしてやろうと思った。そのうちロボット刑事がコンピューターに操られた犯罪ロボットを追いかけるようになるだろう。篠山は馬鹿らしくなってきた。

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