自由と制限 (第103話)

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 愛とは自由です。人を愛する為には、まず自分を愛さなければなりません。「自分を愛することが出来なくて、何で人を愛することが出来ようか」という言葉は私にとってかなり重要なものだと感じています。これと「愛は自由である」と合わせて考えると、自分自身に自由を与えないことには、自分を愛することも出来ないし、人も愛せないということになります。

 そもそも私達の本質である意識というものは、全く自由な存在です。というか、自由な存在でした。それこそ何を考えても自由なのです。ただそれによる当然の成り行きによる結果はついてくるのですが、もともと何ものにも害されることの無い意識にとってはそれほどのことではありません。

 でも私達は実際にはそれほど自由を感じている訳ではありません。現実としてはいろいろな制限のもとにあるのです。まあこれは自由というものを体験する為に制限された状態を選んでいるともいえるのですが、どうも実際は制限の影響力が大きすぎてもともとの自由な状態になかなか戻れないということが実際のようです。

 さてここで、いろいろな制限について考えてみようとは思いません。なぜならあまりに沢山ありすぎて、挙げきれないからなのです。しかしここで重要なことがあります。誰にでも外部からの制限を受け付けないものがあります。それは私達の意識なのです。しかしこの意識をも制限するものがあります。それは自分自身である意識によるものなのです。なんか持って回った言い方に成ってしまいましたが、「私達の意識は、自分自身でそれを制限しない限りは自由でいられる」ということなのです。

 意識が本当に自由でいられたのならなにがおこるでしょうか?全ての現実は意識を反映して出来上がっています。創造の原点は意識にあるということなのです。意識が本当に自由でいられるのなら、それはやがてその人にとっての全ての制限をなくすことも可能だと言うことなのです。

 さてここで私が言いたいのは、この自由というものは私達の現世側の意識についてだけをいっているのではないのです。私達の魂や精霊(内なる神)自体が制限を受け入れているのです。ちょっと遠回りになるかも知れませんが、精霊について、このことを説明します。

 私達の生命(いのち)でもある精霊は、私達の内なる神でもあります。それは私達ひとり一人の現実を作ることや、全宇宙の知識を引っ張ってくるなど、私達の現世側の視点からではとてつもなく「神らしいもの」なのです。でも大事な事は、全知全能などというものではありません。概念としては理解していてもまだ体験していないので全てのことを自分のものとして消化しているわけではないのです。

 意識としての精霊の初期の段階を想像してみましょう。この意識というものはエネルギーなのです。そのエネルギーの波形というかデータは最初はきわめてクリーンな状態で、個として独立しているということだけの存在なのです。まあ言ってみれば、買ってきたばかりのハードディスクで最低限必要なシステム以外には何も入っていない状態のようなものですから、精霊とはいっても最初は何も知らないのです。自分自身すら良くわからないのです。それは自分というアイデンティティが確立もしていないということなのです。そして制限ということの意味など当然のことながら理解している訳ではないのです。

 私達が過去において体験してきたものは魂の中に記憶されています。それはそれはいろいろな体験を繰り返して来たのでしょう。それがあって今の私達がいるのです。それらの経験が私達からみて精霊が内なる神と見えるゆえんでもあります。精霊と魂が共同で現世側の私達にとって神を演出しているのです。(この言い方がいいかは自信ない) 別の言い方をすると、過去の体験により自分自身(精霊と魂)の真実を作ってきているのです。

 さてさて大事なことは、それぞれの真実は過去の体験により作られたものであり、長いこと制限の中にいる為に、その制限自体が真実に組み込まれてしまっているということなのです。ぶっちゃけた言い方をすると、精霊と魂自体が自分自身に対して制限を作ってしまっていると言うことでもあるのです。

 もっとやさしく言うと、精霊と魂は自由を知るために、制限を体験しています。この制限というのは何も現世側の私達の制限だけではないのです。私達は死んでからもいろいろな制限があるのです。この制限されていると言うことに精霊と魂が気づくことのより、自由を体験でき、本当の自由な世界に戻ることが出来るのです。

 私達の精霊と魂は経験により学んでいます。それにより真実を作り上げている訳なのですが、その経験とはどこから来るのでしょうか。そうです、それは私達現世側の経験なのです。ここのところはとっても重要なことだと思うのですが、私達(表面意識)が自分を許すことを体験し、自分を愛することを体験していないと、精霊と魂も自分を許すこと、自分に自由を与えること(要するに制限を取ること)を知らないこともありえるのです。もちろん過去生で体験している場合もあるでしょう、それは全くの個人差なのです。もしその体験がまだだった場合、精霊と魂はあれこれと自分(表面意識)をコントロールしようとしてきます。自分自身を許すことを知らないのですから、やはり自分自身の一部である表面意識を許せないのです。結果として表面意識としては好ましくない現実をあれこれと起こすことになるのです。

 自分自身を許すこと、自分を愛することは、とても大切なことなんです。愛というものがどんなものであるかわからないのに人を愛することは出来ません。その前に自分を愛することが必要だし、そのためには自分自身に自由を与えることが必要になるのです。もし自分が該当していると思った方がいたのならこのように考えてください。「私は自分を一番大事なものだと考えます。自分自身を愛し許します。自分自身に自由を与え、その喜びを感じます。」もし気になるようだったら、声に出して話してみてください。自分自身に話しかけるように。何かしらの反応を身体に感じたのなら、貴方は自由になれました。(私が断言して良いのかは知らないけどね。もしやってみてうまくいかなくて、気になるようだったらメールしてね。他の文章を考えます。)

 上の文章は、否定的なカルマを解消する為にも役立つと思います。カルマは精霊と魂がそれを信じている限り、現実として起こりえるのですから。それを解消する為には、自分自身を許し愛することを宣言するのがひとつの方法なんです。(カルマにこだわるということが、いかに愛にそむいているかということを、よく理解する必要はありますよ。)

 さてさて多くの人にとってはこっちの方が本題になるのですが、自分自身を制限しているのは自分の精霊や魂ばかりではありません。むしろ多くは表面意識の方が自分自身を制限しているのです。精霊や魂はもっと自由にやりたいことをやって、生きることを楽しんで欲しいと考えている場合も多いのです。たとえば表面意識が世間体や常識にこだわりすぎていて、本当にやりたいことをやらなかったりした場合などのことです。まあ本当は何をやりたいのかも、表面意識でわかっていないケースも多いので難しいところではあるのです。結局は人それぞれにより、状況が違うと言うことなんです。

 制限ということに話をもどします。普通の場合、制限というと、金が無い、時間が無い、能力が無いなどいろいろなものが出てきます。しかしこれらのどの制限も私達の意識のありようで、いずれは全て解決できるものなのです。制限の中で最も問題になり、影響が大きいのは、私達の意識での制限なのです。言い方を変えると、現実と思われる、この現世で貴方におこってくる全ての制限は、意識の制限が元になっているのです。意識の制限さえなくすことが出来るのなら何でも出来るのです。どのような現実も創造出来るのです。でも、その意識の制限をなくすことが、なかなか難しいんです。

 意識の制限というのは何を言うのでしょうか。たとえば私は以前他のページで、歳をとるのを止めたと書きました。普通だと、何を馬鹿なことを言っているんだ、とか、自分にはそんなことは出来ない、とか、やってみたいけど、うまくいくのかな?などと考えてしまいます。すんなりと、「私も歳をとるのは止めよう。私はずっと今の若さのままでいるんだ。それ以外には考えられない。」と思えないんです。こんなことは信じられないとか、もしそれを望んでいても、人には言えないなどと考えてしまいます。

 私が言いたいのは、実際に歳をとるとか、とらないとかの話をしているのではないのです。ただ考えることでさえ、なかなか思うようにならないのです。考えていることを即座に自らの制限に当てはめて、それが可能かどうか評価してしまうのです。その結果、ただ考えることもなかなか難しいことになってしまうのです。結局のところ、私達を制限しているものは、私達の考え方なのです。

 少し紛らわしいので、くどいかも知れませんが補足しておきます。もともと何を考えるかは自由なんです。だけどそれを自ら制限してしまっているのです。そしてその自ら制限するという行為も自由なのです。私達は絶対的な自由の中にいながら、自らを制限するという自由を行使してしまっているのです。対策は言葉だと簡単です。「自らの考え方を制限(評価)しない。」ということなのです。そんなこといっても、なかなか上手く行かないよね、って考えた人もいるでしょう。それも制限なのです。

(2003/08/24)


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