神と呼ばれるもの その3

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 「神と呼ばれるもの その2」で、「悟り」などについてふれました。それについて若干説明が足りなくて誤解を受けそうだという指摘を頂きました。もう一度、「真理」と「魂」に関係に付いてふれてから、もう一つの「神と呼ばれるもの」についてふれます。

 「魂」というものは本来3次元世界より、もっと高次元のものだと考えていることを前回書いた訳ですが、その高次元のものが何故3次元世界に宿らなければ成らないのでしょうか?宗教的な考え方で言えば「それは修行である。」と考えられています。ただこの説明だと「では、何故3次元で修行しなければならないのだ?」などといろいろと疑問が出てしまいます。これに付いてははっきり言って良く解らないものがあるのですが、このように考えるとある程度つじつまがあいます。

 人間が生まれたばかり、要するに赤ん坊の時にはまだまだ成長する前ですから何も解らず、何も出来ません。それと同じように「魂」も、それが発生したばかりではきわめて未熟な存在であると考えられます。その段階の「魂」はおそらく人間にも成れない状態であると考えられます。精霊やジン(Ginn)などと呼ばれる存在であると考えられます。もしかしたら、その段階では人間以外の動物に宿っていたりするのかも知れません。(動物にも感情があることは確かなので、人間に「魂」があるなら当然他の動物にも「魂」があることが考えられます。)ですから私たちの「魂」は成長の過程で人間の身体に宿っていると考えることが出来ます。

 成長の途中の「魂」にとって、高次元の世界よりも、よりシンプルな3次元世界の方が居心地が良いと考えられます。ですから、いったん死んで高次元世界に行っても、いずれ3次元社会に戻って来て、結果的に輪廻転生をくり返すことに成ってしまうのです。「魂」にとって3次元世界は、居心地の良い学校(おそらく小学校)のようなものだと考えられます。当然「魂」のレベルが上がってくると、そこは居心地のいい場所ではなくなってきます。(中学生や高校生が小学校に通ってもしようがないと言うこと)

 この3次元小学校を卒業することが、要するに解脱であると考えることが出来ます。おそらく人間が「悟り」を開いて、解脱してももまだまだ先が長いのではないかと考えられます。

 さて「魂」の別な側面について前回の補足です。「魂」が高次元の世界のものであると言うことは、高次元の「真理」の影響を受けていると言うことです。これは必ずしも正しい言い方ではないのですが、「魂」は「真理」と同じもので出来ていると言うことに成ります。(3次元の物体は全て、陽子、中性子、電子から出来ています。)それと同時に、それぞれの「魂」はもともと「真理」と高次元ではつながっているものであると言えます。

 別な言い方をします。多分に宗教臭い言い方ですが、「私たちそれぞれの魂は、神につながっている。私たちひとりひとりの中に「神」がある。」ということが出来ます。この場合の「神」は、心の奥深く、通常の深層心理よりもずっと深いところにあり普段では気づくことが出来ません。「神は全てのものと、共にある。」という言い方も同じ意味で考えて良いと思います。

 ここまでは、前回の補足でした。ようやく今回の本題のもう一つの「神と呼ばれるもの」についてです。

 結論から言います。これらは「魂」です。と言っても普通の魂ではありません。ある程度以上の「悟り」を開いた「魂」なのです。これらの「神」の事を便宜上「高位霊」と呼ぶことにします。

 前に書いたように、プッダを含めた仏様やイエス・キリストやモハメッドなどが入ります。そして一部の宗派の開祖、一部真面目な新興宗教の教祖などもこの分類に入れる事が出来ます。通常の場合、このようなことにちょっと詳しい人はこれらの「高位霊」を「神」と呼ぶことはしません。別なものとして考えています。今回私は、世間一般の見方を考えて「神と呼ばれるもの」として説明しているのです。

 このような「高位霊」にも、いろいろなレベルがあることは確かです。これは要するにどれくらい「真理」の側にいるかということなのですが。「高位霊」は、通常の人間には考えられないような能力を持っているようです。いわゆる私たちにとっては「超能力」なのです。彼らは私たちより「真理」の側にいるので「真理」の力を借りることが出来ます。もうちょっと合理的に言い直すと、高次元の「法則」を利用することが出来るということです。私たちには、不思議で納得できないことが高次元では別に普通のこととして実行出来ても、それは当たり前のことだと思います。

 通常「高位霊」は、私たちの「魂」をより高位に導くように働いています。宗教もその一環であるわけなのですが、それは前にも書いたように凡人に理解させるため「方便」に成らざるを得ない事が難しいところであります。それでも「真理」の方向に私たちを導こうとしていることを考えれば、私たちにとっては「高位霊」が「神」であると考えてもべつだん問題はないように思います。

 ここで一つ書いておかなければならないことがあります。「ヨガ」により「ヨギ」が特殊な能力を得るのは、修行により「魂」が高位になって特殊な能力を得られるわけなのですが、これを勝手にやると危険だと言うことが言われています。「高位」のもののサポートがなければ、レベルアップは難しいようです。

 また「ヨガ」でなくてもそれと同じようなことはできます。日本では密教がその方面では代表的な存在でしょう。また日本のある新興宗教では、本人の修行と「高位霊」のサポートでレベルアップの体験が可能であるようです。(そのレベルアップの体験が、真の意味のレベルアップなのかは不明)

 ここで重大な事があります。修行により「悟り」を開いても、それはレベルアップにしかすぎないと言うことです。ブッダの「悟り」のようなものは本当に特殊なケースで、通常の場合はレベルアップしてもまだまだ先は長いのです。これらの「悟り」を開いたからと言って、全てのことが理解できるようになるわけではないようです。もちろん「魂」が「真理」に近づいたと言うことでは、非常に重要な事ですが、そこで全てを「悟った」と考えると元も子もなくなってしまうようです。

 私は「信心」はすすめますが、正直言って宗教に入ることはあまりおすすめしません。多くの宗教が純粋ではなくなってしまっているのですから。それに無理して「悟り」を得る必要もないと思っています。おそらく「悟り」の道を求める人は、そのような宿命の基に生まれて来ているはずですから、私たちのような凡人がそれを求める必要はないと思っています。

 「そんなことを言ったら、自分たちには関係ないこと、どうでも良いことでないか。」という意見が聞こえて来そうです。実は関係ないと言うことはないのです。私たちの「魂」が「神」につながっているのですから、心の持ち方一つで充分な恩恵を受けることが出来るのです。出来るだけ落ち着いた心でいることが重要です。怒るといけません。出来だけ平静な気持ちでいた方が良いです。

 「どんな恩恵があるのか?」と疑問に思うのは自然なことです。多くの場合、それは偶然や成り行きのかたちでやってきます。そして、ひらめきなどのアイデアであったりもします。自分の心の中の声(自分の考えとは違う)が聞こえたらラッキーです。その声は貴方に幸運を運んで来ます。別な言い方だと、せっかくチャンスが来ていても、怒っていたり、欲に目がくらんでいたりだとそのチャンスに気がつけないという言い方も出来そうです。

 話をもどします。「魂」の中には「高位霊」と同じような力を持つものもで、あまり好ましくないものもあります。「魂」の力は高次元の原理をどのように使いこなせるかと言うことで決まってきますから、必ずしもそれが「善」であるとは限りません。「悪」の属性の「魂」も存在出来るのです。そのような「悪の属性」の「魂」はまるで「高位霊」のようにふるまうことが出来ます。広い定義で言えば、「悪魔」、「けものつき」などがこの分類に入ります。こうした「悪の属性」の物達はうっかりすると、3次元の私たちに大きな災いをもたらします。

 ここでもう一つ補足が必要だと思います。実は「悪魔」達はある程度以上「真理」に近づく事は出来ないのです。そこが「高位霊」と大きな違いです。簡単に言ってしまうと、「真理」は善の物なのです。その説明は次回にしようと思います。

 実のところ私の気持ちを書くと、ここまで突っ込んで書いてしまうと果たして何人くらいの人が、まじめにこの話を読んでくれているのかと思ってしまいます。おそらく世間の常識から言うとかなり突飛な印象を与えていると考えざるを得ません。それもしかたないと思います。このような話はそれなりにいろいろと関連があり、絡み合っているのですが、私には上手に説明することが出来ないのです。それにこれはあくまでも私の「仮説」にしかすぎません。興味がある人は、自分で調べましょう。

(1997/07/05)


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