七、

 南富士工場は六十六万平米の広大な土地に建てられている。その建て面積は東富士工場の約二倍、約十三万平米ある。完全自動の無人工場としては、いかなる製造工場を含めても世界最大の規模であろう。

 その完成時にはロボットがロボットを作る工場として、マスコミに取り上げられ、おもしろおかしく報道された。

 現在日本はロボットの保有数も供給数も他の国の追従を許さず、圧倒的なシェアを誇っている。その国内メーカーの中で、富士オートマトンの供給量の増加は群を抜いており、将来富士オートマトンはロボット製造メーカーの巨人として世界に君臨するだろうと騒がれた。

 確かに富士オートマトンはそうなるかもしれないと多賀三郎は思うが、技術屋の拘りからロボットの保有台数には異論があった。日本が保有しているのはほとんどが単作業の自動装置なのだ。単作業の装置ではロボットと呼べない。ただの自動装置である。

 複数の作業ができて初めてロボットと呼ぶべきで、だから、実数はマスコミの言う数字を相当下まわるはずだが、それでも他の国と較べたら保有台数おいて優っているのは事実であることに間違いない。

 南富士工場の建物の色は淡いグリーンに統一されて、周囲の自然に溶け込み、違和感を与えないように配慮されている。実際、敷地内に残された、かつてゴルフ場だった芝生の淡い緑や、周りを取り囲む原生林の濃い緑とよく調和がとれている。
 また晴れている日には北に秀麗な富士山の姿を眺めることができる。
そして鎌倉時代の昔、頼朝がこの辺りで大がかりな巻狩りを催したという史実があるので、その言伝えの遺跡があちこちにある。

 近くには開発されて間もない別荘地があり、三キロほど南に下ると愛鷹山の北麓を御殿場市と富士市を結ぶ県道が走っている。また、道路沿いにサファリ動物園があり、休日ともなると、普段ほとんど交通量のない道路も観光バスが連なることもある。

 多賀がこの工場に来て既に三ヶ月が経っていた。
 ここへ来た初日、一緒に赴任した甘粕と共に工場を案内され、想像していた以上にスケールが大きいのに驚かされた。

 この広い工場に多賀と甘粕を含め二十七人しかいないと言う。確かに案内されて工場の中を歩いている間は誰とも逢わず、配置されている部署に連れられて行き初めて人の姿を見るという次第だった。

 広い工場の中は四百二十台の多目的自動装置がうなりをあげて作業しており、あるものはレーザーで溶接、切断し、また一方では細かい配線等を組み上げていた。

 一台毎の騒音はそれほど大きくはないが、四百二十台が一度に作動していると話声が聞こえないほど騒がしい。これらの装置はすべて東富士工場で作られここへ運ばれたものだった。

 製造現場は中央にコンソールルームとコントロールルームがあり、そこへは自動装置が動いている作業場を通らず地下から行けるようになっている。もちろんコントロールルームから直接作業場に出るドアもある。

 二つのルームへの地下通路の途中にコンピューター室があり、そこへ入るのにとてつもなく大仰な防寒服を着せられた。

 なかはまさに冷凍室そのもので、部屋は耐圧ガラスで仕切られていて、その向こうには液体窒素に護られたCPUと記憶素子があるはずであった。あるはずというのは厚さ五十センチ、高さと幅が百五十センチほどのボックスの中にそれは納められており、直接見ることができないからだ。

 説明によるとジョセフソン素子に使われている超電導体は常温でも超電導性を持つが、より低温の方が安定なため液体窒素で冷却しているらしい。

 どのくらい演算速度が上がっているのかという多賀の質問に、葵精工から出向している阿南弘幸という技術者は得意そうに言った。

「既存のコンピューターの演算速度はかなり工夫した並列処理を取り入れても2テラフロップスが限度でしょうが、これはその壱千倍くらいは楽にいきますね」

 多賀は素直に驚いてみせた。

「それに、災害や事故に備えていろいろな安全策が採られています。例えば停電になったときは瞬断防止装置が働きます。しかし、これはどんなコンピューターでも備えています。このZ5−TAROに付いている装置はそれだけでなく、停電後一時間迄は正常に働き、それ以後まだ電力が復帰しない時は自動的にプログラム及びデータを大容量の補助記憶装置に避難します。そして、電力が復帰すると再び自動的に避難したプログラム及びデータを読み込み、作業を再開します。CPU本体とメモリーは先ほど見た地下室の分厚い壁に守られており、耐圧ガラスの厚さも一〇〇ミリもあり、どんな災害にも耐えられるようになっています。その他数え上げたらきりがないくらいいろいろな対策が施されています」

 また、場所柄即時に液体窒素が入荷しないので、万が一のために液体窒素の製造装置も備えている。

 多賀の職場はコントロールルームの中にある。同僚は同じ東富士工場からきた戸川貞雄と本社からきた土井博正だった。戸川は多賀より若いが、土井は一つ年上で、既にお互いに顔見知りの仲でもあった。

 そして、隣のコンソールルームには葵精工から派遣されてきた阿南の他に、本社からきたという皆川湯治、君元治夫が入っている。
 彼らは三人ともゴッドLに精通したプログラマーである。しかし、阿南は派遣社員であるから別としても、多賀は君元と皆川を全く知らなかった。おそらく、多賀が東富士工場に転勤になった後、本社に赴任したか採用になった社員なのかもしれなかった。

 工場はこの六人のもとで動いているといったら聞こえはいいが、実際はこの三ヶ月間監視業務だけで仕事らしい仕事は全くなかった。

 製造機種が変わってもその手順を隣のコンソールルームに伝えるだけで、東富士工場にいた頃のように計算して図面を描いて等とする必要がない。総てコンピューターが処理してしまうのだった。

 これなら、誰がいても同じではないかと思うこともあるが、何か手違いがあったり、自動装置に異常があれば、このコントロールルームにいる三人以外には手が負えないことは承知していた。

「早く言えば修理班みたいなものだ」と土井がぼやいていた。
 阿南から電話がかかってきた。

「資材係の市川君から連絡があったのだけど、アーム材料の発注が多過ぎるそうなんだ。チェックしてくれと言われたので、調べてみたがよく判らない。だから、そちらの方でも調べてくれないか」と言う。

 多賀はコンソールを操作して、ディスプレイに現れる文字を見た。言われた箇所を入念にチェックしたがおかしなところはない。

「誰か、アーム材の追加発注したかな」
 二人共知らないという。
「資材係で、どうして発注量が多いと判るんだ」土井が言った。

「そう言えばそうですね」
 在庫管理、現在必要な量の管理は総てZ5−TAROがやっている。

発注の必要な場合、補助コンピューターが中継してオンラインで発注先に注文を出すから、確かに資材係で発注量の数字はチェックできるようになっている。しかし、量が少ないとか多過ぎるなどとか判るはずがない。資材係の市川はどんな意味で言ってきたのだろう。

 多賀は隣室へ行った。コンソールルームの大きさは多賀達のいるコントロールルームとほぼ同じだが、コンソール等の他に補助コンピューターが二台置いてあるので、スペースは幾分狭い。

 コンソールに向かっている阿南に、多賀は資材係の市川の言うことが判らないと告げた。

 市川は間もなくここへ来るらしい。阿南は尋ねてみようと言った。
 待つ間もなく市川が手に書類を持って現れた。

「発注先からファクシミリで問い合わせてきたのです。これですよ」と言って持ってきた書類を差しだした。

 発注先ではこちらの発注量を見越して原料を仕入れている。レアメタル等が入った特殊な合金なので、高価なため余分な在庫などを持たないようにして製造しているらしい。こちらの発注量が向こうの予想より多かったので、期日まで納入できないのだ。

「これは向こうの都合じゃないか。関係ないだろう」
 多賀は市川の持ってきた書類を手にして言った。
「そうです。でも発注先の納入できる量で賄えるかどうか、製品の出荷予定量から逆算してみたら十分なんです」
 市川は口を尖らせて、みんなの顔を見渡した。
「それならいいじゃないか」
 君元が机から振り向いて言う。

「いえ、発注量が多過ぎるんですよ」
「別に不思議ではないだろう。在庫と絡めて発注量は増減するようになっている」
 多賀は書類を市川に返した。
「一.五%もですか?」
 市川の言葉に多賀と阿南は顔を見合わせる。

「一.五%か‥‥‥。それは多いな」
 多賀が独り言のように呟いた。
 アーム材料は力のかかるところに使われるから、内部に僅かな傷でもあってはならない。X線検査により、たまに傷があるものが見つかる。

 従って、材料の不足を来さないよう、発注量は最大〇.一%の範囲で振れるようになっている。

 阿南と皆川はコンソールに向かい、市川は倉庫の方も調べてみるとコンソール室を出て行った。

 多賀はゴッドLのバグかなと思いながら、君元と一緒に阿南と皆川の操作するディスプレイに見入っていた。

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 ことによると在庫量が過大になっているかもしれないと思いながら、市川は資材倉庫に向かっていた。

 原料資材を運ぶ自走車が市川にぶつかりそうになって止まった。彼が通り過ぎると、再び動きだし、作業場の方へ走り去った。

 資材倉庫は三つある。現在使用しているのは一号と二号だけで三号倉庫はまだ空である。工場はやっと本格的に稼動し始めたばかりなので、フル稼動はまだ先のことだ。工場がフル稼動に入れば三号倉庫も原料資材で一杯になるだろうが、現在はまだ二号倉庫にも空きがあった。

 一号倉庫に入り、右側の壁にあるコンソールを操作し始めた。
 画面に資材名と在庫量を示す数字が表示され、スクロールしてアーム材料の項を探す。

 倉庫の中は立体的に区分けされており、縦に十五、横に三十六そして奥に五十と合計二万七千のセクションに分かれている。その間をリフトが自在に動き資材を取り出したり納めたりしている。

 アーム材料の項が他の項と混じって表示された。一度表示されたアーム材料の在庫を示す数字だけがクルッと回転するように別の数字に変わるのを市川は気付かなかった。

 アーム材料の置かれている場所はF48だ。表示されている在庫数をメモして、リフトに乗った。

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 数時間後、多賀は先ほどの発注量の件が気になるので、再びコンソールルームへ行ってみた。

 製造を管理する多賀達にとって、原材料の在庫が多い分にはたいして問題にはならないが、不足した場合はその材料を必要とする工程以降の作業が全てストップしてしまうので大変である。

「どうだった」多賀は阿南に尋ねた。
「プログラムは異常なしだ。在庫の実数もあっているらしい」
 コンソールから手を離して、阿南は答えた。

「それじゃ今回の発注量だけミスがあったというわけか」
 多賀は皆川の後ろに座った。

「そう、在庫の数が一致しないのであれば、プログラムミスも考えられるが、市川君が調べたところそうではなかった。念のためソースコードのチェックもしてみたが異常なしだった。コンピューターも何百兆分の一の頻度で誤操作をする。それがたまたま起きたのかも知れないし、またはオンライン転送中にノイズでデータ値が変化したのかも知れない。どちらの場合も再現不可能だから、チェックのしようがない。だから目下のところ原因不明というわけだ。でも、いま言ったことが原因なら近い将来のうちには二度と起こらないだろう」

 阿南の隣でいつものように皆川がコンソールのキーを操作している。
彼は、多賀が来るとちらっと目を向けて挨拶はするが、いつも手を休めることはしない。余ほど仕事熱心か、コンピューターが好きなんだろう。

 皆川の操作する画面など、いつも気にもとめなかったが、見るとはなしに目が画面の文字を捕らえた。
 MTA‥‥‥、思わず腰を浮かして画面を覗き込んだ。

 阿南は少し離れたところにいる君元を見た。二人の意味ありげな視線が合ったのを多賀は気付かなかった。
 多賀が肩ごしに覗き込むのに気付き、皆川は体をよじり少し脇へ移動した。

「これは本社からオンラインで送られてきた企画書です。いま整理しているところです」
 皆川は手を止めて振り向く。
「企画案も入っているの」
 多賀はMTAの文字を指して言った。
「はい、企画実行中のものも、案だけのものも、すべて入っています。見てみますか」

 皆川は多賀の返事を待たず、キーを操作して画面を変え、MTAの内容を表示した。

「あれっ、MTA‥‥‥多方向移動自動装置の企画案は多賀さんが出したものですか」
 画面を見て皆川は大きな声で言った。
「多賀君の企画案‥‥‥。どれちょっと見せてくれよ」
 君元が立ち上がってきた。阿南と君元が加わって画面を覗き込んだ。
 皆川は閲覧できるように画面をゆっくりスクロールさせた。
 企画書と言っても、企画設計部の部員が提出するものは単なる文書ではない。細かい数値データや詳細な図面が添付されている。

 阿南と君元は時々感嘆の声を上げて見入っていた。
 彼らはメカトロニクスの技術者と一緒に仕事をするプログラマーである。その細部まで理解できる能力を持っている。多賀は彼らがMTAにこれほど興味を見せるとは思ってもいなかったので、なんとなく得意なような、こそばゆい気持ちで一緒に眺めていた。

「このMTAは案だけで取り上げられなかった企画ですよ」
 彼らが余りに熱心に見ているので何か言わなければと思い、それだけ言った。
「でも、ここに載っているということは、まだ捨てたものじゃないというわけだ」

 阿南が画面から眼を離して言う。
 それもそうだなと多賀も思った。しかし、いま考えてみると、余りにも解決しなければならない問題が多過ぎる。

「だから、開発には莫大な費用がかかってしまう。それで採用されなかったのでしょうね。それに需要の問題もありますから‥‥‥」

「現在はそうかもしれないが、将来はあるさ。会社もそう思ってここに載せてるのかも知れない」

 皆川もそうだと言ってうなずく。
「解決しなければならない問題と言うのは、例えばどんなところなんだい」君元が尋ねた。

 多賀は皆川に画面を戻させ、もう一度スクロールしながら、問題の箇所を指摘して説明した。君元と阿南はその都度、相当突っ込んだ質問をしてきたので、関連した他の部分の説明もしなければならなくなり、結局、課題のある全ての箇所を説明するはめになってしまった。

 説明していて、何故彼らがこんなにMTAに興味を持つのか不思議に思ったが、自分がここで何故MTAの説明をしているのか考えてみると理由が判るような気がしないでもない。

 多賀自身この工場にきて以来、仕事と言えば監視業務だけでほとんどそれらしいことをしていない。そのせいか一日がひどく長く感じられる。

 ここへ来るまでの日々は仕事々々で追いまくられて、他のことを考える余裕もなかった。ところがここへ来た途端に、それががらっと変わってしまい、コンピューターが人間の替わりに働き、何もすることがない。

 余裕ができた替わりに、いろいろな雑念がよぎったりして、なんとなく理由のない不安感が涌いてくる。今までのように仕事に追われていれば、そんな暇はない。

 近ごろは自分自身が無意識に何かすることを探しているのに気付いていた。

 コンソールルームの彼らも多賀達ほどではないにしても、暇なのに違いなかった。彼らが忙しかった時期は既に過ぎており、現在はゴッドLを載せたコンピューター、スーパーZ5−TAROが替わりをしている。

だから、彼らは何でも興味を見せるのだ。たまたまMTAがその対象になったに過ぎない。

「これらを解決するには試行錯誤を繰り返すしかない。計算や机上の議論だけでは無理なんです。だから金が掛かります」

「結局、作って壊してまた作って‥‥‥。ということだな」
 君元が多賀に確認するように言った。

「それならシミュレーションさせたらいいんではないですか」
 皆川は画面から目を離し多賀を見る。
「コンピューターに?」

 彼ららしい考えだと思った。
「プログラミングが大変だろう。そのシミュレーションプログラムを誰が作るのかな。プログラミングに同じくらいのコストが掛かるかもしれないよ」

 そういいながら、ふとゴッドLにやらせたらできるかも知れないという考えが多賀の頭に浮かんだ。

 自分の素人考えに彼らがどう反応するかと思いながら、
「もしゴッドLがそのシミュレーションプログラムを作ることができるのなら、話は別だけどね」
と言うと、君元は驚いた顔をして多賀の顔を見た。阿南も同様だった。少しうろたえた様子にも見える。

「たぶん、無理だろう。ゴッドLもそこまでは進んでいない」
 阿南が慌てて答えた。


 予期した答えだったので、多賀はそうだろうなとうなずいた。 しかし、彼らが多賀の言葉に驚いたのは何故だろう。阿南の答えはそれにそぐわないような気もした。

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 コンピューターがプログラミングの方向を尋ねてきた。
 方向を定めるデータが中に存在していないのだ。外から入力してやらなければならないが、阿南にはどのような指示を与えれば良いのか判断できない。間違った指示を与えれば、今までの苦労が水の泡となってしまう。これがゴッドLの難しさであった。

「駄目か」
 君元が画面を覗きながら言う。
「はい、ここで間違ったら、全てやり直しですからね」
 阿南は画面から目を離さず答えた。

「しかし、多賀はこんなところで問題が起こるとは言ってなかった」
 君元は眉間にしわを寄せ、阿南を避難するような目で見る。

「言いませんでした。彼にはそこまで説明する義務はありませんからね。彼は我々の質問に答えていただけです。彼にとって我々の質問はその場の興味本意のそれに過ぎませんから、尋ねられないことには答えなかったのです」

 君元はどうするか迷った。
「多賀に教えて貰うしか手段がありませんね」
 阿南はディスプレイの画面を叩いて言った。

「しかし、もうそれは危険かも知れない。これだけのものを考えだした男だ。頭は切れる。これ以上MTAについて質問したらさとられてしまう」

「仲間に入れたらどうです。金で買収するとかして‥‥‥」
「駄目だね。今までどうしてあんなに迂遠な方法で苦労してきたと思う。彼の性格分析からそれは無理だと言う報告があるからなのだ。イディオロギーからの説得は不可能。金での買収は不可能ではないが、成功は二十%にも満たない。二十%に賭けて試みる案も考えられたそうだが、失敗したら二度と接近できなくなるということで没になった。残るは脅迫による手段だが、これを彼に対して用いることは逆効果で役に立たないそうだ」

 君元は頭を抱えるようにして椅子に座った。

「それが、本当なら、彼は我々のようなサラリーマンには向いていませんね」
 阿南は薄笑いを浮かべ、皮肉っぽく言う。

 君元は黙って首を縦に振った。
「他の技術者をあたってみたらどうです」
 今度は首を横に振る。

「無理だ。仲間の中にいる技術屋では‥‥‥。それなら初めからこんな苦労はいらない」
「まだ他にいるでしょう」
 阿南はペンで画面をこつこつと叩き始めた。

「それは、世間には多賀より優秀な奴はいるだろう。仮にそいつに引き受けて貰っても、MTAを理解して貰う時間がない。プロジェクトはスタートしているんだ」

「なぜ、初めからそうせずに多賀を利用したのですか」
「発案者が彼であったうえ、利用するに一番いい位置にいた。そしてゴッドLがあるからだ」

「やはり、多賀に助けてもらいますか」
「うん、そのために彼はこの工場に配属されたのだ」
 黙って二人を見ている皆川に、阿南は目を移した。
「皆川にやって貰いましょう。彼なら疑われずに済むかも知れません」

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 多賀は工場敷地内にある社宅の一室にいた。

 工場に勤務している社員は一部の数人を除いて、独身者も妻帯者もこの四階建ての社宅に住んでいる。独身者には食堂が用意されて居り、三食ともそこでとれるようになっていて、多賀も勿論そこで食事をする。

 夕食の時に甘粕が今夜伺いますと言って飲む真似をして見せたので、彼の来るのを待っているところだった。甘粕は多賀に負けず劣らずアルコールに強い。こんな山の中にいると他に楽しみがない。たまには街へ出ることもあるが、近頃は億劫になって部屋でやることの方が多くなった。

 甘粕がやってきたが、一人ではなく皆川を連れていた。彼が多賀の部屋へやって来るのは初めてである。

「珍しいじゃないか」
「来る途中そこで逢ったので連れてきました」と甘粕は言った。
 多賀は冷蔵庫から氷を持ってきてテーブルに置く。最初の一杯を多賀が作った。甘粕が持ってきたつまみの封を切り、いつものように酒盛りが始まった。

 ラグビーの話、仕事の話、たまに出かける観光地の話など、暫く話が弾んだあと甘粕が、皆川が多賀に聞きたいことがあるそうだと言って、彼を促した。

「先日、多賀さんに説明して貰ったのですが、一つ判らないところがあるのです。教えて貰えますか?」
 皆川が遠慮がちに多賀の顔を窺った。
「MTAのことか。何が判らないんだ」
「いいですか?」と言って皆川は多賀の机の上に転がっているペンとメモ用紙を取ってきて座り直す。

 皆川は内容を喋りながら図を描き始めた。
 酔いが回っている頭を振って多賀はそれを見ていた。
 皆川はMTAに相当興味を持っているらしく、悪い気はしない。多賀はその質問にいろいろなケースを想定して回答した。

 皆川の質問はそれだけだった。そのあと三人は夜遅くまで飲んで語った。

 翌朝、多賀は起き上がって床の上でぼんやりとしていた。頭がずきずきと痛む。今日が休日であったことやいつもより気分良く飲めたせいもありついやり過ごしたらしい。

 ようやく立ち上がって顔を洗って戻って来る。昨夜の残骸がテーブルに散らかっていた。

 侘しい気持ちが一瞬心をよぎった。祐子が居れば、既にこんな物はきれいに片付いて朝食が用意されているはずだった。しかし、こんな朝は祐子の機嫌は悪いだろう。東京に居た頃でも家に多賀の友人を呼んで飲んだあとの翌日は一日中口をきいてくれなかった。

 空きびんや紙屑と一緒に転がっていたシャープペンシルをとりあげる。

 昨夜、皆川がまたMTAのことを持ちだしたので、このシャープペンシルでメモ用紙に書いて説明したのを思いだした。内容は何だったか記憶に残っていない。書いたメモがあるはずだと思い、辺りを見回したが見つからなかった。

 後片付けをゆっくりしたあと、一汗かいて残ったアルコールを追い出そうと思い、トレーニングウエアの着替えにかかる。

 外に出ると若い家族持ちの連中が、家族サービスのため何処かへ出かける支度をしていた。

 多賀は彼らに声を掛けて脇を走り抜けた。
 若い妻帯者は家族と一緒に社員寮に住んでいるが、比較的年配の社員達は家族を東京に残している単身赴任者が多い。たまに東京へ帰る者もいるが、彼らの休日は退屈である。多賀も今日の予定は何もなかった。

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