神と呼ばれるもの その1

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 「神様はいるのか?」と聞かれた場合、通常の人が考えているような「神様」というような人はいないと言うことになります。これから「神と呼ばれるもの」についての私の「仮説」を書くわけですが、おそらくごく一部の人にしか私の書いている意味が伝わらないと思います。

 人間と言うものは多くの場合、自分の体験のないものについてはきわめて貧弱な理解力、想像力しか持っていません。ですから本人にとって未知であるもの(疑似体験さえも無いようなもの)については想像ですら出来ません。要するに理解できないと言うことなのですが、自分にはそれを理解出来ないということに気づかずに無理矢理、自分の経験の範囲の物差しで見ようとするため実に様々な誤解が興ることになります。

 実際世の中、誤解だらけなのですが、まあここで取り上げてもきりがないくらいあります。たとえば、神様と言うものもそうです。仮に3次元社会では身体を持たない意志があったとします。生物でもなく意志を持ったものと言うものは、通常の人間にはきわめて解りにくいものですから、無意識に体を想像で作ってしまうのです。別な場合では取りあえずの理解を得るために、意図的に体を作ってしまう場合もあります。これは「方便」と言う言葉が当てはまります。また、偶像崇拝もこれに関連した問題です。

 「神」というものは、人間ではないのですから人間の形をしている訳ではありません。そして私たちが直接見れるものでもないのですから、私たちが目で見るような形などないのです。ですから「神と呼ばれるもの」に興味があっても、たとえ無意識であっても、頭の中で形を考えるともうそれ以上の理解は止まってしまいます。ですからイメージ(頭の中の画像と言う意味)として考えるのではなく、きわめて抽象的で理解しにくいのですが、ある種の概念として考えざるを得ません。(別な言い方をすると、自分にとって曖昧なものを受け入れられない人には、「神」の概念ですら理解は難しいということです。)

 さて「神」というものを考えるとき、そのものの範囲はケースによってかなり異なるようです。「唯一絶対神」として狭い意味で考えることも出来ますし、「八百万(やおよろず)の神々」という風にいったりする場合もあります。前者は「神」というよりもむしろ「真理」と表現した方が紛らわしくないものです。そして後者はかなり日本的なのですが「魂」もしくはその延長線にあるものを言います。

 少し解りやすい例を出しますと、「イエス・キリスト」は前者の定義では「神」には該当しません。救世主であり「神(真理)」よりの使徒なのです。(この言い方は紛らわしいのですが)。一方上の後者の定義では、「イエス・キリスト」は立派に「神」の分類に入れられます。そして仏教での様々な仏様もこの定義で考えると「神」と言うことになります。

 ちなみに「イスラム教」では、前者の「神(真理)」の意味合いが強いのです。偶像崇拝を禁止していること、「唯一絶対神」として「アラー」を全知全能の神として位置づけています。

 おまけに書いておくと、日本の神道はもちろん後者になります。全てのものに神が宿っていると考えています。また私には良く解りませんが前者の「神(真理)」を「天照大神」(あまてらすおおみかみ、太陽神)と言っている場合もあるようです。

 大きくわけて2種類の「神」の定義があるのですが、その2種類をゴッチャにして考えてしまうことで大きな錯覚を持ってしまうのです。ここまで読んで、ある程度の宗教の知識がない人には何がなんだか解らなくなってしまっているかも知れません。簡単に言うと、「神」の2つの定義がゴッチャになってしまっているために、各宗教がそれぞれ異なったものに見えてしまっているけれども、本質的には互いに矛盾するものでは無いということです。

 余談ですが、宗教を考えるときそれぞれの違いに注目するのではなく、共通点に気を付けなくては何も見えてきません。それぞれの違いばかりを見ている人は、いくら各宗教のことが詳しくても何も本質を理解していないと言うことです。(そして世の中で案外こういうタイプが多いのです。)

 実は、宗教の言っていることが、本質では何処も同じである(変なところは別)と言うことに気が付かないと「いったいどの宗教の言っていることが本当なのだ?」と言う疑問がおきます。その疑問は多くの人が持つと思うのですが、そのことがけっきょく「宗教なんて、それぞれバラバラなことを言っていて当てにならない。」という認識につながってしまうのです。

 別な言い方をします。各宗教の共通部分が正しいことであると考えると、それぞれに異なって矛盾している部分は間違えであると言えます。前にも書いたように、宗教の本質を言おうとしても結局「方便」でしか言い表せません。ですからこれらの間違え(あえて間違えと言う)はしかたないものであると言えます。ちなみにキリスト教で言うところの契約も「方便」の一種だと私は考えています。

 さて前置きにするつもりで書き始めた2種類の「神」の定義の中身について触れなければ話は全然見えてきません。そしてそれをそれぞれ説明しないと、このコーナーの意味が無いわけなのですが、話が長くなってしまったので次回に持ち越しとします。

 一応簡単に書いておきますと、この2種類の「神」の定義とは、人間などの魂と「真理」というものの間の何処に境界線を置くかの違いです。
(ちなみにここまでの話などは、興味を持っている人にとっては何を今さらと感じる内容だと思います。)

(1997/06/29)


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