観察者効果 (第123話)

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 人間の行動をよく観察していると、どの人も物事を認識するときに自分がみたいと思うようにそれを見ていることに気づきます。このことを観察者効果とここでいいます。量子学では、電子の観察をするとき、その観察者が期待した場所にその電子が現れるという現象がおこり、そのことから派生した一連の現象を観察者効果といいます。ここで説明するのは、この量子学での現象とは範囲が違いますが、根本的な原理(というか理由)は同じものなのです。

 以前、「真実について」(第28話)でも、少し似たことを書いたのですが、それをもう少し突っ込んで別な切り口から説明します。

 この世の中で、全ての人がそれぞれ自分のレベルにあった真実の世界を自分自身の周りに作り上げています。だからといって、その人がひとりきりでいるわけではなく、同じ現実の中に私達は生活しています。これがどのように出来ているかということは、残念ながら私達の視点からでは完全には理解できるものではありません。ただ、それの輪郭を理解する為にも、もの観察者効果というものが、現実の生活の中でどのように現れてくるのか知っておくのはよいと思います。

 ちょっと話がそれるのですが、この観察者効果というものは、実に様々なレベルがあります。たとえばイエス・キリストが何も無い場所からパンを取り出したというようなケースも観察者効果の応用なのです。そこにパンがあると知って(信じるよりも強い信念という意味です)そこを観察した為に、そこにパンが存在したのです。

 この観察者効果というものは、創造の原理の根幹を成すもので、そこにそれがあると観察することでそれが存在するということなのです。宇宙の全ての物はこうやって出来てきたのです。もちろん物質を存在させる為のエネルギーはもともとあったし、まだまだ無尽蔵にあるのですが、もちろん現在の私達の科学ではまだ認知されていないものです。

 ちょっと話が難しい方にいってしまいました。もともとそんなめんどくさい話を書くつもりではなかったので、ごく簡単にこの部分はまとめてしまいましょう。観察する人がそれをどのように観察したいかにより。その見え方も、その存在でさえも変ってしまうと言うことなのです。

 まあ、私達が空間からパンを作り出すのは無理なのですが、それでも観察者効果に影響されていないというわけではないのです。きわめて日常的なレベルにあわせて、その現れ方の一部を説明することにします。

 私が公園のベンチに座っていたとします。(実際よく座っているのですが) 私がそこにじっと座って考え事をしているのを、他の人はどのようにみているのでしょうか?簡単に言えば、それぞれが好き勝手に私の姿をみて、私がどのような存在であるのかを決めているのです。いくつか極端な例を考えて見ましょう。

 ある人は私がベンチに座っているのをみて、リストラされた人がやることが無くてそこにいると考えるかも知れません。それはそれでいいのです。その人の現実の中には、世の中が不景気で、生活に困っている人が大勢いるのです。そして私はその様な現実を盛り上げるエキストラをやっているのです。

 ある人は人生を競争だと考えていて、私のことを人生の競争の敗者だと見るかも知れません。競争に負けてやることが無くなって、ベンチにずっと座っているしかないのだと。その様な人から見ると、私はその様になってはいけないという戒めの姿をしているのです。私はその人の現実の中では、敗者のひとりとして、エキストラ出演しているのです。

 ある人は毎日の仕事が忙しくて、もっとゆっくりと生活を楽しみたいと思っているかもしれません。その様な人が私の姿を見たとき、「ああ、のんびりした人も世の中にいるんだ。」と考えるかも知れません。そんな時、私の姿はその人にとっては、「もっと気楽に生きてもいいんだよ」というメッセージを与えているのかも知れません。

 ある人は私の姿をみて、自分の老後の生活を考えるかも知れません。ある人は小さいながらも公園の自然の中で座っている私になにか感じる物があるのかも知れません。

 単に公園で座っている私ですが、それだけでそれぞれの人の世界にエキストラ出演しているのです。その人にとって私の姿はその人の今に必要な赤の他人として映っているのです。そして私の役がどのような役であるのか、それを決めるのは私の姿を見た人なのです。それにより、その人の人生の中で完璧なエキストラ配役がされているのです。

 上手く説明出来なかったかも知れませんが、なんとなくでもわかってもらえますよね。ここでは私の姿をみて、私がどのような人間(エキストラ俳優)であるのかは観察者効果によって決められているのです。結果的にその人の現実の中には、その人が思ったとおりの人たちが大勢いるということになるのです。それがその人の世界であり、現実なのです。

 さて、エキストラではなく、何かしらのイベントが発生したとします。その様な場合、私は単なるエキストラではなく、共演者になります。このように何かしらイベントが起こった場合、それは何かしらの原因があります。でもその多くの場合何らかの波長があって、両者でイベントを作り上げたのだと言うことになります。それは互いにそのイベントが必要だから起こったのだということなのです。そしてそのイベントの内容は、私とその人の波長によったものになるのです。

 もともとイベントが、その人の波長も関連して起こっていると考えたとき、どのイベントもその人の世界の出来事であると言うことができます。それらのイベントは、エキストラだけの世界観をより強化するものものになるのです。そして学びの為のメッセージ(体験)なども、このときにおこるのです。まあ、どっちにせよその人の世界であると言うことには違いが無いということなんです。

 もちろん、イベントの中でも観察者効果は使われています。多くの場合、そのイベントに含まれた意味でさえ観察者の判断に委ねられるのです。「神とひとつになること」の中で、「出来事の意味はなにも決められてはいない、これは最大の祝福だよ。」というようなことが終わりの方に書かれています。これは出来事の意味は自分自身で勝手に決めて良いということを意味しています。そして、それをすることにより自分自身の世界が作られていくということなのです。簡単に言ってしまえば、観察者効果をどのように使うのかというアドバイスなのです。

 全ての人が、もちろん貴方も私も、自分の見たいように世の中を見ています。それが創造の一部でもあるのです。もし現実を変えたかったら、まず貴方の見方を変えれば良いと言うことなんです。それは貴方がどのような在り方をするのかという問題と同じことなのです。最初はその様に見えているだけでも、徐々に現実がその様になっていくのです。

 最後に余談ですが、超能力もUFOも幽霊もあると思っている人にはあるし、無いと思っている人には無いのです。UFOの存在を認めたくない人になにを言っても、なにを見せてもそれを信じさせることは出来ないのです。それはそういうものなのです。それが観察者効果なのです。もしその人がUFOをまじかで見るようなことがあれば信じるでしょうが、その様なイベントも普通にはおこらないのです。なぜってその人の現実には無いものなのですから、特別な事情が無ければイベントを作り出すことも無いのです。

 詐欺師に引っかかるようなことも、その相手を観察者効果で過大に信用することで起こります。はたから見ていれば、なんでそんな詐欺にあうんだと言うようなケースでも、その人の期待したように見えてしまうのですから、しようがありません。いい人だと信じたかったんですよね。それは悪いことではないのですが、その様なイベントに参加してしまったというのは、騙された人の責任なのです。でも、それはそれで意味のあることなんですよね。

 神の創造のプロセスは完璧なのです。それには観察者効果というものが密接に関わっているのです。

(2004/02/19)


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