生まれる場所 (第130話)

魂の部屋に戻る

 今回もご質問をきっかけにしたテーマです。とりあえずメールの一部を貼り付けます。

同じ地球に住んで、ニュース等を見ても、いくら前世の因果でここに生まれたとはいえ、何も知らないまま、知らないから克服も向上もできないままに人生を終えてしまう事ってあると思うのです。

もし自分がその地でそういう風に生まれたのなら、私が今のような考え方をしてなくて、過ちだって犯していたと思うのです。それじゃあ生まれた意味がないが、そこで自分で気が付ける人って、いるのかな?って思うのです。

 本題に入る前に、この文章をとおして私が感じるものを書いておきます。これはある意味では非常に地球的な概念で構成された考え方なのです。そして地球的な愛もかんじます。もちろんこれは批判しているのではありません。ただあえてその地球的な部分を指摘しておいた方がいろいろな人の為になるのではないかと思うのです。

 まずひとつめは、克服しなければならないものがある、という考え方です。もちろんそれぞれの個人にとってテーマの克服、向上は望ましいことなのですが、それでさえ本人の自由であるということなのです。結果的に必ず成長するのですが、もしそうでなかったとしても生まれた意味が無いというようなことにはならないのです。上手くいえないのですが、人生の目的としてべき論的なものが混じっているのです。地球の古くからの感が方のペースとなって私達の中に浸透している考え方なのです。それが悪いとは言いませんが、ただ愛は自由であるという価値観を理解するうえでは少々障害になってしまうのです。また、過ちを犯してはいけないという考えもベースにあります。全ての物は無駄ではないのです。それぞれの人のそれぞれの体験は、それぞれの人の将来の栄光の為になっているのです。それは別の人が判断できるものではないのです。むやみに判断しないのも愛なのです。

 この文章は同時に地球的な深い愛もふくまれています。この部分は言葉ではちょっと説明しにくいのですが、ベースにあるのは、同じ人間として、全ての人ひとりひとりの成長を願う気持ちであるし、許しの要素も入っています。まあこの文章を書いた人のなかに、やさしさを感じるのです。そのやさしさって、ものすごく地球的な愛なのではないかと思うのです。(まあ、あくまでも私の印象ということなのですが)

 それでは本題に入ります。私達が生まれるとき親を選んで生まれてきているというのはここを読んでいる人なら納得していることだと思います。自分自身のテーマのあった環境として親を選んできているのです。それは親の遺伝子を選んでいると同時に親の価値観を選んでいるのです。そして生まれた国であるとか、民族も選んでいるのです。まあ親を選ぶということは結果的にそのようなものも選んでいるということでもあるのですが、それだけではないのです。

 今、北朝鮮の人たちのことを考えて見ましょう。そこでの社会意識(常識)は日本ではちょっと考えにくいものがあります。いま北朝鮮に住んでいる人たちは偶然そこに生まれたのでしょうか? ちがいますよね、世の中に偶然というものは無いのです。そこにはそれなりの理由があるのです。もちろんその理由に個人差はあるでしょう。しかし人生の体験として今の北朝鮮のような社会体制を通して何かを学ぼうとしている魂もあるのです。単に精神的に不自由な体験をしたいというケースもあるのでしょう、あるいは自分達で自分達の国を自由な社会に変えていくという体験をする為、もしかしたら束縛の体験と束縛から解放される喜びの体験を望んでいるのかも知れません。

 結局のところ、何故その人がその様な環境を選んだのかということは、他の人に判断できるものではないし、うかつに判断すべきではないのですが、それなりの理由があったということは間違いのないことなのです。

 理由の一つに、カルマというようなことも考えることは出来るでしょう。なにしろカルマというものはそれを信じている人には現実に存在するわけで、もし魂が何かの償いをしようと思ったとき、自ら困難な現実を選択する可能性もあるのです。それに自分自身の成長の為に困難を選択しているケースも考えられます。まあ何にせよ、それがその人の選択であったわけで他の人がどうこう言う必要は無いのです。

 ついでに書いておきますが、もし否定的なカルマをもって選択をした人の場合、それは自分自身を愛していないということでもあります。自分自身を愛することが出来たのなら、否定的なカルマを自分で選択する必要がないことがわかるのです。それはそのことを魂が承知する必要があります。といっても最初の段階では表の意識がそれを考える必要があるのです。その様な人に対して私達が出来るのは、その人が自分を愛することが出来るように協力してあげることなのです。その場合の愛とは、「許し」であり「自由」なのです。それは魂の癒しにも通じるのです。

 話をもどします。以前テレビで見たのですが、後進国のどこかのジャングルの奥で、自分達はオラウータンの生まれ変わりだという信仰をもった部族があるようです。それなどはおそらく本当にそうなんだろうと思います。オラウータンをやっていた意識が人間の体験をするに当たって、それに適した環境でトレーニングしていると考えることも出来るのです。そこで一度人間の体験をすることにより、次にはもっと違った環境を選ぶことが可能になるのです。これなども生まれる場所を選択してきていると言うことに合致したことだと思えます。

 話を進めますね。生まれる場所を選択するということをもう少し具体的に考えるとどうなるのでしょうか?魂の体験の終了の程度は人によりかなりまちまちです。まだ体験の少ない魂の場合、あちらの世界でそれをサポートしてくれる存在がいると思われます。しかしそれ以上に重要なのは、その人の波長というかエネルギーの質により、なるべくして自然にそうなるという要素も無視できません。いままでも書いたように、魂は似たものどうしてひきつけ会いそれぞれにあちらの世界で小現実を作っています、この世に生まれてくるときにそれと同じ原則が自動的に働いてしまうということが考えられます。まあ、あの世のことを考えれば、生まれるときもそうであっても当たり前だな、という感じなのです。

 結局のところ何を言いたいのかというと、どの人もそれなりの理由で最も自分のニーズにあった場所に生まれてきているということなのです。神のシステムは完璧だということなんですよね。それをふまえて、もう少しかんがえてみます。それぞの人が体験したいこと、克服したいことに適した環境を選んでいるわけですから、たとえばそれを日本からの視点で判断することは正しくないのです。それに今の日本で正しいと思われていることで、普遍的にも正しいといえるようなことはどれくらいあるのでしょうか?それぞれの人に真実がある様に、それぞれの地域に、民族に、国家にそれぞれの(真実)現実があるのです。

 私達の成長は現実の生活がペースになっています。精神世界の勉強も大事ではあるのですが、それだけが全てではないのです。むしろ、いろいろな人生を通して、人間として体験を重ね、叡智を身につけていく、それが メインなのです。霊的な開眼はあればそれに越したことは無いのですが、絶対に必要な条件では無いのです。むしろいろいろな人生体験の方が絶対条件として必要なものなんだと思います。いくら瞑想をしたところで、そのベースとなる人生体験が無ければあまり意味は無いのです。

 なにを言いたいのかを整理します。どの国に生まれたとしてもその人には必要な条件がそろっているのです。むしろ、その国だから出来る体験も多いのです。私達は日本というものをペースにして考えれば良いし、他の国の人に対しては、愛をもって見守り、私達の愛を表現する為に接しているのが良いのです。

 ひとつ補足しておきます。たとえば北朝鮮のような国の場合、それは北朝鮮の為だけにあるのではありません。それは他の国からみた場合、その様な国として私達に影響を与えているのです。具体的に言えば、ニュースで北朝鮮のことをみて、貴方はどのように感じますか?どのようなことをしたいと思いますか?それらは私達自身がどのような存在で在るのかという問いを投げかけてくれているのです。私達の神性を発揮する材料にもなっているのです。なにしろ世の中は巧妙に全てのものが関係しあって出来ています。その様な視点で外国を見ることも自分自身の為に必要なのです。(全てのものが自分の為になっているのです。)

(2004/03/24)


魂の部屋に戻る