思考レベルの補足 (第145話)

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 前話の補足をします。前話はかなり長くて読むのが大変だったと思います。実は今までで一番長かったのです。その為に途中で気がついたのですが、書くのをやめてしまったことがいくつかありました。それを書くことにします。

 前話を読んでいて、神との対話にでてくる「小さな魂のたとえ話」を思い出した人もいると思います。それを自然に思い出した人はほぼ完璧な理解が出来ていると考えて良いと思います。もともとは全てが完璧(No problem)な存在なわけで、体験することで、自分自身を知る旅をしているのです。それは自らの周波数を一度下げて、そこでのリアルな体験をした後で、徐々に周波数を上げて行き、最終的にはもともとの周波数レベルにまで戻っていくという旅なのです。ちなみにその旅を終えるということがどの様な意味を持つでしょうか。旅を始める前は、「全てを概念として知っているけれど、まだそれらを体験したことの無い神」だったわけですが、旅を終えることで、「全ての概念を知り、そして体験したことのある神」になるのです。私達は全てを体験するという偉大なる冒険の途中なのです。

 私達の旅は、山の頂上から一気にふもとまで降りてきて、その景色を楽しみながら、また頂上に戻っていくたびなのです。で、なぜそれをやるのかというと、それが楽しいからなんです。それぞれの場所でしか見れない景色があるし、そこでしか出来ない遊び(体験)があるからなのです。この楽しんでいるというのは、私からみると間違いようの無い事実なんです。問題は、ある程度以上の意識レベルまで上がらないと、その自分が楽しんでいるということを理解出来ないのです。でも、そのことが実感として理解できるようになると、実は全ての人が楽しんでいるということも解ってくるのです。

 基本的に全ての人が楽しんでいるのですから、何も他の人がその楽しみを邪魔することは無いのです。それは、ほおっておくという愛でもあるのです。もっとも世の中はいろいろで、人の楽しみを邪魔することを楽しみにしている人もいたりするんです。少々過激な発言だと認識しながらもあえて書いてしまうと、組織的な宗教などは、「べき論」を振りかざして人々の楽しみを邪魔しようとしているのです。それでも、またそこから生まれる葛藤なども楽しみのエッセンスであったりしますから、それに対してもどうしなければならないというようなことも発生しないんです。

 では、どんなときでもただ黙ってみていればそれが愛なのかという疑問を持つ人もいますよね。もちろんそうではないんです。愛にもいろいろあって、その世界でしか体験できない愛もあるのです。そして愛されることを体験したいという人もいる訳で、そこでそれぞれの需要がマッチするのです。ついでに書いておきますが、需要がマッチするという言い方に違和感を覚えた人もいると思います。大事なことなのであえて強調していいます。「この現実でのおおくの愛は、愛したいからする行為であり。愛したい、あるいは愛するという意志が必ずそこにあるのです。」愛されるという行為(行為として考えれば)は、愛することと本質的に同じものなのです。なぜなら愛するという行為(イベント)を共同で作り出しているからなのです。愛されることを拒絶している人は、愛することを拒絶することとそれほど違いはないのです。(ここら辺の文章はかなりの理解レベルが必要です。考えるより感じてください。)

 思考レベルの補足のつもりが、愛の説明になってしまいました。もちろん関係あることなのですが、いったん話を戻します。ちょうど前の文章で「感じてください。」と書いたので、その説明をします。実はというほどではないのですが、レベルの高い理解ほど、直感的、感覚的なものになるのです。それはぴったりする言葉が無いと言うことでもありますが、その前提の理解も必要になるし、そして何より、そこに含まれる内容のボリュームも多くなるのです。前話で「愛は喜びである」というのを例に挙げたのですが、そこでレベルの違うぞれぞれの意味を書いたときの文章の長さの違いに現れているのです。思考レベルが高くなると、言葉を理解するのではなく、その本質を理解することに重点がいこうするのです。

 またそれは「1+1=2という答え以外はありえない」というような型にはまった思考だと理解出来ないのです。だから、どちらが正しいのか白黒をはっきり付けたいと考えていると、その段階で意識レベルがさがってしまうのです。そして何かを証明したいという気持ちも、同じ理由で意識レベルが下がるのです。何しろその前提には正邪をはっきりさせるという、差別的な思考が根底にあるわけで、その段階で意識レベルが下がってしまうのです。もちろんこれは意識の周波数が落ちてしまうと言う意味です。

 あらためて、思考レベルと理解レベルと意識レベルについて補足します。まず意識レベルから説明します。その時々の意識の振動数のことを言います。これはその時その時の考え方に影響を与えます。まあ簡単に言ってしまえば、意識レベルが低いときは、攻撃的、差別的になります。意識レベルが高いときほど強調的な考えが浮かんでくるのです。ちょっと余談気味なんですが、誰かがひどく攻撃的だったとします。その人は攻撃的な人でしょうか?私達はその人の攻撃的な言動をみて、その人は攻撃的だと考えてしまいがちです。でも、本当はそうではないのです。その時のその人の意識レベル(周波数)がさがっている為に、その人はその様な考えをしているのです。それはその人の本質的な部分が現れているのではなく、ただその時点で周波数がさがっているという現象がその人の考えに現れているだけなのです。もっとも攻撃的に考えているから周波数がさがっているとも言えるのですが、それでもその人にとっては一時的な現象であることには変りは無いのです。

 理解レベルとは、すでに(感情的に)理解を終えたもののレベルを言います。例えば、あるレベルの一つのことを感情的に理解して自分自身の叡智にしたとします。そうすることにより、同じレベルの関連した理解は、容易に理解できるのです。それは理解したことを思い出すことで、意識のレベルをあげ、その理解に関連した新たな理解を可能にしてくれるのです。ですから、理解レベルはある意味では理解の横へのつながりだといった方がわかり易いかも知れません。同じレベルの理解を広くすると、それぞれの関連性がみえてきます。その関連性が把握できたとき、その理解はしっかりと自分自身の真実になるのです。

 思考レベルと理解レベルの関係を細かく説明します。思考レベルは理解レベルとは似ているのですが、その志向性はより高い周波数に向きます。それはまだ自分自身の理解レベルがそこまでいっていなかった場合など、何故なんだ?これはどういう意味なんだ?と考えることでその理解が可能になるのです。もちろんこの時の疑問には、私とはいったい何なんだ?というものや、愛とはいったい何なんだ?というもの、「ただ在る」とはどのようなことを意味しているのか?等などの根本的な疑問を含みます。この思考レベルは、前話で書いたように、魂が自らの封印を解くという意味があります。いったんそのレベルのことがおぼろげでもわかって来ると、その後はそのレベルでの理解を深めていくことで、自然に自分とっての真実になるのです。

 さて思考レベルの場合、大事な注意点があります。ある意味ではこれが最大の難関でもあるのですが、思考レベルをあげるというのは、自分自身がまだ体験していない周波数に、自分自身を持っていかなければならないということなんです。説明が難しいのですが、理解レベルの場合は、すでに同じレベルのものは理解が終えているわけで、そのすでに理解したことを考え、意識することで、その時の意識レベルをそこまで上げることが出来ます。理解レベルも思考レベルも大事なことは、その理解をするためには、その時の意識レベルをそこまで持っていく必要があるのです。思考レベルの場合、意識レベルをそこまでどうやって持っていくのかが問題なのです。

 どのようにして意識レベルを上げたらよいのでしょうか。もともとも意識レベルは上がったりさがったりしているわけなのですが普段どおりでいたら、いつもの意識レベルの周辺を行ったり来たりするだけなんです。新しい理解が欲しいと思ったときは、いくつか方法があります。まず瞑想もその手段としては有力なのです。ただこの方法は誰にも向いているともいえません。私なども瞑想は得意ではありません。というかあまり好きではありません。そのかわり、ぼんやりしています。このぼんやりするというのは、一種の瞑想なんです。

 もっと別な方法もあります。例えば意識レベルの高い人と話をしていたりすると、徐々に意識レベルが引きずられて上がって行くのです。そのようなとき、自分の意識レベルが上がっていますから、相手の人から聞いた話はごく自然に理解できたりもするのです。理解できるというか、その時には何を当たり前のことを言っているんだと感じるかもしれません。誰でも意識レベルが上がっていると本当にすんなりとそれが理解できるのです。でもその人と別れて、いざ一人になって考えてみると、「あれ?いったい何を納得して聞いていたんだろう?」というような具合になってしまうことも良くあることなんです。それは一人になることで意識レベルがいつもの状態に下がってしまったために、その時納得したことがすんなりとは思い出せないのです。それは良い事でしょうか?たとえ忘れてしまっても良いことなのです。なぜなら、魂がいったんはその封印を解いたのです、そしてその理解は魂が覚えていますから。徐々にそれを思い出します。そしてそれを思い出しながら、今度は自分自身で自分の周波数を上げていくことになるのです。(みんな意識しないでそれを徐々にやっているんです。)

 ふと思ったんですが、私に会いにくれば最高レベルは無理だけどある程度、意識レベルを上げることは出来ます。「魂の部屋」のなかでどの部分が理解できないかという疑問を持ってきてくれたら、それを直接会って、話で説明した方が意識レベルの上でも理解し易いと思います。(もっとも、普通にこのページを読んでいられるのでしたら、かなり理解レベルは高い方だと思います。)

 さてさて、周波数をあげる最も手っ取り場合方法を書きます。前話でも少し書いて繰り返しになりますが、自分自身の周波数を上げるもっとも確実な方法は「愛」なのです。愛とは全ての周波数を含んでいるのですが、その中には最高レベルの周波数が含まれています。今、心に「愛は周波数」というのがうかんできたのですが、これはまだ理解してないので説明できないです。おそらく視点によってはその様にもみえるのでしょう。ちょっと余談になってしまいましたが、余談ついでに私の場合について書いておきます。私は「神との対話」や「ラムサの本」の内容を考えることで。自分の周波数を上げています。そしてこの「魂の部屋」を書いているときも、そうとうあがってきます。それは自分自身の魂と対話しながら書いているのですら、その影響なんでしょう。

 話を「愛」に戻します。例えば誰か(例えば神様)が「ただ愛しなさい。」と、言ったとします。それは「愛することで、自分自身の周波数を上げなさい。それは愛することで自分自身が強くなり、喜びをより多く味わえることになる」という意味なんです。うーん、上手に説明が出来ないですね。そうですね、言い方を変えましょう。意識レベルを上げていくと、愛が意識レベルを上げる大事な要素であることがわかるんです。それはその体験を通して理解するものなのです。そして同時に喜びも増えてゆくのです。それは対数的にも感じます。というのは、一つレベルが上がると「愛と喜び」は倍になり、二つレベルが上がると「愛と喜び」は4倍になるという感じで、どんどん増え方がまして行くのです。それはこの調子で「愛と喜び」が増えていったらいったいどうなっちゃうんだという感じなのです。

 まだ喜びを感じられない、もっと喜びが欲しいと思う人は、騙されたと思って、でも良いですから、愛してみてください。その時大事なことは、一番に自分自身を愛してください。自分自身を愛していないと喜びはなかなか感じられません。その後で愛する相手は誰でも良いんです。片思いであっても一向にかまわないし、全世界の人を愛しても良いんです。そして愛が喜びを生むということを実体験として理解してください。それは同時に自分自身の周波数も上がっているということなんです。それが出来たら後は早いです。喜びに向かって進むだけなんです。その先には、自分自身が本当に神の子であることを実感することが待っています。その時、貴方がどこにいようとそこは天国(パラダイス)なのです。

 世間常識などはあまり気にしないようにしてくださいね。そもそも世間の意識レベルはかなり低いですから、常識どおりにしようと思えば思うほど、その低い周波数に自分を持って行っちゃう事になります。他の人からどのようにみられるのかを気にしすぎるのも良くないです。もし、攻撃的な気分になったら、心の中を点検してください。なにか自分自身の周波数を下げているものが見つかるでしょう。

 普段の意識レベルを上げるためには、やさしさを大事にしてください。全ての人の中に神を見れれば良いのですが、それは最初は難しいと思います。趣味でも何でもいいから楽しんでください。人生を楽しむ気持ちは、周波数を上げます。それに「今を生きる」というのも大事なことです。過去や未来にとらわれない意識、成長途中である自分自身を楽しむ、いろいろな言い方が出来ます。本質はみんな同じことなんですよね。魂は生きることを楽しんでいます。表面の意識が楽しむことで、魂との同調がとりやすくなるんです。

 まだ話が終わってない感じがするのですが、いったん終わりにします。なにしろこのままいくと補足が本文より長くなってしまいますから。(多分、補足2に続きます。)^^ (2004/07/04)


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