お尻を撫で回して、お礼を言われた話

 まだ学生だったときである。我々は谷川岳一の倉沢で合宿をしていた。その日、各二人づつパーティを組んで、各ルートに出かけた。私は4年生の先輩と組んで、その登はんルートに挑戦した(実はどのルートだったか忘れてしまった)。
 先輩がトップを私がセカンドで登り始め、何ピッチ目かであった。高度もかなり上がり、クラックにたどり着いた私が、今度は確保の体勢をとり先輩を送り出した。やがて彼の姿は岩陰に消え、少しずつ出ていくザイルを私は目で追っていた。暫くすると、そのザイルの出がぴたりと止まってしまった。苦戦しているなと思いながら、待っていたが、それきりピクリとも動かない。まあ落ちたわけではないからと思って、気長に待っていると、そのまま30分が経過してしまった。
 たまりかねて、大きな声で「どうしたんですか」と声をかけた。
 すると、うめき声のような応答が返ってきたが、何を言っているのか判らない。私はもう一度大声で尋ねてみた。
 しかし、先輩はまたうめくような、そしてまた、息張っているような声で応答してきた。 「こっちへ来て、手伝ってくれ」といっているように聞こえる。
 ビレーピンから身体をはずして、クラックを伝っていくと、先輩が不安定な姿勢で岩にかじりついているのが見えた。
 そして、私の顔を見ると自分の頭上を指さす。
 そこには、場所柄、信じられないものがあった。巨大なお尻が先輩の行く手を塞いでおり、彼はそれを撫で回しては、時々渾身の力を込めて押し上げようとしている。その大きさから言って間違いなく女性の尻である。岩の間に挟まっているらしく、上半身は上に出ていて全く見えない。身体を空中に乗り出して、その割れ目を乗り越えれば簡単に通過できたのだが、おそらく彼女は高さの恐怖から、それができず、自分のサイズを忘れて割れ目の中を通ろうとしたらしい。
 彼女のパートナーは男性らしく、上から励ましの声が聞こえている。
 私は手伝おうと先輩の脇まで行った。狭いので先輩と抱き合うような格好で手を伸ばした。両手を離すと自分が落ちてしまうような場所なので、二人とも片手しか使えない。力を合わせて思いっきり押してみたが、手がめり込むだけで全く動かない。更に、あちこち手の位置を変えてやってみたが、全く駄目であった。しかたがないので、勇を鼓して、股の中に手を入れて押し上げてみた。すると、手応えがあり、ずるっと持ち上がった。そして、そのお尻はずるずると、何ともいえない感触を手に残して、空の彼方へ消えていった。  汗だくの二人はほっとして、一息つこうとすると、上の方から、
「どうも、ありがとうございました」という声が降ってきた。
 先輩を見ると、その顔にうれしそうな、それでいて情けなさそうな、なんとも表現できない表情を浮かべていた。きっと私も同じような顔をしていたに違いない。
 その後、頂上まで登りきって、先ほどのお尻はどんな人だったのだろうと思って、探してみたが、相手の尻とこちらの顔を突き合わせただけだったので、結局判らずじまいだった。

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