ジョーカー (第170話)

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 ある人が、「何かの説明でエネルギーを持ち出すのは、ジョーカーのようなものでどのようにでも説明できてしまうので好ましくない」というようなことを言っているのを聞きました。もちろんその人の言いたいことはわかるのですが、同時に違和感を感じたのです。あらためてジョーカーということについて考えて見ました。

 その人がジョーカーという言葉を使ったのは、エネルギーというのは曖昧なものでどのようなこじ付けも出来てしまうと言う意味で言ったのでしょう。しかし結果として、私がジョーカーという言葉が気になり、それを否定的に考えていることに違和感を感じたというのは、ある意味では非常に重要なことなのだと思った訳です。これから書くのは、その人の言った意味ではなく、私が感じた違和感を元に考えたことをかきます。

 私が何故違和感を感じたのでしょうか?それは、生命(いのち)という私達の本質は、なんにでもなれるものという意味では、ジョーカー そのものなのですから、そこでジョーカーを否定するような考え方だと何も本質を理解できないのでは無いのかと感じたからなのです。

 私達のゲームが、自分を体験的に知ることを目的にしていると考えたとき、それは私達の本質がどのようなもので在るのかを、明確に理解できるものに当てはめて、それを理解することで間接的に自分自身をしるということが一つの方法になります。それは私達の本質は、何にでもなれるもの、要するにジョーカーだと考え、そのジョーカーを理解することで私達の本質の一つの性質を理解できるのではないかと言うことなのです。

 私達はジョーカーなのですから、それを知るために、ジョーカーを除いた52枚のカードをいくら研究してもジョーカーというものを理解出来ないのです。今までの科学、あるいは論理的思考と考えられているものは、ジョーカーという不確定要素は排除して考えるのが普通なのです。だから本質的に、自分でないものを一生懸命研究している。あるいは、自分でないもののなかに、自分を探そうとしているという結果になってしまっているのです。

 ジョーカーがジョーカーとして意味があるのは、その他のカード、要するにハート、スペード、クラブ、ダイヤの各13枚のカードがあるからであることは確かです。それはジョーカーだけあっても何も意味が無いということなのです。その様な意味では、52枚のカードをしっかり認識し理解することは大事なことなのです。しかしジョーカーを知るためには、ジョーカーを除いた世界だけを見ていてもだめなのです。

 誰かが今、ハートの2だったとします。ハートのエースになりたくて努力していると思ってください。ハートの2は、今その人の成っているものなのです。もちろんその人はハートのエースになることは出来ます。でも考えてください。その人が自分で自分のことをハートの2だと考えている限り、ハートのエースにはなれないのです。その人が自分は本当はジョーカーだったんだと思い出せは、ハートのエースになることが出来るのです。この意味はわかりますよね。

 ちなみにハートの2のままでいるのも、ハートのエースになるのも、それはドラマに過ぎないのです。本当は自分がジョーカーであることを思い出すのが覚醒なのです。もちろんこれは言葉での例えに過ぎないのですが、本質的にはかなり核心をついたことだと思っています。

 例えば、シルバーバーチの中で書かれいてることは、私達の世界がハートだとしたら、スペードの世界はこうなっているという説明に過ぎないのです。バシャールのような異星の文化の人たちもまた、ダイヤか何かのカードだということが出来ます。実際はカードは52枚程度ではなく途方も無く多くあるのですが、それでもやはりひとつひとつのカードに過ぎないのです。その様な人たちの意見や視点は私達にとってはとても参考になるというのは事実です。でも、それは私達が自分がジョーカーであるということを理解する為の参考にして欲しい物です。もちろん今の自分ではなく他のカードになりたいとあこがれるのは、それはそれで良いと思います。でもその為にも、自分は本当はジョーカーだと気づかないとならないんです。

 少し視点を変えて考えて見ましょう。先ほども書いたようにジョーカーが存在しえるのは、他のカードがあるからなのです。では、それぞれの人が自分として存在する為に、52枚(ジョーカー以外)のカードがあるでしょうか?それはその人の身の回りの人全てが、それぞれのカードを演じてくれているのです。もちろんその人も他の人から見ると一枚のカードになっているのです。上手く説明できないのですが、全てのカードがジョーカーでは、ジョーカーの意味はありません。今という瞬間においては、自分以外の人は何かしらのカードをやっているのです。そのおかげで、それぞれの人が自分の選んだカードでいることが出来るのです。持ちつ持たれつということも出来るでしょう。それぞれの人が自分とはどのような人間(いのち)だと、表現することで世界が成り立っているのです。そのおかげで、それぞれの人が自分を認識していられるのです。それがジョーカーだけでは、ジョーカーの意味が無いということなのです。

 でも本当は、ひとりひとりが全てジョーカーなのです。それは視点の違いだと言うことで理解してください。それは個人個人の世界において、他の人がカードをやってくれているので、自分はジョーカーとして意味が出てくる。という全く個人的な視点で、それぞれの人が考えるということなのです。この世の中は、「全てのものが、一つの魂」という側面と「個人個人が全くオリジナルな世界を持っている」という非常に個人的な側面が両立した世界なのです。後者の個人的な世界の側面では、他の人は全てその人の為に現れてくれたエキストラなのです。(唯我独尊の二つの意味です)

 非常に言葉にしにくいものが含まれている内容なので、意味が伝わったかどうかはちょっと心配です。まあ、ハッキリしない部分は御自分の解釈で考えてください。ここでもっとも言いたいのは私達はジョーカーなんだよ。ということなのです。私達がエネルギーであるとしたら、エネルギーの話がジョーカーと感じるというのは、ある意味では的を得ているともいえますよね。

(2004/10/05)


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