私の事例その2

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 前回に続いて、私の経験の話です。私が小学校の頃、私の家は学校の隣でした。説明が難しいのですが、家と学校の間には当然壁があります。私の家には大きなボイラーがあり鉄骨で支えられた大きな煙突がありました。私の家の玄関は2階でしたから、玄関から煙突の鉄骨の上に乗り移り反対側に回り込むと学校の敷地内におりることが出来ました。

 ある日、いつものようにその煙突の鉄骨の上を歩いて家に帰ろうとした時、バランスを崩してしまいました。実際には墜ちたら死んでしまうような高さではないと思うのですが、その時私は「ああっ、これで死んでしまう。」と思いました。そして瞬間的に頭から墜ちて死んでしまう自分の姿を想像しました。するとどうでしょう私が生まれてからその時の記憶がいっぺんに戻って来ました。

 死ぬ間際の一瞬の間に自分の人生を全てくり返して見えるという現象です。楽しかったことや、苦しかったことなどそれまでの一生の内の全てのことが頭の中によみがえって来たのです。当然もうとっくに忘れてしまっていたようなことも全て思い出したのです。

 それまでの人生の全てのことを思い出したあとで私は自分の人生を深く反省していました。その後お尻が壁にぶつかって気が付くと、それはほんの一瞬のことだったのです。私は無意識に別の鉄骨を掴んでいて墜落を免れたのでした。

 当時の私はこのようなことが起こるのを知りませんでしたし、もちろんはじめての体験です。不思議なこともあるものだなあと思っていました。

 後になってそのような体験をした人が他にもいるということを知りました。十何年間のことを一瞬で全て思い出すというのは、普通の人間の頭脳では出来るわけはありません。それでも一種の火事場のくそ力的なものが頭脳の働きにもあるのかなあ?などと考えていました。

 当然このような現象を科学的に証明などということは出来ないのです。まあ、実際に経験のない学者の人なら、錯覚だとか、脳の潜在的な機能が働いたとかいうのでしょうがどうもそうではないような気がします。

 これは、ずいぶん後になってから考えたのですが私なりの結論があります。あのとき私は自分の人生を思い出し考えたのではなく、感じたのだということです。一種のひらめきでもあるわけなのですが、それなら時間的なことの説明が出来ます。以前に私が雑話「胸のふくらみ」の中で書いたように、人間は数式ですら感じてしまうことが出来るのです。

 岩清水さんからのご意見で、「リーディング」に関しての指摘がありました。今回のこの私の経験は「リーディング」にも関係があると思っています。私が思うには、「リーディング」なども考えるのではなく、感じることが重要なポイントであると思っています。次回からは、この感じるということを中心にやはり私の体験を混ぜて書きます。そして徐々に「リーディング」にふれて行きたいと思います。

 補足の必要があります。私のこのような体験は一部の人たちには、臨死体験として解釈しているようです。私の場合などを考えると、別に私が死にそうになったとか、半分死んだというような状態ではありません。ただ、死ぬと思いこんだだけなのです。私の体験は臨死体験ではないと思います。本当の臨死体験というのは別にあります。これについてもいずれふれたいと思っています。

(1997/04/15)


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