愛のルール (第125話)

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 前話の続きです。「みんな仲良く」するためにはどうしたら良いのか?ということです。もともと「みんな仲良く」については前々から当たり前のことだと思っていたのですが、ではどうしたら良いのか?という疑問にぶつかってしまう為に今まで書かなかったのです。

 私達は相対性の世界を作り出して、そこでしか体験できないものを体験し、楽しんでいるのです。それは自分自身がどのような存在であるのかを決めるゲームなのです。貴方が自分で納得できる自分自身でいることが出来たのなら、それですべてOKなのです。これがなぜ「みんな仲良く」と関係あるのでしょうか、うーん、すごく深い関係があるのですが、、うまく説明できなかったりします。そうですね、予定を変えてこの関係から説明した方がいいかもしれません。

 私達が世界を作るときのもっとも基本的な方法は、それ自身になることなのです。この世界の(私達のいる)宇宙も誰かが最初に宇宙になったのです。もちろんそれは、神でもあるし、神々としての神の側面でもあるし、生命(いのち)としての私達の仲間でもあるのですが、(この説明はここでは省略します。)

 それ自身になるということは、自分以外のものをコントロールするのではなく、あくまでも自分自身を変えることによって、色々なものが作り出されているということなのです。そこにあるものはあくまでも自分自身の在り方であり、自分以外をコントロールすると言うことでは物理的なものは創造出来ないのです。

 さて、自分自身がそれであることとはどういうことでしょうか?たとえば地球を例に出してみましょう。誰かが地球をやっているのです。(地球は地球なのですが、そこに意志をもったエネルギーが存在しているという意味です。)では、なぜ彼(彼ら)はそれを続けているのでしょうか?その答えは、「愛」だからというしかありません。愛があるから、地球も存在しているのです。もちろん、現時点では私たちも地球の一部だということも出来るんですが、、

 全てのものが、それぞれの神々の意志ににより、神々がそのものになることで成り立つのです。そこには「愛」があるのです。さて皆が協力して宇宙を作っているのですが、それを行う為には原則ともいえるルールがあるのです。「愛のルール」といって良いかどうかはわからないのですが、このルールを理解することで「みんな仲良く」も実現可能なのです。

 つながりが判ってもらえるでしょうか?別な言い方でいうと、この世界は「愛のルール」で成り立っていて、それにより現実の世界が出来ているのです。上に書いたような方法で世界をつくる為には、その原則がどうしても必要だといえるのですが、逆に言えば、愛という概念もその為にあるという逆説的な説明も可能だったりするのです。またこのようにも言うことが出来ます。「今の世界があるのは、愛のルールに従って、全ての意識がみんな仲良くやっているからである。」

(今回の話はちょっと理解しにくいかもしれません。判らなかったらあまり気にしないでね。私の真実ですから)

 さて、人間の社会ではなぜ「みんな仲良く」が出来ないのでしょうか?これにはいくつかの答えがあります。「愛」を忘れているから。分離の体験をしているからともいえます。あるいは自分で自分の世界をコントロールすることが出来なくなってしまった為とも言えるし、その様な場も体験の為には必要だからともいえます。まあ、こういうものは、いくつも答えがあるし、見かたしだいではどれも正しいんです。

 話をもどしますね。この世界で「みんな仲良く」する為には、「愛のルール」を実践することが必要なのです。この説明が本題なのです。

 大事なことがいくつかあります。まず自分自身を自分でコントロールすること。それは霊的に強いアイデンティティを持つことでもあります。これは威厳(いげん)と言っても良いでしょう。誰が何といおうと私は私である、という強さを持っていることです。ひとの話(このページもそうだけど)を鵜呑みにしない、自分の真実は自分で定義するという信念です。これは自分自身の自由意志を大事にするということでもあります。

 そして同じことを自分以外に当てはめると、人を尊重するということになります。(霊的存在もふくめて)他人をコントロールせず、相手の自由意志を犯さないということです。これが「愛のルール」なのです。

 上のことを別な言い方で言えば、「愛は自由である」ということになるのです。「愛は許すこと」も「愛は結果を期待しないこと」も意味は同じですよね。とうぜん「愛は人の自由を侵さない」という意味でもあるのです。そして、第一に愛さなければならないのは、自分自身なのです。自分自身に自由が無くて、どうして人に自由を与えられるでしょうか?そしてそれを実行できる内面的な強さが必要なのです。

 くどいとは思いますが、この機会に書いておきますね。自分を愛する為には、まず最初に自分自身の内面的な「強さ」が必要になります。そして自分自身に自由を与えることにより、他人にも自由を与えられるようになるのです。で、自分自身に自由を与えるもっとも手っ取り早い方法は、相手にも自由を与えることなのです。そうすることにより、自分自身を愛せるようになるのです。

 「愛」の重要な要素に、安心というものがあります。「愛は安心させること」でもあるし、「愛とは不安を与えないこと」でもあるのです。これはコントロールしないと言うことでつながります。なにしろコントロールすると言うことは相手を不安にさせるという意味でもあるのですから。

 まあちょっと極端ですが、「私はこれに成っているから、貴方は勝手になんにでも好きなものになれば良いよ。でも協力が必要なら手伝うし、私がなったものを使いたかったら使って良いよ。」ということなのです。これが愛の姿勢なのです。地球さん、ありがとう。^^

 「みんな仲良く」というのは、自分は自分だという意識が必要なんです。間違ってもみんな同じでなければいけないというような意味ではないのです。みな同じになると言うのは不可能だし、第一、自由という「愛」の大原則から外れるということなのです。

 自分と相手との間に、しっかりした境界を意識し、互いにそれを犯さないということが「みんな仲良く」の原則だし、「愛のルール」なのです。

(2004/03/02)


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