質問の答え(意識レベルについて) (第113話)

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 「存在の目的」は次にまわすことにして、ご質問に対しての私の答えを書こうと思っています。ただ何となくですが、「存在の目的」という問題に対して今回の御質問の答えが関係あるような気もしています。

 ご質問も少し長いので少しずつ貼り付けて、その部分ごとに私の返事を書くことにします。

僕も「ラムサ・ホワイトブック」を読んでとても感銘を受けたのですが、ひとつ解明されない疑問があるのです。

「ラムサ・ホワイトブック」の中に、都市は社会意識という濃密な意識で覆われており、高い意識は自然の中でこそ体験されるのだというくだりがあります。

私たちが社会とかかわりを持って、社会の中で生きていく限り、波動の低い意識の中で生きていくことは、ある程度はやむをえないことですよね。

それとも、波動を上げるために、誰も住んでいないような本当の自然の中で、人や社会との接触を絶って生き、自分の波動を上げることが、あるべき生き方なのでしょうか。

この疑問は、望月さんが、魂の部屋の第90話「ラムサの教え」の中で述べられていた疑問とそっくり重なるような気がします。
つまり、幻想の中で幻想を楽しんでいきるべきなのか、それとも、幻想とは接触を絶って、幻想から抜け出すことを選ぶのかということです。

 たしかにラムサは自然の中で高い意識を体験できると書いています。これに対しての私の理解なのですが、都会などでの濃密な意識のレベルが低すぎることに問題があるように思えます。仮の話ですが、もしも地球の意識レベルがもっと高くて、人々が(精神的な意味での)自然に生活をしているのなら、都会でも差し支えないのだと思っています。まあ現在の社会意識のレベルといえば、きわめて低いとしか言いようが無い状態なのですから、それに比べて自然が持っているエネルギーの意識レベルのほうが遥かに高いと言うことなんだと思います。

 悪いことに人間であるがゆえに、その低いレベルの意識に左右され易いのですから、もし自分の意識を高い方に持っていきたいのなら都会での生活は避けた方が良いということになりそうです。

 ご質問の文章の中に「あるべき生き方」という文があるのですがこれは少し気になります。とにかく何にせよ、これはしてはいけないとか、こうしなくては成らないと言うことは無いはずですから、この部分は「もし意識レベルを上げたいと思うのなら、それを自然の中に見出すように。」という意味でとっておけば言いように思います。

 都会に住んでいる人が、だからと言ってすぐに引っ越さなければ成らないというわけでもないと思います。まあ都会の中では高い意識レベルは体験しにくいと考え、それなりに自然と接する機会を持てばいいのではないのでしょうか?

 ついでに書いておくと、ラムサのビデオの中で、何十年も洞窟にこもって瞑想しているような人を茶化したような部分があったと記憶しています。自然の中といっても、そういうのは馬鹿げた事だとラムサはいっているのだと私は理解しました。

 とまあ自然についてはその程度で、ここからが問題の本質になると思うのです。「幻想の中でそれを楽しんで生きるのか、幻想から抜け出すことを選ぶのか」の部分なんですが、最近の私の考えではちょっと微妙に変化してきているのです。というのも、「いったい幻想から抜け出すとはどのような事を言うのか?」という疑問にぶち当たったからなのです。まあ少々荒っぽい言い方なんですが、もし誰かが幻想から抜け出すことを選んでも、それは見方によっては、幻想から抜け出そうとしているドラマを演じていると言うことになってしまうのです。まあ、もちろんそれはそれでも良いのですが、ここで言いたいことは幻想から抜け出すことは出来ないのではということなんです。というのもこの世界の全て(本体である意識はわからないけど)が幻想であるわけで、どっちにせよ幻想の一部であり続けることはしょうがないことだとも思えるのです。もちろんこの場合の幻想という言葉の定義にもよるのですが。

 あらためて書くとこんなことなんです。「やっとこさ幻想から抜け出したと思ったら、幻想から抜け出したと思ったこと事が実はまだ幻想の中での出来事だった。」というようなことに成ってしまうのです。なにしろあちら側の世界も全て幻想の世界なんですから、もし死んで輪廻転生の事実を思い出したとしても、そしてあちらの世界からきわめて薄っぺらに見えるこちら側の世界を見ていたとしても、まだ幻想の中にいることに変りは無いのです。

 さてさて、それでは困りますよね。実は「幻想から抜け出す」という言葉にその誤解のもとがあったのです。言葉遊びに思えるかも知れませんが、この場合は「幻想を幻想と見破る」という方が正しかったのです。その意味は、幻想から抜け出すのではなく、自分の意志で幻想を作り上げていく、そしてそれを自分の作った現実にしてしまうと言うような意味になります。幻想はそれを見破ったなら、それはたんなる幻想ではなく現象になるのです。後になって気がついたのですが、神との対話の中でも見破るという表現をしていました。そこでは逃げ出すと言う表現はしていなかったと思います。私が勝手に逃げ出すと考えてしまったのです。(上手く説明出来ないけど、何となく理解してください。)

 もうすこしわかり易く具体的に書いてみます。現実は意志の力によりどのようにでも出来ます。それはラムサの言い方によれば、知ることによって可能になるのです。では今私達が住んでいる生活環境や諸々のことを自分の意志でコントロールできるようになったらどうでしょうか?それが出来るようになったとき、その人の周りの全てのものはその人の意志による産物になります。それは現実であって幻想ではなくなるのです。少なくとも同じ幻想という言葉を使ったとしてもそれは全く別なものになっていると言えるのです。

 自分自身の現実を自由自在にコントロールできるようになること、それが「幻想を見破る」と言うことになり、ある意味では幻想を克服したと言うことに成るのです。そしてそれが出来た存在を真のマスターとよぶのです。

 若干ご質問の本題からそれてしまったような気がするのですが、これを機会に今まで書いたことの一部の訂正とさせてもらいます。この説明をする為にいい機会になりました。m(__)m。

 質問の続きです。

実は、自分の人生に悩んで何人かのリーディングの出来る人に見てもらったのですが、みなさんおっしゃることは同じで、この世での経験を積みなさい、体験しなさいとおっしゃるのです。

わたし自身、おっしゃられることが正しいことは非常によく分かります。自分が、あまりこの現世での体験が豊富でないことは、自分が一番よく知っているからです。

だけれども、「ラムサ・ホワイトブック」を読んで感銘を受けたりしている自分としては、そこでどうしても疑問を感じてしまうんですよね。

つまり、この世での体験を積むこと、すなわち、仕事や恋愛や人付き合いなどに没頭しても、ラムサ曰くところの「社会意識」という低い波動をますます自身に固定させてしまうのではないかということです。

 この方がまだ充分に体験を積んでいないとして考えて見ます。まず気になるのは低い波動でしか経験出来ないこともあるということです。ここは高い波動でいることが絶対的に良いことではないと考えたほうが良いように思えます。意識レベルの高い低いはその時々の状態に過ぎません。誰でも生命(いのち)として誕生した時には最高に高い意識レベルにあったのです。その時には精神レベルは最高であっても、何も体験したことの無い、いわゆる無知な状態であったわけで、今のほうが確実に進歩していると言えるでしょう。そして誰でもいつかは必ず最高の精神レベルに戻るのだということも忘れてはならないことだと思います。

 もし体験がまだだと思うのなら、いろいろやってみるのも良いかと思います。ただし多くの人間が陥ってしまっているように、もうすでに体験済みのものを惰性でずっと繰り返してしまうようなことはさけたいものです。それにはどうしたらいいのでしょうかねえ、難しい問題です。

 一晩考えて見ました。現実の罠に嵌らずに、出来るだけ体験を速やかに終わらせる方法です。まずいえるのが自分の心に最大限に関心を払うことです。どんなことがあったときに、どのような感じを受けるのか、何に対して不快感を感じるのか、誰かに何かをされたとき、自分の心はどのようにそれをとらえているのか等などですね。そして次には相手の立場になって考えることです。その時には、自分の心の観察の結果を適用するのです。自分が相手に何かしたときに、相手の心はどうなるのだろうか?なぜその相手がその様な反応を示したのだろうか?意識して観察すればいろいろと見えてくるものがあると思います。その時に大事なことは、「感じること」なのです。

 さて「感じること」でそれなりの情報が集まったとします。そこから重要なのは考えることです。実はこの考えることがすごく大事なのです。人から押し付けられたものを自分自身の真実にするためには体験が必要になります。しかしこの体験をせずに自分の真実にするもう一つの方法があるのです。それが「考えること」なのです。自分で考え出したものはそれは創造行為ですから、そのままその人の真実になるのです。ラムサの本に少しだけこれに触れている部分がありました。それは全くこのことを言ってるのかはわからないのですが、すくなくとも全くの見当違いではないはずです。人に教えられるのではなく、自分で考えて結論をだすことでも、自分の中に叡智を作り出すことが出来るのです。

 さんざんいろんな苦労をして叡智をためるよりは、じっくり考えて、それを疑似体験し、そして自分の考えで叡智にするのです。それをすることで体験の効率は格段に上がるはずなのです。余談ですが、そういった意味では私のページを読んで鵜呑みにするのではなく、自分で考える為の材料に使うことが好ましい使い方なんです。そして多くの人はその様にしていると私は思っています。

 まったく違う観点で考えて見ます。ラムサは何も私達のように現在人間として生存しているものたちだけに教えているのではありません。ラムサは輪廻転生の途中で現在向こうにいる存在たちや天使達に対してもいろいろな教えをしているのです。べつな言い方をすると、ラムサの教えていることは、私達の現実世界だけに通用することではなく、もっと普遍的なラムサの真実を語っているのです。もっと別な言い方をすると、この地上で罠に嵌って、充分以上の経験を積まざるをえなかった存在(私達)をここから脱出させることだけが目的ではないのです。ですからその人が今どんな状態でいようとも、ラムサの情報の価値はなくなるわけではないのです。(この意味、わかってくれますよね。)

 意識レベルの問題に関して言えば、ある程度自由にそれをコントロールする必要があるのだとは思います。まあ下げるのは自然に下がるでしょうから、どうしたら上げられるかと言う事が結局問題に成ってしまうんですが、それだからと言っていつも高いレベルにいる必要もないともいえそうです。私がこんなことを書くのも変なんですが、ラムサやこのページにたどりついたということを考えれば、今の社会的な意識レベルよりもかなり高いところに今あると考えて良いと思います。今のレベルより極端に落とすことが無ければ、経験をしたあと元に(上の意識レベルに)戻るのはそれほど大変ではないとおもえます。

例えば、望月さんは、お酒を飲むべきではないと書いていらして、わたしもまったくその通りだと思うのですが、この社会で普通に生きていこうと思えば、お酒を飲まなければならない場面もあるでしょうし、たとえなかったとしても、お酒を飲めたほうが、この社会の中で上手く生きるには有利だと思うんです。

 質問とはあまり関係無い話になってしまうのですが、酒の話がでたついでにちょっと補足をしておきます。私も数年前までは全く飲まないと言うわけではなかったのです。ただあるとき、ほんのちょっと飲んだだけだったのに、翌日になってからも後頭部に異様な感じがしたのです。まあ二日酔いといえばそうなんですが、何というか脳の中に何らかのダメージが感じられたのです。その時に酒は脳に対してかなり影響が強いと言うことを実感したのです。

 ついでに勝手な理屈をつけて、酒の良くないことを説明しますと、人間は自分が酔っているかどうかの判断を大脳(ラムサでは黄色い脳と言います)で判断します。それは判断の基準が大脳に置かれているということなんです。ところが潜在意識をつかさどる小脳の方がずっと重要で繊細なのです。簡単に言ってしまうと、小脳は精霊(内なる神)が肉体にアクセスする為に使っている通信機なのです。人間が大脳の基準で適度に酔っている時、その同じ濃度のアルコールでずっと繊細な小脳は悲鳴を上げているのです。大脳にはその小脳が上げている悲鳴は聞こえませんから、どんどん飲んでしまうのです。まあ人によってはそれ以上に飲んで、大脳にまでダメージを与えているのですが、それは論外な話です。

 結局のところ、大脳の基準でほろ酔いでいい気分だったとしても、小脳の立場からいうとひどくダメージを与えられていると言うことになってしまうのです。小脳にダメージを与えない量というのがどれくらいなのかは知りませんが、その量で大脳が酔いを認識することは無いのだろうと思えるのです。小脳にダメージを与えているということを認識して飲むのならそれでも酒を止めろとはいいません。御勝手にどうぞと言うことなんです。ちなみに精霊との通信機である小脳にダメージを与え続けたらどうなるのか?という問題なのですが、早い話、内なる神(精霊)との距離が遠くなると言うことなんです。たったそれだけのことなんです。だから多くの人にとってはあまり関心がないと言うことになってしまうんですよね。残念なことです。

 で、ご質問の答えに話をもどします。この社会で生きていくために酒を飲まないということは別にそんなに難しいことだとは思いません。たとえば「医者に止められているから」とか、「酒でえらい目にあっているから、10年間禁酒している」とか、その気になったらいくらでもいい訳は出来ます。それでも飲まされるのは大学のサークルくらいのものでしょう。それよりも、自分のまわりの人に、「人間の本質は身体ではなく、意識なんだよ。死んでも霊になって存在しているし、ほとんどの場合また生まれ変わって来るんだよ。思っていることは現実になるんだよ」というようなことを説明して廻る方がずっと大変なような気がします。なにしろ分からず屋はどこにでもいるし、そういう人たちは自分達の勝手な思い込みを信じて疑わないのですから。

 ラムサも言っているし、神との対話にも書いてあるのですが、大事なのは私達の態度なんです。その方が有利だという理由でそれを続けていると、その人はそういう人間になってしまうのです。その分の埋め合わせを他の努力(修行など)で取り返そうとしても簡単なことでは在りません。むしろ態度を改めるのがもっとも近道なんですから、そこを注意していないとつまらない理由で望んでいない場所に行ってしまうことになってしまいかねません。

また、波動の高い人としか付き合いたくないと考えたら、友達も恋人もほとんど出来ないのではないかとも思います。親とだって、縁を切りたくなるかもしれない。

とにかく、波動を高くする、社会意識から離れて生きるには、俗世間で暮らしていては難しいのではないかと思うわけです。
でも、それだったら、どうしてわざわざ波動の低い物質界に生まれてきたんだろうという疑問も出てきますよね。

ここが本当に難しい。
体験を積むためと割り切って、都市で生き、ひたすら現世の体験を積みつづけるのか。
それとも、ラムサのように、自然の中で自然と交感して、アセンションを志向して生きるべきなのか。

望月さんはどう折り合いをつけていらっしゃるのですか?
僕は、正直言って、もし死んでから自由に選択してよいのなら、もう地球には産まれてきたくないと思っていたりするんですが。(^^)

でも、現世でのすべての体験を経験し終わらない間は輪廻から抜け出せないことになっているとすれば、俗世間に背を向けて自然の中で遊んでいることによって人生を無駄にしているわけですよね。

望月さんはどうお考えですか?

 すでに上のほうで私なりの見解は書いているので、すでに半分は答えている状態に成っていると思いますが、ご質問をきっかけにして書いておきたいことがあります。

 神との対話にも書かれていますが、時間はたっぷりあります。そして私達の旅もまだまだ続きます。その様に考えたとき、いかに効率よく体験を終了させるかとか、自分がどこまで進んでいるから良いとか悪いとか、などの考えは出てこないと思うのです。とりあえず大事なことは、いかに私達の旅を楽しむのかということに関心を向けたほうが良いように思います。どちらが正しいかという基準ではなく、とりあえず今はどちらが楽しいだろうかと言う基準で考えてみるのもよいと思うのです。それにどのような生き方をしたとしても、本当に無駄になってしまうようなことも無いと思います。その意味では気楽に考えて良いと思います。

 さて、なぜ地球に生まれて来たのでしょうか。おそらくなのですが、最初のときは自分を成長させる為、そして2度目以降は楽しいからということなんでしょう。結局のところこの世界に生きていることが楽しいんです。もちろんこれはこちら側の意識が捉えるものとすこし違っているのですが、私はそれは何となくわかります。とにかく楽しいのです。理由を挙げようと思えばいろいろと出てきます。しかしただこの世界が楽しいからという方が、一番あっているようにも思えるのです。

 たとえば明晰夢を見ているとします。そこでは思ったことはある程度現実になります。そして嫌だと思ったものはそこに無いつもりになれば、そこに存在しなくなるのです。しばらくはそこにいて楽しめると思います。でもずっとそこにいたらなにか面白いことがあるでしょうか?「好きなものしかない」と言う世界は、未知にも接触できない(あるいはきわめて難しい)ということを意味します。自分が知っている物だけに囲まれてなにが面白いんでしょうか?いずれ、否が応でも未知なものに遭遇せざるをえないようなこちら側の世界に来たいと思うのは当たり前のように思います。

 こちら側の世界に来るのは基本的には自由意志によるものです。なぜって天使というものの存在を考えてみてください。天使とはこちら側で肉体をもった経験の無い存在(意識)のことをいいます。それらがいると言うことは、全ての存在(意識)がこちら側にこなければならないと言う意味ではないと言うことなんです。まあいずれはこちらに身体を持つという体験をしたくてしょうがなくなりそうですが、それも天使達の自由意志によるものだと考えられます。来てみてこんなはずではなかったと思うことも多々あるでしょうが、それも経験のうちなんです。

 私達はこちら側での体験を通して、一通りの感情的な体験をコンプリートすることを目標にしています。それは一度読み始めた本は最後まで読んでしまおうという感じでとらえて良いのだと思います。一度始めてしまったのですから、それなりの意志をもってその達成を求められるのです。その意志とは自らの内なる神(精霊)の意志であり、それを求めてくるものは魂なのです。別な言い方だと、一度魂の中にスタンプ帳を組み込んでしまったので、全部埋めないと気がすまない(魂が納得しない)ということなんです。もちろんその体験はなにもこの地球に限定されたものではありませんから、他の星に行って体験することも出来るとおもいます。ただある種の体験は、この地球が一番適していると言うことは出来そうです。

 もう地球には生まれたくないというのは、私も同感です。といっても生まれるということが嫌なのです。別に地球が嫌いと言うわけではないんです。というか、なぜか私はこの地球が大好きなんです。今も地球が大好きと書いただけで涙がじいんとしてきてしまうくらいなんです。この地球はすばらしいところなんです。確かに多くの人が、必死で苦しみから抜け出そうとしているのですが、同時に楽しんでもいるんです。まあ、「今、地球にいるから、そのすばらしさがわからない。」ということなんでしょうね。

 私はもう地球には生まれたくありません。だからもし死んだら、地球には戻ってこないでしょう。でも地球が好きだから、アセンドしてずっと地球に居たいと思っているのです。生まれ変ることで全て忘れてやり直すってのは、表側の意識にとってはちょっとやりきれないものがあるのは確かなんです。それが全くの自分ではなく、自分自身のコピーであってもです。

 おもえばラムサは一度も死ぬことなくアセンドを経験しました。もちろんアセンドする前にいろいろと経験したのですが、アセンドしてからの経験もそうとうな物だと思います。人によってはその様な選択も出来るのかも知れません。

 それに関してもう一つ重要な要素があります。これからの地球は今までと比べてずっとアセンドが容易な状況になってきます。いつまでも歳をとらない人たちがすでに現れてきているし、ラムサの学校の上級生のようにこちら側にの身体を持ったまま、別の世界にいけるような人たちが増えてきます。そのうち今までその様なことを否定していた人たちも否が応でも関心を持たないわけには行きません。普通の人たちは死を恐れていますから、その分しゃかりきになって研究を始めるかも知れません。他にも波動レベルの上昇という話も聞いたことはあると思います。どちらにせよ、今までよりずっとアセンドが容易な時代になっていくことは間違いのないことなんです。そして貴方がそのことを見越して、この時代のこの場所に生まれてきているという可能性も大いにあるのです。(この文章をよんで身体に何かしらの反応があったのなら、その可能性は高いのです。)

 つまらないことなんだけど、ふと思ったので書いておきます。もしかしたら50年後は酒の飲めない社会になっている可能性もあります。酒飲みの体験をするのなら今生のうちかもしれません。

(2003/11/27)


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