思考レベル (第144話)

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 私達の意識は全体として一つの意識(もちろん神の意識)とつながっています。この意識の繋がりは共鳴というか、周波数を合わせることでその部分を私達が読み取ることが出来ます。もう少し詳しく書きましょう。私達の意識はもともと空間の無い場所(空間が無いから場所ではないけど)に同時に存在しています。そこはエネルギーの場で周波数が合うことで共鳴するのです。これと同じことを、もう少し違った解釈をすると、いつも神の意識からデータが放送されていて、周波数を合わせたものが受信できる。と言うことも出来ます。後ろの説明の方がわかり易いと思いますが、おそらく前の考え方の方がより実際に近いと思います。もともとこちら側からは把握しにくいことなので細かいことは置いておいて、今回は共鳴という言葉を使います。もちろん共鳴とは周波数があうことでデータのやり取りがなされるということなんです。

 この神の意識(思考)と言うものには、ありとあらゆるものが含まれています。もともと世界の全てが一つの魂の中で出来上がった夢のようなものなんですから、それこそ全てのものが含まれているのです。まあここら辺は言い方は違っても今まで書いてます。その全ての物の思考の中に、考え方(概念)というものも含まれているのです。その概念というものがもとになって思考というものがなされるのです。今回はその思考について説明します。

 あらためて書きますが、全てのものが神の意識で構成されています。それを実際に私達(神々)などが使う場合、全ての物の中から自分で気に入ったものを選んで自分の真実として受け取っているのです。それを選ぶのが周波数なんです。それで全ての物に周波数というものがあるのです。思考の元になる概念(考え方の式のようなもの)にも周波数があるのです。

 私達が実際にしている思考について考えて見ましょう。前にも書きましたが、私達の考えることは本当は自分でその考えを作り出しているのではなく、すでに用意された考えのメニューの中から選び出してくるという作業をしているのです。そのメニューの元はどこにあるのでしょう。まず個人個人の根本となるメニューの元となる思考概念は魂の中に記録されています。この場合は精霊を含まない狭い意味での魂のことで、以前ランドセルにたとえたものです。私達が何か考えるとき、その情報が魂に送られます。魂はすでに持っている思考概念を使って答えを出します。この作業が魂のアイデンティティの元になっているのですが、これは理解しにくいと思います。

 さて、魂が出した答えは、私達の表面意識(この場合は大脳と考えてもかまいません)にフィーリングやひらめきという形で送られるのです。私達がこのフィーリングやひらめきを正確に理解できると事は簡単なんですが、多くの場合その様なものは、表面意識により、無視されたり、変形させられてしまうのです。それは表面意識が様々なフィルターをかけてしまうのです。それはたとえば習慣(思考的な偏り)や生存本能、頭からの決め付け、宗教などで教え込まれた価値観、常識(このベースには生存本能があります)、そしてトラウマ、実に様々な原因があります。いわなくてもわかりますよね。このフィルターが少ない人がいわゆる、勘のいい人、直感的な人、閃く人なのです。

 何かを考えたりしたとき、大概のことは魂が答えを知っています。自分の人生の予定もみているわけだし、今までの体験(過去生)により培ってきた叡智もここに入っているのです。だからこのフィーリングやひらめきを大事にすれば、相当なことが理解(自分では考えているつもり)できるのです。もちろんこれを書いている私も、かなりの部分で閃きに頼っています。というかもしかしたら、表面の意識は翻訳しているだけかも知れませんが、どっちにせよ、話の骨格になるものは私の魂が知っていることなのです。

 あらためて書きますね。自分自身の内側、魂の声に耳を傾けている人は、本当の自分自身の考えで行動したり判断しています。それをせず、表面の意識だけが働いていた場合、単に習慣的、常識的、普通で無難な、いわゆる自分以外の誰かが決めた価値観でただ流されて生きているのです。「意識的に生きる」というのがどっちを意味するのかは当然わかりますよね。

 ここまでは、まあ普通のことですでに良くわかっているという人も多いと思います。実はこれからが本題なのです。

 ある程度知っている人ほど、えっ、と思うかも知れないのですが、実は魂も全てを知っているわけではないのです。この部分が最初に書いた周波数に関係あることなのです。思考にも周波数があるわけで、その周波数によっては魂が理解していないこともあるのです。というか実際はそれが良くあることなのです。でも誤解しないでください。魂に根本的な優劣があるわけではないのです。魂は記憶装置なのです。それは何を記憶しているのかでその違いが出ているだけなのです。そしてそれはもともと誰でも(神々も)同じ性能のものを持っているのです。そしてその周波数はあげていくことが出来るのです。それに魂には神の意識と共鳴することで知りたいと思うこと全てを知る能力があるからなのです。(だから実質的には全て知っていると言っても間違いではないんですけどね。)

 まず最初に人それぞれで考えるときの思考の(周波数)レベルが異なると言うことを例を挙げて説明しましょう。どこから説明したら良いか迷います。というのもこれから書く話は、それ自体が思考周波数が高い話なのです。ああ、そうですね。これから書く話がすんなり理解できたのなら、その人の思考レベルはかなり高い方だと考えてください。そして何となくしかわからないという印象を持ったのなら、この文章の思考レベルにあと少しのところまで来ています。後のほうで書く方法でこの文章を理解するように試してください。それにより、この文章の思考レベルになれます。もしほとんど理解できないとか、全く読む気がしない、ひどくつまらないことしか書いていないと感じたら、もう少し他の文章などで思考レベルを上げたほうが良いでしょう。その方法も後で書きます。(本当は簡単なことなんです)

 私が何故これから書くことの思考レベルが高いかと言うと、これから書くことは「真実について(第28話)」で説明した夢の中で私が知ったことを思い出して書いている内容だからです。簡単に説明すると、ものすごく霊的な夢を見て、その中で世の中の仕組みを感じたのです。それは「神との対話」では思い出したんだと説明されているのですが、ちょっと大袈裟な人だと「悟り」だという人がいておかしくないような内容だったのです。その内容を思い出して書いているので、その内容は普通の世間常識をベースに考えているとなかなか理解できないことなのです。なぜ理解できないのか?という疑問を持つと思うでしょう。その説明がこれから書く文章なのです。そしてそれは世の中で実例をたくさん見ることが出来るのです。

 それでは、はじめます。

 まず魂の知っていることについて確認しておきましょう。私達が神々として旅を始めたとき、その旅の記録をとる為に魂(たましい)が作られました。その魂は旅の手帳のようなもので、これから自分が体験するであろう体験にどのような種類があるのかはすでに知っているのです。それは言い方を変えると、全てのことを概念として知っていて、その概念を体験したいと願っているのです。以前、私はそれをスタンプカードと表現しました。それを埋めることが魂の望みなのです。

 さて全ての概念を体験して記憶する為には、どうしても必要なことがありました。それは忘れることなんです。なぜなら知っていると体験できないことがあるからなのです。たとえば悲しみも、争いも、勝利も、敗北もその他いろいろなことを体験する為には全てを知っていては都合が悪いのです。だからすでに知っている概念も封印したのです。

 ということは、魂は本当は知っていても(知ることが出来ても)その必要を感じないとそれを思い出さないということなのです。それこそ私達(神々)は、ほとんど全て白紙の状態から旅を始めたのです。そしてやがて自分というものを再認識し、様々な体験をへて、人間のような身体を持つようになったのです。

 さて魂が封印した知識(概念)とはどのような仕組みになっているのでしょう。そこで先ほどの周波数が関係してくるのです。全ての物に周波数があるわけで、周波数ごとに徐々に封印を解くようにしてあるのです。それはどういうことかというと、最初には自分自身も良くわからないというレベルから、徐々に必要な体験をしながら、だんだんと思考のレベルを上げていく旅になったということなんです。

 結果的に魂ごとに、封印をどこまで解いてあるかの違いが出るのはわかりますよね。その封印のとき具合がこれから説明する思考レベルとその仕組みなのです。

 ここから例を出して説明します。ある人が本を書いたとします。その人の思考レベルは仮にレベル[5]だったとしましょう。そうするとその本の中には、レベルとしては、[1][2][3][4][5]の各レベルの考え方、思考が含まれると言うことになるのです。もちろん、それが均等に入っているわけではありません。その内容次第なのです。その本をレベル[5]の人が読んだ場合、全てすんなり読めるのです。それはその内容をすでに知っていたと言うことではなく、そんなに苦労しなくても理解できるという意味です。ところがまだ思考レベルが[3]の人がそれを読んだらどうでしょうか?[1][2][3]の部分はすんなり理解できるのですが[4][5]の部分は理解出来ないのです。それは頭の良い悪いという問題は関係なしでなのです。(このことは後でもう少し細かくふれます。)

 さてこの二人の読書後の感想はどうなると思いますか?レベル[5]の人がまだ認識していなかった[5]の内容が書かれていたのなら、この本は良かったということになります。ところがレベル[3]の人は[3]までしか理解できないので、[3]の部分が良かったと感じるのです。そして[4][5]の内容がそこにあったことにも気がつかないのです。もし本の内容が[4][5]に重点が置かれていたらどうなるでしょうか?そのような場合レベル[3]の人はその本を読んでも本当の意味が理解できないということになるし、その本を読むことに苦痛すら感じるのです。まあ訳のわからないことが書いてあるのですから、当たり前でしょう。

 なぜそれが読めないのかというと、その人の魂がその知識を封印しているからなのです。実際は本を読んでその内容は魂にまで届いているのです。でも魂はまだこのレベルの話は封印を解いていないから、という理由で頭脳に思考結果をフィードバックしないのです。もう少し別な言い方をすると、魂の中でそのレベルの思考を行う準備が出来ていないという意味でもあります。その様な場合どのような現象が見られるかというと、「右耳から入った情報が左耳に抜ける」という感じで何となく読んだだけで記憶に残らないのです。そういったときに違和感は感じません。それは脳の働きによるものなのです。そもそも脳はある種のフィルターなんですから当たり前といえば当たり前なのです。それはそれで脳が正常に機能していると言うことでもあるのです。

 本当はもっといろいろな要素のレベルが絡み合っていて、簡単にレベルいくつだとかは判断できないのです。またすべきでは無いと思います。ここではその原理を説明する為にきわめて簡略化しているということは承知しておいてください。このようにレベルとかいう言葉を使うと、優劣という発想につながり易いのです。話のついでに書いておきますが、優劣というのを気にするというのは、意識レベルでは中間くらいで上のほうとは言いにくいのです。なぜなら意識レベルの高いレベルでの理解では優劣を気にするのは全く意味が無いということ なのです。本当に話のついでになりますが、ちょうど優劣ということが出てきたのでそれについての意識レベルをもう少し説明します。

 「優劣」という理解において、「優劣については優の方が良い、レベルは高い方が良い(偉い)」、というような理解がまずあります。そして「優劣を論じるのは、劣っている人に気の毒だから、そのことにはふれないほうが良い」という理解もできます。「もともと全ての物は同じだから、(たとえばみんな同じ人間なんだから)優劣などない」という理解もあります。「優劣というのはその時の一時的な状態を表しているに過ぎない、存在としての根本的な価値に違いなど全く無い」という理解まであります。これらの考え方の違いが思考レベルの差なのです。当然、後のほうが高くなっているのはわかりますよね。上に書いた四つの文章のどれで考えているのかというのが意識レベルなのです。後の方ほど思考の周波数が高くなっているのです。同じ言葉でもいろいろな理解レベルがあるということはわかりますよね。 (この思考レベルと理解レベルは微妙に違うと思うのですが、ここでは同じとして考えます。)

 思考レベルと意識レベルの違いについて書いておきます。思考レベルとは考えるとき、理解するときのレベルです。これは考えたり、理解するときに意識のレベルがその思考レベルになっていれば理解することが可能だということになります。理解した結果、しっかりと自分自身のものになった場合、その理解はいつでも使うことが出来ます。意識レベルと言うのはもっとダイナミックに動きます。要するに気分の変化でも変ります。例をあげます。たとえば意識レベルが高くなっているときにあることを理解したとします。そのあと意識レベルが下がると、「それは分っているんだけど、だけどねえ」というかんじになるのです。もっと意識レベルが下がったりすると、意識レベルが高かったときに理解したことなど、「それは理想論だね」、とか「それは屁理屈だ」というようにもなってしまうのです。

 実際のところ、気をつけていないとかなりダイナミックに動いてしまう、意識レベルがもっとも人間性に影響しますから、要注意というのはわかりますよね。いつも意識レベルを最高の状態に持っていけるのなら、誰でもキリストのようにもなれるんです。意識レベルの周波数はその人の能力の周波数でもあるのです。(ここは余談)

 話をもどします。「優劣」で説明したように、言葉(単語)自体に複数の周波数が含まれていることも多いのです。それはちょっと極端に言うと単語の意味さえ周波数の違いで変ってしまうと言うことなんです。だから、たとえばレベル[5]で書かれた文章を[3]の人が読んだ場合、それぞれの単語の意味が微妙に違うわけで、余計に意味がわからなくなってしまうのです。これも例を何か考えてみましょう。

 最適だと思えるような例が思いつきません、とりあえずこのページらしく、「愛は喜びである」という文章にでもしてみましょう。愛を男と女の関係だと理解している人、そして喜びとは快感だと考えていたりすると、おそらく素直に「セックスすると気持ち良い」になってしまうでしょう。この例はちょっと極端でしょう、その他にもいろいろとバリエーションはありそうです。ところが愛の重さを理解していて、喜びも体験している人の理解レベルだと、「愛と喜びはいつもいっしょにいる。喜びから愛を引き出せるし、愛することが喜びである。喜びと共にいるということは愛と共にいることだし、愛を実践するということは、自分自身を限りなき喜びに満たすことである。」というような理解になるのです。同じ文章の意味がこれだけ変ってしまうんです。文章が集まった本などではその理解程度はすごく大きくなるのです。

 ここでは本を読んだときの理解を例にしたのですが、これは全ての理解に当てはまります。日常会話の中に含まれるそれぞれの会話の意味もそのレベルごとで大きく変わったりするのです。ある意識レベルの人が何気なくいった言葉が、別な意識レベルの人に大きな気づきを与えることもあるし、逆に馬鹿にされたと受け取られることもあったりするのです。(ついでにある程度高いレベルでいうと、「それだからこそ、いろいろな体験が出来るんだ。」とも言えるんです。)

 それではどんな理解が高いレベルなのでしょうか?個別にどの考え方がどうだというのはわかりません。でも大事な傾向があります。それさえ覚えてればかなり判断がつくのです。高いレベルの思考は、協調的で、視野が広く、愛に満ちているのです。この愛に満ちているという表現自体かなり難しいかも知れません。そういう部分は感じて判断してください。逆に低いレベルは、独善的で、視野が狭く、不安をベースにしているのです。

 愛というのは、周波数の高さでもあります。心が愛で満たされていると、その時には意識レベルが上がっているのです。それは同時に視野が広くなり、不安を感じないということでもあります。また逆の方法で視野を出来る限り大きくすると、より愛を理解し易くなるということでもあるのです。

 さてレベルという言葉を使った以上、その対策を説明する義務がありますね。なぜなら今の状態はあまり良くない人がいると説明したわけですから、どうしたらそれを改善できるのかというのがなければいけません。それもわからずにレベルなどという言葉を使うのはそれこそレベルがさがってしまうのです。もっともその方法を信じられるかどうかは読む人しだいなんです。その理由は今までの説明でわかりますよね。

 まず意識レベルを上げることを考えましょう。先ほども書いたように意識レベルはいつも上がったりさがっりします。意識レベルが下がっていると、もともと理解できる思考レベルを持っていてもそれが出来なくなってしまうのです。たとえばの例ですが、意識の中でそれを否定的に考えていた場合、それは区別を促す意識なのです。分離を意味するような思考は意識レベルを下げてしまうのです。たとえば宗教のことでもその様な例があります。宗教では自分達が一番正しいという信念で組織をまとめています。それは他の宗教、他の宗派との違いを考えて、自分達を正当化しようとする分離をベースにした意識レベルになってしまうのです。皮肉なことに一番愛を理解してそれを実践しなければならない宗教で意識レベルが下がるというのは、当然、視野も狭くなり、愛から遠ざかるだけでなく、神からも遠ざかるということなんです。結果的に一部の人達を除いて、レベルの高い意識を維持するのが非常に大変になってしまうのです。

 意識レベルを上げる最も簡単な方法は、何か判断するとき、「今、愛ならどうするだろうか」と考えることで上がるのです。考えるときは、より広い視点を心がければ良いのです。もちろん「愛なら、どのように考えるだろうか」と自問自答しても良いのです。それが意識レベルを上げる手っ取り早い方法なんです。慣れてくると意識的にそれをあげたままの状態に保てるようになります。私もその練習中だと書いておきます。何しろマスターになるなら、いつも最高のレベルでそれを維持したくなるのはわかっていますから。

 さて思考レベルを上げていくのにはどうしたらいのでしょうか?たとえば本を読むときなど、意識レベルを出来るだけ上げておいたほうが理解力は上がるのです。このように考えてください。「世の中に真実はたくさんあるのだ。この人はどのような真実を持っているのだろうか? そこに参考になるものは無いだろうか?」という気持ちで読むことが良いのです。それを「この人の言っていることは正しいだろうか?」という意識などで読んだ場合、このような現象がおこります。まず自分自身の真実とずっと比べながら読むことになるのです。そこで自分自身の真実と違うことを見つけた場合など、分離、差別化の意識が働きます。そうなると自分が正しいのか?本が正しいのか?という様に分離の意識がエスカレートしてしまうのです。結局のところ、読めば読むほど意識レベルが下がってしまい。それにつられて理解レベルも下がって良くのです。いったんその状態になってしまうと、内容は関係なしに「なんだこれ」と頭にきて、本を投げ出してしまうのです。

 私のページも実際のところかなり読者を選びます。もちろん選んでいるのは読者の方なんですが。この文章もここまで読むまでにやめてしまった人も結構いると思います。ここまで読んできたということだけでも、理解レベルは高いと考えてもらって良いと思います。ちょっと余談でした。思考レベルを上げる話にもどします。思考レベルをあげる最も早道はレベルの高い本を繰り返し、繰り返し、完全に理解できるまで、本がぼろぼろになるくらいまで読むことなんです。私の場合は、「神との対話」や「ラムサ」でした。

 自分の思考レベルを超えた話だと、当然すぐには意味がわかりません。特に「ラムサ」の本などは、思考レベルそのままで書いているから、なかなか理解しにくいのです。それに比べて「神との対話」は、より万人向きに低いレベルでもそれなりに理解できるように書いてあります。でも、その奥の意味まで理解しようとしたら、この周波数はそうとう高いということになります。それは読んでいるときにそれぞれ愛を感じるんですよね。その愛の感じは両方とも同じではないでしょうか?

 さて本を何度も読み直してもわからない部分が出てきます。それはまだ魂が封印しているレベルの部分なんです。その封印を解くにはどうしたら良いのでしょうか。ここがこの文章の中で最も重要な部分なんですよね。だけど皮肉なことにこの部分の説明もかなりの理解レベルが必要になってしまいます。早い話、「私はこれを理解する。いったいこれはどういう意味なんだ。」と真剣に考えることが大事なのです。先ほど書いたように考えるというのは、魂が用意したメニューから答えを選び出すということなんです。そこで該当する答えが見つからない場合、魂は神の意識にその答えを探しに行くのです。それは魂がその思考レベルの封印を解くということなんです。その時に表の意識のバックアップも必要になります。表の意識は「私はこれを理解できる。今考えているから、もうじき解る。」と考えてください。それはそういう現実を作るということ、つまり創造力も一緒に使うということなのです。

 もし考えて理解できない部分に対して、「私にはこれは難しくてわかんない。私には理解できない。」と考えたり、「私はこれを理解したい。」と考えたら魂は封印を解くのをやめてしまいます。それはまだ表の意識がそれを理解するのを望んでいないと判断されるからなのです。創造の原則はここでもしっかり当てはまるのです。

 無事に魂が封印を解いたとします。すると魂は神の意識から該当する考え方(理解)を共鳴により取り出してくるのです。私の場合は寝ているときにそれが起こったのです。おそらく普通は寝ているときなんでしょう。瞑想中にそれが起こることもあるようです。もし運良くその瞬間に気づいたら、貴方は様々な光がおどっているのがみえるはずです。小さな光のピエロが視界の真ん中からたくさん飛び出してきて、おどりまわるのです。それに気づいたとしてもすぐには起きないでくださいね。魂は大事な仕事をしているのですから。その後は、今まで解らなかったことが(考えることで)解る様になります。それは魂が新しい思考のメニューを手に入れたということなんです。私は少なくとも3回はこれを経験しています。おそらくレベルごとに何回も繰り返すのでしょう。まあ気がつかないうちにそれをやっている可能性も高いんですが、もしかしたら多くの人が割りと気がつかないだけで何回も体験しているのかも知れません。

 ということで、思考レベルの話はだいたい出来たと思います。最後にこの文章自体の最も高い理解を書いておきましょう。ここに書いてあることは、何故、理解不足の人がいるのか、何故、「愛」や「やさしさ」を理解できない人がいるのかの説明でもあります。そして全員が愛を理解する為の旅の途中であり、目的のために本来の能力を封印しているのだということなんです。それは全ての人を許す理由(説明)でもあるのです。全ての人が神なのです。そして今はその能力、理解を封印することで互いに協力して体験しあっていると言うことなんです。それは全ての人を愛せる理由なんです。

PS.ずいぶん長くなってしまいました。読んだ人ご苦労様でした。私も結構疲れました。もう窓の外もかなり明るくなってる。^^

(2004/07/02)


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