さよなら悲しみ (第141話)

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 最近、サルサに夢中です。私はもともと悲しみが好きでした。だから静かな曲を聴きながら、込み上げてくる魂の感覚を楽しんでいました。だから悲しみを通して自分自身の魂とより深くつながっていたのです。

 ところが最近変化がおきたのです。ラテン音楽も嫌いではなかったのですが、サルサを聞くと身体が勝手にリズムを刻み、動き出すんです。それは端から見ると身体全体で貧乏ゆすりしているように見えるかもしれません。同時に盛り上がってくるのです。それは魂が踊りだすという感じなのです。いったいこの自分のこの変化は何だろう、明らかに何かが変っているのです。疑問に思いながら自分自身の心と自分の周りの出来事を観察していたのです。

 そして昨日、ふと気づいたのです。「ああ、私はもう悲しみは卒業したんだ」と、思ったというか閃いたのです。どのように説明したら良いのか難しいのですが、私は悲しみを味わい尽くしたのです。だからもう悲しみは、もう私のもの(コントロールできる真実)になったのです。 私のページの性格上、細かく説明したほうが良いと思いますが、まずその前にそれに気づいてした宣言を書いておきます。

私は悲しみを克服した。
悲しみを愛し、悲しみの気分をとことん味わった。
だから、私はいつでも悲しみの気分にひたることが出来る。
そして、全ての悲しい出来事が幻であることを理解した。
悲しみが愛のバリエーションであることも感じた。
私は悲しみをマスターした。
だからもう悲しい出来事は私には必要ではない。
もし何か出来事があっても、悲しむかどうか自分の意志で選ぶことが出来る。
私は悲しみのマスターである。

 この宣言を読んでいるとき、もちろんその文面を考えているときも当然そうなのですが、涙はもちろん鼻水まで流れて、感激としか言いようがない状態なのです。もし私と同じように深い悲しみをすでに理解して、そんな自分に飽きてきたのなら、上の宣言を使ってみてください。使い方はまず心の中で何度も繰り返します。そして言葉に出してください。そしてもし誰が聞いてくれる人がいたら(涙を見られても恥かしくないと思える人がいいです)その人に聞いてもらってください。私の場合はこのページで書くことでそれをしているのです。

 一発で魂が込み上げてきて、涙が流れるようなら、それでOKです。もし何も反応が無いようでしたら、毎日一回くらい、しばらく続けてみてください。寝起きのぼんやりしているときや、瞑想中などが良いです。しばらく続けてだめなら、やめちゃてもかまいません。悲しみの体験はもうすでに終了しているかも知れないし、まだ悲しみを愛するところまでいっていないのかもしれません。道(順路)は人それぞれですから、あまり気にしないようにしてください。上手くいくのは自分でこれが必要だと感じた人の10人に一人くらいかも知れません。それに大事なことなのですが、もし上手く行かなくても気にしないでいいのです。究極の現実は時間の無い世界で起こっていますから、順番が逆になっても一向にかまわないのです。真剣に宣言したのであれば、必ずそれなりの効果が上がります。もし近くに宣言できる人がいなかったら、私にメールで宣言してくれてもかまわないです。別に決まりは無いのですが、上の宣言をそのまま使っても良いのですが、コピーで貼り付けないで、自分自身で打ち込んでください。それは自分の行動で宣言を強化するという意味になるのです。

 体験を終了すると言うのは、何かを感情的に理解して、それを自分自身であるていどコントロールすることが出来るようになることを言います。それは克服といってもいいのです。生まれてくるときに、それぞれがいくつかの克服すべきテーマを決めてきています。それは魂の需要により人それぞれなのです。そして上に書いたような宣言が必要なのは、悲しみの克服を人生のテーマにしてきた人なのです。そういう人はここまで読んでくる間に自分がそれに該当しているかどうかわかるんです。自分がそうだと思ったなら、とりあえず試してみてください。悲しみのマスターである私が言うのですから間違いありません。私のページの中で他のものは信じなくても良いけれど、これだけは信じて実行してみてください。さんざん悲しい思いをしてきて、後は気づいて宣言するだけの人もいるはずなんです。

 さて重要なことを説明します。まず最初に大事なことは「悲しみ」を愛してください。この場合の愛するとは、「意識して好きになる」という意味と、「悲しみに浸っている自分を全て愛する」という意味です。ここで自分を愛するというのは、自分自身の全て、過去の経験も何気ない癖も、あまり好きでない性格も、そして自分の魂も、自分の内なる神も、それこそ自分の全てを愛するという意味で、評価しないで好きになる。そして自分の全てを許すということなのです。自分の全てを許すのですから、当然のことながら、悲しみに浸っている自分自身をも愛し、好きになると言うことなのです。強調しておきたいのは、悲しむということは、何も悪いことではないのです。悲しみが好きな間は思いっきり悲しむのが良いのです。

 もし悲しんでいる自分が嫌で嫌でたまらなかったら、まず悲しみというものが単なる意識の一時の状態であるということを理解してください。そして悲しんでいるということは、とりもなおさず生きている証であると感じてください。そして自分の魂が悲しみを楽しんでいることも理解してください。とくに悲しみなどはこの世界でしか出来にくい体験なのですから、それを楽しんでいる魂も愛してください。とにかく悲しみに関するありとあらゆるものを許して、そして今悲しみを味わっている自分自身をありのままに見てください。そうすれば、悲しみとはそれほど毛嫌いされるようなものではないということがわかってくると思います。そして意識して悲しみを好きになってください。

 そして一度は悲しみを楽しんでください。味わいつくすというのでもかまいません。悲しみの深さを感じてください。この悲しみの深さは、愛の深さと同じものなのです。悲しみの深さを感じたら、それが喜びと同じところから発生していると理解できるかもしれません。なにしろ悲しみは、愛と喜びの波長がさがったものなのです。実は同じものが別の状態として現れてきているのです。それを感じてください。私は悲しみと同時に喜びも感じていました。だから悲しみが好きだったんです。

 悲しみが好きになってきたら(抵抗感が無くなったら)、意識的に悲しむ方法を見つけてください。どんな方法でも良いのです。昔の悲しかったことを思い出すのでも、その様な音楽を聴くのでも良いのです。いいですか意識的に悲しむことが出来るようになるというのは、意識して悲しまないでいる方法を理解することと同じことなのです。自分自身の意識で悲しむか悲しまないか決められるようになるということなのです。それは人生の中でその為におこる悲しい出来事を自分にはもう必要ないことだと知ることになるのです。

 まあ、簡単に言ってしまえば、悲しみから逃げていると、いつまでも悲しみが追いかけてくるよ。ということなんです。(本当に簡単な言い方になった)

 悲しみを克服した貴方に私から祝福を送ります。それが終わったら、涙とともにダンスを楽しんでください。ダンスなどで身体を動かすと意識の高揚とともに波長が上昇していきます。それは今まで感じていた悲しみが喜びに変ると言うことなんです。もし機会があったら、みんなでサルサでも踊りたいものです。

(2004/06/25)


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