怒り (第120話)

魂の部屋に戻る

 怒りというものは、ネガティブなエネルギーの代表的なものです。私の場合も、いつも心のどこかの部分で大きな怒りのエネルギーを抱えていることは承知しています。つい最近も爆発寸前の所まで行ったのです。俗に言う「堪忍袋の緒が切れる」という直前までいったということなのです。こんなときは、衝動的に殺人とかなどの犯罪を犯してしまう人の気持ちが良くわかります。もしその状態でなにか些細なきっかけがあったなら、もう自分でも止められなくなってしまうのでしょう。

 怒りのエネルギーをどうしたら良いのか?というのが、今現在私が抱えている問題の一つなのです。さて、私の場合の問題を整理してみます。おそらく私と同じような人もいると思うので少しは参考になるかと思います。

 私は普段は温厚な方です。それは怒ってはいけないと考えているからではなく、怒っている私があまり好きではないからなのです。それだけの理由でわたしはめったに怒りません。(怒ったふりをすることはありますが)
 それでも毎日の生活の中で苛立ちや怒りを感じることはあります。もう少し別な言い方をすると、毎日の生活の中でネガティブなエネルギーを受け続けていたりもするのです。その怒りの元ともいえるネガティブなエネルギーは、毎日毎日私の中にたまりつづけているのです。まあ、普段怒らないから溜まる一方なんです。

 では、その様なことがなくなるためにはどうしたらいいのかということなんです。根本的?な対策はふたとおり考えられます。一つはその原因となる人物とあまり接触しないようにすること、そしてもう一つは自分自身の中でその怒りに対応している部分を直すことなのです。

 ひとつめの、原因となる人物とあまり接触しないようにするということについて考えてみます。これはもともと堪忍袋がいっぱいになるくらいなのですから、そこそこ日常の接触があるか、古くからの付き合いであるというケースですから、かなり思い切った手を打たないとならない場合が多いのです。もともと容易に接触をたてられるのならその様な状態になることは無いのですから。もしそれなりに深いつながりの人であっても他人なら、その人との関係は依存であったり、執着であったり、期待であったりしますから、その気になればその関係を止めることで解決します。しかし、その相手が家族や肉親であったりするとそうもいきません。いろいろと難しい問題が発生してしまいます。

 もう一つの対策の方も、実は問題があります。いってみれば自分の心にその対策を要求するということなのです。そしてこれはスピリチュアルな人たちの中でも、それで解決するように考えている人もわりといる方法なのです。簡単にいってみれば、気にしなければ良いとか、相手の立場にたって考えることで相手の気持ちを理解してあげれば良いとかの対策なのです。あるいは相手を許すという行為によって怒りを静めることもできます。確かにこの方法で問題が解決することもあります。しかしいっぽうで、すごく根本的なところで疑問がおきてくるのも事実なのです。それはその方法にたよった場合、うっかりすると自分自身の根本的な在り方に反してしまう可能性もあるということなのです。その場合などは、誰かに説明を受けたり、じぶんで気づいたりして、一度は納得して相手を許しても、それにより相手の行動が変るわけではないのですから、また同じことの繰り返しが起こり、一度はおさまった怒りもまたむしかえされてしまうことになるのです。

 上手く説明できないので、少し別な観点から説明します。大事なことは自分自身を愛することなんです。そして自分自身を愛するということは、ありのままの自分でいると言うことなのです。人からの怒りのエネルギーを避ける為に、自分自身を変えると言うのは良くないことなのです。自分を愛した結果(いちどありのままの自分を受け入れ、それを感じ取って)自分を変えるのならそれは良いでしょう。でも時として、その人に対して怒りを感じないようにする為の変化を受け入れたら、自分が本当の自分ではなくなってしまうと言うような場合もあるのです。

 まあ、人それぞれに価値観も、そして(拡大途中である)真実も違うわけですから、むりに相手に合わせるというのは無理なんです。それでもそれをしようとしたのなら、それは自分自身に対しての最大の裏切り行為なのです。

 話を整理します。自分自身の中に怒りをためないためにはその原因となる人から離れる。あるいは自分自身の気づきにより、それを受け流すようにするといった対策ができます。しかしそれもケースバイケースで。その両方とも有効でない(あるいは出来ない)場合もあるのです。それにごくシンプルに誰かからネガティブなエネルギーを受け取ってしまったりすることもあるわけで、結局のところ、自分の心の中に怒りのエネルギーが入ってくるのを避けるのは出来ないと考えるしかないのです。

 ではどうしたらいいのかというと、言葉で言うのは簡単なのです。怒りを何かにぶつけて発散させれば良いのです。紙にいろいろと悪口や不満などを書いてその紙を燃やしてしまうという方法もあるようです。私の経験では、買ったばかりの温風暖房機をけりまくって壊してしまったこともあります。たしかにもったいないのですが、それでかなり怒りを発散できたのは事実なのです。物に当たるというのも一つの方法なんでしょう。

 さて、もう少し違う視点で「怒り」について考えてみましょう。最初に書いたように、怒りというものはネガティブなエネルギーが心の中にあるということなのです。そして、そのエネルギーはともすると本人が気がつかないうちに溜まっています。人によって堪忍袋の大きさは違うのですが、この堪忍袋というものは大きければ良いと言うものでもないのです。というのは、堪忍袋が大きい人がいざ切れた場合、そのエネルギーの量は相当なものになるのです。そもそも「堪忍袋の緒が切れる」という状態は、ネガティブなエネルギーが溜まりすぎて、理性でコントロール不能になることを言います。その時のエネルギーが大きかったら一体何が起こるのでしょうか。衝動的な凶悪犯罪などはほとんどこういうケースだと思われます。

 まあ、それでも一般的な場合にはなかなか「堪忍袋の緒が切れる」という事態にまではなりません。そうなる前に予備のシステムが発動します。それは「八つ当たり」と言います。この「八つ当たり」というものも、端からみているとなんとも見っとも無いものではありますが、それでもその人にとっては必要なものなのです。でも気をつけたほうが良いこともあります。人には当たらないことが大事なのです。何故かと言うと、人に対して「八つ当たり」すると、結局ネガティブなエネルギーのキャッチボールをやってしまうことになるのです。そしてそのやり方がまずいと、キャッチボールのたびにエネルギーが増幅していってしまったりもするのです。

 もし人に当たるときには、あまり直接的でない方法の方が良いのでしょう。たとえばドアとわざと音を立てて閉めるくらいでも、自分が怒っていることを表明できます。難しいのは自分が怒っていることを相手に伝えるということも、「愛」の行為であることもあるのですから、怒らないほうが良いとは断言出来ないのです。まあ怒り方にも工夫がいるということなんでしょう。

 さて「八つ当たり」についてもう少し詳しく書いてみます。八つ当たりとは、本来の怒りの原因に成った対象にではなく、別の対象に怒りをぶつけることを言います。そこで注意して頂きたいのは、本来の怒りの原因が何であったのか本人が自覚していないケースが良くあるのです。そのような場合にどのようなことが起こるのか例をあげてみましょう。

 AさんがBさんから、何かしらの怒りの元を受け取っていたとします。このような場合、Aさんはもちろん、Bさんもその様なことに気がついていません。Bさん自身が自分がAさんを怒らせているという感覚などは持っていないのです。だからAさんも気づかないのですが。さて、二人の付き合いの中でAさんは、怒りのエネルギーを徐々に堪忍袋に溜め込んでいくのです。そのうちAさんは自分でも原因が判らないでイライラしたり、全然関係のないCさんに八つ当たりなどをするようになるのです。そして不思議にことに、AさんはBさんには「八つ当たり」しないのです。もしそれをしたのなら、それは八つ当たりではなくなるし、その段階ではじめて怒りの元凶がBさんであったことに気づくのですが。そもそも堪忍袋が溜まってくるまでその怒りに気づかないというのは、AさんとBさんの関係にも原因があります。というのは、たとえば家族であったり、職場での重要な関係であったりして、簡単に怒りの対象として見ないから、かえって気づかないのです。言い換えれば、Bさんに対して怒りを表明しにくい関係や立場でいるということなのです。

 さて、もう少し突っ込んで考えて見ましょう。Bさんのように怒りの原因を作っている人は、Aさんにとって怒りをぶつけにくい人なのですから、結果としてAさんはBさん以外のところに怒りを表すということになります。(本人も認識していないことが多いのです)世の中で怒りとして発散されるエネルギーの多くは「八つ当たり」として出てくるのです。それは怒りの原因がよく理解できていなかったり、そこに怒りをもどせないことでおこります。

 ちょっと極端に思うかも知れませんが、世の中に現れてくる怒りのほとんどが、この「八つ当たり」であるともいえるのです。たとえば本当の原因がわからないために、世の中に怒りを感じたり、人によっては神に怒りをぶつけたりもするのです。とにかくその人にとって何かしらの悪者が必要になり、そしてそれを作り出してしまうのです。それとも自分自身に怒りを向けてしまう人もいます。それはもっとも困ったことなのです。

 で、問題はどうしたら良いのかということなんですが。まず自分自身の心を観察して本当は自分は何に対して腹を立てているのかを探る必要があります。それが判ったなら、その怒りが正当なものであるのか考えましょう。相手の気持ちが理解できていなかった為であったり、自分の過大な期待(要求)が原因であったのなら、それは自分を変えることで解決できます。この場合、変えなくても原因がわかれば自然に解決すると言うことも考えられます。さて問題なのは自分にも正当に怒る理由がある場合なのです。実はその場合、相手に対して怒っていることを伝えることが好ましい行動なのです。相手の成長の為に必要なフィードバックを与えると言うことは、人間関係としての「愛」なのです。ただ我慢するということだけでは愛のある行動だとはいえないのです。

 そして相手にそれなりのフィードバックをした後、まだ残っている怒りのエネルギーは、なにか人間で無いものにぶつけてしまいましょう。もちろんヒーリングなどでもその怒りの気持ちを癒すことは可能だとは思います。その場合は怒りのエネルギーがどこに行くのかという疑問もないことは無いのです、怒りのエネルギーなどは簡単には消すことは出来ませんから、もしかしたらヒーラーがそれを背負うようなことにもなりかねないのです。

 もう一度整理しますね。怒りを感じるというのは心の中に怒りの(ネガティブな)エネルギーが溜まって出てくることを言います。いちどたまったエネルギーは霊的には物質としてそこにあるわけで、その原因とは関わり無く意識の表面に出てくることが多いのです。それが「八つ当たり」なのです。その対策は出来るだけネガティブなエネルギーを自分に入れないこと、そして入ってしまったものは何かの方法で自分の外に出すことが必要なのです。もちろん「八つ当たり」もエネルギーを外に出す方法なのですが、物などに当たるようにして、また自分に返ってこないように気をつける必要があるのです。

 本当は怒るべきところで上手に怒っていれば、自分の中に溜まることもなく、なにも問題にはならないんです。でも、なかなか上手には怒れないんですよね。^^;

 怒ることは別に悪いことではありません。生命(いのち)としての自然な活動の一部なのです。「愛」との関係を考えて見ましょう。この場合の「愛」とは、「全ての感情の総和」という意味で考えてください。全ての感情が愛の構成要素なのです。このことは「神との対話」に書かれています。だから、愛を感じている人が怒りの原因に成っていたとしてもそれはおかしなことではないのです。そして誰かに強い怒りを感じたからといって、その人との間に愛が存在しないと言うわけではないのです。「愛することを目指しているから怒らないようにする」というようなことは必要ないのです。

 まあ私自身このページでいろいろと書いているわけなのですが、冒頭に書いたようにかなり怒りが溜まったりしています。私の場合も生活環境が大きく変わらない限り根本的な解決は無理みたいなのです。なかなか厄介な問題ではあります。

(2004/01/29)


魂の部屋に戻る