みんな仲良く (第124話)

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 意識しての存在を考えた場合(私達の本質をもとに、その在り方を考えた場合)、ごくシンプルな結論に達します。もともと永遠の命を持ち、何かをしなければいけないという必要も無く、ただ自分がどのような存在でいるのかということにのみ関心をもって、感動を楽しみにしているのです。その様な存在のことを考えると、全ての物はその楽しみ(感動)の為に存在するということも真実なのです。それは全ての物なのです。私達を含めて全てのものが、地球も宇宙も花も木も自然も何もかもが感動という楽しみの為に存在すると言うことも出来るのです。

 だから何もかもがあってもいいんです。存在する何もかもが祝福されるべきものなのです。ただ、それでもある程度の秩序があったほうが望ましいんです。その秩序の為に必要なものが「みんな仲良く」なのです。何を言いたいのかというと、本当は何もかもが自由で良いんです、しかし今の地球人がもう少し快適に暮らしたい、平和な社会にしたい、と考えたとき、「みんな仲良く」が必要になるのです。

 「みんな仲良く」という言葉を聞いて、多くの人は「そんなことはわかっているよ」と、言うでしょう。でもわかっていないんですよ。もしそれがわかっていたのなら、今の地球みたいな状態には成らないのです。

 幼児達が遊んでいると、何かの取り合いなどで喧嘩になることがあります。その様な光景を見ていたら、おとなは「みんなで仲良くしなさい。」といって、ごく一部の我侭な子供だけが良い思いをすることなく、とりあえず公平にみんなが遊べるように介入するものです。

 この時の、我侭な子供達の心理を考えて見ましょう。というか、別に説明などは要らないでしょうね。ただ欲しいから取る。相手が自分より力が弱そうだから取ってしまう。という心理です。そのような行為がいかに幼い発想なのか、おとななら理解できます。

 さて、ここからが本題です。今のおとなたちはどうでしょうか?今の人間の社会はどうでしょうか?今の経済体制はどうでしょうか?「勝てば官軍」、力があるものが勝って当たり前、力のあるものが経済を支配して当たり前、人生は戦いであるなどと考えています。人生の戦いに勝っておもちゃを独り占めにしたい。より多くのおもちゃ(金、権力)が欲しい、と考えています。これらはどう考えても、我侭な園児達と同じレベルでしかありません。

 不思議なことに、ほとんどの人間がこのようなレベルの低い発想で世の中を構成することに疑問を持っていないのです。というか、我侭な園児と同じことをしているということすら理解出来ていないのです。今までも他のページで人間のレベルが低すぎる、幼稚園のレベルだと書いてきたのですが、このことなんです。それは社会の常識、規範、そして社会意識がそのレベルでとまったままだということなのです。

 実は園児たちを見ていても、本当に我侭な子はごく一部なのです。むしろほとんどの子供は「みんな仲良く」、たのしく遊ぶことを知っているのです。それがおとなに成るにつれ、勝った者勝ちの我侭になってしまうのはどういうことなんでしょうか?まあレベルの低い社会意識に知らず知らずに引きづられてしまうのでしょう。どうみても成長とはいえません。

 何かを手に入れるための争いというものほど不毛なものはありません。というか、本当は全ての争いが不毛なものなのです。もし自分自身の中に神性を見出したかったのなら、自分の勝利を無条件で喜ぶことはできません。争いの中で勝利を手にするということは、敗者を作り出すということなのです。貴方はそれで良い気分に成れますか?少なくとも私は良い気分には成れません。私にとって争いとは、勝っても負けても良い気分には成れないものなのです。

 私は争い自体を否定するわけではありません。しかし、私はそれが好きではないし、同時に社会の根幹となる考え方に争いの要素が入っていることに、不快感を感じるのです。言ってみれば、「争いが好きというレベルの人は、勝手に争ってください。でも、その発想はすごくレベルの低いものだから、それを私達の社会には持ち込まないで欲しい。」ということなのです。

 でも、たとえば受験戦争や出世競争など、そして商売の競争なども、実にいろいろなところで争いの要素が入っています。別な言い方をすると、実に多くの人が知らず知らずに争いの波動を放出し続けているのです。その波動が社会に混乱をおこしているのです。その波動がレベルの低い社会意識を強化しているのです。

 ではどうしたらいいのか?ということなんですが、少なくともそれに気づいた人は争いの波動を出さないようにしたいですね。そして社会意識を変えていかなければなりません。「争いはレベルの低い行動だ」と、考えましょう。人間が内面的に成長したのなら、争いことは好きではなくなるのです。この波動を出すのは、具体的な争いばかりではありませんよ。囲碁や将棋などのゲームでも、スポーツでも、勝つことだけを考えたらこのような波動がだされます。喧嘩など、誰が見てもわかる争いだけではなく、全ての争いが同じ波動なのです。

 人間が、ある程度以上「みんな仲良く」を理解しないと、世の中は良くならないのです。

(2004/02/29)


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