チャンス (第164話)

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 今回は、私の失敗談というとちょっと大袈裟だけど、私がチャンスを逃してしまった話を書きます。もちろんそれはそれで意味があったと思うのですが、ここに書くことでより多くの人がチャンスをいかせられることを期待して書きます。

 ここを読んでいる人なら、私達の意識はつながっているのはもう当たり前のことと理解していると思います。そしてそのつながった意識は、相互に密接な関係を持ち、またそれぞれが変化しながら、相互の関係を新しいものに進化させながら、全体がひとつの生命(いのち)として進化を続けているわけです。

 その世界の中で私達は個性を持った一つの意識としての個であるのと同時に全体を構成するひとつの部分として存在しているわけです。それは全てのものが、一つの生命として、その相互の関係の中で、助けたり助けられたりしながら、自分の担当する部分を自らの意思で選びながら、生きているといえるのです。で、何を言いたいのかというと、全体性の視点から見ると、それが一つの命として、機能している訳です。そして私達の先輩の中で私達の成長を援助してくれている存在たちがいるということなのです。

 ちょっと抽象的な話になりましたが、要するに全体性の視点にたって、私達をいろいろな形で援助してくれる存在がいて、私達はその援助を気がつかないうちに受けているということを書きたかったのです。

 さて、私の経験について話をします。しばらく前のことなのですが、異様にハイな状態の時がありました。言葉が正しいかどうかわからないのですが、スピリチュアル・ハイと言っても良いのではないかと思えます。心は軽く、喜びと感謝の気持ちを簡単に持つことができて、気づきがポンポンと湧いてくるような状態だったのです。よる布団に入ってもハイな状態なので眠りつくことが出来ずに、明け方になってようやく眠るという日が数日続いたのです。

 今になって思うと、私が何かのステップアップをする為に、私の意識の状態を持ち上げていてくれた存在がいたのです。この持ち上げてくれるというのは、私の普段の意識レベルよりもかなり高い状態にしていてくれるという意味なのです。その援助の細かいことまではわからないのですが、すくなくともその様な状態というのは、私が今までより高いレベルの気づきなどに到達するチャンスだったのです。

 終わってしまったことに、いつまでも意識を置いておくことは好ましいことで無いのですが、今回は一つの教訓として、もう少し詳しく書きます。私は自分自身の変化には気づいていました。しかし、それに気づいたのは良かったのですが、その解釈を間違えてしまったのです。というのは、私の中で何かの成長があって、意識に変化があったのであり、それは私だけの個人的な理由によるものだと考えてしまったんです。言い方を変えると、それなりにその様な状態を自分の力で続けていけるのだと考えてしまった訳です。それと同時に、私の成長の道は始まったばかりで、まだまだ先が長いとも思ってしまっていたのです。それは、あわてずにゆっくり進めばよいという考えになっていたのです。

 もうわかりますよね。誰かが私の成長を即す為に、一時的に私に力を貸してくれていたのです。それはずっと続くということではなかったのです。私はその状態がずっと続くのかと考えてしまった為に、単にその状態を喜んでいただけで、新しい自分に挑戦するという気力にかけてしまっていたのです。もちろん、その様な気持ちはいつも持ってはいるのですが、要するに、「今がチャンスだ、勝負時だ。」という気になれなかったのです。それは、私がそのチャンスを充分に生かすことが出来なかったということなのです。

 少々恥かしい話なのですが、その素晴らしい数日間をすごした後、「変化を恐れていては、成長は出来ない。」というメッセージを受け取ったのです。まあ自分でも「あほ」だと思いますが、実はそのメッセージを受け取ってもしばらくはその意味がわからなかったのです。しばらくして、やっとそれに気づいたのです。何を恐れていたのかも、いまだに良くわからなかったりするのですが、少なくとも言えることは、私自身が、何かの一線を超えなければならない段階に来ているのだということなのでしょう。

 この一件でいくつかのことが分ります。私達は自分で気づかずに、いろいろなサポートを受けています。それが誰からなのかは、ハッキリと特定できないのですが、すでに覚醒して私達の成長の援助をして入れている先輩として考えればよいかと思います。もちろんラムサもその様なことを行っているので、ラムサだったのかも知れません。ここで大事なことは、その様な存在は大勢いますから、誰でもその時が来たら必要な援助を受けているということなのです。それは霊的に成長したいと望んでいる人全てに、何らかの形で援助があるということなのです。いろいろな援助があるでしょう。その人に必要な形で必要な援助が来ていると考えて良いと思われます。

 というわけで、私はチャンスを逃してしまったわけなのですが、私にもまたいつかチャンスが来るでしょう。それまでは、自力で出来るだけ良い状態にいることが出来るように努力したいと思っています。今度はそのチャンスはしっかり有効利用したいと思うのです。そして、ここを読んでいる人全てにも、時々その様なチャンスが来ているということと、それを逃さないようにして欲しいと書いておきたかったのです。

 私自身のことを振り返って考えてみると、今までにも何回かサポートを受けていたことに思い当たります。「神様からの贈り物(第32話)」の時も、当然受けていたわけだし、霊的な夢を見たときもそれなりのサポートがあったであろうと考えられるのです。では、その様な状態はどのようにして感じ取れば良いのかということを書いておきます。まず、精神的にすごくつらい時などにも、それが来ていると考えられます。何しろそのような時は、成長のチャンスなのですから、精神的な苦痛を和らげながら、その人の気づきを即すという形で援助があります。逆に言えば、どうしようもなくすごくつらい時には、助けを呼べは陰ながら助けてくれる存在もいると言うことなのです。

 もちろん、助けがあるのはつらい時ばかりではありません。おそらく何らかの理由で、その人がステップアップ出来そうなときなども、援助があります。今回の場合はそのケースだと考えています。さて援助を受けているとどのようになるでしょうか。意識レベルが上がるということがいえますが、それは認識しにくいかと思います。単純に言えば、いつもより感受性が鋭くなり、涙もろくなり、愛や感謝を感じやすい状態になると考えてください。そして、視野が広くなっていますから、普段だと考えられなかったようなことまで考えることが出来るように成ります。それは今まで考えていなかった相手の立場に立って考えることが出来るということの場合もありえるし、全体性に対する理解を深める場合も考えられるのです。

 どのような理由でサポートされたにせよ。その時の感じは素晴らしいものがあります。例えば、何かでひどくつらい思いをしていて、そのためにサポートが入ったとします。つらさがそれでなくなるわけでは無いのですが、同時に素晴らしい生きる喜びを同時に感じることが出来るというようなことなのです。それは矛盾していることに感じますか?そうでは無いのです。意識レベルが上がっていると、どんな状態のとき、つらい時でも、同時に喜びを感じていられるのです。両方が同時に存在するのです。

 霊的な進歩に関しては、いろいろな形で援助があります。それは自分自身の望みが元になっていて発生しているのです。でも、それは誰かが手伝っていてくれているということなのです。残念ながら、その時点では全て自力でその体験をしているというわけでは無いのです。全てを自分の実力だと考えない方が、自分の為には良いのだろうと思います。素晴らしい体験をしたあと、今度は出来るだけ自力でその状態になれるように努力することも大事だと思います。というのも、それらの多くは体験気持ちの良いものだから、もう一度味わいたいというのは、自然なことだと思うのです。そして援助が無くてもその状態でいられるようになったときにはじめて、いつでも望むときにその状態でいられるということなのです。それは可能なことなのです。

 最後にとても重要なことを書いておきます。援助はあくまでも援助であり、進むのは自分の力でなくてはなりません。お任せで、自分を成長させてもらうというのは出来ないのです。そうでなければ、自分の意志だということにならないでしょ。それは愛の原則でもあります。何しろ彼らは愛の存在なのですから。

 チャンスだと感じたら、感謝して、自分の成長の為に進んでください。それが援助してくれた人に対してのお礼にもなるのです。

(2004/09/05)


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