生命(いのち)の遊び (第157話)

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 話のつながりとしては、前回の続きなのですが、人によってはちょっと理解しにくいかも知れません。というのは、今回の話は全ての人に当てはまるという話ではないのです。今回の話が自分に当てはまるという人は、おそらく読んでいるうちに自分もそうだとわかると思います。

 すこし余談になりますが、少し私達の成長についてすこしだけ説明します。私達はもともとエネルギーの塊であり、それ自体には特定の身体があったわけでもなく、便宜上の乗り物として各種の身体(肉体、幽体、ライトボディーなど)を使っているに過ぎません。それらの身体はその気になれば脱ぎ捨てることも出来ますし、形を変えることも出来ます。何を言いたいのかというと、どのレベルの天界にいても身体自体はそれほど重要な問題ではなく、本質のレベルでは全ての存在(人間も含む)はみんな同じなのです。では何が違うのかというと、過去の経験により作られてきた、自分自身の定義が違うだけなのです。わかりやすく言い直すと、自分というエネルギー体の中に含まれている自分自身に関するデータが違っているだけなのです。まだわかりにくかったら、要するに過去の経験が違うということで理解しても良いのです。

 結局のところ何を言いたいのかというと、どの人もみんな本質は同じなんだということを言いたかったわけなのです。それはどのような存在であっても本質的な部分では優劣などは存在しないということなんです。しかし、全ての人が異なっているというのも確かなのです。その中でも、魂の体験によってより多くのことを思い出している人と、まだ自分自身というものが良くわかっていない人など、言葉は適切では無いのですが、要するに成長具合が人それぞれで違うのです。

 私達人間の癖で、何でも優劣をつけて評価したがる傾向があるので、あえて細かく書きます。成長しているかどうかは、今の状態の個人差の問題であって、本質的な優劣とはなんら関係無いのです。もうすでに人間という体験を終えて、別の世界の冒険にいっている人も大勢居るし、これから人間を体験する天使達も大勢いるのです。たとえて言えば、すごく長い行列の中で行進していて、いまどこの部分を歩いているのかという違いでしか無いのです。優劣という幻想にはまっている人は、とんでもなく長い行列の中で、自分の気にしている相手が何歩前にいるとか、何歩後ろにいるのかというのばかり気にしているようなものなのです。とうぜん本質的な部分を考えるとき、少々の場所の違いなどどうってこと無いのです。

 なぜこのことをこだわって書いたのかというと、もともとどんぐりの背比べでしかないのですが、魂の成長度合いに個人差があるというのも事実なのです。そのことだけを書くと優劣の意識でそれを読んだときにひどい誤解を受けかねないので、あえて細かく書いただけなのです。

 もともと霊的なことに関心を寄せるというのは、ある程度魂が成長していると考えることが出来ます。今、ここを読んでいるということだけでも、その人がある程度以上のレベルで魂が成長しているということになるのです。だから、読みながら自分の魂の成長レベルがどれくらいなのかと言うことにはあまり気にしないでください。それに魂の成長というのは、時としてものすごい成長をごく短時間でしてしまうこともあるので、そのことに気を使う必要は無いのです。なにしろ魂の成長とは、すでに知っていることを思い出すということなのですから、切っ掛けさえあればすごく早いのです。むしろ大事なことは、今、自分にとって必要なことをしっかりやっているかどうかということなのです。ということでぼちぼち本題にいきましょう。

 さて、ある程度成長した魂の話です。私達が生まれてくる前の話です。これからどのような人生を選ぼうかと考えたとき、その時には何があるのでしょう。過去も、現在も、未来も同時に存在しているということを思い出してください。それは何を意味するでしょうか?それは歴史がすでに存在しているということなのです。地球の人間の歴史だけではなく、全ての歴史がすでに存在しているのです。それは河の流れのようにずっと変化しながらも流れ続けているのです。ある程度成長した魂の場合には、この流れをみることが出来ます。そして、その時代と場所を選んで生まれてきているのです。

 すこし例えの話をします。川に遊びに行ったりしたとき、河原の石を移動させたりして新しい流れを作ったり、堰を作ってダムのようにしたり、支流を作ったりしたことありませんか?私もこういうのはけっこう好きなのです。なぜ好きなのか良くわからなかったりするのですが、石を置いたりすることで作った支流の流れが変ったりするのをみながら、あれこれやるのは面白いですよね。まあ小さな川をコントロールする楽しさなんでしょうね。さて、なぜこの話を書いたかもうわかりますよね。歴史がすでに存在していて、大きな河の流れのように流れているのです。生まれる前にそれをみながら、次の人生の予定を建てるのです。人生を何度も繰り返したある程度成長した魂なら、当然思いつくのです。自分でどれくらい歴史を変えることが出来るか試してみたくなるのです。それは歴史という河で遊ぶこと、結局は生命(いのち)の遊びなのです。

 さて、なぜ「生命(いのち)の遊び」であって「魂の遊び」では無いのでしょうか?それは私達の意識がそれを選んでいるいるからなのです。その意味はわかりますか?私達があちらの世界で考えたことなのです。生まれてくるときにそれを忘れてきてしまっているので、魂がそれを思い出すようにいろいろとサインを送ってきたりするのです。

 さて私達が忘れてしまった私達の計画は、こちらの世界にいる私達にはどのようにみえるでしょうか?理由はわからないけれどやりたいこと、あるいは理由はわからないけどやらなければ成らないこと、要するに使命のように感じられるのです。わかりますか、使命と感じたことも元は自分が生まれる前にあった歴史をどのように変えようかという自分自身の計画なのです。ちょっと余談ですが、全部が全部自分で決めたものばかりではないかもしれません、それでも私個人の意見としては、自分の計画として考えた方が良いと思います。なぜなら、自分の計画だと認識していれば、状況によりそれを変更することも可能になるのです。

 もともと「やらなければ成らないことなど一つも無い」のです。そう思っていても、なぜか使命感を感じるというのは、自分でそれを選んだからなのです。それだけのことなのです。だから、そのまま自分の計画として使命に見えるものを実行するのか、はたまたもっと別な方法があるのか、改めて考えてみるのも良いと思います。そして、自分で決めれば良いのです。くどいですが、自分自身の計画だと認識してはじめて、その計画を変える事が出来るのです。このような原則はとても大事なことなのです。自分に起こったことの全ての責任が自分にあると認識してはじめて変更することが可能になるのです。ひとのせいにしている間は、何事も変える事が出来ないのです。(ちょっと余談でした。)

 話を戻します。「生命(いのち)の遊び」とは、歴史を書き換えることなのです。もちろん自分の価値観で良くなるように変えないと意味は無いのです。自分自身の今回の人生で地球上の歴史にどれくらいの影響を与えたのかということがその遊びの評価になるのです。このようなことの繰り返しで、歴史は過去も未来も同時に調和に向けて変化していくのです。私達は「歴史を作るもの」ではなく、「歴史を変えるもの」なのです。

 さて、すこし補足をしておきます。歴史を変えるとは何かとてつもなくでかい事をやらなければ成らないということではありません。御存知のように全ての人の意識はつながっています。そして地球上もまたエネルギーの世界なのです。そこにはいろいろな意識エネルギーが混在しているわけで、その意識の中に少しでも高いエネルギーを供給するというのでも歴史を変えることになります。身近の誰かに愛で接して、その人の成長を促すというのもまた影響の大きいことなのです。いろいろな方法が考えられます。もちろん環境保護などで具体的に活躍するなどと言うことも大切なことなのです。何をしたら良いのか、それは自分の魂が覚えています。自分自身の中にその答えを見出してください。それがあなたの道なのです。

 この歴史を変えるということには、パラレルワールドというのが密接に関係してきます。この細かなことまでは私もまだ理解していませんが、どちらにせよいろいろな(目標をもった)努力は決して無駄にはならないように出来ています。そしてもう一つ、すこし視点を変えると歴史の全てがゲームなんだと言うことにもなるのです。どうせもうゲームを始めてしまっているのですから、とりあえず(気楽に)やるだけやってみようではありませんか。それが人生を楽しむ方法です。

 もう一つ付け加えておきます。私達は自分自身の人生をまた繰り返すことが出来ます。それは以前にはうまくいかなかった同じ時代の同じ環境、同じ家族で、もう一度やり直すことも可能なのです。それはこのようなことでもあるのです。例えば今回、みんなのちからをあわせて21世紀の地球を住みよい世界にしたとしますよね。そしたら、その次には別の人が、20世紀をやり直してまた調和の世界に変える、そしてその次には19世紀を調和の世界に変えるというように、時代を変えることを楽しむこともできるということなのです。だから、なぜ今の時代なのか?という質問があったとしたら、その答えは今を変えたいからということになるのです。それが「生命(いのち)の遊び」というものなのです。

(2004/08/18)


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