八、

 赤い二本線のトレーラーはなかなか見つからなかった。
 篠山は係長が応援によこした富沢刑事と二人で電話をかけたり、直接脚でまわったりして、探索を続けていた。

 一度藤沢でボディの横に赤い対角線を入れたトレーラーを見つけたが、二本ではなく一本だった。それでも念のために出向き運行表を調べてみた。だが、そのトレーラーは二台とも六月十三日には東京近辺には居なかったことが判り、その確認も取れた。それ以後該当しそうなトレーラーはまったく浮かび上がって来ない。

 赤い二本線の入ったトレーラーは比較的目につき易いはずである。相模ナンバー或いは湘南ナンバーだと範囲も限定されているのにどうして見つからないのだろうか。もしかすると偽ナンバーを付けていたのかも知れないとも思うが、そこまでするだろうかという疑問もあった。

 普通、人は何か特別のことでもない限り、車のナンバーなど覚えようとはしないものだ。

 あの場合、無線を傍聴されなかったら誰もトレーラーが事故に関係していたとは思わなかったはずであり、ナンバーを覚えられるおそれなどほとんどなかったと言ってもいい。

 だが、現実には相模或いは湘南ナンバーだということが覚えられていたのだから、犯人達もそこまで気をまわした可能性がなきにしもあらずか‥‥‥。

「そこまで用心深くないでしょう。偽ナンバーを使うほどでしたら、赤い二本線の入ったトレーラーなど使いませんよ」

 篠山の向いに座っている富沢が言った。
「考えすぎか」
「そうですよ。私だったら、ナンバープレートに気を使うよりも目だたない車を使いますね」

「そうだな」篠山もそう思う。
 犯人達の無線の会話から推測できるトラップを仕掛けるときの際立った振る舞いを考えるとその点だけが腑に落ちない気がする。

「トレーラーは、簡単には手に入らないだろう」
 篠山は茶碗に残っているお茶を飲んだ。冷めていてまずかった。
「いや、金さえ払えば買えますよ」
「そう言う意味じゃない。人に知られずちょっと借りるということだ」
 新しいお茶を入れようと立ち上がった。富沢も立ち上がり一緒についてくる。
「盗むのですか」
「それは危険だ。普通の車と違って大きいので見つかり易い。犯人達はそんな危ない橋を渡らないだろう」

「そうですね。そう限定されると難しいかも知れませんね。でもできるでしょう」
「そう、目だつ絵が描いてあろうがなかろうが、車を選ばなければ何とかなる」
 お湯が手にかかり、思わず熱いと言って手を引っ込めた。
「手にはいるトレーラーは赤い二本線が描かれていて、比較的目だつがやむを得ず使用したというわけですか」

 席に戻って座った。富沢は立ったまま篠山を見おろしている。
「そうだが、ちょっと違う」篠山は富沢を見上げた。
「目だつ絵が描かれているものしか手に入らないとしたら、どうする‥‥‥。消すのが難しかったら手を加えて別の模様に見せかけようとするかも知れない」

「成るほどそうか‥‥‥。でも後で塗料を落として元通りにするのは大変ですね」

 確かに手間がかかる。しかし、あれだけ手の込んだトラップを仕掛けた連中だそのくらいのことはやっても当然だろう。

 ボディの絵に細工の跡が残っている可能性があるかもしれない。二人は一度調べたトラックをもう一度あたることにした。

 今まで調べた運行表の結果から、相模または湘南ナンバーの保冷車、冷凍車で、事故のあった六月十三日午後九時から十時の間に現場に立ち回れる可能性を持ったものだけをピックアップすると二百数十台という数に達する。

 更に少し細工をすれば模様が対角線に変えられるトレーラーだけを選んで、二人は再度脚を運んだが、塗料などが残っているような細工の跡があるものはなかなか見つからなかった。

 国府津にある運送会社で最後のトレーラーを調べ終って篠山はうんざりとした。
「まいりましたね」
 富沢もお手上げだという顔をしていた。

 これだけあるトレーラーの中で一台くらい赤い二本の対角線が入ったものが在ってもよさそうであるが、全く存在せず、しかも細工をしたような車もない。もしかすると、道路公団の職員は記憶違いをしていたのかもしれないと思えてきた。

「そうかもしれませんね」
 富沢は目の前にあるトレーラーのボディを手で叩きながらいった。
 二人はトレーラーの側まで案内してくれた社員に礼をいって引き上げようとした。

「あの‥‥‥」
 その社員は帰ろうとする篠山達を呼び止めた。
「何ですか」

「ボディの模様に細工をするのなら、塗料を使うよりはカラーテープを使った方が簡単だと思います」
「カラーテープ‥‥‥」

「そうです」
 彼らも現にはげ落ちた塗料の補修に間に合わせであるがよく使っているらしい。そして銀色のテープを使えば模様を隠すこともできるともいう。

 篠山はそれを聞いて愕然とした。言われてみれば当然のことである。
 模様を描き変えるのに塗料を使うとは限らないのだ。もっと早くカラーテープに気が付くべきだったと思った。

 二人は疲れた身体を引きずって東京に帰った。トレーラーのカムフラージュにカラーテープを使ったとすると、使う量を制限しなければ、痕跡もなしにどんな模様でも自由に描き変えることができる。調べる範囲は一挙に広くなり出発点に戻ってしまった。

「車用品の店を調べますか。カラーテープを大量に買ったのなら店で覚えているかもしれませんよ」富沢がいった。
「いや」篠山は頚を振る。

 カラーテープを売っているのは車用品の店ばかりではない。それに範囲を何処に限ればいいのだ。例え都内と神奈川だけに絞ったとしても、とても二人だけで捜し出せるものではないだろう。
 ナンバープレートに関して公団職員の覚え違いも考えられるが、そうだとすれば手がかりは赤い二本の対角線だけになってしまう。大捜査で人数が多ければ、首都近県全てをしらみつぶしに探すことも可能だろうが、これはたった二人だけの捜査である。やはり相模と湘南ナンバーに絞って、もう一度初めからトレーラーを洗うしか手段がない。

 六月十三日の事故現場に立ち回れる可能性のあるトレーラーの運転手を徹底的に調べようと思った。

 このことは最初に考え、最初に実行すべきであった。しかし、トレーラーの捜査を始めたとき、聞込みにいっても運転手と車は何時も仕事に出ていて、殆どの場合会うことができないことが判ったので、ついつい安易なトレーラーの模様だけにとらわれた捜査をしてしまったのだ。

 洗い直しが始まって二週間が過ぎた。
 やはり、運転手に会うことは難しかった。彼らは荷物を運んで毎日日本中を駆け巡っている。一人二人だけに会うのであれば待ちかまえていればいいのだが、何百人もの運転手を調べようと篠山達二人も自分達のスケジュールで飛び回らなければならないので、そんなことばかりをしてはいられなかった。

 従って当然のことながら、会えたのは、たまたま運転手の帰って来る時刻に合わせて出向いた場合だけであった。

 二人は日本の経済の一端を見せつけられている思いがした。
 調べているうち、彼らは、多くの場合、一定時間毎に会社へ電話連絡して来ることが判ったので、今まで半数の人たちと電話で話すことができた。しかし、二週間たった今でもピックアップした三分の一も調べ終っていない。

 二人はこの二日ほど小田急沿線の運送会社を片端から調べている。今日は朝から厚木に出向いていた。

 泊運輸という小規模な運送会社だった。保冷車は二台しか保有しておらず、その日は偶然にもその二台とも仕事に出てなかった。

 篠山と富沢は駐車している二台の間に立った。
 ボディの模様は前方の下端から斜め上方に赤い二本線が引かれ、なかほどで下方へ折れて垂直に下端に届いている。

 篠山は垂直の部分を手で覆った。
「この部分を銀色のテープで隠し、ここから赤いテープで線を延長したら対角線になる」

「そうですね」富沢は同意した。
 更に後輪の傷を調べてみた。擦傷は金属部に無数にあったが、仮にこの車が事故を起こした車であったとしても、事件後、時が経ち過ぎているので、証拠になりそうな田上の車の塗料など付いているはずもない。

 走行記録を見ると二台あるトレーラーのうち一台が六月十三日に前橋に行っている。帰って来たのは午後十一時三十分で、時間的にも合致する。

「この時、運転していた人に会いたいですね」
 篠山は泊運輸の社長片山に言った。
「実はもういないんですよ」
 彼は申しわけなさそうに短く刈った胡麻塩の頭を下げた。

 運転手の名前は合川尚児、二十九才であった。彼は五月に募集広告を見てやってきて、六月十五日に辞めており、未払い分の給料もまだ取りに来ていないらしい。

 篠山は合川の人相を尋ねた。
 髪は短めで、顔の輪郭はどちらかと言うと丸く、眼は一重だが大きい方である。身長は百七十五センチくらいで少し細身だ。性格は暗いところもなく誰とでも気軽に話をしていた。

 片山は近くにいる女子事務員に時々尋ねながら篠山の質問にそう答えた。

「他の人達と違って礼儀正しいところもあったわ」
 女子事務員が付け加えた。
「そうだ。コピーがある」
 片山は合川尚児の大型免許証のコピーをとってあると、ファイルを納めてあるキャビネットを開けて探し始めた。だが見つからないらしく、おかしいなと呟きながら、女子事務員に尋ねていた

 ファイルはとうとう見つからなかった。
「くさいですね」富沢がいった。
 篠山はうなずいた。ついに見つけたようだ。

 たぶん、合川自身が自分の素性が割れないようにファイルを持ちだしたのだろう。
 だが、おそらく合川尚児という名前は偽名の可能性は少ない。
大型の運転免許証という障害があったため、偽名を名乗れなかったはずだ。
 その足で篠山と富沢は片山が辛うじて覚えていた厚木市内の合川尚児の住所に行ってみた。思っていた通りその住所には住んでいなかった。

 相当用心深いが、自分の足取りを消そうとして犯行を自供しているようなものだった。あの交通事故は明らかに殺人だという確信がますます大きくなってきた。

「動機は何でしょうね」
「うん、合川と田上の関係を探らないと何とも言えないが、どうも別のところにあるように思えるな」

 ことによると合川と田上の間には何のつながりも見いだせないかも知れないという予感めいた思いが篠山の脳裏をかすめた。

 田上一人を殺すのに随分大がかりなような気がする。合川という男は田上を殺すために泊運輸に就職しており、さらに事故を起こすのに少なくとも三人以上の人間が関わっている。

「田上は何かの陰謀に巻き込まれたのですかね」
「それとも、その真只中に最初からいたか‥‥‥だ」
「田上のいた会社‥‥‥」

「富士オートマトンか」
「そうです。その富士オートマトンの中で何か起きたのではないですか」
 富士オートマトンはロボットがロボットを造る新工場を建てて以来、マスコミが大きく取り上げたため、日本中の話題になっている。

 田上は新工場の工場長になる予定だったそうだが、篠山に話をしてくれた重田専務は新工場の建設に田上の存在はことさら重要でないような素振りを見せていた。確かに新工場の建設は田上の死と無関係なごとく予定通り進み、既に稼動を始めているらしい。

 大企業ともなれば田上の替わりなど幾らでも存在しているだろう。田上の死など大きな問題ではないかも知れない。しかし、新工場の建設に田上が深く関わっていたことは事実なのだ。個人的な殺人動機が見つからない現在、動機はその辺りにあるのかも知れないとも思える。

 合川尚児が本名だったら、大型の自動車免許を持っているということから探し出すのは難しくない。陸運局に問い合わせると即日返事がきた。

 合川尚児の本籍地は千葉県山武郡成東町というところだった。そして、免許証の現住所は片山に教えられた厚木市の住所になっていた。免許証の現住所を書き換えることまでして、田上の殺しを用意周到に準備したらしい。

「住所変更をしたのなら、厚木に前の住所が残っているかもしれませんよ。問い合わせてみましょう」
 富沢刑事はそう言って、電話を取り上げた。だが、合川の以前の現住所は判らなかった。篠山は本籍地の方は千葉県警に依頼するつもりだった。

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