生と死、そしてその判定

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 しばらく間があきました。このコーナーも別に終わったわけではなかったのです。 私自身は以前メールにて紹介された本を読んでいる途中です。「弓と禅」と「秘められたインド」を入手出来ました。まだ途中なのですが、どちらもおすすめの本であることは確かです。近いうちに感想を書きますが、興味があるのならご自分で読んでみることをおすすめします。

 さて前回の「輪廻転生」でも書いたように、私は魂というものは存在していると思っています。そのように考えた場合と、魂などないと考えた場合では生と死の問題なども全然ちがったものになります。

 判りやすく書いてしまうと、肉体の死というものは、肉体の機能が停止すると同時に魂が外へ抜け出てしまった場合のことになります。言ってしまえばこれだけのことなのですが、このようなことをいままで考えていなかった人の為に、少々くどいですがその事がどのような意味を持つのか書きます。

 まず言えるのは、人間の本質が魂であるのですから肉体の死はその人の魂が、現世から(通常人にとって)未知の世界へと移動するだけにすぎないのです。ということは、死というものはその人の消滅ではないと言うことなのです。

 ここで一つ気を付けなければならないのは、肉体の機能の停止が「肉体の死」とイコールではないと言うことです。たとえば「幽体離脱」というもの、もちろん私には経験ありませんが、この場合肉体は正常に機能していて、魂だけ一時的に肉体を離れている状態と思われるので、魂は抜け出ていても、生きていると言うことになります。

 肉体は「魂」の入れ物ですから、その肉体の機能が停止してしまうと、その中に魂が居続けることは出来ません。その場合には肉体的な死の判定は別に難しいものではないと思われます。しかし状況により微妙なケースも多々考えられます。

 たとえば、医学の進歩で肉体だけで生かしておくことが出来るようになりました。その為、魂が完全に抜け出てしまっていても、心臓が動いていたり、体温が暖かいというようなことがおこり得るようになりました。これは俗に言う「脳死」と多くの場合一致するのですが、全く同じであるかは判りません。

 もう一つ俗に言う「植物人間」のケースなのですが、これは「魂」がまだそこにいるのか?もう抜け出てしまっているのか?ということが問題になりそうです。「魂」が完全に抜け出てしまって、別の世界にいってしまっているのなら、もう回復することはないでしょう。しかし「魂」がまだそこにあった場合も考えられます。肉体の機能の大部分が失われ、「魂」があるにもかかわらず、人間的なコミュニケーションをはかる方法を持っていないという可能性もあります。(「脳死」と「植物人間」とは同じではないのか?といわれると思いますが、私は少しだけちがうものだととらえています。)

 肉体的な生死の判定には、難しいものがあると思うのですが、本来(あくまでも私の思う本来)なら、「魂」の存在を最重要な問題としてとらえるべきではないかと思います。「魂」の存在を無視したうえで「脳死」がどうのこうのいうのは、間違えだと思っています。

 もしも身内に「植物人間」になってしまった人などがいるのなら、信頼できる能力者に魂の存在を見てもらったらいいと思います。(現実には難しいけれど)

 たとえ法律で「脳死」がどのように決められようとも、そんなものに惑わされる必要はないと思います。ある種の「科学信仰」に偏った人達の意見ですから、それが絶対に正しいなどと言うことは言えません。(残念ながら法律により社会的な制約は受けざるを得ないことは事実ですが)

 輪廻転生を前提に考えると、「生」も「死」も共に絶対的なものではないと気づきます。で、その結果もっと本当に大事なものが他にあるのではないかと思うのですが、それが解るようなら、私は今ごろこんなことをしてはいないでしょう。たぶんとっくに解脱してます。

 最後に私の憶測なのですがおまけを書きます。「ロボトミー手術」というのがあります。脳の一部を意図的に破壊すると、その人間は判断力をなくしてしまい、人の言うことに実に素直に従うようになる、というものです。これなどはもしかしたら、脳の核になる部分の破壊をして、「魂」を追い出してしまっているのかも知れない、などとも思っていたりします。(もちろんこのような手術は禁止されています。)

 おまけのおまけ、「ロボトミー手術」で破壊する部分が脳の中の「魂」の保管場所かも知れません。

(1997/06/13)


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