四、−−−−−−−−−−−−−−−−−

 サンエイ仏商の前の道路は今日も溢れるような車の洪水だ。
 渡辺が外回りから戻ってきて暑い暑いといいながら、自分の机の前に座った。九月も終ろうとしているのに、今年の残暑は長く、未だに涼しくならない。

「社長も飲みますか」渡辺はアイスコーヒーを作りに席を立った。
「伊奈田の鬼は本当にいたのですかね」
 涼しそうに結露したコップを勝間田の机におきながらいう。

 渡辺はあんな恐ろしい目に遭いながら、もうそれを忘れかけているらしい。
 公民館の焼け跡を警察が捜索をしたが、仏の骨以外に僅かな量の砕けた骨と骨灰を見つけただけであった。それを、現在調べているらしいが、坂上の話ではそれが何であるか、結論はでないだろうといっていた。

「先生は面白いことを最後にいっていましたね。社長は信じますか」
「そうだな・・・・」
 咲畑は伊奈田にいた鬼は古代では神と崇められた存在だったが、やがて時代が進むに連れ、邪神として忌み嫌われるようになり、更に下っては化物・幽霊として恐れられ、ついには狐理の類にまで成り下がったものだといっていた。

 そして、鬼はネス湖のネッシー・ヒマラヤのイェティ・カナダのビッグフット・中国の有尾人、また古くから船乗り達に恐れられていた大海蛇などの未確認動物の一つではないかという。

「でも、日本にはそんなものはいませんよ」
「いやいる。河童やツチノコもその類だ」
「鬼と違って、人を食ったりはしませんね」渡辺はにやっと笑った。

「日本の話ではないが、十八世紀にフランスにジェヴォダンの野獣という事件があったそうだ」
 勝間田は渡辺がまだ聞いてなかった話を始めた。

 この事件は四年間に百人以上の犠牲者が出て、三十人以上の負傷者があり、その間、軍隊まで出動して元凶ともくされる狼や得体の知れない獣、人間などが次々と殺されていった。

 しかし、その都度殺戮は繰り返され、そして、いつのまにかおさまってしまった。この事件は詳しく文献に残っており、当時の文化、政治にまで影響を与えた。だが、この真相はいまもって謎に包まれ未解決のままである。

「犯人は人間なのか、獣なのか全く判らなかったらしい」
 実をいうと勝間田は未だに鬼の正体が咲畑のいう未確認生物なのかどうか、信じきれないでいる。そして心の何処かに、鬼は人間であったのではという疑問が残っている。そのことだけでも、確かにジェヴォダンの野獣事件に似ていると思う。

「でも、それだけではまだ人は信じないでしょう」
「古墳で田川が桃太郎の話をしていたといったな」
「いえ、鬼ガ島の話です」

「まあ、どっちでも同じことだが‥‥‥。咲畑先生は古代人が対岸から、船で鬼のいる伊奈田に遺体を運んで来て桃の陰形を残したということは『桃太郎の鬼退治』話の原型ではないかといっていた」

 古代には伊奈田のようなところがあちこちにあり、それがもとで桃太郎の話ができあがっていったのだろうという。
 坂上が警察犬が怯えているといっていたが、桃太郎が犬、猿、雉を連れていたことにもつながる。鬼を察知するため、桃太郎、いや、古代人が鬼ガ島にくるとき連れてきたのだ。

 伊奈田で経験したことはよく観察してみると、不思議なことに我々がよく知っている話と合致する点が沢山ある。その話というのは、昔から語り継がれてきた民話やおとぎ話だ。

「例えば、葬式を出したあの遺体が喰われたことだ」
 あれは教授が見て思わず口走った人身御供という言葉に象徴されている。
「白羽の矢が立って、人身御供を差し出す話を知っているだろう」

「岩見重太郎のヒヒ退治ですか」
 話を面白くするため人身御供は生娘になっているが、ヒヒに喰われるというくだりは鬼に喰われることに通じている。

 また、白骨死体で発見された七個の遺体は、まさに安達ケ原の鬼婆が旅人を殺して喰うという話そのものだ。
「船着場の魚が喰われていたのを覚えているだろう」
「ええ、覚えています。ヤマンバの話だ」
 渡辺は積荷の魚を喰われてしまう牛方とヤマンバの話を思いだした。

「そして、ヤマンバの底無しの食欲のため牛を喰われ、最後に牛方自身が追いかけ回される」
 最後の晩、人々が次々に喰われ、我々も追いかけ回されたことがそのことなのだ。

 渡辺は見なかったが、勝間田達四人が見せられた伝説の雷獣もある。教授は地下の陰神が怒って落雷を呼ぶと記紀に記載されているのは地下の穴にいる鬼のことをいっているのだともいった。

「社長と崖から落ちそうになったのは狐か狸に化かされたのですね」
「うん、そういうことになるな」
 伊奈田にいた我々は語り継がれてきたおとぎ話や民話を、現代に身をもって体験するという千載一遇の機会に立ち会った。

 酒井さんが伊奈田にきた本当の目的はこのことだったのではないだろうか。
 そうでなければ彼には一週間も滞在する理由は見あたらない。

 彼は民話を採録していて伊奈田のことを薄々感じ取り、我々の周りに起こったことを田島から聞いたりして、確信していったのだろうと咲畑教授はいっていた。

「二度と、あんな体験をしたくないですね。‥‥‥でも、いまの話が何故鬼の存在の証明になるのですか」
「先生はそれらの話ができたのは鬼のせいだというのだ」
 昔の人が伊奈田のような事件を見て語り継いでいき、印象に残った事柄だけが強調されて各々の話のようになったのではないかという。

 酒井さんが生きていたら、伊奈田の例に相当する民話をもっと沢山あげてくれたかも知れない。
「しかし、桃太郎の話以外は鬼がでてきませんね」
「そうだ。そこで一発屋が登場するのだ。一発屋は鬼のダミーだそうだ」

「ダミー‥‥‥、替え玉ということですか?」
「うん‥‥‥。田川や風祭が最後まで一発屋がおかしいといっていたのは、彼が鬼のダミーだからなのだ」

 咲畑教授は一発屋が鬼ではないという証拠があるのに、何故二人が彼に拘ったのか不思議に思い、いろいろ考えたすえ、民話を収集している酒井さんが、伊奈田に滞在している理由について思い当たった。

 そして、民話と伊奈田を比較してみてダミーに気が付いた。
 鬼は自分の存在を他に知られない能力に長けており、それだから、今日まで誰にも知られず存在していた。

 その最たるものがダミーを使う能力であり、鬼は自分の存在が追求されそうになると、それを作り追求者の目を逃れようとするらしい。
 沢山の鬼が存在していた昔でも、誰にも知られなかったのはそのためだ。

 鬼婆もヤマンバも、そして、ヒヒも鬼のダミーなのだ。
 奴は近くにいる他の生物を自分の替わりとして見せかける。昔の人はダミーを見て、そのまま信じて民話を語り継いだ。
 だから、それが狸や狐だったら、狐狸に化かされたということになる。

 先ほどのジェヴォダンの野獣の件も、背後に伊奈田の鬼のようなものが存在しており、撃ち殺された人や獣はダミーだったので殺戮は止まらず、犯人も人か獣か判らなかったのだと教授はいっていた。

「鬼はそれだけではないが、人間を食べて生きている。だから、地球上の食物連鎖の頂点に立つ存在なのかも知れないそうだ」

 しかし、早い時代に知能の発達した人間との生存競争に負けて減少していったのかも知れないともいっていた。

 渡辺はもう一つだけ、不可解なことがあるのを思いだした。
「社長と教授だけは、何故、鬼に遭っても躯が動いたのですか」
「そのことか‥‥‥」勝間田はちょっと含み笑いをした。

 咲畑教授も不思議に思っていたようだが、勝間田には判っていた。
 このことだけは坂巻医師との約束があるので、例え渡辺であっても話すわけにはいかない。話せばどこかから漏れて坂巻医師に迷惑がかかり、ひいては後々の商売にも影響を及ぼしかねないのだ。

 勝間田が長岡で坂巻医師の話を聞いた翌日、田川と渡辺の古墳での事件が起こった。そして、二人の身に起こったことが自分にあったらかなわないと思い、坂巻医師の話が本当であれば、覚醒剤を飲めば防げるのではないかと考えた。

 そこで六日目の朝、坂巻医師を説得して、ベンゼドリンを四錠手にいれ、風邪薬と称して咲畑教授にも飲ませたのだ。
 しかし、あの時はそれが鬼の切札的能力を抑え、奴を退治する原動力になるほどの効果があるとは思ってもいなかった。

 考え方によっては古代の鬼の力に近代科学の力が勝ったといえないこともない。但し、覚醒剤という、少しとうが立ったものだったが‥‥。
「先生と私は、ここのできが違ったのかも知れない」頭を指さした。

「まさか‥‥‥。社長の頭が教授と程度が同じだとは思えませんね」
 渡辺は鼻先で笑い飛ばした。
 その時、電話が鳴り、渡辺が取り上げた。葬儀の依頼電話のようだ。

「何処だ?」電話を置いた渡辺に尋ねた。
「坂田落合だそうです」変な顔をして答える。
 坂田落合は富士川沿いの南アルプス側に入ったところにある集落で、かなりの遠隔地である。しかも、あちらの方で宣伝活動を一度もしたことがない。

「あの辺りで、一度商売するのもいい宣伝になるな」
「ええ、そう思って引き受けたのですが・・・」渡辺の顔が蒼くなっている。
「どうしたんだ」
「お寺さんの手配を頼まれました。宗派を問わないそうです」
「・・・・・」
                       終り

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