神と呼ばれるもの その2

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 さてこれから2種類の「神と呼ばれるもの」について、私の仮説を書く訳なのですが、あらためて言うまでもなく、これは私が考え出したことではありません。多くの人の体験を本で読んで、それにほんのわずかの自分の体験をあわせて総合的に考えた結果であります。ですから「神と呼ばれるもの」の本質を私がよく知っているわけではありません。

 では何故そのような状態で、大それた事にも「神と呼ばれるもの」について書くかというと、「何か」が書け書けと言っているのです。陰気臭い言葉を使えば因縁なのだと思います。(たぶん、本人も気が付いていないのですが、私となにがしかの因縁のある方がそのように仕向けています。もちろんそれだけが原因では無いけど)

 少々余談ですが、普通の神経の人なら、たとえ「神」というものに自分なりの見解を持っていても、このようなところにそれを書こうとは思いません。で、私が普通の神経ではないと思われそうなのですが、そんなことはありません。少々変わっていると言われる事はあっても私は普通の人なのです。でもこうして書いているのは、色々なことが私に書け書けとメッセージを送っているのです。その結果、こうして書いているわけです。これは「成り行き」と言っても間違えはではないのですが、偶然と思われることの積み重ねの結果であって、ただ一つの偶然の結果とは違います。

 言い直すと、偶然も何度も積み重なると偶然では無いと言うことです。多くの人が偶然であると考えていても、実は「何か」に導かれていたということは結構あると思います。男女の出会いなども、このケースが多くありそうです。輪廻転生で生まれ変わりながら何度も同じ相手と結婚すると言うケースなどは、このケースにあてはまると思います。

 さてそれでは本題です。と思ったけどもう一つ余談です。私がこのページを書いていて、余談が非常におおい、あるいは話がコロッと変わってしまっていると感じている人は多いと思います。私は何かを書くときしっかりとあらすじを立てて書いている訳ではないのです。その結果、最初には思ってもいなかった話の展開に成ったりすることもたまにあります。もちろんいろいろと考えながら書いてはいるのですから途中で考えが変わってしまうと言うことも考えられるのですが、それよりも話を成り行き任せにしていると言うことの方が重要な要素です。この成り行き任せということが実は重要なのだと思ったりもしています。

 理性に立ち戻って、本題に入ります。(と言ってもこれから書きながら考えるわけですが)
 まず、私が「真理」という言葉を仮に使っている「神」の話からした方がわかりやすいかと思います。これは何処にあるかというと、間違いなく言えるのは私たちの3次元の世界ではありません。もっと高次元(軸が多いということ)にあるようです。といっても、私たちの3次元空間もその中の一部であるわけで、そういう意味では、この次元にも「真理」は存在しているといえるのです。

 「真理」というものを、私が理解出来るわけでは無いのですが、その一面は、おそらく高次元における「法則」のようなものだと考えても良いと思います。「法則」のようなものというと、やっぱりこれも誤解されやすいのですが、高次元から見ると、私たちの歴史もさながら「リンゴが木から落ちるように」当たり前の事なのです。だから「何故」という疑問を持っていても、私たちの意識が3次元に止まっている限り絶対に理解できるものでも無いし、文句をいうことも出来ません。そういうものだからです。

 さてそれだけだと、言い替えると「たとえ高次元の法則がどうであっても」私たちには別にどうでも良いことなのです。しかし一方で、私たちの3次元(時間を入れると4次元)もその一部であることは確かなのです。高次元から私たちになにがしかの影響があっても何もおかしいことではありません。

 ここの問題で私たちに関係があるのは、私たちの魂がこの高次元の「真理」とつながっていると言うことです。実は私たちの魂は3次元の物では無いと思われます。私たちの肉体は紛れもなく3次元の物です。肉体にこだわる限り3次元から抜け出すことは不可能です。死んでしまって「魂」だけの存在に成ったとき、その魂はこの3次元に止まることも可能ですが、同時にもっと高次元に行くことも可能に成ります。ちなみに何らかの原因で高次元にいけず、3次元に留まっている魂は「浮遊霊」であると考えられます。このように考えると、成仏すると言うことは、魂が高次元に行くと言うことを意味します。

 「真理」とこの「魂」との関係ですが、高次元の魂は当然の事として高次元の「法則」である「真理」の影響を受けることに成ります。というか、もっと別な観点で考えると、このような「魂」が存在することも「真理」という法則の一部なのです。そしてそれを別な言い方(3次元的に考えると論理の飛躍であるけど)にすると、「魂」は「真理」の一部である。と言うことに成ります。

 人間の「魂」が、この現世(3次元世界)で苦悩を感じなければ成らないのかと言うと、本来もっと高次元の物であり、多次元の法則に影響されるべき「魂」が肉体というものなど(これには3次元的な意識、エゴが含まれます。)の影響で3次元世界の法則に縛られてしまうことに大きな原因があります。

 たとえば「リーディング」などで、未来を予知出来ると言うことは、魂が多次元の「真理」に接触することによって可能に成ると思います。そして「禅」や「ヨガ」などの「悟り」も意識が多次元にある「真理」と接触する事であると考えられます。また宗教など関係なくある種の技能で「開眼」すると言うことは、その技能による精神の集中などを通して意識の一部が「真理」と接触を持ち今まで解らなかったこと、出来なかったことが出来るように成ることを言います。(もちろんこれは生半可な修行で出来るわけはない。)

 「悟り」というものは、「神(真理)」との意識の接触の事を言っていると考えて大きな間違えではないと思います。

 疲れたので今回はここまでにします。次回はもう一つの「神と呼ばれるもの」について書きます。これは「真理」とは別のものなのですが、非常に密接な関係があります。

(1997/07/03)


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