人生の味 (第128話)

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 以前「私の事例その2(第5話)」で書いた死後体験のときのことをすこし思い出しました。長い間、その体験の意味がわからなかったのですが、時間についての知識がふえ、時間を戻ることがありえるということを理解するようになって、あの時の体験はただの印象ではなく、実際に私が死んで、その後この世界に時間をさかのぼることによって、もどって来たのだということがわかりました。

 今回は、その時に感じた「私の人生」の印象をもとに話を進めます。私は一瞬のうちに人生でおこったことを思い出したのですが、その時の感じがなんともまどろっこしいものだったのです。というのは、一生(その時で十数年)の感情を一度に味わうのです。簡単に言うと、もう何が何だかわからない、というかひとつひとつをもっと良く感じて(味わって)みないとわからない、というものだったのです。

 精霊は時間の無い世界にいます。そこから一度に人生をみると、こんな風になっちゃうんです。このことをもとに、あらためて人生というものを考えてみました。

 食べ物を食べるとき味を感じるのですが、何回もの食事をいちどに味わったらどうなると思いますか?甘い、しょっぱい、すっぱい、辛い、渋いなどごちゃ混ぜにしたらいったいどうなるんでしょう。まあ普通に考えてそれが美味しいとは思えませんよね。人生を一度に見るということはそういう体験なのです。

 さてここで運命というものを説明しておかなければなりませんね。過去も現在も未来もすでに存在しているのです。しかもそれらの全てが固定したものではなく変化しているのです。それは何を意味するのでしょうか?

 わかる人には難しいことではないのですが、それをもっと説明しようとするとちょっと大変です。まあ正確な説明ではないのですが、人生という一冊の本があると思ってください。私達はその本を読んでいるのです。でも大事なことは、その本はいくらでも書き直すことが出来るのです。読んでいる途中でも内容を変更できるのです。(この内容を変えるということを別の言葉でいえば「意識的に生きる」ということになるのです。)

 まあ内容が変るということはこの際おいといて、その本を読んでいるという観点で考えてみてください。先ほどの味の話と同じで、一度にすべてを読んでしまったら、結局何が何だかわからなくなってしまいますよね。「せっかくだから、その本をじっくりと味わいたい。」というのが生命(いのち)としての私達の希望になるのはわかりますよね。それが生きるということなのです。

 時間は私達の発明品だと「神との対話」にも書かれています。一度に味わうと何がなんだかわからなくなってしまうような人生を時間を追って味わっていくのです。そうすれば人生も味わうことが出来るのです。みんなそうしているのです。

 人生の中で、楽しい事もあり、つらい時、苦しいとき、孤独を感じている時、迷っている時、美味しいものを食べているとき、落語や漫才を楽しんでいるとき、音楽を聴いているとき、映画を見ている時、花を楽しんでいるとき、それこそありとあらゆる体験があります。それをごちゃ混ぜにしないで少しずつ味わうために時間というものがあるのです。時間というものは、けっして私達をあせらせる為にあるのではないのです。

 私達が時間とともに生きているということは、そのときの時間にフォーカスしているということなのです。そして生きている目的は、自分の人生の中での「今」を味わうことなのです。もし私達がいつまでも昔のことをくよくよ考えていたり、どうなるかわからない遠い将来(数年後)のことを心配しているとしたら、生きていることを味わえなくなってしまうのです。だから、今を楽しみましょう。今を味わいましょう。もし今がつらくても、それも大事な貴方の人生の一部なのです。充分に味わいましょう。甘いものばかり食べていても豊かな食生活を送っていることにはならないですよね。それと同じことなのです。楽しいばかりではなくても全てが貴方の大事な人生の一部なのです。

 味にたとえると、いつまでも甘いものばかりを追いかけているのなら、子供と一緒ですよね。グルメになるためにはいろいろなものを味わえないとなりません。いろいろな味を知っていなければいけません。そしてどれもが貴方の素敵な人生のメニューなのです。

 人生を味わうこと、それもめいっぱい最高の感動で、それが魂の望んでいることなのです。私達が本当に望んでいることなのです。だいじなのことは「今を味わう」こと、「今に生きる」あるいは「今に在る」ということなのです。

(2004/03/17)


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