ガイア・アセンション (第117話)

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 ガイア・アセンションに関して、ご質問を頂きました。ちょっと難しい問題ではあります。ここ数日この質問をきっかけにいろいろと考えてはみたのですが、どのように説明したらいいのか難しいものがあります。私はガイア・アセンションというドラマの真っ只中には入りたくないと思っているのですが、そのわけの説明が難しいのです。そして、私がここでガイア・アセンションについて文章で評価するというのは、良かれ悪しかれいろいろな影響が目に見えない部分で出てくるという可能性もあるのでその書き方も良くわからなかったりします。でもまあ私は私であり、こういう人間ですから、あくまでも私の真実(予測も含んでいます)を書くことにします。(このように考えている私がここにいるという意味です。)

 とりあえず、ご質問の文面を貼り付けます。

私がラムサに出会って、7年ほどたちます。
ラムサの言う「7年かけよう!」というのは、今、なのだろうかと思ったりします。
強烈なランナーとの出会いを含め、ここまでアセンションを第一に考えてまいりました。
地獄のような経験も、今となっては私に気づきを与えてくれた大切な宝です。
自らを愛し、他を愛し、すべてが光になるのをひたすらに待っています。
巷では、もうすぐアセンションの波が来ると言われています。
確かに、人の意識も、自然界も、今までとは少しずつ変化してきています。
無限の想念がひとつのものであるなら、そのすべてが一度にアセンションできるのではないかと思ったりします。
それとも、やはり個々の資質によるのでしょうか。
この時期のアセンションについて、お考えを伺いたいと思いました。

 ラムサを7年やっている方からのご質問なので、それなりの基礎知識はあるはずです。それを前提にして私の意見を書くことにします。一般の人からみると、何故?という部分があるかも知れませんが御了承ください。

 そもそも「大いなる全てものである神」(ゼロポイント)の世界には時間はありません。偉大なる一瞬の中に永遠という時が潜在的に存在しているのです。その視点からガイア・アセンションを考えてみるとどうなんでしょう。そして私達は自由である、という大原則。そして全ての存在に創造するものとしての存在価値があり、同時に存在することに自体に意味があるということ、そして過去も現在も未来も同時に今の瞬間に存在していて、その全てが変化を続けているのです。これだけ一気に並べると普通の人なら何が何だかわからなくなってしまうでしょう。とりあえず、簡単に言ってしまえば、世界はこれらの条件が全て満たされるような構造をしているのです。そしてこの世界に本当に重要なことは存在しているということだけであり、他にはなにも重要なことは無いのです。

 さて、いきなり話をはぐらかしているように感じる人もいるかもしれません。しかし世界とはこういうものなのです。そのほとんどは今までの文章の中で書いてあるのでそれを組み合わせればある程度理解できると思います。とは言ってもそのままではあまりにもわかり難いと思うのでその内の一部を説明してみます。

 ラムサによれば私達の地球と同じような、パラレルワールドは42兆もあるということなんです。そのパラレルワールドとはどういうものかというのは、「どっちにいくの? (第61話)」で説明しています。私達の未来にはいろいろな地球が存在していると言うことなんです。そしてそれは現在の地球もいろいろと存在しているということでもあるのです。

 もう少し具体的な説明が必要だと思います。私がそれを見てきたわけではないので断言できることではないのですが、これから書くようなことが実際におこっていてもおかしくないし、むしろそうなっていないと大きな矛盾が出てしまうのです。

 1999年に人類が滅亡するとか、世紀末思想というのがありました。いわゆる「ノストラダムスの大予言」というやつです。ある程度以上の人がこれを信じて、そうなることを知っていたのならどうなるのでしょうか。実際それを信じて疑わなかった人たちもいたわけです。もうすこし別の表現をするとこうなります。1999年に人類に大災害が起こり、ほとんどの人が死んでしまい、僅かに生き残った人たちが力をあわせて生き延びていく、そういうドラマがあるとして、そういうドラマに参加したいと思う存在もいておかしくないのです。それこそ貴重でドラマチックな体験なのです。そしてそんなときにしか出来ないような体験なのです。それはそれで面白そうだと思いませんか? もし地球が一つしかないのであれば、簡単にそんなわけにもいかないのですが、地球もたくさんあるわけで、希望者にはその様な現実が用意されるのです。

 用意されているというのは、言葉のあやで、実際にはその様な現実を創造してしまったということなんですが、ありがたいことに、その様な体験をしたのはその希望者だけなのです。言ってみれば、ごく一部の人たちだけ「ノストラダムスの大予言」のような災害を経験していて、その人たちにはそれが真実なのです。そして今という偉大なる一瞬の中で、人類の滅亡というものを身を持って体験しているのです。

 さて、ここで疑問が出てくると思います。なぜそんなことが可能なのか、そしてそれは他の人たちにはどのように見えるのかということです。私達は普段意識していないのですが、常時いくつもの並行現実(パラレルワールド)を渡り歩いているのです。自分自身の現実を創造すると言うことは、潜在的な可能性の中からその一つを選び出すと言う事でもあるのです。だから何かを選択したつど、パラレルワールドを渡り歩いているのです。

 「ノストラダムスの大予言」を選択した人たちは、本人達も気が付かないまま、その様な未来が予定されている地球にシフトしていくのです。そしてあるとき「ノストラダムスの大予言」を選択した人たちの地球は、そうではない人たちの地球から分離していくのです。互いの整合性を保つ為のリンクをはずすと言っても良いと思います。そうなると簡単には後戻りは出来ません。たとえばAさんがそちらに行ったとします。Aさんはその瞬間に私達のいた地球から消えてなくなるのではないのです。しばらくは影のような存在でこちらの地球にもいるのです。しかし本体は移動していますから、たとえば交通事故であるとか、急性の病気であるとか、時には自殺かも知れませんが、こちら側の整合性に合わせた形で死んでいくのです。(これはラムサがそういっているのではないです。私が考えた世界モデルです。)

 さて、「ノストラダムスの大予言」を選択した人たちの世界では今頃どうなっているでしょうか?おそらくほとんどの人間は災害で死んでしまっているのです。だから私もそしてここを読んでいる貴方も、彼らの世界では災害で命を落としているのです。というか、彼らにはそのように見えていたはずなのです。

 もともとパラレルワールドというものは私達の視点からでは簡単には理解できるものではありません。そして今書いたような様なことが実際に起こっていたのかどうかはわかりません。それが起こる前に、特殊な能力者がそれを見たということはありえます。それは、その時も今も存在しているのですから。未来予知で、その様な未来を覗いたとしても、それはうなずけることなんです。

 さて、本人が望むのであれば、人類の滅亡の瞬間にも立ち会うことが出来ると言うのは、なんという自由さでしょうか。実際にこのようなことが出来るほど私達の本質は自由なんです。そしてその為に誰にも危害を与えるものではないのです。その様な視点で「ノストラダムスの大予言」をみた場合、なんと壮絶なドラマなんでしょう。そこでの人類はやがて絶滅してしまうかも知れませんが、それはそれで貴重な体験であるとはいえます。とはいえ、「ノストラダムスの大予言」を選択した人たちが少数派であったことは救いでもあります。もしも大多数の人たちがそれを選択してしまったら、(本流の地球も)そうなってしまったんですから。

 さて、ガイア・アセンションの場合はどうなんでしょう。それが一部の人たちの現実である限り、それは同じように支流にしかならないのかもしれません。完全にわかれた別の地球としてずっと存在していくのかも知れません。ただ少なくともいえるのは「ノストラダムスの大予言」よりもずっと信憑性が高いということは確かなのです。それは少なくとも私にはそう見えるとということで、私自身がそれに近づいているということでもあります。

 さてあえて余談で、私の妄想に近い部分なのですが、「ノストラダムスの大予言」を大多数が選んで、本流がそちらに流れないように「ガイア・アセンション」というドラマが用意されたという可能性もあるのです。「ノストラダムスの大予言」に限らず、終末思想は多くの人の中にありました。たとえば新興宗教などでもこのように言っていたのです。そういう破壊的な思想から目をそらすという意味では「ガイア・アセンション」などは格好の脚本と言うことになるのです。(その様な視点から見ると、ガイア・アセンションはすでに最初の目的は果たしたと言うことが出来ます。)

 さて、では何も起こらないのかというとそんなことはありません。多くの人がそれを期待しているわけで、何かが起こります。それはもうすでにそれだけのエネルギーを持っているのです。ただ何が起こるのか、実際にはだれも知らないと言うのが本当のところだと思います。何が起こるのかを決めるのは私達であり、その私達が今後どのように考えていくのか、そして私達の持つ基本的な自由度が高いことを考えると、いったい私達はどのような未来を作っていくのでしょうか?もしかしたら支流で終わってしまうかも知れませんが、、、私としてはもう少し人間のレベルが高くなればそれはそれで充分に良いと思います。

 さて別の視点から、ガイア・アセンションを考えて見ましょう。なにやら「フォトンベルト」とか言うのが大きく関係しているらしいのですが、まあそれは私に確認できる言葉でもないし、いままでも、私の心がこの言葉に反応したという経験もないのです。少なくとも「フォトンベルト」とか関連の言葉で何かしら自分の中に反応があるのならもっと信憑性が高くなるのですが、今の私にとっては、パラレルワールドの方がずっと真実に感じられるのです。

 大きな視点からいって、今の地球はどうなんでしょう。確かに今の人間はかなり愚かで、環境問題などでも平気で自分達の首を絞めるようなことをやっています。多くの人たちが、不安や恐怖の中で生活しています。これなどは是非とも解決しなければならないことでしょう。しかしそれでも地球という場所はすばらしいところなんです。多くの人が、神を見失い、自分が神であることを忘れてしまっていても、それだからこそできる体験がたくさんあるのです。今の地球がそのまま別の次元にシフトしていくことももちろん不可能では無いと思いますが、でもそれなら地球のよさは半減してしまいます。人間がもう少し賢くなりさえすれば、地球は今のままで充分すばらしいのです。

 もしもですよ、もしものこととして考えて見ましょう。もし今のままの地球ではどうしようもないとしたら、どうしても何かしらの手を入れなればならないとしたら、どうしてもガイア・アセンションのようなことが必要だとしたら。地球をコントロールする為にはどうしたら良いのでしょう。一番手っ取り早いのは、過去に行ってそのおおもとを直すのが一番なのです。それ以外にも神が本気でそうしようと思ったなら、それこそ打てる手はいくらでもあります。それでも神は何もしないのです。実はやはり地球もここに存在すると言うことで意味があるのです。そして今地球がいろいろな問題をかかえていても、それはみんなで何とかするというドラマのステージでもあるのです。まあ、全てのことはドラマでゲームのようなものなのですから、ある意味当然のことなんですが。

 だからといってこれを読んでいる人が納得できるかどうかはわからないのですが、ガイア・アセンションもドラマなのです。そしてそれは筋書きの無いドラマなのです。そしてもっと言えば、仮に今は失敗したとしても、究極的には絶対に失敗することの無いドラマなのです。たとえ今回失敗したとしても、またその時代に戻ってやり直すことも出来るのです。それとも別な機会を待つことも出来ます。なにしろ時間というものも一種の幻なんですから。

 誤解しないでください。ガイア・アセンションがドラマであると言っても、それはあまり意味の無いものだと言っているのではありません。もともと全てのものがそうなんですから、それがドラマであるということは、その意味を示すものではないのです。大事なのは、ドラマ自体ではなく、その中での体験や想いなのです。ですからガイア・アセンションがもたらす体験や想いは、いろいろな意味ですごく貴重で価値があるものなのです。

 ラムサも来るべき未来において起こるであろうことを幾つか言っています。わたしはその内容については詳しくは知りません。そして現在の時点においては、あまり知りたいとも思っていません。私が将来どの地球を選択するのか、それは誰も知らないのですから。もう少し詳しく書くと、誰かが将来のことを予言したとします。すると可能性の中でその将来はもうすでに存在しているのです。でも、そこに私達が行くかどうかは私達が決めるのです。もし誰かがその世界を選んだとします。そうしたらその人にとっては、その予言は当たった事になります。でも、それを選ばなかった人にとってはその予言は当たらないということになるのです。このことは予言のようなもの全てに当てはまるのです。ですからあえて言葉にするとこんな風になります。

 「全ての予言はもうすでに(未来の)現実のものになっている、だから予言は全て当たる、しかし同時に予言の当たらない現実も必ず存在する、それは予言をしたという行為をした時点で、その予言が外れた場合の(未来の)現実も可能性として出来ていると言うことに成る。だから全ての予言は当たらないともいえる。問題なのは、その予言を当てさせるのか、外れさせるのかは、私達がどちらの道を選択するのかに掛かっている。」

 ははは(笑)、ちょっとかっこつけて書いてみました。思わず話が予言のことに成ってました。まあパラレルワールドの話だから、そっちの方に話がそれるのは当たり前なんでしょうね。

 さて、話をガイア・アセンションにもどしましょう。極端に言うと、ガイア・アセンションで地球がどのように成ろうとも、そしてそれが私達の視点から見て、成功でも失敗でも、そのこと自体では決定的な意味をなさないということでもあります。問題はその過程での、体験であり、想いであり、学びなのです。(それがドラマということでもあるのですが) 別な言い方をすると、ただ受動的に何かが起こるのを待っていても意味は無いと言うことでもあるのです。その場合だと、なにも起こらないということになるのでしょう。だってその人がそういう選択をしたということに成るのですから。

 私はガイア・アセンションに積極的に参加しようとは思っていません。むしろ、自分自身の覚醒の為の追い風と考えています。だって同じように覚醒を狙っている人が大勢いればいるほど、それが容易になるのですから。ただ冷静に世の中を見てみると、ガイア・アセンションが本流になることはちょっと難しいかなとも感じます。その時、どちらの地球にいるか迷うところではありますが、どちらにせよ私は本流の方を選ぶのではないかと思っています。私は地球が好きですから。

 正直に言うと、地球のことを良く知らない存在から、地球のあり方についていろいろ言われるのは、すこし面白くないという気持ちもあります。ガイア・アセンションにしても、あくまでも地球の存在がやるべきことなんです。そして、それがどのような結果になっても、それはそれで意味のあることなんです。

 そしてあくまでも私の希望ではあるのですが、こちら側の視点からではほとんど変化は無いけれど、地球の見えない部分で劇的な進歩が起こり、気がついたら地球人がいまよりまともになっていたというシナリオが一番良いように思えます。もし光の身体を手に入れたいと思ったのなら、別に死ねば良いことなんです。それは誰でももともと持っているものなんですから。その為にガイア・アセンションが必要だということなどはありえないのです。そして、地球にいることを望む全ての存在は、地球にいることはできるのです。何々だと地球にいれないなどと言うような、べき論で説明されるガイア・アセンションなどはもともと世の中を良くわかっていないための個人的なドラマなんです。そういう個人的なドラマに付き合う必要など私はまったく感じません。というか、べき論的なガイア・アセンションなら、反対する立場に立ちたいものです。

 以上が、現在の時点での私のガイア・アセンションに対しての考えです。これはこの文章が将来の自分自身を制約することが無いようにあえて書いておきます。私の未来は私自身まだ決めていませんから。

(2003/12/20)


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