誘惑 (第119話)

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 最近はひどく落ち込んでいます。今までも何度かそういうことはあったのですが、今度はちょっとレベルが違います。^^ どんな風に違うのかというと、その原因が心の奥のほうにあるのです。心の中でなにか考えているんです。それもあまり建設的でないようなことなんです。ただ表面の私の意識だと、その内容がよくわからないのです。「落ち込み」ではなく「押し込み」とバシャールで書いてあったと記憶していますが、そんな感じなのです。

 さて、今回は誘惑について書くことにします。幸か不幸か私は臆病なところがあるので、今まで誘惑と言うようなものに惑わさせることは少なく、むしろ誘惑などというものが存在しているのかもあまり認識していなかったのです。でもひょんなことから、誘惑の仕組みを理解したのでそれを書くことにします。

 さて私達を誘惑するのはいったい誰なんでしょう。もちろん悪魔などはいません、その人が望んだこと、その人が欲しかったものを、その人の目の前に出現させるのは、誰なんでしょう。勘のいい人ならもうこれだけで、答えは理解できると思います。私達の目の前に誘惑的に出来事をおこすのは、悪魔などはいないのですから神様しかいないのです。でも、その要請を出したのは、ほかならぬ自分自身なのです。

 というわけで、今回の「誘惑」については、本題は終わりなのですが、それだけではちょっと芸が無いので、もう少し詳しく説明します。

 私達は目に見えている肉体だけでなく、目には見えない部分が多くあります。その中でも私達の核になる意識に限っても実にいろいろな側面があるのです。簡単に言えば、私達が考えたり感じたりしている、表面の部分と無意識の領域で普段は認識しにくいものもあります。そして私達の内なる神(精霊)も視点は違いながらも意識を持っています。ときにガイドとして現れてくる自分自身の過去生の意識なども、自分の一つの側面なのです。(まあ、表面の意識としての私達も自分自身の一面にしかすぎないということなんですが)

 まあ簡単に言ってしまえば、私達はみんないくつもの側面をもった、多重人格者だともいえるのです。さて問題なのは自分の中のどの側面も、創造力を持っているということなんです。だから表面の意識から見たら誘惑にしか見えないようなことも現実となって現れてくるのです。

 例を挙げた方がわかり易いですね。たとえばある人は「愛に満ちた高尚な人生」を送りたいと考えていたとします。ところが人間の意識というものはそんなに単純ではありませんから、無意識層のなかで、「ドンファンのような生活」をしたいというものもあったりするのです。これは完全に無意識ではなく、押し殺している願望であることもあります。さて、その人が生活していると、その人の現実の中で「愛に満ちた高尚な人生」を送りたいという願いにそったいろいろな出来事が起こってきます。それをしっかり選択していればそうなります。しかし同時に「ドンファンのような生活」をしたいという意識もありますから、それによる現実も起こってくるのです。具体的に言えば、その人の前に魅力的でその人の理想にぴったりあったような人が次々に現れてくるということなんです。そこで問題なのは、その人を引き寄せたのは、いったいどっちの自分であるのか?ということが問題になるのです。

 結局のところ、どちらの場合もその人の希望にそって引き寄せられて来ているのですから、魅力的な出来事なんです。で、それを誘惑だと考えるのか、はたまたチャンスだと考えるのはその人しだいなのです。どちらを選んでも、あるいは両方選んでも、両方ともパスしたとしても、正解は無いのです。ただその人の選択があるのです。そして、人生はその選択によって流れて行くのです。

 もともと人生において、何々でなければいけないとか、何々をしなければいけないというようなことは何もありません。ただ、こんな自分で在りたいという、魂の要望はあります。「神との対話」の中では、人生の目的の一つは、考えられる限りでの最高のバージョンを目指すのが魂(精霊)の目的だと書かれています。まあ、簡単に言ってしまえば、魂はこの人生というゲームで良いスコアを取りたいと思っているのです。それが自分自身の神性を表現するということだし、それが喜びにつながることだと知っているのですから、当たり前のことなんです。

 さて、自分の最高のバージョンを目指す為にはどうしたら良いのでしょうか?何でもかんでも目の前に現れたものに飛びついていったら、もしかしたら自分の意図しないバージョンに巻き込まれてしまうのです。まあ、あくまでも個人意志ではあるのですが、もしも最高の自分を目指すのなら、低い意識の自分が引き寄せたものはしっかりと「これは誘惑である。」と考える必要があるのです。(本当の意味では何事も良いか悪いかというものはありません、ただどっちだと考えるのかが、その人をそういう人だと決めるということなんです。)

 結局のところ、誘惑を作っているのは、自分自身であり、それを誘惑かどうか決めているのも自分自身なのです。もしも最高のバージョンを狙っていない人にとっては、全てチャンスなのです。それでも注意は必要です。何事にも当然の結果というのはついてきます。目の前にさも盗んでくださいという感じでお金が置いてあったとしても、それをチャンスだと考え、盗みを選択した場合、当然の結果としてそれなりのことがおこりますから。

 別な言い方をすると、全ての出来事が貴方はどんな人間であるのかということを宇宙に表明する為のチャンスなのです。それはそれぞれ当然の結果が待っているのです。

 まあ、高くを望めば望むほど、誘惑は増えてしまうということなんです。それって結構大変かも、^^;

(2004/01/23)


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