九、

 南富士工場の付近は標高が千メートルに近い。冬ともなると、雪国のように雪が積もることはないが、一度降った雪はなかなか消えない。日の当たる日中は別として曇った日や夜間には気温が氷点下となる。

 このことは工場を管理しているコンピューターにとって都合が良かった。超電導材料を使って造られているZ5−TAROは、勿論常温でも作動するが、より安定な作動を保証するために低温に保たれている。したがって、気温が低いと、この低温を保持するためのエネルギーが少なくて済み、運転コストも安くなる。

 しかし、この季節は人間が住むには少し厳しい。近くにある別荘地の中は殆ど無人になり、辛うじて管理事務所の管理人と数軒あるペンションのオーナー達が居るのみである。

 勿論、県道沿いには昔から住んでいる人達がいるが、十数軒が疎らに散在しているに過ぎない。土地は溶岩台地の上に火山灰が積もったものであり、痩せていて耕作には適していないため農業は小規模な牧畜が主体である。

 杉下哲生は三十年もここで酪農を営んで居り、現在、乳牛を二十六頭飼っている。早朝、いつものように乳絞りに牛小屋に向かった。

 寒い季節になると乳の出が悪くなる。その上、最近輸入などで乳製品が供給過剰気味で牛乳の価格が下落している。往復びんたを食らっているような昨今であった。農協からの借入金も限度一杯借りており、利子を払うだけで精一杯である。

 そして、息子は既に家を出て三島でサラリーマンをしている。
「酪農もわしの代でおしまいだな」と思っていた。

 牛小屋の戸を開け搾乳機のポンプのスイッチを入れた時、何か変だと気が付いた。牛達に落ち着きがない。何かにおびえているという様子だった。

 猫か犬が入り込んでいるのだろうと思い、薄暗い小屋の中を一頭ずつ見て回った。

 足の裏にぬるっとした感触が伝わり、牛の糞を踏んだのかと思って、下を見ると黒っぽい液体だった。

 流れ出てきた先を眼で追って顎然とする。
 牛が両足を突っ張った格好で横たわっているではないか。
 突き当りの壁板が破られており、微かに白んできた外の光を導き入れていた。

 牛の腹が不自然にへこんでいて、脇に積まれているものが何であるか気が付き、思わず顔をしかめた。牛の腹が裂けてはらわたが外にはみ出ている。一瞬、病気かと思ったが、こんな病気などあるわけがない。

 杉下は近くにあるサファリ動物園を思い浮かべた。この辺りには家畜を襲う野生動物はまったく居ない。あそこから逃げだした猛獣が牛を殺したのだろうか。

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