質問の答え(因果律など) (第104話)

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 次のような御質問のメールを頂きました。

いつも楽しく読まさせて頂いてます。 神との対話で解らなかったこと等が、具体的に理解出来たりととても感謝しております。 ホントは静岡までいってお話させて頂きたいぐらいなのですが、メールでの質問で申し訳ございません。ご質問は下記の通り幾つかあり、くだらない質問もありますが宜しくお願いします。

1、 指導霊について具体的に教えて下さい。聖霊、大いなる神との関係?
2、 墓、仏壇の重要性。
3、 風水、または六星占星術(H.K氏)などの運命(大殺界)の存在。(それ自体カルマ?)
4、 大いなる神のもとにおける因果律。(物を盗んだら盗まれれるみたいな←これ自体も地球の神が創り出したカルマ?
5、 感情について(魂が喜んでるとかが良く実感できずわかりませんでした。)
6、 個人的に前世などは知っといたほうがいいのでしょうか。

また、神との対話で出てくるような意識を持続するのが日常生活の中で、むずかしいのですが秘訣はありますか。やはり瞑想などで潜在意識を鍛える?のがいいのでしょうか?(ごく一部変更してます。)

 なんというか、なぜか好感の持てる質問をありがとうございます。おそらく他にも多くの人が同じような疑問を持っているかと思います。とりあえずひとつずつ私の見解(真実と考えているもの)を書くことにします。

1、 指導霊について具体的に教えて下さい。聖霊、大いなる神との関係?

 以前のページで、指導霊について何回か触れています。あの頃とは少しだけ私のとらえかたが変ってきています。というか相変わらず私はその様な存在を無視しているので、現時点で私にその様な存在がいるのかどうか、はっきりしないのです。それでもまあどのような存在であるのかはわかりますからそれを書くことにします。

 いきなりわかりにくくなってしまうかも知れませんが、意識体としての存在には全てのものに明確な境界はありません。つながっているのです。指導霊と呼ばれるものも意識体であり、それはもっと上位?の意識体の一部であると考えられます。まあ簡単に言ってしまえば、「天使」の一部だと考えることが出来ます。この一部ということは、天使であるといっても間違いではないということなのですが、同時にそれだけをみて、それが天使であると考えるのも正しくはないということなのです。

 では、その天使とは何でしょうか。簡単に言ってしまえば肉体を持たない意識体(精霊)のことです。もちろん私達の内なる神である精霊と本質的には同じものなのです。違うのは肉体をもった経験があるかという違いなのです。天使は肉体を持たないぶん、けがれを知らないのですが、肉体をもって生活することに対する根本的な理解がないと言うことでもあります。

 他にも考えられます。肉体を持ったことがあったり、今もっていても、それがこの3次元世界で無かった場合には、それらにコンタクトをとった場合にそれを天使のように受け取ることもあります。で、それは天使ではないというのかというと、言葉の定義の問題に成ってしまうのです。結局のところ、明確な区別などはつけられないのです。それにどっちにせよ大きな違いはないのです。私達も天使であるといっても、それは間違いでもないのです。結局全てのものは、エネルギーとしての精霊によって支えられているのですから、みんな一緒だし、つながっているのです。物事を分けることが出来ると考えるのは、幻想の一部なのです。

2、 墓、仏壇の重要性。

 これは簡単に言えば、必要だと思っている人には必要だし、いらないと思っている人にはいらないのです。もしかしたら、先祖の誰かを拝んでいるつもりで自分を拝んでいるのかもしれません。私自身はこのことはあまり重要視はしていませんし、戒名などで馬鹿高い金額を払うことなどは馬鹿げた事だと考えていますが、まあそれでも本人がどう考えるかが問題なわけで、他の人に止めろということも出来ないのです。

 基本的に最も重要なことは、自由の尊重だと考えています。だから墓や仏壇が大事だと考えている人に異を唱えることは必要ないと思っています。ただ大事なのは何事にせよ、「やらなければ成らないことなどは何も無い。」ということなのです。そういう意味では、先祖は祭らなければならないと考えるのはあまり好ましいことではないと思います。やりたかったらやれば良いのです。

 ついでに書いておくと、「御先祖を大事にしなければいけない。」と人に言うのは、人をコントロールすることになります。いわゆる「べき論」なのです。本人がやりたければそれは勝手なのですが、人にそれを強要すると言うのは、私の価値観ではあまり良くないことだということになります。

 必要かどうかという意味で答えると、やったほうがいいかもしれないが、どうしても必要なことではないと言うことに成るのでしょうか?でも、本当に大事なことは、今時点の自分自身がそのことに対するとらわれから抜け出すことの方がずっと重要なことだということです。それにどうせ拝むのなら、どうせ大事にするのなら、自分自身にしたほうがずっと良いことだと思います。もし真剣に祖先を敬うとしたら、それは自分自身をその祖先より下におくということになり、自分自身の成長を著しく阻害してしまうことになるのです。

 私の意見ですが、自分自身より上には何も置かないということが大事なことだと思います。それが自分の成長の、自分の自由の為なのです。どうしても自分自身より上に何かを位置づけたかったのなら、聖なる神(大いなる全てのもの)だけにしましょう。先祖も親も先輩も先生も師も天使も神々も、とにかく誰であっても、あなた自身より上に位置づけるのは止めましょう。言葉の定義の問題でちょっと紛らわしいのですが、別に大事にするなといっているのではないのですよ、無条件に尊敬し従うというようなことはしてはいけない、本質的には自分と対等であると考えろということを言いたいのです。

3、 風水、または六星占星術(H.K氏)などの運命(大殺界)の存在。(それ自体カルマ?)

 占星術などの占いについて言うと、自分自身の精霊の力で自分の人生を生きていない場合にはあたります。これはある程度以上の人間(精霊)がそれが正しいと考えている為に、それが現実化する力が働くのです。しかしその力は個人個人にとってはあまり強いものではなく、自分自身の力で生きている場合にはほとんど影響はありません。あくまでも個人にとっては、その個人の創造力の方が強く働くのです。

 別な言い方をすると、全ての占いは信じるならその様な現実が創造されて当たるのです。まあ個人の創造の為の触媒と言うか、補助と言うのか、そういうレベルでの影響が出るのです。占いを信じるかどうかはその人の創造の一部だということなんです。

 結局のところ、自分にとって好ましい占いなら信じれば良いし、それが嫌なことだったら信じなければ良いんです。とはいっても、気の弱い人だと悪いのだけ信じたりするからこまりものです。むしろ自分で自分の現実を創造することに関心を持っていったほうが間違いが無くていいと思います。

4、 大いなる神のもとにおける因果律。(物を盗んだら盗まれれるみたいな←これ自体も地球の神が創り出したカルマ?

 因果律という言葉も人により捉え方が異なっていて、私とまったく別な考え方をしている人もいると思います。私なりの最もわかり易いと思われる説明だと因果律は創造の一部であると言うことが出来るのです。わかりやすく言うと、誰かが何かしらのエネルギーを出すと、それに類したエネルギーがまた帰ってくるのです。たとえばこの例の盗みの場合、盗まれたら困るなあというエネルギー、もしくはチャンスがあったら盗みたいというエネルギーのどちらかあるいは両方を誰かが発信したとします。(ちなみに、どちらもエネルギー的にはかなり似たものだと思います) それが創造システムにより、自分のところに戻ってきて、それに類する現実が起こるのです。

 因果律で考えると、盗んだら盗まれるというのではなく、盗みに関するエネルギーを出したから盗まれるのです。盗んだということが原因ではなく、そのエネルギーを出したことが原因で結果が起こるのです。このエネルギーの法則はごく自然な現象であると考えられます。それは意図的ではなく、オートマチックに例外なく現象として起こるという意味です。言い方を変えると因果律とはエネルギーの法則の一部であり、創造システムの重要な要素であるということが出来ます。それは良いエネルギーを(言葉や態度で)出せば良い現実が起こるということも意味しているのです。

 この意味での因果律は、エネルギーの法則ですから、その所要時間もエネルギーの移動に関係するものになります。ですから比較的早くその結果が帰ってきます。早ければその瞬間、ながくてもおそらく数ヶ月程度だと思います。ちなみに個人的な創造の場合ではそれが現実になるまで何年も掛かることがあります。それなどはエネルギーの移動の為の所要時間ではなくて、ある程度の現実化の臨界点までそれが溜まるために必要な時間なのです。

 カルマというものはもっと長い期間にわたります。それに意図的なのです。私は因果律とカルマは全く別なものだと考えています。気が向いたらカルマについてもう一度書きます。(気が進まないときは、書けない)

5、 感情について(魂が喜んでるとかが良く実感できずわかりませんでした。)

 この質問には明確に答えようが無かったりします。「喜び」は嬉しいとは異なります。喜びとは最高の感情の状態であるともいえます。ただ今生きている人間の中で何パーセントの人が喜びを感じたことがあるのか、それもわからないのです。思いのほか少ないのかも知れないし、ほとんどの人が感じているのかもしれないのです。

 ただひとつ言える事は、魂(精霊)は生きることに喜びを感じています。ほとんどの時、喜んでいるのです。これは確かなのです。ただ問題はその喜びが表面の意識(つまり我々のこと)まで伝わってくるかどうか、あるいは表面の意識がそれを拒絶せずに受け入れているのかが問題なのです。

 うまく説明できないのですが、「喜び」の反対語は「退屈」なのです。喜びとは「変化すること」であり、「成長すること」なのです。「退屈な人生」を送っている人は、喜びを見つけることが難しいのではないかとも思えます。

 結局のところ、喜びは自分自身の中を探して見つけ出すしか方法は無いように思えます。けっして外から与えたり出来るようなものではないのです。自分の心の中を探求していれば必ず見つけることが出来ると思いますよ。

6、 個人的に前世などは知っといたほうがいいのでしょうか。

 ごく一部の例外を除いて、知っている必要は無いと思います。もし何らかの理由があって思い出す必要があるのなら、自然にそれを知ることになるでしょう。それは今体験しようとしているドラマにその過去が必要な為に思い出したり、教えられたりするのです。それも本当にそうであったのかも実際はわからないのです。もしかしたら、今の体験に必要な為に過去をでっちあげているという可能性もあるのです。

 何を言いたいのかというと、前世を知ったからといって何がどうなるものでもないし、その前世が本当に自分の前世であったかどうかも確認できないのです。じゃそんな時どうしたらいいのかと言うと、自分が過去からのドラマを楽しみたいのであれば、それを信じれば良いし、そうでなかったら、無視してかまわないのです。誤解されそうなので言い方をかえてみると、「今を生きる」ためにその過去が必要であればそれを知っていても良いけれど、そうでなかったら知らないほうが「今を生きる」為には良いということなんです。

また、神との対話で出てくるような意識を持続するのが日常生活の中で、むずかしいのですが秘訣はありますか。やはり瞑想などで潜在意識を鍛える?のがいいのでしょうか?

 「神との対話で出てくるような意識」とはどのようなことを意味しているのか判らないのですが、いえるのは、自分の本質は肉体ではなく意識であるということはいつも思っていたほうが良いと思います。自らの精霊や魂を意識することにより、それらとの結びつきは強くなり、力も強化されていきます。

 「神との対話」にも簡単ながら瞑想のやり方が書いてあります。瞑想をやることはどちらかと言えば好ましいことだとおもいます。(やらなければならないと言うわけではないです) だいじなことはその人が何を望んでいるのかということで変ってきます。

 精一杯人生を楽しんでいるのなら、べつに何も知らなくてもかまわないんですよね。それはそういう生き方なんですから。

(2003/10/02)


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