欲しい物 (第127話)

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 私が子供の頃、「思ったことはそのようにはならないから、出来るだけ良いことは考えないようにしよう。」と思っていました。なぜその様に考えていたのでしょう。今になって思うと、欲しいと思ったものはことごとく手に入らなかったのだと思います。しばらく前に頂いたメールの中にやはり私と同じように考えていた人がそのことを書いていました。まだ私もその時には、そのことをよくわかっていなかったため、それで終わってしまったのですが、あらためて考えるとこれはこどもながらに重要なことに気がついていたのだと思うのです。そのことを詳しく書きます。

 子供の頃、ある意味で素直だっんでしょう。そのように考えるきっかけは、たぶん魂からのメッセージを自分なりに解釈してそのように考えたのでしょう。私達は何でも手に入れることが出来ます。でもこの言い方はちょっと間違いでもあるのです。実は手に入れるのではなく、もともと持っているのです。うーん、この持っているというのも、厳密に言うと正しくないですね。わかりにくいかも知れませんが、「私達はなんにでもなれる」と言うのが正しいのです。

 前話で、それに成ると言うことで世界が作られてきたと書きました。これは同じことなのです。意識の世界では、何を持つかと言うのはもともとあった概念ではありません。そこにあるのは、何になるのか?あるいは何で在るのかということが基本中の基本なのです。

 ちょっと考えてみてください。多くの意識が協力して世界を作ります。その時の方法は自分自身が一旦何かになることで、それが作られるのです。その状態ではどのような価値観ができるのでしょうか?なんにでもなることが出来るのですから、物を持つ必要などありません。というか持つという概念さえ必要ではないのです。

 何を言いたいのかというと、創造の基本原理の中で所有という概念自体が幻想の一種として、派生的に出来たものだと言うことなんです。この所有に関して欲が発生したとき、物欲というものになります。欲についてここで触れておきましょう。欲というものはそれ自体が悪いものではありません。もともと、もっと何かが在るはずだ、もっと成長したいという欲は創造の中でも重要な要素だと考えなければなりません。そして魂の栄養だとも言える感動も多く求めてもかまわないのです。

 物欲のように単に物を求めるという欲と感動を求めるような欲とどこが違うのでしょうか。何を求めるのかというものが問題に成るのです。(もちろん何を求めてもいいんですが)より自分自身の神性を表現して、魂が満足できるような自分でありたいと思ったとき、求めるものがどのような幻想をベースにしたものであるのかということが重要に成るのです。

 物を所有すると言うのは、自分自身をどのような状態でも望んだように出来ない世界でのみ意味をなすことなのです。たとえれば、夢の中で億万長者だったとしてもたいして意味の在ることではありません。私達が居たもともとの世界は誰でも億万長者になれる世界なのですから、物を持ついうことには全然といっていいほど意味の無いことなのです。(現実の(幻想だけど私達がリアリティーを感じている)世界とは、まったく価値観が違うのです。) まあ天使などはこのような世界にいるんです。

 話をもどします。私達が何かを欲しがってもそれは手に入れることは出来ません。むしろ欲しがっている間は手に入らないのです。それは本当に欲しいと思っているものが手に入らないということなのです。自分がどのような存在で在るのか、それを行うことでそれに必要なものは自然に用意されるのです。「神との対話」のなかで、何かを欲しがると、欲しがっている自分を定義してしまい、欲しがっている自分の存在が続いてしまう。というように書いてあります。なにしろ創造の基本が何かに成ることなのですから、そうなってしまうのです。

 子供の頃、「出来るだけ考えないようにしよう。」と感じたのは、「欲しがると手に入らないよ。」という魂からのメッセージだったんです。ただその頃は、それを理解できなかったんです。

 あらためて考えてみると、欲しがっていると手に入らないというのは、かなりシビアな法則のようです。人によっては、欲しいと思っているもの全てが手に入らないという経験をしていると思います。まあ欲しがっていても、それが手に入って当然と考えているものは手に入るんですけど、それができるということは欲しがってはいないということなのかもしれません。

 けっきょく何を言いたいのかまとめると、世界の基本的な成り立ちの部分において、成る(在る)ことが創造のベースになっているのです。そこには所有と言うものは必要ないのです。所有が意味をなすのはこの地球などの一部の特別な地域だけなのです。そして私達が持っている創造力はこの特殊な地域にあわせた能力というわけではないのです。それはどんな場合にも当てはまる原則(システム)なのです。だから現世的に何かを欲しがっても手には入らないのです。

 たとえば「悟り」を求めても、それを欲しがっているのでは手に入りません。方法は「悟った人になること」なのです。それはそのようにふるまうことから始まります。まあ悟りに関していえば「悟りなど必要ないと理解することが、究極の悟り」だったりするのではないかと思うのです。欲しい、あるいは必要だという考えはそれを遠ざけてしまうことになりますから、ある意味当たり前のことなんですけどね。

 もう一度書いておきます。「何かを欲しがるということは、欲しがっている自分を作るという意味になるのです。」本当に手に入れたかったら(持っていることに気づきたかったら)、無欲になるということは大事なことなのです。

(2004/03/17)


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